寄り道 ~ 最後の守護獣 

  【寄り道 ~ アディリスとエル】 



 「さて、お次は南西部のイォルコスだったな。ちゃっちゃと片付けちまおうぜ。」オルガに披露の色は見られなかった。

「地図を見るとさ――」エルも同様、散々動き回ったにも関わらず呼吸は乱れず、もしくは乱れた息が既に整っていた。

「沿岸を歩いていくのなら、途中でファラム・ランサに寄って行ったほうが手っ取り早くないかな。」

「お前ェ、チラッと見ただけで地図が頭ん中に入ってんのか。やるじゃねぇか。」

「入ってない方が問題よ、もう・・・」セシリアはオルガに軽く突っ込みながら、以前クリーチャーエンサイクロペディアを出したのと同じ要領で、ヴェルハウゼン全土の地図を開いた。

「さすがは姫、お見事ですね。」そう言うとクリアンカが地図に指を当てながら図説役を担った。

「実は北へは向かいません。この道を通ってイォルコスへ向かいます。」クリアンカの指は大きな湖の中央を横切っていく。

「待て待て、クリアンカ。俺達に羽は無ェんだぞ。」

「ご心配には及びません。ほら、道があるでしょう。」クリアンカの指す通りに視線を落とすと、そこはかとなくか細い線を一本発見することはできた。

「それは・・・道なのか・・・随分と頼り無ェが沈んだりしねェだろうなぁ。」

「ええ、地図で見るよりもずっと頑丈な道ですよ。沈むなんてことはありえません。その点は保証しますよ。」クリアンカは不敵に微笑むのだった。


 「その小(ち)っこい剣なんだが――」地図の上では極小、極細に示される目的地へ向かう途中、オルガが口を開く。

「小せェ割に力強さみたいなモンを感じるんだが。」

「そうですね、何か、こう、神々しさと言いますか、神聖な法力の様なものを感じますね。」クリアンカも話題に乗じる。両者共、風使いが土の属性を持ち合わせていたことに関してはさほど興味を惹かれない点がセシリアとは異なっていた。

「分かるんだね、そういうの。クリアンカはともかく、オルガは鈍感そうなのにね。」エルの一言にオルガがコノヤローと戯(じゃ)れていた。

「実はさ、アディリスっていう竜族の・・・」

「何ですって!!?」エルの零した予想の上をいく名前の登場にオルガとクリアンカも驚きの視線を送ったが、2人以上に飛び上がってエルに近付いて来たのは剣の話などにはまるで興味を持たず、3人の会話に距離を置いていたセシリアだった。

「エル、今、何て。アディリス、アディリスって言ったの。」空気が一変したというよりは時の流れが早巻きになった印象だろうか。4人の集中力がアディリスという名に吸引されていった。

「うん、じゃぁ、少し話すよ。」

「少しじゃなくて全部話しなさい。」

「そうだ、洗いざらい全部吐いてもらうぞ。」落ち着いているのはエルとクリアンカ。滾(たぎ)っているのがセシリア、そのセシリアに乗っかるオルガ、という構図だろうか。エルはセシリアとオルガを無視して剣を手にした経緯を話し始めた。小太刀、アディリスの鱗。そして魔導石『土精の暗涙』。



 エルが故郷に戻って2ヶ月余りが過ぎ去ったある日、それは何の前触れも予備現象も伴うことなくやってきた。他の村人はもちろん、エルですらも視覚に異常を感じるまでは気配を悟ることもできなかった。はじめは雲の塊か、雨でも降るのかと、陽光を遮るほどの影を落とす何者かの存在を目視すべく上空を見上げる。すぐさまエルはレイピアを手に魔導石を発動させて戦闘態勢を整えた。ここでエルに走り寄る女性がひとり。エルより2つ年上の結界師、先の魔族との戦いではエルを転送装置で逃がし、現在はカイツの村復興の陣頭指揮を執るシンシアだった。彼女がエルに何かを伝えようとする、それをエルが優しく自らの言葉で遮った。

「みんなとできるだけ遠くへ。大丈夫、今度は俺が皆を守る。」今回はエルではなくセシリアが何も言えなかった。平然と涼しい顔、優しい声、そこに強制の力が作用する余地などなかった。それでもシンシアはエルの意思に従った。エルはシンシアの背中をそっと押した。ンッとシンシアは素直に従うのだった。

 カイツの村に張られた結界は壊れるとか破れるという次元の話ではなかった。まるで竜族の侵入を望んで受け入れるかの如く、アディリスの触れた箇所の結界が霧散していった。遥か天空より舞い降りたるは大地を司る神竜アディリス。降臨の目的は不明、エルらに思い当たる節などあるはずもない。ただし、目の前の現実は夢でも幻でもなかった。全く信じがたい。嫌になる。威風堂々ゆっくりと土に根を下ろし、不思議なことに翼を畳むその時にも砂埃ひとつ舞い上がらなかった。結界だけではなく、辺り周辺の大地全てがアディリスを待ち焦がれ、なおかつ緊張、緊迫を強いられていた。土の強張りがエルにも足元から伝わっていた。

「貴様がネクロスを屠りし者か。」アディリスが問う。エルに質問の意図は分からなかったが、自身の為すべき行動は決めていた。

「みんなが時間をかけてやっとここまで村が生き返ったんでね。おいそれと壊されるわけにはいかないんだ。場所を変えさせてもらう。」エルは広場へと、アディリスがついてくることを願いながら誘導した。幸いアディリスはエルに従い、仄かに静寂をまとったまま舞う。そして再び問う。ネクロスを始末したのは貴様か、と。エルは迷う。その問にどう答えるべきなのか。目の前のドラゴンは敵か味方か。外見的には敵だし、俺はあんな味方知らない。友人としてはちょっとデカすぎる。・・・そんなことはどうでもいい。奴の問いにどう答えるべきなのか。だが考えた所で正しい解は存在しない。見出すことはできない。それは分かっていた。だから、

「もしも、そうだとしたら・・・」これがエルの答弁だった。

 今度はエルが窺う番だった。時の流れが止まることはない。優しく涼しい風が吹き抜け、草木が揺れ、土が仄々と舞う。小川の奏でる音色がどこか瞳の奥に心地良い。かつてこの広場にて死闘が繰り広げられ、そして自分たちが敗走に追い込まれたことなどアディリスは知る由もないだろう。

「鬼胎を抱くことはない、人の子よ。遅かれ早かれネクロスは処理せねばならなかった。如何せん、やつの特殊能力に舌をまいていた訳だが。」改めてアディリスがエルを見下ろし、エルが巨神竜を見上げた。エルに油断の仕草はなく、レイピアの握りを緩めることはなかった。それはアディリスの気配を察してのことなのか、はたまた次の開陳を予測してのことなのか。

「疑う訳ではない、疑う訳ではないが弱き者よ、主が本当にネクロスを屠ったのか。主では奴に触れることも難しそうではないか。たとえ仲間がいたとしても共倒れがいい所だろう。」言葉の端々にカチンときたエル。さしたる敵意を見せない相手に対して自ら戦いを挑むのだった。

「・・・なら・・・試してみるかい。」


 ありとあらゆる攻撃は強固な鱗によって尽(ことごと)く跳ね返された。速度重視の連撃も、威力重視の一撃も。手応えはある。剣撃はしかとアディリスへ届いていて結界などは張られていなくて、だがしかし、その鱗一枚削剥することはできなかった。間もなく息の上がり始めるエルに対して、アディリスはエルの攻撃に無反応。目を遣ることもほとんどなかった。目視確認すら為さないのだから見定めるという表現は正しくないかもしれないが、人間の品定めにも飽きてしまったのだろう。クトンと尻尾を振り落とすと、エルはアディリスの一振りをかわすことも堪えることもできず、気が付けば広場中央付近にて大の字で寝そべっていた。参ったね、こりゃ。どうにもならんわ。

 「弱き者よ。主ではネクロスの頭(こうべ)に触れることはおろか、姿を捉えることすら難しいのではあるまいか。カイツの子供なればもしやと思ったが、どうやら人違いであった。邪魔したな。」大地を司る巨竜は羽を揺らし、広場を立ち去る準備を整える。ただしそれを拒むものが独り。

