歩み、再び
第3章 ~ 再集結
【歩み、再び】
その日はあいにくの曇天模様だった。朝から雲は厚く、雨がいつ降ちてきてもおかしくなかった。あれから丁度1年。この広いダイニングルームでの食事にもやっと慣れたセシリア。複数人で食べる食事は美味しい。皆で囲む食卓は楽しい。大口開けて放り込む訳にはいかないがバレない程度、大袈裟にならないように給仕が大盛りを提供してくれるので1日ゝを全力で過ごすことができた。1日24時間では足りないと思えることが幸せだった。家族。自分のことをそう思ってくれるオルガ達にはありがとうを言い尽くせない。でも今は食事に集中するセシリア。本日も料理をおいしく頂きながら、横目でオルガを盗み見した。どうやらいつもと変わりない。そう、今日この日も、いつもと同じ朝が過ぎ去っていった。
オルガ、セシリア共に旅の準備は済んでいた。準備といっても大した分量の荷物があるわけではないのだが、物質的な準備と同時に心の準備を整えていた。城の者全てにそのことを伝えてはいないが、アルバとヨンレンには三日前にオルガが伝えた。そのことを二日前にセシリアに伝えた。そしてオルガとセシリアとの間で交わされた暗黙の了解。エルが来なかったら考え直そう。1度この旅はご破産だ。やはり3人が良い。3人揃って初めて旅が再開できる。もしもエルが戻ってこなければ、それはまた別の冒険。それもありうる話。エルが戻ってくるということは、希望的観測を含んだ淡い約束を繊細に練り上げたさくい期待。そもそもエルは渡り鳥。ひとり飛び立つことも、安息の地で羽を休めることも、至極当然の成り行きなのだ。
午前10時を過ぎると雨が降り始めた。この日からオルガの公務とセシリアの医者としての活動は、とりあえず白紙に戻されていた。城内の空いた小部屋にて待機するオルガとセシリアだったが、何をするでも何を話すわけでもなかった。小部屋の窓からは城下町を一望できる。大声を上げて駆け回る子供達や、金属音を高らかに響かせて修練を積む騎士団、沈黙に沈まないおばちゃんらの世間話。城下町の人声が城まで届くことはないが、普段見慣れた風景が降雨のせいでほとんど見当たらないのは寂しかった。城内の時間はオルガとセシリアの居る小部屋を除いていつもと変わらない。城下町だって同じ。雨が降っているから、その雨が強まってきたから、遠めに見るその景色が静寂を帯びているからといって、その流れが滞ることはなかった。たとえ誰かにとって、その日その時刻がいかに重大だったとしても、他の多くの者にとっては何気ない一時に違いないのだ。
セシリアは落ち付いて書物に目を落としていた。ゆっくりと視線を揺り動かしながら、そっとページをめくる。雨音にも部屋の外の生活音にも心を乱されることはなかった。オルガとてつい先刻までは非常に落ち着いた体を装っていた。しかし次第に煙草の量が増えてきた。決して広くはない小部屋をウロウロ歩き回っては窓の外を眺め、椅子に行儀悪く腰掛けたかと思えば、乱暴に荷物の袋を開けて中身を確認したり、一角に立てかけた2本の大剣に目を遣っては天井を見上げ、息を吐きながら床に視線を落としたりしていた。セシリアの唇には微笑み。エルから文が届いたのは2ヶ月前。そこに記されていた到着日が今日。オルガは他人に悟られないようクールに振舞っていたつもりだろうが、子供みたいにワクワクした心模様がセシリアには手に取るように分かった。オルガはすぐに返事を出し、エルからの手紙をセシリアへ渡しにきた。その手紙は、セシリアの研究室に保管されている。
道具立てを整え、君を待つ。
正午過ぎから雨足が速くなり、窓から外を眺めても、糸の垂れた景色に覆われていた。城下町の様子を伺うことも難しくなってしまった。部屋の沈黙が深まる一方で、雨粒が窓を叩く音は拡大していく。この30分、セシリアは変わらず読書で時間を潰し、オルガは腰掛け目を瞑り、腕を組んで、思い出した時にタバコをふかしながら間を繋いだ。途中ヨンレンが昼食の準備が整ったと呼びに来たがオルガは断った。
