第五章 天使の誘い
第五章 ~ 天界へ
【天使の誘い】
エルがガレオス城下町に着いた時、人々の話題は竜族目撃の噂話でもちきりだった。誰が見た、何処で見た、何度見た、色は形は大きさは。尋ねずとも耳に飛び込んでくる。エルはオルガとセシリアに詳細を説明する手間が省けると踏んだ。何言ってんだお前ェ、と疑われることもないだろう。同時に気味の悪さを通り越して人間族数人ではどうすることもできない規模の何かが胎動しているのではないかと感じざるをえなかった。ただしオルガと似ていて正直嫌なのだが、エルは心の躍動を抑えることが難しくなっていた。戦い、争いなどないに越したことはない。村で何事もなく平和に暮らせれば言うことなし、のはずだった。空白がなければ、暇(いとま)がなければ、渇きがなければ。求めてしまうのだ。オルガと会って性格というか、人間性が変わったのだろうか、というのは言い逃れか。それともシンシアの言う所の俺達にしかできないことをすべきだということなのだろうか。別に誰其れから課された使命というわけでもないので天命に従う必要もないのだが。人助けという意識も毛頭なかった。自らの欲望に従っているだけと言われれば反論する気もない。欲望を満たすべく運命の歯車が回っているかのようだ。幾分好都合な歯車ではあるが。そんなどうでもいいことを考えているうちにガレオス城に辿り着いた。 ヨンレンに案内されたエルは、まさに竜族について話をしているオルガ、セシリアとに再会するのだった。
昼飯でも食いながら、というオルガに従って食堂へ移動する3人。そこで料理の盛られた皿を移動カートに乗せて元いた部屋へと戻っていく。周囲に聞かれてマズイ話をするわけではないのだが、話をするには食堂があまりに広すぎて落ち着かない。円卓会議室は飲食厳禁。膝を合わせるにはそれなりに狭い方が都合がいいのだ。尤も、大した情報量があるわけではなく、情報交換できるだけの信ぴょう性も伴っていないわけだから竜に関する話は早々に終わってしまった。話をまとめれば、竜族の相次ぐ目撃情報は各地で上がっている模様で、もはや見間違いで済む状況ではないこと。別段被害があるわけではないが、かといってこのままにしておくわけにもいかない、ということだった。
もしもエルの報告がなければ動きようがなかった。迷惑なことにまたもやアディリスが村に降りてきたこと、エティオーグに竜が落ちてきてクリアンカが困っているらしいこと。3人にはこの情報だけで十分だった。クリアンカに会えば何かしら進展する。
海賊船アルタイルの船旅は快適だった。次こそ竜族を撃ち落とすべくこれでもかと砲台を整備する船員に囲まれながらの船旅は、無事3人をエティオーグへ送り届けた。船旅の間竜族は現れなかったのだが、そのことがちょっとだけ船長と船員をがっかりさせたようだ。オルガの前でドラゴンを召し捕りたかったのだろう。外見とは裏腹にちょっとピュアな一団である。
エル、オルガ、セシリアが新生エティオーグに足を踏み入れた。そこにはもう、少なくとも目に見える形では傷跡がほとんど残っていなかった。
「ほぉ~、すっかり復興してるんだな。凄ェ、凄ェ。やるじゃねェか、クリアンカの野郎。俺達があれだけ滅茶苦茶にしたのにな。」一部誤解を招く箇所もあるが、オルガの感想に嘘はなかった。ゼロからのスタートではない。マイナスからの旅立ち。中途半端になってしまったが、途中まで手伝っていたエルも驚いたくらいだから。
エルとオルガ同様、周囲を見回しながら満足気に頷くセシリア。あっちこっち走り回り飛び回る子供たちの顔は喜びに溢れていた。子供の顔に笑顔が戻るだけでエティオーグに光が戻る。エティオーグが明るく輝いていた。希望の光なしには明日を願うことはできない。明日に希望を託すことができなければその国に未来はない。生きながらにして未来を諦めることは、光と対をなす闇。遂にそれは絶望と化す。死と同列に扱われる終(つい)の化身だ。それを見事に追い払ったエティオーグ。その証拠が子供たちの笑顔なのだ。
「あっ!」セシリアが手を振る。それを見てエルとオルガも気づいたようだ。懐かしいリリト族が姿を見せた。エティオーグを救ったリリトの戦士、クリアンカ。
再会を果たす4人。この地この場で死闘が繰り広げられたことなど夢、幻であったかのように笑顔を交わす4人、プラス無表情の者が独り。クリアンカの横に立っている男の子。明らかに幼い少年で、人間族で言えば13、4才といった所だろうか。その背中にはクリアンカ同様翼が生えていて、きっと快適な空中遊泳が可能なのだと推測された。ただしこの少年、他のリリト族同様翼はもっているが、服装は大きく異なっていた。純白。少年は縁の黒色以外は目を細めたくなるくらいに陽光を反射する真っ白なローブを羽織っていた。どちらかというと法術士の出で立ちに近い。