「まぁ待てよ。そんなに焦ることはないんじゃないか。どうせお暇なんだろ、アディリスさんよ。」起き上がり、立ち上がり、剣を構えるエルの姿は魔族。アディリスは人に在らざる者へと変身を遂げた人間の声に耳を傾け、ゆっくりと翼の動きを止める。

「そういうことか。いいだろう。もう少し付き合ってやろう。」

 さして結論に変化はなかった。十数分間の攻撃によって付与したダメージは鱗2枚。アディリスはじっと人間からのメッセージを受け取り続けた。エルはリミット近くまで魔族の力に身を任せたが、その目的が強さを高唱することなのか、カイツの子に恥じぬ戦いを披露することなのか、ネクロス討伐の証明を果たすことなのか、結局は先程と変わらぬ人間の容姿で片膝をついてしゃがみ込んでいた。レイピアを支えに倒れ込まないのがやっとといった所か。

「疑ったことを詫びよう、カイツの子よ。それと、村を騒がせてすまなかったな。それは侘びの記しだ。主ならあるいは使いこなせるかもしれん。それと・・・」アディリスの翼が大きく揺れ、竜神の巨体が宙に浮く。

「カイツは・・・惜しい者を亡くした。」そう言い残すとアディリスは天高く去っていった。剥がれた2枚の鱗は小太刀と魔導石に姿を変え、今はエルと共にある。



 












                 第3章 ~ 再集結


               【サイゴの守護獣達(ガーディアン)・後】


その小太刀と魔導石も今はひとまず無用の長物、エルの手助けにはならなかった。聳(そび)え立つ道。そう、道が峙(そばだ)っていた。クリアンカの言う通り海を横切る往還は確かに存在した。地図上ではか弱い極細の線に過ぎなかった道は、地図が表すよりもずっと堂々と立ちはだかっていた。クリアンカによると道幅は百メートル以上あるらしい。そして標高も百メートル近くあるとのことだった。水に沈む心配はないでしょう。通称『ハナキリンの崖』を前にして胸を張るクリアンカが憎々しかった。今、エルとオルガはロッククライミングに興じていた。岩山の角度は50、60度とのことだが、2人にはほぼ垂直に感じられる。体重の軽いエルがやや上方、重量級のオルガはやはり幾分ペースが落ちてしまう。翼をもつクリアンカは当然崖登りに付き合うことはせず、セシリア姫を抱えて綽然と羽ばたいていた。途中まではエルとオルガにペースを合わせて飛んでいたが、今はちょっとした平地にセシリアと一緒に腰を下ろして、文字通り高みの見物を決め込んでいた。


 とても美しい景色だった。遠方に大森林が広がっている。今まで見上げるばかりだったが、上空から見下ろす緑も悪くなかった。考えてみれば、セシリアは日々木々を目にしてきたが、森を見てきたかというと、少なくとも外から一望する機会はあまりなかった。森は季節で顔を変える。葉を付け花を咲かせ実を成して、というのはセシリアにとってとても小さな変化。森に棲みつくものが変わる。森を訪れるものが変わる。陽の光が変わり、影の深さが変わる。命の数が変わり、風の通り道が変わる。そして時に、天使が舞い降りることもある。


 飛んでもねェ道に案内しやがって。オルガは大の字に寝転がり、エルも座り込んで呼吸を整え、汗が引くのを待った。ここは中間地点。さらに登り続けて頂上に辿り着いたら対岸に向けて歩を進め、その後は下りが待っている。距離は関係なく長い道のりである。だらしないわねぇ。冗談半分、腕組みして毒付くセシリアを恨めしそうに睨むエルとオルガ。手前ェも自力で登ってみやがれ、女性に随分な言い方ね、あと半分だってさ、まだ半分もあんのか。その様子を見つめるクリアンカもどこか楽しそうだ。

 さてと、セシリアが立ち上がりロッドを構えた。三人六ッ目がセシリアを刮目する。浮遊法術『名も無き木陰からの胞子』。エルとオルガを包んだのはシャボン玉。幼き日の記憶に残る無色透明のシャボン玉がそのままに、大きさだけが何百倍にも肥大して人間を包み込んでしまった。

「慣れるまで時間はかかるでしょうけど、まぁ自力で登るよりはウンと楽なはずよ。このあとは下りもあるみたいだし。そうね・・・コツは重心移動に注意することかしら。脱力した状態だと少しずつ浮いていくの。背中に力を入れる感覚かしら。そうして肩と足首でバランスをとって・・・あらら・・・」

 セシリアのアドバイスも途中から宙を舞った。エルは尻餅をついた状態で、オルガは尻を天に向けた格好でゆったりと上昇していった。バランスをとること自体が慣れるまでは難しい。使いこなせれば地上と変わらぬ動作が空中でも可能なのだが、今の2人では法力に身を任せてフワ・プカ浮かべられることしかできなかった。セシリアも自身に法術をかけて嫌味を垂れながら、2個のシャボン周辺をほっつきながら垂範した。法術の効果が切れないよう、切れそうになれば重ね掛けできるよう注意する。それがバレることを嫌ったのか照れ臭いのか、対岸へ到着するまでセシリアは半畳を入れ続けた。

 ハナキリンの崖を抜けると北方には先ほど崖の上から見下ろした大森林が、空からもやはり深緑が目に鮮やかだったが、同じ大地に根を下ろしてみるとクルヴィの森よりも広く大きい樹木の数々は、神々しさという仮面の奥に恐怖すらも取り込んでいるようだった。結構な距離を置いてこれだから、森を直に触れる際はどうなってしまうだろう。一方南部に位置するはイォルコス。訳も分からず崖を登るよりも目的地がはっきりしてくると疲労が薄れ、足取りもしっかりしてくる。ただし気になることが2つ。1つは夜にでも明かそうか。急を要するものではない。もう1つの方が重要だ。最初は何なのかも確認できなかったが、右に左に、北へ南へフラフラしていた。


 エル「何だろうね、あれ。」

セシリア「何かしらね。」

オルガ「おい、クリアンカ。ひとっ飛びして見て来いよ。」

クリアンカ「しかしですね、何者かも分かりませんし。」

 それは幾分前から、ハナキリンの崖を無事攻略してからずっと、4人の視線を独占していた。相当の距離があった為にはじめは黒い点にしか見えなかった。動いているのかどうかも定かでなかったその点との距離が徐々に縮まり、少しずつ色彩が施されていく。そのカラーはシルバー。銀色の鎧に身を包んだ何者かがあっちへウロウロ、こっちへウロウロ、そっちへウロウロ、どっちへウロウロ。重装備、頭頂から足の甲まで甲冑に覆われ、左腕に盾、右手には見るからに破壊力のありそうな、クリアンカのものより一回りも二回りも太く頑丈そうな槍を持っている。何かを探しているのだろうか、何かを済ませた後なのだろうか。対象の観察が可能な位までに接近するとその挙動不審ぶりが明んだ。

オルガ「さまよってるな・・・」

セシリア「さまよってるわね・・・」

 

 守護獣(ガーディアン)サイモン。銀色鎧(シルバーアーマー)に全身を包まれた戦士。ただひたすらに彷徨していた様子の守護獣は近付いて来た4人を見据えると足を止め、鎧と同色の盾と槍を構えた。呼応するエル、オルガとクリアンカ。眼前の守護獣から感じられるは戦いの意思。それ以外の感情は読み取れなかった。不可思議なことにガーディアンから戦いの意思は痛い程明らかな一方で、眇たる殺意も感じられなかった。無心、無双、無我。一足、一足、鎧を哭かせながら近寄ってくるサイモン。己の戦いの意思に焦ることなく確実に、非情なまでにゆっくりとした足取りをみせるサイモン。内に宿すは魔導石『黒糸(もえぎ) 縅(おどし)』。デキル。前の戦いの様にはいかないかもしれない。ツヨイ。先の戦車とここにいる騎士とでは格が違う。油断できない。油断すればケガヲスル。オモシロイ。そこに男3人は愉悦の情を示すから困ったものである。腕を組み、首を傾げるセシリアであった。