「食ってきていいぞ。」というオルガに、セシリアは少しはにかみながら首を横に振った。そして2人の待機する小部屋には苦い沈黙が舞い戻るかと思われた。雨で換気もできない思い空気が再び篭るはずだった。
「――――!」それは気配だけだった。音も光も、衝撃もない。オルガとセシリア以外は何も感じ取ることはできなかったが、2人は確かに、魔導石の力を察知した。その証に、オルガは一瞬目を見開いて窓の外を見つめ、セシリアはパタリと本を閉じた。部屋の外から聞こえる生活音は変わらず、窓を叩く雨音も絶え間無い。魔導石が時を止めたのはガレオス城の一室、この小さな小部屋だけだった。2人は自然と視線を合わせ、今の感覚が思い過ごしではないことを確認した。来た・・・
手紙には午前中と記した。なるべく早い時刻にガレオスへ到着する予定だった。空色から降雨は予想できていたが、それを含めて早めに着くはずだった。エルが常人には考えられない速足でガレオスに向けて森の中を歩く。オルガとセシリアに会うのは1年振り。再会を心待ちにしていた。3人でもう1度旅に出られることを楽しみにしてた。心が浮かれて理由もなく時折小走りになってしまう。ガレオスへ近付くにつれて顔がほころんだ。そこに一瞬ならざる隙があったことは否定できない。もっともいまのエルの場合、その隙がすぐさま余裕へ変化するのだが。
「あれ、囲まれた。」そう呟くと、エルは軽く駆け出した。エルを包囲しているのはエメラルドバッファロー。日にて照らされると不気味な緑色を放つ金剛の角を持つことからそう名付けられた魔獣。その角もこの悪天候では黒色そのものではあるが。エルが初めてガレオスを訪れた際にも遭遇した魔獣だが、その時は単体だった。元来エメラルドバッファローは群れをなすタイプではないので集団で襲われるのは珍しいことだった。一定の距離を保ちながらエルと並走する。エルを獲物と認定したようだ。
「11、12、13・・・かな。参ったな、戦うつもりはないんだけど。あんまり汚されたくないし。」エルは愚痴りながらエメラルドバッファローが諦めないか様子を伺っていた。森の葉を打つ音色が強さを増してきた。木々に守られて、また目深にアノラックを身につけていたのでさほど雨に負けてはいなかったが、葉っぱも雨具も役立たない降雨量に変わってしまった。足元はぬかるみ、獲物の逃げ足も鈍る、そう判断した魔獣達がエルとの距離を一斉に詰め始めた。円形に囲い込みながら徐々に近付いてくるエメラルドバッファローの集団に、エルは仕方なく足を止めた。それを確認して敵さんも立ち止まる。全く呼吸の乱れていないエルに対して、大きく息を切らして獲物を見据えるハンター。いつ飛びかかってきてもおかしくない状況となったが、エルが細剣に手を掛けることはなかった。殺気を身に纏うこともなく、エルからは魔獣と戦う気配が感じられなかった。
エメラルドバッファローは次々とエルを強襲した。小細工は無し。その恵まれえた脚力を活かした体当たりでターゲットを仕留めようとエルを目掛けて飛び込んでいく。しかし当たらない。紙一重の所でエルが見切っていた。回避に精一杯ということではなく、最小限の動作で猪突猛進を往なしていた。勢い余った魔獣はそのまま辺りの木に突進、雨に潤う樹木を傷つけたり押し倒したりした。よくよく周りを見てみると、所々に木々を倒して道の様なものが形作られていた。以前よりも魔獣の数が増えているのだろうか。かつてガレオスに立ち寄った際には存在しない傷跡だった。セシリアが見たらさぞ心を痛めるだろう。いや、もう既に傷めているかもしれない。
