ソレゾレ ノ サイカイ ~ セシリア ト エアル

 闇の世界は気にならなかった。法術に長けているセシリアにはそこがどういう場所か理解できていたので、迷いも不安も恐れも感じることなく歩き続けることができた。回りに男共がいないので自分のペースを守ることができ、足が疲れることもない。慣れたとはいえ、やはりあ奴等の足の速さというか、ladyへの気配りの無さは腹立たしい。ま、もう半分諦めているのだが。それよりもにおいだ。香りが、臭いが、日向臭さが全く感じられないことが嫌だった。人には誰しも匂いがある。空気にも香りが紛れる。そして森は馥郁ふくいくとして存在する。幹も枝も、葉も土も、獣も鳥も微生物も。生きるものも枯れ散ったものも。それらの風に包まれて暮らしてきたセシリアにとって無臭の世界は、人工の香りが漂う生活よりも苦痛を感じるものだった。頭痛を感じる程に。


 ここは異世界へと通ずる道。男共は大丈夫だろうか。きっと何も分からず感じず、考えずに暗闇の中を歩いているはずだ。どちらの方向に歩いても結局は出口、術者の意図した異世界に到着するようになっている。たとえその場に立ち竦んだとしても、時が来れば光が見える。それでも、悟って歩を進める者とそうでない者とでは必然の差がでてしまう。ま、あまり心配していないが。そんなことを思っている内に出口が見えてきてしまった。どんな世界が待っているのか、そちらの方が恐ろしい。




 視覚よりも嗅覚が先に反応した。加えて目を閉じ深呼吸をする。生き返った。懐かしい森へと帰ってきた。今は亡き、消滅した森へ。そしてセシリアを迎える女性がひとり。初対面ではあったが、


「おかえりなさい、セシリア。」


「ただいま戻りました、エアル様。」すぐに分かった。大樹の姿ではないエアル、人の姿のエアルを目にしたのは初めてだったが、一目で、一目見ただけで涙が溢れてきた。声とか容姿とか香りではない。何というか、第六感みたいなもので心が震えたのだ。駆け寄り一気にエアルの胸へ飛び込むセシリア。優しくそっと、ゆっくり幾度も、黄金こがね色の柔らかい髪の毛を撫なでるエアル。そしてもう一度囁いた。


「お帰りなさい。」






 森に建てられた一軒の小屋。かつてセシリアが独りで暮らしていた空間に今は2人。不思議なもので独りが二人になっただけで小屋の中が何倍も明るくなった気がする。エアルの用意した紅茶を飲みながら昔話に花を咲かせた。セシリアの現在いまを報告した。笑顔が弾けた。森の小鳥達が窓際に寄り添い囀さえずり、小動物も小屋の回りで鳴き交わす。木々は太陽の光をさらなる輝きに変えて森を森として祝福した。神木と主人の帰りを皆が言祝ことほいだ。時が急かすように流れていく。何もかもを忘れられるひと時だった。親と子、師と弟子という関係ではなく、エアルとセシリアの様子は久方ぶりに再会した女友達の趣だった。




 「・・・そう、守ってあげたい仲間が出来たのね。」


「はい。そういう言い方は照れ臭いですけれど。いつもそいつらに守られてばかりですけどね。」


「いいのよ、それで。男共なんて普段はやりたい放題、あんぽんたんなんだから。尻拭い、後片付けはいっつも女の役目。セシリアだっていつも迷惑しているんでしょう。」


「そうなんですよ、本っ当に!」何で男ってあんな単細胞なんですかね――(以下、およそ25分間の独演を省略)。」


「フフフ・・・セシリア、貴方、変わったわ。森を出て正解だったわね。」


「時々森が恋しくなります。」


「故郷とはそういうものよ。」エアルが紅茶を飲み干し、目つきを変えた。


「さてと。セシリアは利口ね、話が早くて助かるわ。」


「?・・・と言いますと。」


「表に出ましょう。時間の許す限り相手になるわ。」小鳥たちが飛び去り、小動物達が逃走を始め、森が息を潜める。危険を察知する能力はいつの時代もヒトより優れている。




 「さ、セシリア。やってご覧なさい。火と水、2つの法術を同時に唱えるの。そうそう、貴方は水よりも氷の方が得意だったわね。」森の広場に女性が二名。察した鳥や小動物は辺りから姿を消しているので心置きなく法力を解き放てる。


「対属性の法術を同時に・・・できるかしら。」


「大丈夫よ、セシリア。まずは先入観を捨てること。火と水は確かに相反する属性よ。でも、その対属性の合成法術を使えれば法術の幅が格段に広がるはずよ。」


 う~ん、やっぱり難しそうだな。とりあえず右に火、左に氷でやってみようかな。でもな~、今まで異なる属性の法術を同時に唱えたことなんてないし、ましてや対属性。それを突然やってみろなんて言われても――


「考えながらすぐ動く!」


「はいっ!」コンマ何秒かの沈黙を経てエアルとセシリアは笑顔を交わし、すぐさま真顔に戻った。


 何度か試してみたが、意外といけそうというか、おっかなびっくり法術を詠唱すると右に火、左に氷、思っていたよりもあっさりと小さな火炎球と氷の塊が誕生した。


「でき・・・た?」


「上々よ、セシリア。」合成法術は次の段階に入る。


「次はその火と氷を合わせるの。火が強すぎても氷が勝ってもダメ。全く同じ力で火と氷を混ぜ合わせなさい。」火と氷。打ち消し合う、相反する対属性がなかば強引無理矢理に合成される時、何が生まれるか。法則を破った上で力を自らのものとする。そこから引き起こされる想像もつかない強力な法術。圧倒的破壊力。絶対的殺傷力。究極の――。期待は高まっていたのだが。


「え~と、これは・・・水・蒸・気?」セシリアの目が点になった。瞬きが多い、目をパチパチしている。この上ないくらいに頼りない法術の完成だった。モクモクと煙が上がるだけ。


「う~ん、これは・・・失敗かな。」セシリアの溜め息混じりの感想に対して首を横に振るエアル。


「これでいいのよ、セシリア。確かに火ほどの破壊力も氷のような鋭さもない。威力という面ではワンランクもツーランクも落ちてしまう。でもね、絶対に避けられない。防げない。躱せない。逃げられない。使い方の問題よ。」




 その後セシリアはエアルの指導の下、時間と法力の許す限り合成法術の錬成に掻き暮れた。意外なことに鍵となる属性は火でもなく水でもなく、また氷でもなく森だった。森に炎が天成されることで大森林は怒りと激震を生み出し、森に水が恵まれることで守護と再生が芽生えるのだった。仲間を守れる力。仲間を失わない為の力。笑顔を厭いとう力。


「そう、その調子よ、セシリア。さっ、どんどんいくわよ、と言いたい所だけど―先に石板の在り処だけ教えとくわ。どうせまた集めろってことになっているんでしょう。


      【ソレゾレ ノ サイカイ ~ セシリア ト エアル  終】

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