 特攻隊張エルのレイピアを制する者がひとり。

「私の戦い方も見て頂きたいので。援護のほど、宜しくお願いしますね。」その掌に握られるは『鵬翼の白槍』、秘める石の名『帰路なき雷道』。一言添えた後、クリアンカはガーディアンに向けて2本の足で歩き出した。背負の2枚の翼は開かれず。まずはじっくりゆっくり、武器による接近戦を挑む。歩きながら槍を抜き、構えを通り越して肩に担いだまま用心悪く間合いに入っていった。その姿、クリアンカによる槍の扱いは予想に反して、尤もそれはエル、オルガ、セシリアの3人が勝手にクリアンカの言行、素行から思い込んでいたに過ぎないのだが、大振り・豪快・強引だった。セシリアはともかくとして、この光景に少なからず落胆するエルとオルガ。表情には出さないものの、期待値には遠く及ばない槍撃だった。確かに力強く大地を踏み込んではサイモンへと確実に槍を届けていくクリアンカ。これに対して守護獣は手にした槍を振り回すことなく、鎧と同色の盾によって堅実に有翼人の攻撃を受け切っていた。見切っている、というのだろうか。後手、後手に回っても十分に対応、処置、処理が可能。守護獣はそれ程までにゆとりを持って防御に専念していた。そこに構わず槍撃を放り込むクリアンカ。不格好な攻撃を継続する。じり貧だな、腕組みしたまま動かないオルガの顔が焦れる。エルは言われた通りに援護射撃の準備をしているのか、細剣レインブレイカーを抜いてはいるが、仕掛ける構えまではとっていない。共に黙して次の一手を待っていた。

 その一手を切り出したのはガーディアンだった。鎧と同色のエネルギーが槍に集い、次の瞬間にはニャウという衝撃音を伴って槍を振り切っていた。がさつで大雑把なリリト族の猛攻に痺れを切らせたのは人間族ではなく、守護獣だった。銀色の小爆発によってクリアンカの体が後方へ跳ね飛ぶ。あっ、セシリアが声を漏らし、エルは腰を落として一歩踏み込み、オルガが腕組みを解いた。守護獣は追い打ち、止めの一突きを入れるべく、クリアンカがすっ飛んでいる最中に走り始めた。そこで鮮やかに紐解かれる白き翼。一度きり、ファラリと音色を立てると主人の体を後ろ回りに回転させて、羽を中心におっとりと重力に抗い、その絶対的法則から解放されることを閃かせながら2本の足を大地に着地させた。迫り来るガーディアンへの迎撃、それは槍を持たぬ左手に集められた法術。魔導石『帰路なき雷道』の力だった。その発動を敏感に察知できたのはセシリア。エルとオルガは鵬翼の白槍ばかりに意識を向けて、法術が発動する瞬間までクリアンカのシナリオに気付くことはできなかった。

「地雷矢(ジライヤ)。」法術発動の合図はセシリアの叫び声とはまるで異なる、低くてクールな呟きだった。まるでそこに眼鏡が浮いているかの様に、クリアンカにしばしば見られる眼鏡に触れる仕事で三本の指を宙で少し上昇させると突然に地面から細く小さな三本の雷が発生、止めを狙って迫り来るガーディアンを強襲するのだった。クリアンカの脳天もしくは心臓を補足していたであろう守護獣の視界に、土から生まれた小さな稲妻は入らなかった。何者にも邪魔立てされることなく雷撃がシルバーアーマーに吸い込まれていくのだった。

「魔導石・・・属性は雷かな?」

「エルと同様、器用な奴だ。」

「ちょっと違うわ。雷属性の法術よ、間違いない。」

「・・・・・・・何か、違うのか?」

「・・・さぁ?」

「もう面倒臭いわね。あとから説明してあげるから。」セシリアはエルとオルガの疑問符を放置して、じっと法術の行方を追った。武器や道具を経由して魔導石の力を活かすだけではなく、石の力を直接引き摺り出す能力。類まれなる才能と法力を必要とするが、もしも戦士が法術を扱えれば魔法戦士とでも言うべきか、法術士とは比較にならない戦いの幅を持つことになるだろう。戦士ではありえない戦闘方法を繰り出すだろう。ましてや羽を持つともなれば人間族の常識など通用しまい。

「おやっ?」地雷矢の閃光が解けて首を傾げたのはクリアンカだった。放たれた雷は守護獣の鎧に吸収されたか弾かれたか、跡形もなく消失してしまった。セシリアによれば法術に対して、しかも運の悪いことにどうやら雷属性に対して特に抵抗力の高い鎧、ということだった。クリアンカも瞬時にそのことを悟り、雷撃に一旦は突進を止めたが再び追い討ちをかけるガーディアンを迎え討つ。雷属性の法術が機能しない以上、頼れるものはその右手に握られた槍のみ。けれどもその槍撃は既に見切られている。そう思われていた。だがしかし、そこに現れたのは一幕前とは異なった華麗なる槍の舞いだった。雷による法術では抑えきれなかった敵による追撃をその槍一突きで足止めし、二突き目以降は流れるように鮮やかな槍捌きで守護獣を防戦一方へ追い込むのだった。エル、オルガ、セシリアの3人が一昔前に思い描いていた通りの妖美な連撃だった。槍

vs槍の主導権争いはクリアンカに軍配が上がり、敗れたガーディアンは盾にしがみついて守勢に徹さざるを得なかった。

 

『未来を担いし者へ――』


セシリアがクゥッと首と背骨の隣接部分を押さえながら目だけで周囲の様子を伺った。目に映ったのはエルとオルガ。エルは黙して戦況を見守り、オルガはクリアンカに交代を要求している。お前ェの実力は分かった、独り占めするな、体力温存しとけって。よほど体が疼いて仕方ないのだろう。その他に大きな変化はなかった。セシリア以外には届かぬ声、のようだった。


『我々守護獣は本来――』


にこやかにクリアンカは退き、オルガが威勢よく飛び出していった。右に宿すは騎士の誇り、左に眠るは海賊の想い、その胸に野望を抱いて(王族の気品は何処へやらと、ヨンレンに突っ込まれそうだが・・・)。


『我等守護獣は本来、人と共に人を守るべく造られた存在。守るべきは人、狩るべきは魔族。』


 オルガが軽快に大剣を振り回す。1年前のものより幾分小振りになったとはいえ、斬馬刀と称せる大きさ。それを2本。嬉しそうに戦うオルガ。剣までもが実にリズミカル、楽しそうに金属音を奏でるのだ。一ッ、ガレオス騎士団長の証、浅紅刀『スカーレット』。二ッ、父から息子へ託された剣、ドラグヴェンデル。その名は、今は伏せておこう。オルガの為に。守護獣は次々と繰り出される剣舞を槍でかろうじて防いでいるように見えたが、オルガが槍だけに狙いを定めて攻撃を仕掛けているに過ぎなかった。証拠にガーディアンの槍がオルガの豪剣に耐え切れず手元を離れ、地面に突き刺さった。


『今や魔族の手下。対人間族用殺戮兵器。自らの意思、本来の目的を貫くこともできない。願わくば我らを殺し、これ以上の罪悪を重ねさせないで欲しい。もう堪えることは難しかろう。どうかその手で、地獄へと。』


 距離をとる守護獣。手にするは盾のみ。反撃の手段はあるまい。オルガが間合いを詰める。攻撃の手を緩めない。再び金属がリズムを刻む。今度は剣と盾。セシリアには悲しく虚しい鎮魂歌。セシリアだけに届いた心の叫び。銀色の盾が砕けるまでに多くの時間は削がれなかった。望むがままに剣撃を受けきったかの様なガーディアンに残された頼みの綱は左手首の籠手(こて)。そのコテと支えていた右手を巻き込んで破砕するオルガ。続いて胴を薙ぎ、脳天から大剣を振り下ろす。グァンという鈍い音色と合わせてサイモンの人間族と抗う力が消失した。敵の力を見切り、武器を切り離し。防具を剥ぐ。オルガがこの機会を逃すはずはなかった。ためらいや戸惑い、迷夢、迷妄の類は皆無。


『君たちに託さざるをえないこと。力になれないこと。多くの犠牲を出してしまったこと。すまない。』


 銀色鎧(シルバーアーマー)がその役割を終えたとき、オルガが守護獣に引導を渡した時に、顔を背けたのはセシリアだけだった。しばらくの間セシリアの両耳に圧力がかけられたみたいに、クカカカカという耳鳴りが収まらなかった。耳が重いと眼球とこめかみが不調の兆しを示す。

