第六章 ~ 異世界にて
【ソレゾレ ノ サイカイ ~ エル ト カイツ】
真っ暗な空間をずっと歩き続けている。瞑目しているかの様。真っ直ぐ歩くことができているかどうかも自信がもてない。自分の足音以外、何も聞こえない無の世界。こうも何も見えない闇の世界ではそろそろ気がおかしくなりそうだ。大声を張り上げたい衝動にも駆られたが、その途端恐怖に押し潰されそうで堪えていた。夢か現実かも定かでない。果たして意識があるのかどうかもはっきりしていない状態だった。怯えているのだろうか、右も左も歩き続ける目的も現在地も不明の状況において立ち止まることができなかった。もしも立ち止まればそのまま進むべき方向を見失ってしまうのではないか、そんな感情が大きかった。従って歩を進める以外の選択肢はなかった。それでも不思議と披露は感じない。暗闇に覆われている為、速いペースで歩くわけにはいかないからだろうか。何だろうこの感情は、絶望の中にいる気がしない。むしろ希望に向かって、光に向かって突き進んでいるという根拠のない確信があった。
どれほどの時を刻んだのか。どれ位の歩数を重ねたのか。忽然こつぜんと一粒の光が現れた。正直、光なのかどうかは判別がつかないし、そこまでの距離を推測することもできなかったが、何かがあるというだけで心踊るには十分だった。何故にこんなにも期待が高まるのだろう。これは懐旧の念か。それとも美化された思い出に浸る弱さなのだろうか。何はともあれ一粒の光は一点の光となり、この時には確実な出口だと判断することができ、黒の世界を白く染める光。自らの足を動かすことで黒の世界から白の世界、黒の世界の出口であり白の世界の入口である光源にたどり着いた。そしてその光に惑うことなくエルは足を踏み入れた。その先に待っていたのは――
「おう、こっちだエル。随分と遅かったな、何やってたんだ。またシンシアに捕まっていたんだろう。ほれ、早く座れ、今日はなかなか食付きが良さそうだぞ。」
「あ・・・え・・・カイ・・・・・ツ・・・?」まるで状況を飲み込むことのできないエル。深呼吸。意識して新しい空気を取り入れて混乱した頭を落ち着ける。エルはこの釣り場を知っていた。エルの村から程近い、カイツと一緒に幾度となく晩飯のおかずを陸釣りに来ていた。そして、目の前では剣の師であり育ての親であるカイツが釣竿に神経を集中させていた。はっ、と振り向いたエルの目に出口が映ることはなかった。散々歩いてきた闇の異世界はどこかに消えてしまっていた。
「ほれ、エル。早ぅせんと日が暮れちまうぞ。」
「う、うん・・・」分かっている、カイツは死んだのだ。目の前にいる人物は幻覚、そうでなければカイツがこっちの世界に迷い込んだか、自分が異世界に紛れ込んだか。現状をそれなりに分析できる程度には思考が醒めていても、カイツと共に時を過ごすという願望に逆らうことはできなかった。
「なんだカイツ、まだ一匹も連れていないじゃないか。釣りの腕前は相変わらずか。」
「うるさい!まだ始めて30分しか経っていない。黙ってお前も釣れ。」ちなみに、カイツの釣りセンスは壊滅的かつ絶望的で、下手クソという表現では全くもって生温いくらいだった。ま、カイツ本人は10程の言い訳を常に準備しているみたいだが。
結果。エルの13匹に対してカイツ2匹。特に勝負をしていたわけではないが、いつも通りまるで勝負にならなかった。
「カイツ~、釣りだけは本当に上達しないよね。才能がないというか何というか。毎度おかずを釣るのは俺だもんね。」エルが釣果を自慢しながら師をからかう。
「うるさい・・・今日は・・・あれだ。お前に華を持たせた。」
「はいはい。いつもいつも華を持たせて頂いて心より感謝しておりますよ。」2人の笑い声が重なり響き渡った。程良い日差しに穏やかな川の流れ。近く遠くで小鳥が囀さえっている。水面同様美しく澄んだ空気がこの上なく快適だった。このひと時を平和と呼ぶのか幸せと定めるのか、はたまた天国なのか。過去には違いないが、確かに存在した現実。失うことなど考えたくなかった日常。これで一緒に村へ帰ることができれば言うことなしなのだが。村のみんなと優しい炎を囲んで共に時を過ごす。踊り、食し、歌い、飲み、語り伝え、眠る。特別なことではないではないか。