どっしりとした体を揺らしながら乱れた呼吸を整えるエメラルドバッファロー。13匹の攻撃がエルを捉えることは唯の1度もなかった。けれども余裕を保ち、その実力差をしかと受け止めさせているはずのエルの表情がすぐれない。被っているアノラックが泥だらけになってしまったからだ。それはそうだ。水煙や泥の飛沫を上げて突進するエメラルドバッファローをギリギリの間隔で避けていたのだから、当然の結果だった。
「あちゃ◯、仕方ない・・・か。敵さんも諦めてくれなさそうだし。」エルはアノラックの内側でレイピアを握り、魔導石の力を発動した。『天蚕糸(てぐす)・縢(かがり)』網目状に彩られた糸状の風が13体の魔獣に覆い被さった。明らかに身動きがとりづらくなった己の体に、呻き声をあげたり転げまわって抵抗する魔獣共。全く動けないというわけではないのだが、その違和感と四肢に日常以上の重力が課されたかの状態でエルとの間合いを詰めることは到底無理だった。エルは逃走、急ぎ足で再びガレオスに向かうのだった。
城下町に入ってエルの歩くスピードが緩やかになった。相も変わらずこの世界(ヴィルガイア)では珍しい、結界の張られていない国ガレオス。懐かしむように辺りを見回しながら城門を目指した。悪天候で人影はまばらだったが、エルの記憶に残された面影が目の前に具現化されるひと時は心地よい原点回帰を思わせた。かつて魔獣を引きずりながら泊まった宿はそのままだった。小奇麗に魔獣を仕留めるねぇと褒めてくれたおかみさんは元気だろうか。この宿に荷物を置いて散歩に出て、今日は誰もいないこの武舞台でオルガと剣を交えたのだ。オルガに突然声を掛けられて、断る暇も与えられずに木製の武器で戦った。オルガは引き分けと言ったが、完敗だったと思う。かつて愛用していたレイピアはこの国の老人に譲ってもらったもの(ここでも無理矢理戦わされた)。セシリアに会ったのもここから魔の島に渡って、転送装置での移動先、クルヴィの森だった(やっぱり無理矢理キュクロープスと戦った)。このガレオスから全てが始まった。ガレオスにて歯車が回り、噛み合い、エルの世界を広げた。動かした。ぼんやり昔のことを思い出していると、いつの間にやら城門前へ到着していた。城門までの距離60。問の両端に門衛が1名ずつ、そしてその中央には懐かしい顔が2つ揃っていた。言わずもがな、オルガとセシリアだった。エルは2人を確認することはできたが走り出さず、ゆっくりと、その道が幻でない現実のもであることを意識的に承認しながら仲間の下へ近づいた。城門前にてオルガはどっしりと、セシリアはもどかしく再開を心待ちにしていた。残り25。エルは自分の足下だけを凝視しながら歩を進めた。いざ再会となるとどんな顔をして会ったらよいのか、ずっと2人を見つめながら歩き続けるのも滑稽。フードを被ったまま、目を伏せたまま、残り5.4、3、2・・・
「よっ。」
「ご無沙汰。」
「・・・また、宜しく。」3人共に笑顔。秘めたる思いは皆同じだった。
ヨンレンの勧めで出発は翌日に延期された。明日ならば天候も回復するとのことだった。エル、オルガ、セシリアの3人は助言に従い明日、明日の朝一番ではなく昼前に城を出る運びとなった。その理由はオルガが3着、式服をヨンレンに準備させたことで明んだ。翌日、国葬が行われた。
「天より遣われし二千と十九の御霊。空高く梢と共に。受け継いだ命を暗涙と共に。我らは生きる、この子らと共に。」黙祷を終え、礼服を御付きの者に手渡した3人がガレオスを後にする。行き先に関しては昨晩、オルガに一任するということに決まった。2,019。去年の数をエルははっきりと覚えているわけではなかったが、確実に増えた死者の数。この数字には駆逐した魔獣も含まれているが、数字が急増している背景は別にあった。