 三人の男共は実に強いのだろう。場慣れもしている。苦戦も予想された相手との戦闘を、終わってみれば事も無げに退けた。今は3人集って談笑している。その表情はまるで子供。剣術や槍捌きについて話しているのだろうか。いや、クリアンカの所作から察するに話題は法術か。おや、オルガがエルの小太刀を見せてもらっている。実際に自分で握り軽く素振りまでしているではないか。談笑が一段落するとオルガは転がっていた魔導石『黒糸 縅』を拾い、名前を呼んでセシリアに投げてよこした。高く売れるだろう。だのに心は躍らなかった。程なく4人は最寄りの街、イォルコスに向けて歩き出した。



 果てた荒野の真ん中にて慌ただしい戦いをこなしたすぐ隣の街が、こんなにも栄えているとは思わなかった。その源は水。飲用水。水資源の豊かなメルヴィルではにわかに信じられないことだったが、どんな高等な技術よりも、屈することのない軍事力よりも、金と平和と戦争をもたらすものが水だった。水資源を金に変えることでイォルコスは文字通り潤い、他国にとっても必須である水資源を人質とすることで他国からの侵略を防いでいた。水を求めた戦争?この数十年、イォルコスが人間同士の戦火に怯えたことはない。何故か。クリアンカによればそれは・・・



闇に蠢く幾つもの影。その気配はまだ遠い。ずっと遠くに映った影共の美すら感じさせる律動的で整えられた集団行動。正体は謎。それ所か、今やっとうっすら気付いたその存在。その影に息を呑んだが恐怖はなし。恐怖を覚えることはなかったが違和感は付き纏う。違和感は感じるもののそれが憎悪に変化することはなかった。代わりに沸き立つ興味。ただしこの興味を消化する術は今のところ見当たらなかった。何かが起こる、起きている。単日ではなく連日、脈動が大気を震わせる。



 闇夜だろうが見知らぬ土地だろうが、朝だろうが夜だろうが、オルガの居場所はすぐに分かる。彼の吸う煙草の香りで。

「何か用か。」エルが声をかける前にオルガが反応を示した。

「オルガの場所はすぐに分かるね。その煙草の香りのおかげだ。」

「そんなのはお前ェだけだ。風に乗った煙を嗅ぎつけてくるのは。」ヒューイと冷たい風が通り抜けた。夜風が顔を過ぎるから少し目が乾いてしまった。

「・・・」

「・・・」

「んっ、何だ。何か用があるんだろう。」

「オルガ、気付いてる?」宿からやや離れた一本の桜木の下にて煙を吐き出すオルガと木を挟んで背中を合わせる2人。

「ああ、詳しくは分からねェが、気味の悪い何かがウジャウジャと・・・」

「尾行さ(つけら)れてる?」

「どうだろうなぁ。随分と遠くだから何とも言えねェが・・・なぁ、エル。」

「んっ?」呼びかけに反応するエル。

「このことは誰にも言うな。セシリアにも、クリアンカにも。」

「クリアンカにも?クリアンカは気付いているかもしれないけど。」

「俺にちょっと考えがあってな。とにかく知らぬ、存ぜぬを通せ。話題にするな。」

「分かった。」会話を終えるとオルガは宿へ戻り、エルは細剣を取り出し手入れを始めるのだった。その頃、セシリアはイォルコスで購入した書物を読み流し、クリアンカは窓から外を、闇夜を見定めていた。


 

 翌日、イォルコスでは一泊しかしていないからその記憶はまだまだ鮮明だった。ハナキリンの崖から見下ろした大森林。セシリアに続いてエル、クリアンカ、オルガ、4人は今その中を歩いていた。セシリアは活々としていて、魔獣のいないのをいいことにあっちの木に触れては足元の草花に目を遣り、土塊をひと握り持ち上げては木の上で踊る小鳥や小動物に微笑みかけていた。挙げ句時々話しかけ会話を成立させるものだから嬉しさのあまりどこか壊れてしまったのではないかというまでにご機嫌だった。日差しは数々の大樹に遮光されて森の中は若干薄暗かったが、他の3人にとっても、草木豊かな小鳥の囀りが耳に心地良い空間だった。

 そう。それは、他の3人には見えず、聴こえず、匂わず、感じず。だから彼女が片目を瞑って人差し指を下唇に可愛く当てて静かにとジェスチャーすると、男3人の時間が原因不明のままに静止してしまった。セシリアの目に映ったもの、それは天使。クルヴィの森でも何度か目撃したことがあるのでセシリアにとって初めてではなかったが、久々にお目にかかる天使たちだった。


 ここからほんの少しだけ、異次元のおはなし。



 鳥の羽音がよく響く。鳴禽類が多いようで鳴き声が絶えない。異常ともとれるその喧騒は短い命の終わりを少しでも引き伸ばそうと必死、そう聞こえないこともなかった。

 

 セシリアの踊る視線に戸惑う3人。男3人には天使の姿が見えない為に、法術士の瞳が何を捉えているのか分からない。結果、挙動不審としか映らなかった。

「ウフフ・・・いいわ、見せてあげる。」セシリアがロッドを一振りすると彼女の覗いていた世界が具現化するのだった。目の前に展開された世界、それは、20人ほどの小さな天使達が樹々の至る所で休息している様子だった。三者三様が驚きの顔を見せる。目の前にフイと突然天使が現れたのだから当然。

「天使ですか、久しぶりに見ました。」

「クリアンカは見たことがあるんだね。俺は初めてだ。」

「フンッ、天使っ言(つ)っても結局はフルチンで転げまわってるガキだがな。」このオルガの一言に対してセシリアは目を閉じ右の人差し指にほんの一瞬スイッと神経を集中させる。出現したるは小指の爪ほどの小さな炎。それをヒョイとオルガの背中に投げ入れる。ものも見事に首筋から防具の隙間に入り込む極小の炎。

「ぐわっちー!」テメェ、セシリア!それはヤメロッて言ってんだろうがー!!」あちこち走り回りながら叫びまくるオルガをエルとクリアンカは笑い飛ばし、セシリアは目を閉じ僅かに頬を染めて無視していた。

 人間で言えば3歳児位なのだろうか。ある子らは小枝に腰掛け足を揺らし、またある子らは根元の土を穿り返している。別の子らは枝を剣に見立ててチャンバラに勤しみながらも、皆、とある独りの天使に意識を手向けていた。

 

 弱肉強食。いわば心理の真理。何人たりともこれを壊し乱すことは許されない。小鳥が猛禽に食われること、これも自然の摂理。生存の手段。大型の野鳥が威嚇しながら巣を襲う。親鳥は必死の抵抗をみせる。今はまだ飛べない雛鳥を守れるのは自分だけだから。けれども、時間の問題だろう。


 「先生、もう帰ろうよ~。」

「お腹減ったな~。」

「ティモシーはまだ飛べないってば~。」小さな天使達がざわつき始めた。そんなこと言うものではありません、そう諭すと先生と呼ばれた若く美しい女性の天使(こちらは羽衣を纏っていることにオルガが文句を言うと再びセシリアが指を立てるものだから、オルガはどこぞへ走り去ってしまった)は、ティモシーと呼ばれた、まだ飛べない、この子供たちの中で唯一翼を上手に扱えない天使を優しく励ますのだった。一方のティモシーにも諦める素振りは見られない。目をしっかりと見開いて何か一点を見つめ、可愛らしい握りこぶしを作って踏ん張り、顔を真っ赤にしながら必死に羽をバタつかせていた。息を止めているのだろうか、時々大きく息を吐き出しては再び飛行を試みる。もっと楽に、力を抜いて、焦ることなんてないわ、先生のそんな助言もティモシーには届かず、気休めにもならなかった。

「あの天使、飛べるかな?」エルがクリアンカに問う。

「そう・・・ですね・・・翼は2枚とも動いていますが動きがバラバラというか、力が入りすぎというか、力が正しく伝わっていないというか。今すぐ飛べるかというと、難しいかもしれませんね。」

「そう・・・か・・・」

「エル、あなたはとても優しい人間ですね。」

「いや、そんなんじゃないんだ。」エルは照れながらティモシーの視線の先を追っていた。


 ソレゾレノセカイ。干渉は許されない。ベツベツノジゲン。貴様には関係ない。一度巣から離れ、加速をつけて強襲する外敵に対して親鳥に成す術はなかった。ただ訪れる終焉を待つ以外に。