「さぁ、カイツ。もう帰ろう。日が暮れちまう。」エルが腰を上げ師に声をかけた。やや沈黙があって、その間エルはカイツに背を向けたまま振り向くことができなかったのだが、カイツから発せられた言葉と殺気に思わず振り返った。予感はあったが、何事もなく村に帰ってめでたしめでたし、というわけにはいかないようだ。
「抜け、エル。久々に相手をしてやる。どれほど腕を上げたか見せてもらおうか。」カイツはエルの返答も待たずに剣を構えた。釣りの時の駄目ダメな面持ちは姿を消し、騎士としての戦気を帯びていた。カイツはエルの剣の師匠であることは確かだが、カイツの武器は細剣や小太刀ではない。聖騎士にふさわしい炎の刀剣『レーヴァテイン』、柄に埋め込まれた魔導石は『ロキの獄炎』。属性は言わずもがな。
「ちょ、待ってくれカイツ――」
「いくぞ・・・」カイツがエルに斬りかかった。
カイツの一太刀を細剣と小太刀の二刀で弾いたエルは、すぐさま距離をとった。こうなってしまっては観念せざるを得ない、常に動き回りカイツの隙を伺うエル。戦闘態勢に入る。不動のカイツを中心にエルが円を描く。まともにかち合ってはエルにとって不利な展開となってしまう。力比べでは分が悪いのだ。エルの師であるカイツはエルの特性を早くから見抜き、レイピアという武器を与えた。軽く扱いやすい刃。エルの俊敏性と風属性の力。これを活かすにはカイツのような刀剣では重力がありすぎるのだった。カイツに勝つための戦略、それは一撃離脱(ヒット&アウェイ)。昔はしばしばこうやってカイツと剣を交えていた。いつもいつもボロボロにされていたのだが、やっと最近怪我が少なくなってきたかなという矢先に魔族の襲撃を受けた。それさえ無ければと幾度となく感情が暴れたこともあった。それでも。カイツもカイツだがエルもエルだった。驚いた顔は既に過去のもので、今は戦人の面構えとしていた。
エルの素早い攻撃を冷静かつ精密に対処するカイツ。ただしあまり余裕はない、油断できない。弟子の成長に喜びを噛み締めながらチョコマカ動き回るエルを捉えるべく思考を働かせるカイツ。このままでは話にならなかった。そこで仕掛けるカイツ。刃を大地に突き立て短い呪文を唱える。・・・テスナイマ ニノタイヒリタアツハ モイカンサ・・・
「虎炎舞こえんぶ!」エルから視線を外さずに読み上げられた呪文、飛び込むことに一瞬後足を踏んだエルはカイツの剣技に対して守勢に回るしかなかった。カイツを囲むように炎が上がり、その火炎のカーテンから紅に染まった一匹の虎がエルに襲い掛かった。
速い。獣相手に地上戦は不利と見たエルが空高く飛び上がるも、それに反応しピッタリと追ってくる獄炎の虎。雄叫びを上げながら大きく口を開いて体当たりをかましてきた。
「ティエラ(土属性)・スクード(盾)!」エルは非常に賢い剣士だと、カイツは常々そう思っていた。己の行動に対する敵の反応、そこに応対する為の選択肢を幾つも用意しながら戦うことができる。だから炎の虎が自分にピッタリくっついてきても落ち着いて対処することができた。エルの正面に土を属性とする盾が現れる。虎と盾が一瞬競り合うも、土の盾が競り勝ち、炎の虎は地上へ弾き返され消失した。
「ほう、土属性か。そしてあの小太刀は――」感心しながらも手を緩めない炎の剣士。カイツの前・後・左・右から計4匹の虎が空中のエルを襲撃する。徐々に落下してくるエルに対して虎たちは、ご丁寧に軌道をX型にクロスさせて攪乱までしてくる。『虎炎乱舞こえんらんぶ』。四方より襲い来る虎に対しエルも黙っているだけではない。
「天蚕糸てぐす 縢かがり。」風属性の剣技。風の糸が広がり虎に絡まり、その動きを鈍らせた。その隙を逃がさず擦過しカイツに向けて突進した。そのくるぶしには『朔風さくふうの足袋』。カイツは自分周辺の炎を掻き消し、エルの突進を正面から受け止める構えだ。けっこう、速いな・・・