交易を通じてガレオスの財政は好調な推移を見せていた。軍事国家ガレオス。この国を支える民を守る為には、剣だけでは不十分だった。しかし持たざる国ガレオスにおいて有益な資源、詰まる所の金になる物資を期待することはできなかった。そこでオルガは武力を金に変えたのだ。他国の領土、領域に生息する魔獣を討伐し、資源発掘の片棒を担ぐ。オルガとエルでブラッドソードを撃破した一件をオリジナルのビジネスモデルに、様々な周辺諸国と交易を繰り返してガレオスは潤いを取り戻していった。そしてこの潤いが豊かさと戦をもたらしたのだ。ガレオスの経済成長、財政受益の噂は瞬く間に拡散し、ガレオスを良質の金蔓とする皮算用を胸に戦争を仕掛ける国が現れた。エルがガレオスに向かう途中で見かけた森の中の往還はエメラルドバッファローによるものではない。陸軍部隊の進軍の趾。人間によって造られた森の傷跡。それでも軍事国家ガレオス、簡単に屈する結界なき騎士団ではなかった。敵国の派兵を返り討ちにする。無理からぬ結果として戦士者の数が急増していたのだ。
「この地(メルヴィル)を出ねぇか」オルガの一言で3人は今、港湾に向かって歩いていた。メルヴィルを離れて新しい大地(ヴェルハウゼン)を目指すことになった。ガレオスでは人が人を殺し、それを弔うことが茶飯事となっていた。魔獣と違って人間は食っても美味くねェんだ。下手っぴに茶化すオルガの目には哀しさが滲んでいた。民を守る為、国を守る為にガレオスの富を求めた結果、財と同時に戦争をもたらしてしまった。人が人を嫉視するのだ。人が人を狙うのだ。人間が人間を殺すのだ。色々と調べてはみた。慣れぬ机に向かってみた。乏しい知識をフル回転させたつもりだ。もちろん議題に掲げて解決を図ったが、あれだけの長い時間をかけた末、何も変わらなかった。だからオルガは、ヴェルハウゼンに手掛かりを求めることにした。ヴェルハウゼン、そこには魔族と人間が共存する国があるという。解答が導かれるどうかは分からない。本当にそんな国があるかどうかも定かでない。それでも、今のままでは手詰まりなのだ。海を渡り、ヴェルハウゼンへ上陸する。そして人魔共存の国を見つける。それがオルガの、ガレオスを背負った旅の目的だった。
かつてオルガとエルはごく小さな船で海に出た。魔導石を求めて魔の島を訪れた時だ。それは僅かな時間の航海だったからこそ成立した船旅といえた。だからエルは、ヴェルハウゼンまでの長旅に大きな不安を抱いていた。あの船だったら、沈むな、と、さらに心配の種を挙げれば、エルは操舵できない。おそらくセシリアも。オルガに多大な負担がかかり、残念ながら2人ではその負荷を軽減することはできない。一体どうやって海を渡るのか。ヴェルハウゼンに上陸することなどできるのだろうか。そんな疑念に対するオルガの答えは、何も知らない2人を驚倒させるものだった。遠い故郷にて永遠に失われたと思われた生活を取り戻してエルは元より、同じガレオスに住んでいたセシリアですら知らなかった。聞かされていなかった。長時間の会議に不満とストレスを累増させている中で独り、たった独りで決断し、手配したのだ。再び3人で旅に出ることを大前提に考えていたのだから、同じガレオスにいる自分に一言くらい相談があっても良かったのに。その事に少しだけ、セシリアは快々としていた。とはいえ、今回の渡航手段は知らなかったセシリアだが、オルガとその代物のつながりは知っていた。繋がりが切れずに続いているとは思わなかったが。セシリアがガレオスに移り住んで間もない頃のこと。オルガの素性を、正体を聞きたくて問うた時、隠す素振りも戸惑う様子も見せずにあっけらかんと話してくれたので、全くの未知というわけではなかった。
「海・賊・船?」やはりエルは事態を理解しかねていた。あの時の小舟とは比較にならない立派なもの。これならば沈むことなく海を渡れる。そんな考えはチラリともエルの頭を過ることはなかった。戸惑う頭でそれ所ではなかった。