 駄天使ティモシーとエルの見つめる標的は同じ。大型の猛禽が小鳥の巣に狙いを定めていた。親鳥が子供を守らんと立ち塞がるが防衛手段がない。対抗の手立てを持たない弱者は確実に食われる。それならば。ふたりの思いは共通だった。


 〈ダメか、間に合わない。〉小さな、未だ飛べない天使の気持ちは痛いほど伝わってきた。だからこれ以上は待てない。食物連鎖、弱肉強食の世界において弱きは死に、強きが残る。それが宿運、時運、星回り。でもまだ、目の前でその現実を見据えるには早すぎる。


 〈浮けー。浮いてよ、浮けってばー!〉ティモシーが心の中で叫ぶ。守りたい。異次元の世界に手を触れることはルール違反。それでも、そんな掟よりも小鳥を守りたいと思った。同じ翼をもつ者として、同じ空を舞う者として、守りたいと願った。弱き者の対抗手段は強きを挫く為のものではなくて、数や詐術による種の保存。砕いて言えば数にものを言わせて、食われても喰らわれても幾許か残っていればいいのだ。そこからまた数を伸ばす。ゼロにならなければ負けではない。明日を紡ぎ出すことができる。それ以外に選択肢は見つからない。


 〈せめて、せめて、子供だけでも――〉分かってはいるのだ。頭では理解しているつもりなのだ。覚悟もしてきた。けれども納得はしていない。はい、そうですか、というわけにはいかないではないか。弱肉強食。強い奴には敵わないのみならず、自分達を守り抜くことすらままならない。だって生きる為だから。自分達もそうやって生を繋いできたから。


 〈お願いだから動いてよー。上がってよー。〉心の絶叫が外に届くことはない。そして翼にも届かない。焦り、悔しさ、恥ずかしさで顔が真っ赤、今にも泣き出しそうだ。外にはそうとしか映らなかった。


 〈焦ることはない、小さな天使クン。今は俺が行くよ。〉

 〈上がれー!!〉


 飛び上がったエルの前を何かが横切った。猛禽ではない。あの鳥はまだ巣に向かう途中。瞬時の錯綜を経てふと目の焦点が合うと、目の前にあったはずの巣が消えていた。行き方を追うエル。目視確認を実施するよりも先に感じる気配。その気配を追うと、そこにはティモシーと呼ばれる天使が小鳥の巣を大切に抱えながら、フラついているものの、翼を揺らして確かに浮いていた。

「イケナインダー!」天使達の大合唱が始まった。引率の女性天使も動揺を隠せない。ティモシーは小鳥が無事であることに安堵する間もなく、ギュッと唇を噛み締めていた。それでも強い光を宿した瞳は泳がない。そんなティモシーにそっと近付きすっと頭を撫でるエル。見上げるティモシーに優しく瞳を下ろすエル。2人に笑みが浮かんだ所でセシリアが慌ててロッドを振り下ろした。すると、この数分間の出来事が夢であったかのようにティモシーたちは姿を消してしまった。食いっ逸れた大きな野鳥もどこかへ飛んでいった。



 ファラム・ランサを目指す冒険者たちが北西部に位置するザキュトス王国に近付く頃、犇めく影達はその闇を深めていた。闇を深めながらも、否、闇を深め潜むからこそ影も光を得るのだ。自らの性を維持、探求すべく静かに着々と蠢いている。ただし逃走であることに違いなかった。それでも敗走ではない。敗走を免れるための逃走。



 ザキュトス王国。近年戦によって国利民福を計り、戦によって民を守り、戦によって経済成長を果たす、目的地ファラム・ランサに程近い王政国家。そんなザキュトス目下の敵、それは人間族ではなく暴走した守護獣。領土拡大を目的とした戦闘行為に他国からの批判が絶えない一方で、その勇猛な戦いぶりと同盟国を守るべく流した血の量と濃さに武勇伝は湧き、ザキュトスに憧憬する若者があとを絶たない状況だった。ザキュトスがガーディアンと剣を交えて既に2ヶ月が経過していた。

 4人がザキュトスへと足を踏み入れる。中途、ザキュトスの情勢を繰りあんかから聞いていた3人は戦火の傷跡生々しい国と民の姿を思い描き、色も気配も黒々とした人々の表情を覚悟していたのだが、ザキュトスにあったのは悲愴ではなく反骨の瑞気だった。

「何でェ~、意外と元気じゃねぇか。」オルガの感想に穂歌の3人も同意見ではあったのだが、元気という表現は適切ではない。やはり政は弟の方が適任であると内で呟いた。

「戦場を極力ザキュトスの外にすることで国内の被害を最小限に抑えているようです。」クリアンカが説明する。

「フンッ、攻めるんじゃなくて攻められてんのか。大したことねェな、ザキュトスってとこも。」周囲に聞かれたら大事。3人はもう苦笑いする他ないのだった。ブラブラと歩く4人の周囲に一般人の姿はほとんど確認できなかった。誰しも皆soldier。日常に武具が入り込み、武装という名の普段着、終局が脳内を支配する死と隣り合わせの生活。強情が精神を支え、好都合とあらば誤報すらも喜んで享受する。ただしその緊張の糸が切れた時、心が折れた時、精神が崩壊したとき、敗戦は国を、人を、心を、身体を、夢を、希望を、今日を、明日を、滅茶苦茶にするのだ。命が残された現実を公開する日々を迎える者も、少なからず現れる。

「soldier募集、だってさ。」エルが看板の文字を読み上げる。

「戦争ってのは人手が幾らあっても足りねェからな。ん?」

「ちょ、ちょっとエル、いくらお人好しでも戦争に加担するなんて言わないでよ。」セシリアが念を入れて釘を刺した。んっ!?というエルの反応に、

「お前ェ、マジか!去年よりも病状が悪化してねぇか。アッハッハッハ!!」オルガが笑い、セシリアは怒る。そしてクリアンカは、黙っていた。知っているから。

「打倒ガーディアン・・・だってさ。」

「・・・!?・・・」オルガとセシリアは看板に目を凝らす。これにて4人の道が決まるのだった。


 傭兵斡旋所。戦火に浸かる王国の一角とは思えない位に場違いな音楽が流れ、闘争心を煽るというよりも平静を保つ為の空気が醸造されていた。今しがた登録を終えた4人。天下晴れてザキュトスの兵士となったエル、オルガ、セシリア、クリアンカ。傭兵になんぞなる必要もなかろうというオルガを、情報収集の手間が省けるでしょうとセシリア、味方が多いに越したことはありませんからとクリアンカが説得した。周囲をよくよく観察していたのはエル。一般人はほとんど見られずほとんどが戦闘員、ではあったが、素人に近い戦士がほとんど。もしかしたら全くの素人が大勢を占めているのかもしれない。それが現在のザキュトスの兵力だった。この2ヶ月で戦力と見込める多くの兵士は戦死。今はといえば、どう見ても武器を握るのは初めてだろうという民兵も少なくない。武器に触れるその手はぎこちなく、おっかなびっくり、考えていた以上の重さに内心驚いていることだろう。外で待機している者も含めれば頭数は相当数いるものの、戦力として当て込めるかは疑問だった。エルは期待せず、クリアンカは手間が掛かるだけと、そしてオルガは犠牲者が増えることを憂えた。

 ザキュトス軍200に対して、守護獣の数はおよそ600。もともとは1,500程の軍勢だった守護獣を2ヶ月かけて約千削った。もちろんザキュトス軍も少なからぬ犠牲を出しながら。すなわち、千近いガーディアンを打ち崩したのは現状の戦力よりもずっと戦い慣れしたsoldier。今エル達を囲む者たちはやはりどこか心許ない。ただし、4人は元より味方戦力をあてにしていない。4人で守護獣に戦いを挑み、そして目的地ファラム・ランサに向かうつもりでいたから。それよりも何よりも、守護獣が600とか1,000などと言われてもピンと来ない4人。クレイトンやサイモンがそんなにいたらドエライ話である。尤もそんな事態に陥いる程であれば、かつての大戦時に魔族と対等以上にわたり合うことができただろうに。