空中で4本の虎がぶつかり消滅する低音と剣の衝突する高音が同時に打ち鳴らされた。そしてカイツが問う。
「エル、求めた強さは手に入ったのか。」無言のままステップバックで距離をとるエル。
「欲した強さには達したのか?」
『野分の息吹』。カイツとの距離を嫌うように中距離攻撃を繰り出すエルだったが、ズザザザと放たれた風の槍は炎の剣『レーヴァテイン』に弾かれ5秒ともたずあっさりと距離を縮められてしまった。
「変身すれば良いではないか。今のお前ならば20分位は意識を保っていられるのだろう。粗方あらかたの魔獣はそれで片付けられるだろうに。」質問には答えず再び間合いを広げ攻撃に転じるエル。『玄翁げんのう虎も落笛がりぶえ』。弟子の力技をあっさりと受け止める師匠。
「俺はそれで、仲間を殺しかけた。」ボソリと口を開くエル。
「死ななかったのだろう、お前も仲間も。」
「仲間に助けられた。」
「仲間なんだ、不思議はあるまい。」
「俺は魔族じゃない、人間だ。」
「んなこたぁ、知ってるよ。んでもって俺の息子だ。それにお前が殺らなきゃ全員死んでた。」
「言い訳に過ぎない。」
「いいんじゃないか、言い訳で。」もう1度距離をとるエル。そして小太刀に力を込めた。
過去に求めた力を恐れるな。飲まれるな。独りなれば滅殺の力が必要となろう。加えて仲間がいれば守護の力も求められる。それを足枷あしかせだとは思うまい。守る為には力が必要。その力を選り好みできまいて。要は使い方次第、使い手次第。今のエルなら、俺は何も心配していない。
続々と覚醒していく土の力。そうさせるのはエルの感情か、カイツの炎か、はたまたアディリスの想いか。
「ティエラ(土属性)・ファング(牙)!」エルが素早く3度小太刀を振り切る、その度に花崗岩かこうがんのクナイがカイツに複数襲い掛かる。それだけではない。カイツ周辺の地面からも土の牙が飛び出し標的を包み込んだ。
エル――。力を恐るな。カイツを炎が覆い尽くし、その炎は更に厚く巨大化する。周囲のクナイなど一瞬で焼き尽くしてしまった。そして現れたのはエルも目を奪われる美しい火の鳥、エルを攻撃することなくカイツの守護霊の如く佇立ちょりつしていた。
「エルよ。お前の求める力、手に入れんとする力は殺す為だけの力じゃない。守る為の力だ。独りで戦いを挑むのであれば守りの力は不要かもしれない。けれどもお前は独りではない仲間がいる。自分の力を守る力だと信じて良いはずだ。守る力に誇りを持て。殺す力に怯えるな。ためらいや迷いは死に直結する。お前達は、もう、そういう所まで足を踏み込んでいる。そうだろう、天界に誘われ、竜族に導かれ、魔族と正面から戦う。世界が諦め、俺達の敗れた戦いにお前たちは挑んでいる。さすがは俺達の子供だ。」不死鳥に包まれながらカイツが微笑みかけるが、エルはその視線を受けきれない。
「俺は村を、カイツを守りきれなかった。」
「村は生きている。俺は自業自得。守ろうとした結果守れなかっただけだ。お前のせいじゃない。」
エルから闘気が消え、カイツを包む炎が斑むら消えた。水は変わらず止め処無く流れ、誘惑のなくなった水中を魚が泳ぐ。疑いのない平安。永続を願う平和。求めるべき理想。救済の力と破壊の力は表裏一体。生きる為、守る為にはどちらの力も必要なのだ。だから、力を恐るな。
「ありがとう、カイツ。随分楽になったよ。ただ、それでも俺は魔族の力を切り札として持っておくよ。切り札は切り札として持っておくことに意義がある。ジョーカーはあくまでジョーカーだ。やっぱりできるだけ使わないよ。」
「ふむ、良かろう。・・・にしても相も変わらず頑固というか、哲学的というか。」
へへへ・・・カイツの最盛期、一番強かった頃の姿なのかな。若い。それに剣の速度、力、正確さ、炎の剣技、そもそも装備品がまるで違った。俺の言えたことじゃないけど、髪の毛、ちょっと長いし。
「さぁ、エル。続けよう。時間が惜しい。」
二人で村に帰り、シンシアから小言を言われて、というのが理想だったのだが。
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