「悪ぃな、いきなり押しかけちまって。」心にもないことを吐きながらオルガはクリアンカの家に入っていった。エルとセシリアもお邪魔しますと続く。例の少年は先にクリアンカと中に入っていった。
「押しかけるだなんてとんでもない。いつでも歓迎しますよ。それにね、むしろ好都合というやつです。文を書いたり、こちらから出向く手間も省けましたし。説明の半分は済んでしまったわけですから。さ、どうぞ掛けて下さい。」ここ、クリアンカの自宅に案内される途中、エルが単刀直入に尋ねた。
「エティオーグに竜族が落ちてきただろう。」
「おや・・・」先頭を征くクリアンカが後方を振り返りながら眼鏡の位置を直した。3本の指、法術を唱える時と同じ形で。
「よくご存知で。既に死んでいましたが、全くもって迷惑な話ですよね。」クリアンカの横を歩く少年が僅かに俯いたように見えた。
不思議な雰囲気を纏う少年だった。落ち着いている。これから展開される少年にはやや難解と思われる話題を前にして誰よりもどっしりと構えていた。誰とも目を合わせないし、一緒に行動していたであろうクリアンカと口を聞くこともなかった。謎の少年。彼のあまりに白すぎる服装を目にした時からもしやと思っていたエル、オルガ、セシリアの3人だが、今や誰ひとり彼をリリトの民と考えていなかった。この少年は何者なんだ。竜族の件と何かしらの関係はあるのだろう。でなければ申し訳ないが、用無しだ。
「では、詳細を私の方から説明させて頂きます。」口を開く謎の少年。息が詰まり集中力が増す。
「その前に自己紹介をさせてもらいますね。以前に一度お会いしているのですが―」3人は記憶を辿ったが、思い当たる節はなかった。
外では子供たちのはしゃぐ声が気持ちよく響いていた。地で空で遊び回っているのだろう。リリトの民の笑顔、殊に子供たちの笑い声を取り戻せたことはクリアンカの誇りだった。少しは恩返しができたのだろうか。感謝を、自分の過ちを認めてくれた皆への思いが形になっていれば言うことなしだ。だからもう決して失いたくない。危険にも晒させない。そんな折に落ちてきた竜族。たまたま被害は出なかったが、我々を不安に陥れた存在。恐怖を与えた。放っておくわけにはいかない。そして場合によっては、許さない。
「天人族のティモシーと申します。以前、森で飛び翔ける訓練をしている際にお会い―」
「へ?」
「な!」
「え!?」
記憶された映像と目の前の人物がとてもではないが結びつかないのだから無理もない反応だった。整理がつかずとっ散らかってしまった。
「今回お伺いしたのはですね・・・」
「待って、待ってくれティモシー。」エルが止めた。
「確か小鳥が狙われていて―」
「ええ、その通りです。当時は私も未熟でして、下界の生物に触れてしまいまして、大目玉を食いましたよ。そうそう、エルさんに頭を撫でて頂いたことも覚えていますよ。」天人族は意外と天然なのだろうか。
「え~と、うん。その・・・あれからまだ1年ちょっとしか経っていないわけで、俺達、君の姿にちょっと戸惑っているんだけど。何か、ずいぶん大きくなっちゃったな~って。」
「ああ、なるほど、そういうことですか。我々天人族は必要に応じて身体の成長を早めることができるのです。場合によっては知識を埋め込むこともあります。」
「へ、へぇ~。」もはや人知を超えすぎて無理矢理に納得するしかなかった。そういうものなんだと合点しなければ話が先に進まなかった。
その日も天界には円かな時が流れていた。煩悩の絆を断ち切った世界で天人族が何に追われることなく、時間からも隔離されて生活していた。天界はその全域が結界に囲まれている為に人間族は足を踏み入れることはおろか、目にすること存在を確認することもできない聖域だ。人間族に限らない。魔獣も魔族も古代獣も、神族も竜族も例外ではないはずだった。けれども、静かで穏やかで、清らかで気高い天界をレッドドラゴンが急襲した。ただ白く綿よりも雲よりも深く白色に彩られた宮殿を、ドラゴンの口から放たれた火球が掠めた。被害状況を確認することもなく慌てふためく天使達。そこに統一された集団行動などありはしない。楽園が戦場に変貌した。
集い応戦する天人族の戦士達。戦士とは言ってもその姿はアーチャーか。淡く緑に光を放つ弓矢、物質的本体はなく天使の発する法力で形造られる大弓を構え、百を超える矢が一斉に発射された。それらがまともに当たる。レッドドラゴンが全く回避する素振りを見せないから当然の成り行き。これだけの巨体だ、全弾避けることは不可能という結論なのだろうか。天人族の矢は竜に刺さるというよりは赤鱗にくっつき、吸収されるように消えていくと竜族の総身至る所で小さな破裂を次々と引き起こした。レッドドラゴンの叫び声が天界を揺るがす。効果はある。ダメージはある。それでもやはりドラゴンの追撃は止まらない。