 エル、オルガ、セシリア、クリアンカの4人が所属を言い渡されたのはザキュトス軍第六班。まぁ、班とは言っても先着順にホイホイと人数を振り分けただけで、便宜上の区分けとしているに過ぎなかった。先着順の為に第一班に経験者、班の数が増える毎に素人の多い、戦に逢着したことの少ないものに偏る傾向があった。よって4人の配属された第六班は、その多くを民兵が占める集団となった。そんな第六班の決起集会。第六班のリーダーが、おそらくはその口調と鎧姿から純粋なザキュトスヘイと思われるが、オルガと衝突した。

 「何だと貴様、もう一度言ってみろ!!」空気が凍てつき、決起に集った第六班の注目が声の主であるザキュトス正規兵とオルガに注がれた。

「フンッ、二度も三度も同じことを言わせるんじゃねェ。今のままじゃ戦死者が増えるだけ。これまで何人の民を殺してきたんだ。当たって砕けろなんてのは作戦でもなんでもねェっ言(つ)ってんだ。」怒鳴り散らすザキュトス兵に対してオルガも同様の姿勢で挑むかと思われたが、目線は外さず物言いは乱暴な一方で、落ち着いた応対をみせた。

「国のために命をかけて戦うことのどこが間違っているというのだ!?皆の士気を下げる言動は許さん。即刻この場から立ち去れ!」対するザキュトス兵の声のキーはオクターブ上がってしまった。

「命を賭ける・・・か。大いに結構、だがな、死ぬことを覚悟して戦う位ならばここで死ぬまで寝てるんだな。邪魔なだけだ。」

「貴様~、言わせておけば図に乗りやがってー。この場で切り捨ててくれるわ!」凍てついた空気が収縮、破裂を期する。ザキュトス兵が脇差の柄に触れる。しかしそこから、人も空気も動くことはなかった。ザキュトス兵は柄を握ったままに硬直している、何故ならば、その手をレイピアがそっと押さえつけていたからだ。細剣の出処を探す兵士と目が合うとエルは、

「既に抜いてる俺が言うのもなんだけど、アンタ、抜かない方がいい。その右手、使い物にならなくなっちゃうよ。」そう言ってひとまず兵士を黙らせた。武器を取らせなかった。

「はっきり言うぞ。戦争をすれば人は死ぬ。ましてやこれは負け戦。全滅の可能性も俺は否定しない。」エルを睨みながら2、3歩後退した兵士もタダでは引かない。視線の先をオルガに移し、

「怖いのか?そうか怖いのか!ア◯ハッハッハ、結局は口先だけ。実力もないのに口だけ達者。とんだ腑抜け野郎だなぁ。そんな奴はさっさと故郷(くに)へ帰ってしまえ!」

「野暮用でな。どうしても守護獣を倒さなきゃならねェんだ。それにまだ土産も見つけてねェしな。それと――」ここで冷静に口を開いていたオルガの声のボリュームが一段上がる。目付きもいささか鋭くなった。

「俺は怖い。貴様の言う通り死を恐れている。だがな、戦に必要なのは死ぬ覚悟じゃねェ。んっ?生きる覚悟?それだけでも不十分。いい機会だ覚えとけ!必要なのは死人を踏み越える覚悟。屍の上を歩く覚悟。終戦の先にある未来、そこに希望を見出せないのならば・・・」ここでフゥと一息吐き出すオルガ。熱もスゥと引いていく。

「悪い事は言わねェ、戦争なんかに加担するな。」


 戦略、作戦、陣立の類は皆無。敵軍に関する情報のリリースもない。そもそもオープンにできる情報自体をザキュトスがもっているかも定かではないが。第一班から順に守護獣へぶつけられる、それだけだった。結局は4人皆ザキュトス軍の傭兵として、第六班の班員として戦いの時を待っていた。

 声は聞こえる。音も聞こえる。けれどもまだ、第六班に属する4人からはガーディアンの姿は確認できなかった。生温かい風が吹く。生臭い土が飛ぶ。真新しい血が薫る。美しくない汗が流れ、汚い涙が迸る。それが戦争。それが殺し合い。4人にとっては目に見えない開戦と戦況。しかしすぐに戦は動いた。目に見えた混乱。味方ザキュトス兵の逆走。状況を見守るまでもなく戦力差は明白だった。乱れる頭髪に狼狽する眼、忙しく上下する肩に空の掌、汚れすら気にせぬ腰回りに静止を知らぬ下半身。戦術的計画的奇計的疾走でないことは明らか。敗走。4人が敵に見える以前の敗戦。開戦から30分も経たぬ間に勝敗は見えてしまった。

 「バカ野郎共が、真っ直ぐ走って来たら敵と間違われて切られちまうぞ。」オルガは人混みに巻き込まれながら誰に忠告する訳でもなく独り言を呟いた。

「死ななければ負けじゃない。生きていればいい。必ずやり直せるさ。ネジを巻き直せばいい。まぁ、戦争は左巻きだけどね。」エルも独語で続く。人が津波のように押し寄せる混乱した現場で身動きも取れず、動かせるのは口だけだった。

「犠牲者が少ないに越したことはありませんね。我々も自由に動けますし。今のままでは少し人が多過ぎる。」目の動きだけで周囲を確認しながらクリアンカも所在無い時を刻んでいた。

「ガーディアンF-091。闇属性を持つ砕かれし魔導石は漆黒の偶人。」

「砕かれし・・・?」セシリアの発言にエル、オルガ、クリアンカの意識が初めて集約された。その答えを示すかの如く、4人がF-091を肉眼で捉えた。

「ガーディアンって、あれ、人形じゃないか。」エルが驚き戸惑う。

「うさぎちゃんにキリンちゃん、ぞうさんにおうまさん・・・ってか。ったく、冗談じゃねェぞ。ここの奴等は一体何と戦ってやがる。っ言(つ)うか、あんなのが守護獣なのかよ。」守護獣とは本来、対魔族用最終兵器。かつては紛れもない人間族の切り札。どうやら相当に追い込まれた状況だったのだろう。戦車(タンク)、鎧(アーマー)だけでなく人形に頼らざるを得なかったとは。オルガの文句に対してクリアンカが心の内で答えを出した。

「さてと・・・邪魔者も少なくなったし、人形の方が戦い易いわな。行くぞ、エル。」オルガがエルを誘い、エルが続く。クリアンカとセシリアも各々槍とロッドを構えた。対人形。奇妙な戦いの幕開け。

 エルは俺と前戦で敵を蹴散らす、セシリアはここで怪我人の治療、クリアンカは姫さんの護衛だ。ザキュトス軍第六班にも指揮官はいたがその役割を果たしているとは言い難く、第六班が戦場に立った際には既に混乱が周囲を覆っていたということもあるが、各々が思うがままにバラバラと徘徊していた。ザキュトス軍の人数が減少した為に戦況を把握できるようになり、敵の姿をその目で確認することができた。そしてさも当然のようにオルガから指示が飛び出し、4人は動き出した。最後方から一気に最前線へと駆けてきたオルガとエル。目の前に広がる怪異な点景。足の踏み場もないくらいに人間が倒れ、武器が転がり、ぬいぐるみが落ちていた。ゾウ、キリン、パンダに人型など形状は様々。そこに表情、すなわち顔と心は存在しなかった。

 エルとオルガ、共に握った刀は一太刀のみ。余裕をもって戦えるとの判断。技や攻撃力よりも速さ、次々と絶え間、息つく間もなく敵を壊し続けることを優先した判断。打倒するは守護獣F-091。魔導石、漆黒の偶人を極小のサイズまで砕鉱して千と何百という人形に埋め込んだ。各々の戦闘力は微弱、ボブ・ゴブリンと同等かそれ以下のものが大方を占めていた。数で押し切りあわよくば、かつての人間族はそんなことを考えていたのだろうか。いや、そうではなかろう。魔族を相手に子供騙しが通用しないことなど言うも愚か、考えるも愚か。結末は火を見るよりも明らか。幾らかの時間稼ぎにしかならず、戦局の打開を託すにはあまりに微力。追い込まれた末の苦肉の策だったのだろうか。2人にとって、軟弱な人形を破壊することなど造作もなかった。

 敵の襲撃に備えていたクリアンカだったが、例の2人が前線に出向いて以降ガーディアンの攻撃に晒されることはほとんどなかった。ターゲットが2人に集約されたのかもしれない。そこで与えられた彼の仕事は怪我人の誘導と搬送。傷付いた民兵を、殊に重症患者を優先してセシリアの元へと運んだ。痛がり、苦しみ、呻き、泣き、吐いて、暴れ、時に無反応の人間を自らの手で医師の待つ待機所へ運び込んだ。既にクリアンカの全身は血だらけ、唾だらけ。汗がつき、涙がつき、吐瀉物が翼を汚し、その両腕には誰のものとも分からぬ傷跡が残されていた。罪なき人々が巻き込まれる愚かしい衝突。絶対に避けるべき行為。いかなる手段を用いても。いかなる犠牲を払っても。彼らは3人は、私の身一ッで許してくれるだろうか。

 追っつかない。雪崩込んでくる怪我人、患者の治療に追われるセシリア。法術は発動しっ放し、魔導石は光っ放し、本人は叫びっ放しだった。傷つきながらも自ら駆け込んでくる者はまだ良い。命の危険に晒されていることはほとんどないし、簡単な治療で事足りるケースがほとんど。かかる時間も短くて済む。後回しにした所で問題ない。むしろ後回しにする方が賢明だ。厄介なのは担がれ運び込まれてくる患者達。意識の有無に関係なく重傷であることが多く、早急な意思決定が要求される。倒れているものをクリアンカが拾い、それをセシリアが天秤にかける。命の天秤に。戦場に向かう直前、オルガが珍しくセシリアによこした助言。思っていた以上に、嘘、思っていた通り、重い。救える命が最優先。拾えぬ命は捨てろ。そんなことはセシリアとて承知している。そしてただ断の一字あるのみ。迷ってはダメ。time is life.決断、決断、決断。それこそが雑念を払拭し集中力(コンセントレーション)を高める手段なのだ。周囲の雑音に耳を貸さなければ自分の仕事に専念できる。望むらくは異空間、か。けれどもここは戦場。静寂など望むだけで罪なのだ。

「お願い!娘を、娘を助けて!!」現実に引き戻されるセシリア。それは集中力の断絶を意味する。混迷の誕生。

「アナタ!娘を、娘を診て!お願い、動かないのよ。」 まだ若い女を引き摺るように歩いて来た母親はセシリアの胸ぐらを掴んで涙ながらに訴えた。だがその娘、既に事切れている。母親もそのことは分かっていた、のではないか。認める、認めないは別にして。到底受け入れられない。セシリアに感情をぶつけるしかない。

「あなた魔法使いなんでしょう。娘を返して。早く魔法を唱えなさいよ!今すぐ――」

「御免。」セシリアは何もできなかった。断わることも無視することも、事実を伝えることも。身体を揺すられるがままに首をガクガクさせて地面を見つめるだけだった。そこにクリアンカが割って入る。一言添えて母親の首筋に手刀を見舞い、気を失わせた。母親と娘を担いだクリアンカはそのまま待機所へと向かっていった。

「姫、手を休めている暇はありません。続きを、宜しくお願いします。」そう言い残して。


 一騎当千の兵。そんな男が戦場に2人も現れれば戦況は大きく変化する。敵からしても味方から見ても、化物が好き勝手に暴れている異様な現場となった。突き、刺し、断ち、払い、打ち、発し、薙ぎ、殴る。何人たりとも2人を止めることはできなかった。いつしか守護獣のターゲットはエルとオルガに限定され、ザキュトス兵は礼賛の声を上げながら2人の背中を追い駆けた。救世主の後には人形が無残に転がるだけ。首が◯げ、腕が外れ、胴体の千切れた人形。砂粒程の魔導石を吐き出してピクリとも動かない。まだ息があって痙攣を起こしたように動くガーディアンにはザキュトス兵が意気揚々と手足処を異にしていった。続々と敵の数が減っていく。勝った。そんな折だった。

「ダァ、クソ!敵さんの方がよっぽど統制がとれてやがる。来るぞ、エル!」目の前に繰り広げられる中・長距離砲撃部隊。銃砲を構える人形達。子供らには見せたくない姿、暗きエネルギー、闇属性の力が蓄積されている様子が嫌が応にも飛び込んでくるのだった。そして次の瞬間には、幾筋もの黒く細いエネルギー方がザキュトス軍目掛けて一斉に放たれた。

 たったこれだけで、一度の射撃によって逃げ惑う民兵。元より統制の捕れていなかった人間族に紊乱(ぶんらん)がもたらされる。他人の面倒も敵の状態もみることはなく、全神経が己の為にすり減らされていた。黒き幾線ものbeamsが一直線にザキュトス城へと駆けていった。その砲撃、狙いが定められている訳ではなくただ広範囲に放たれ、威力、速度共に話にならない。寸刻でもビビッて損をした。エルとオルガにしてみれば子供の水鉄砲と相違なかった。オルガは自分に向かってきた守護獣の遠距離攻撃をまるで蚊でも除けるように片手で払い落とし、エルは最小限の動作、その挙措についていけない者からすると微動だにしないで往なしてしまう。この2人に子供騙しレベルの攻撃が通用するはずもなかった。一連のbeamsが止んだら接近して片を付ける、とその前にエルは気付いてしまうのだった。

「あぁ、しまった!セシリア!!」エルが後方を振り返りながら叫んだ。

「エルよ、やっぱりお前、どっか天然の所があるよな。クックックッ・・・安心しろ、多分問題無ェよ。」

 狙いもへったくれもない、ただ広範囲に渡るガーディアンの一斉射撃は例外容赦なくクリアンカとセシリアにも襲い掛かる。そこに怪我人や重傷患者がいることなど介意しない。クリアンカはセシリアの所から丁度10歩前に進み、肩幅に足を開き、槍を抜き、遠方からの攻撃に備えた。セシリアと彼女の匿う数人の患者を守ることはできよう。けれども、範囲が広すぎる。とてもではないが手に負えない。伏せろ、伏せるんだ。そんなクリアンカの呼号が戦場において届くはずもなかった。代わりに寄越されたのは、法術士セシリアの万障を貫く大声だった。

「何度も同じことを言わせるんじゃない!診察中は静かにしなさーい!!」思い出した怒りと共に突如圧倒的広範囲を覆い尽くす結界。クリアンカの立っている辺りから覆い尽くす、というよりはザキュトスを守るべく巨大な結界の壁が現れた。法術『水 囁きし結界』。属性は水。音も振動もなく生み出されたそれは無色透明ではなく微かに青みがかった、珊瑚や魚群が浮かんでいてもおかしくないくらいに美しい色彩、透明度を放ちながら確実にガーディアンの遠距離砲と、純美の精彩に思わず触れたクリアンカの指を弾いた。素晴らしい・・・法術を扱えるクリアンカの感想。法術を使えるからこそ分かるケタ違いの法力。欲目なく認めることができる、というよりも、こうまで圧倒的なものなのか、ハーフエルフの法術とは。人間族が何人何十人、幾つもの魔導石と時間を費やして得られる法力を瞬く間に・・・殺られる前に殺る、さもなくば恐怖によって圧(お)し殺されていた。そんな言い訳が罷り通った歴史を理解せざるをえないのか。


 「よし、残りの雑魚をさっさと片付けちまうぞ。」法術『水 囁きし結界』の効果に息を吐くとオルガは射撃部隊に飛び込んだ。何を思ったのか狙ってくれと言わんばかりに大きくジャンプして部隊の中央へ、顔をにやつかせて着地した。エルは沈着に正面から崩していき、ものの数分でエルとオルガは再度合流する。何事も無かったように2人が再開した時には射撃部隊の7割方が潰れていて、そこには雑談の余剰までもが生まれていた。エルがイタズラな表情を浮かべて話しかける。

「ねぇ、オルガ――」


「んっ、何だ。」

「セシリアって、ガレオスで医者をやってたって。」

「おう、病院って程じゃねェが診療所はあったぞ。まぁ、世話になるのは俺達兵士ばっかだけどな。」

「・・・騒ぎまくってただろう。」

「グヌッ・・・」オルガは答えず、振るに妥当な話題も見つけられず、ターゲットを守護獣に絞った。だがエルは許してくれない。

「オルガたち、その診療所で騒いでただろう。なんかさっきの声、セシリアの苦労が少しだけ見えた気がしたぞ。」

「よ、よく分かるな。でもちっとだけだぞ。・・・お前ェ、いい勘してるよ、まったく。悪い意味でな。」ほぼ片付いた。そんな思いだった。

 