次いで放射された火炎噴射が今度は宮殿ではなく天人族を襲った。先の炎球が固体の炎であれば今次の攻撃は気体の炎。レッドドラゴンが首を動かせば攻撃範囲が拡大した。天使達が逃げ惑う。が、間に合わず火炎に飲み込まれた天使は微細な粒子になって天界からさらに天空へ舞い散った。クゥーンという軽薄な音と共にあっけなく、実にあっけなく消えていった。
それでも負けるわけにはいかない。逃避行に没入するわけにはいかなかった。訳の分からぬまま急襲を受けた天使達も反撃を止めず、不得手な近接攻撃ではなく遠距離からの反撃を主軸に、緑に輝く矢に加え同色の美しい網を放った。竜族の中ではさほど大きくはないレッドドラゴンではあるが、天人族と比べればまるで山のよう。その巨体全身に巻き付き食い込む天使の網。◯(もが)くドラゴン。鱗が弾け、火よりも赤い血が迸る。そこに幾本もの矢が降雨する。ドラゴンの至る所で破裂を引き起こす。それでも網を切り細裂(こまざ)くレッドドラゴン。それを見計らったように新たな網が打たれ、矢が放たれ、竜が炎で応戦し・・・これが幾度か繰り返され、遂にレッドドラゴンは捕らえられた。
本来、天界全域には強力な結界が張られている。だから下界の人間には見ることも触れることも足を踏み入れることも、、その存在を感じることもできない。俗に言う異次元というものに近い。天人族は戦闘よりも結界の扱いに長けた種族である。特に防御に関する結界の。竜族や魔族とてその結界を持て余すほど。そうでなければ純白な天界が維持できるはずもない。にもかかわらず音もなく竜族の襲撃をあっさり許したということは、どこかに結界の解れがあるのでは、という天人族の予測は正しかった。幾許もなく結界に開いた大きな穴が見つかった。こんなことは初めてだった。戦いの才に関してはともかく結界師としての能力はあらゆる種族の中でも最上位を誇る天人族。彼らの自負は不安に塗り替えられた。これを塞がなければ再三再四、竜族の侵入を許すことになりかねない。人数と時間をかけて修復に当たるはずだった。その思いを嘲笑う竜族の進撃。結界の解れを直すべく天使が集まったのを待っていたかのように、新たな邪竜が突入してくるのだった。
さて、これまでに駆逐した竜族は3匹。レッドドラゴンにはじまりアンファング、モルガロン。結界の解れを修復にかかった天人族を嘲(せせら)笑うかのようにアンファングやモルガロンが天界に侵入してきた。できれば竜の討伐に全力を注ぎたいところだったが、これでは戦力全てを対ドラゴンだけに当てるわけにはいかなくなってしまった。竜と戦っているうちに新しい竜族が現れては元も子もない。そこで半数を竜族との戦いに、もう半数を結界の修繕向けた。一体全体何事なのだ。天人族にとってこれ以上ないほどの迷惑行為。高位竜族であれば言葉を理解し操る種もいるのだが、アンファングやモルガロンはこれに該当しない。ただ雄叫びを上げながら天界中を揺るがした。言葉なしには考え、心理を知ることは不可能であった。沢山の天使が犠牲になり、建造物が破壊され、あろうことかアンファングについては捕らえることに手間取り下界に落としてしまった。
そして致命的ともいえる出来事。手に余る竜族の侵入。どうにか結界の修繕と強化を終えられそう、ようやく混乱に終止符をと油断などするわけない。音もなく、結界に触れることも壊すこともなく天界に参上した、天神族にとって相性最悪の竜、それがエアドーハスだった。望み絶つ魔竜、絶望竜エアドーハス。天人族にとっては文字通り天敵だった。属性でいうところの火と水、土と風といったところだろうか。天使の矢はほとんど効力をもたず、竜のいかなる攻撃も天人族にとって致命傷になりかねない。壊れ逝く天界、羽をもがれた天人族に対抗できるだけの余力はなかった。どうにか結界の強化までを済ませてこれ以上の侵入は防ぐに至ったが、入ってきてしまったエアドーハスだけはどうにもならない。どうにかしなくてはならないし、原因究明・対策強化も必要だった。とはいえ戦う力は残っていない。今、天使たちは逃げ隠れ、幻術で相手を攪乱して時間を稼ぐことしかできない状況だった。
仲間が竜族を退治する者を待っているのです。
話を終えたティモシーに対する人間族の答えはYES。あっさりと了承するエル、オルガ、セシリアとクリアンカ。あまりに軽すぎて依頼した本人が不安になるほどだった。ただし、ひとつだけ条件をつけた。1日まて、明日のこの時間にでも出発しようやということになった。俺たちも少し話したいことがある。この1年のことをな。
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