 デジャ・ヴかと思われた。

「クソが、本当に統制がとれてるじゃねェか。」オルガが面倒臭ェと言わんばかりに地面へ唾を吐いた。エルは小太刀も抜いて戦闘態勢を整え、グッと力んで空を見上げた。鳥形、ペガサスにゾウさんが天を舞う。ザキュトス目掛けて空を征く。エル、オルガをはじめとする戦場の地上兵に興味はないようで、爆弾代わりにエネルギー球を咥えたり、抱えたり、背中に乗っけながら、腹が立つ程にゆったりと上空を通り抜けようとしていた。

「エルよ、あそこまで攻撃を飛ばせるか?」

「人形全部は撃ち落とせない。オルガは?」

「自慢じゃねェが俺の一撃は大振りでな。ウジウジした小鳥を撃つようにはできてねェんだよ。チッ、ゾウは空を飛ばんだろう。いくら耳がデカくてもそりゃ反則だ。ったく、フザケヤガッテ・・・」

 御手上げの2人が各々2本の剣を手にして撃てるだけの敵を落とそうとした憎たらしいタイミングではあったが、それは希望の羽音に違いなかった。苦悩の暗雲が払われ勝利を、戦の終わりを確信するのだった。

 周囲のザキュトス民兵に指示は滞りなく伝わった。エルとオルガを除いてその場には誰もいなくなった。剣士2人が見上げるは空。けれども天は目に入らず雲も映らず。瞳に宿るは百余りの人形と独りのリリト族だった。

 救護班として血に塗れていたクリアンカは敵の遠距離射撃に対する自陣の安全を、セシリアの法術による結界の恩恵を認識すると誰よりも早く、エルやオルガよりも先に空襲を感受した。息を乱し血と汗と粘液で全身を濡らす姫に一声かけてから、法力は無尽蔵という訳ではない、あとどれ位もつのか、残党が襲ってきたら、治療に専念できるか、三言、四言かけてからとも考えたが、できなかった。先手を取られた。キッと睨まれハッとしたのはクリアンカ。クッと頷きスッと空に目を遣ってリリトの戦士に出立を促したのはセシリアだった。クリアンカも頷きで応え、だからこそエルとオルガの声の下に参上することができた。親愛なる友の為に大いなる翼を広げたその姿、まさに飛竜。

 

 

 暗澹(あんたん)とした空、小暗い明かりの下には無人の寓居が転々としている。送り人の他に人はいない。家畜の類はとうに逃してしまった。闇が闇を送り出し、影が影共を見送った。別れを告げに来る者、涙を見せる者、思いの品を残す者がいたが、その者たちに応える力は残されていなかった。声を出すことも表情を崩すこともできなかった。終幕が近い。それは間違いのないこと。けれどもその成れの果ては眼前の故郷と同じく闇の中。もうあがく力も残っていない。私は何を願っているのだろうか。死?そう望むらくは自らの死。誰も手に掛けたくない。忘却の彼方に記憶が伏せている。自我と意識に靄(もや)がかかり睡眠欲にも似た感覚に、バチルスに毒し害されるように襲われた。生きる目印、忍耐の要、希望の轍。これらがもうじき、消滅する。その時、目の前に立っているのはクリアンカなのだろうか。私を弑するのはクリアンカであって欲しい。だがしかし、私は彼を殺したくない。この矛盾を打破すべく自噴すらできぬ仕組まれた呪い。憎き、忌まわしき呪符。定めの時が刻一刻と迫っていた。



 ここは戦場、戦いの場。敵と戦い、自分と戦い、未来の為に戦う。たとえその未来が見たくも触れたくもない予想図だとしても戦わなくてはならない。現在(いま)が愛おしいから。床しい昔と同じくらいに。

 クリアンカは守護獣を倒すのではなく、エルとオルガの待つ地上へ次々と叩き落とした。エネルギー球という名の爆弾を避けつつ落ちてくる縫い包み(ぬいぐるみ)を破壊する2人。言葉を交わすまでもなく流れ作業が成立していた。この協業を邪魔できる敵はなく、次々とガーディアンの屍を作り上げていった。程なく、空中に陣取った守護獣を始末したクリアンカが地上に降り立つ。最後の一体は下へ落下させるのではなく自らの槍で一突きして戦いを終えた。頭上で槍を一回転させてから強く振り下ろして汚れを取り除くと、ハラリと翼を数回翻して地上に舞い降りる。そしてエル、オルガ、クリアンカは三者三様の武器を重ねて終戦を讃え、労った。ここに守護獣とザキュトスの決着がついた。



 その晩のこと。

「お前達もう行くのか。せめて今夜くらいゆっくりしていけば――」お前達とは言っているものの、その目はオルガを捉えて離さなかった。それに気付いたオルガが即答する。

「悪いが野暮用があってな、先を急ぐ。」

「ザキュトスで傭兵として働かないか。お前達の力があればいくらでも稼げる。一般兵の5倍、いや、10倍の金額を払おう。」やれやれと首を振るオルガは、3人に先に行くよう促した。何故だろうか。別に金の話を聞かれたくなかったなどということはなく(セシリアを恐れたのか、まさか)、王に使える兵として話をしたかった、とでも言うのだろうか。

「まだ戦争を続ける気なのか?」

「戦争によって大きくなった国、それがザキュトス。これまでも、そしてこれからもだ。」

「守護獣とやりあったせいでまともな兵士なんぞ残ってねェだろうが。」

「守護獣とやりあったおかげで名声が上がった。兵などすぐに集まるさ。そこにお前が加わってくれれば百人力だというのに。何故だ、金は保証するぞ。」説得材料として持ってきたのだろうか。ザキュトス兵が腰の巾着を数回揉むと金貨の音が闇夜を通り抜けた。おそらくは本物の金貨だろう。セシリアではないから売却の値段は分からないが、相当な金額になるものと思って間違いない。中身を見せろといえば喜んで見せるに違いない。

「その金は国の為に使うといい。俺たちはこれ以上戦争に参加する気はねェよ。じゃぁな。」そう言って背を向けたオルガを、それでも解放しないザキュトス兵。

「待て、待ってくれ。戦争を、戦争で血を流すザキュトスをお前は笑うか。戦争によって国を広げ利を得る我々をお前は軽蔑するか。」

「いや、少なくとも俺は人と国を評価する立場に無ェし、目的はどうあれ俺も自分の国の戦争に加担する人間だ。

「お前ほどの力があれば連戦連勝なのだろうな。」

「フンッ、勝っている限り俺の目的は果たされねェがな。」ここで穿たれた束の間の空白。ザキュトス兵にはオルガの言わんとする意味が分からなくて当然だった。

 「お前は戦争で――」再び立ち去ろうとしたオルガに背後から声が掛かる。見返るオルガ。

「お前は戦争で血を流さない人間を見下げるか?俺は、俺は戦えない。人を斬ったこともない。だから返り血を浴びたこともない。そんな人間が意味もなく剣を握り、不要な鎧を身につけ部下に命令を下す。そんな俺を笑い飛ばすか?」今度はオルガが質問の意図を理解しかねる番だった、が。

「いや。」第一声に相手を気遣った否定の返答が口を切ったことに本人も若干戸惑う。

「お前と違って俺は沢山の人間を殺してきた。当然返り血も腐るほど浴びてきた。その事を後悔する時も、まぁ、あるっちゃぁ、ある。だがな、返り血を浴びてねェってのを後悔することも、恥じることも無いんじゃねェか。」

「俺は戦争でザキュトスを、国王と民の為にこの国を大きくする、と言ったら笑うか?」

「俺にはそのことを笑うことは出来ねェし、どうこう言う資格も無ェ。ただ、まぁ、迷う暇があったら別の方法を考えるんだな。上の者が迷えば下につく奴は不安になる。国は簡単に傾くぞ。」


 オルガは3人の足跡を大股で辿り、ザキュトス軍第六班班長は黙って見送った。空には満天の星、歩き出すと風が気持ち良い、皆で酒を飲むには文句のない夜だった。オルガは窃盗(くす)ねてきた酒を取り出し歩き飲みを始めた。3人に追いつくまでに飲み終えなくてはならないな、そんな思いだけに浸ることはできなかった。

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