「詳しいことは海の上で話す。行くぞ、ヴェルハウゼン。」オルガはそう言うとさっさと船に乗ってしまった。クルーとは顔馴染みのようで、親しげに挨拶を交わす。その様子をぼやっと見つめる2人のことを簡単に紹介したのだろう、エルとセシリアも間もなく船内へ案内された。案内はされたが、そのまま放置。部屋に誘導されることも荷物の置き場所を指定されることもなく、船上に立ち尽くしていた。久遠に広がる大海の片隅に、本当に小さな点として記された海賊船。さらにその片辺(かたほとり)に動けない人間が2名。どうすれば・・・そう思うが早いか、海賊船がメルヴィルを離れ始めた。
天候に恵まれた快適な船旅だった。オルガは多少なりとも割り振られた船内の庶務に従事していたが、エルとセシリアは客人としての扱いを受けた。船のことなどさっぱりわからない2人はほっぽられただけ、とも言えるが。海賊旗が掲げられ、柄の風儀の悪い船員達という印象は5日間変わらず、悪い人達ではないと思いつつもどこかとっつきにくさを感じていた。そんな海賊船アンタレスにて、王や騎士団長より、さらには渡り鳥としてよりも、海賊としての姿が板につくオルガは躍動した。それもそのはず、オルガに流れる血の半分は王族の血、もう半分は大海賊の血が受け継がれているのだから。3日目の夜、海賊達は昔話を紐解いてくれた。その物語の主役は幼き日のオルガではなく、彼の父ベガ。かつてエルも一瞬の交わりをもった、ドラグヴェンデル・戦針に魂を封じた、海賊船アンタレス元船長。船を降りてからは王として、刀匠として、オルガの父親として生きた男。そしてその妻セラス。2人の故人を主役に語られた昔話だった。
海賊船アンタレス元船長、そしてオルガの父親であるベガは、城下町の外れにある小部屋の中で椅子に座したまま、武具に囲まれて眠るように亡くなっていた。最初の発見者はオルガ。オルガは城へ戻るよりも先に、海賊船アンタレスが停泊する港へと向かった。その後オルガが城に到着するよりも先に、アンタレスが一発の砲弾を大海へ見舞った。城の者が何事かを知ったのはそれから数分の後のことだった。父親の死からまだ50日余り。海賊達の昔話はオルガにとって非道く辛い話なのではないか。心配の眼差しで海賊共の話に耳を傾けるオルガを見上げたセシリアは、不意にオルガと目が合ってしまい慌てて視線を逸らした。息が止まり顔が熱くなり、気まずい沈黙を覚悟していたが、空気が澱むことはなかった。海賊を取り囲むそれは言わずもがな、オルガやセシリア周辺にも記憶を快く呼び起こす風が吹いた。
「思い出せる辛さと思い出せぬ辛さ。どちらが大きいかは明白。奴の顔を思い浮かべられる内に感謝しねェとな。」仄かに顔が赤かったのは柄にもないセリフに照れたのか、大酒の影響か。
「陸だー!着いたぞ、ヴェルハウゼン!!」一昨日のことを思い出していたセシリアを現実に召喚したのは到着を告げる呼号だった。降りる町の名は『エティオーグ』。オルガはこの1年の間に彼らと何度か訪れているようだが、詳細は何も伝えてくれなかった。ちょっとしたサプライズがあってな、セシリアが何度問いかけても、いつもオルガはそのセリフで会話を遮断してしまうのだった。
豆粒大の大陸が次第に拡大されていく。拡大に従い色彩も黒から深緑、新緑へと変化していった。どうやら木々の豊かな街、それがエティオーグなのかもしれない。清々しい樹木が輪郭を現し、その周辺では鳥達が、どうやらかなり大型の野禽が羽撃きを見せていた。異変に逸早く気が付いたのはエルだった。
「鳥じゃない。」驚きのせいか、やや大声でエルは注意を喚起した、が。
「さすが山育ち。目がいいじゃねェか。」オルガも海賊達も落ち着いたものだった。いつ気付くか、2人の内どちらが早く気付くかに好奇の念を持って待っていた。セシリアは海賊のひとりに双眼鏡を借り受け、その正体を確認した。
「有翼人リリト族・・・」
「ご名答。さすが博識だねェ。」エルに対する口調同様、オルガは全くもって冷静。まぁ、知っていたのだから当然といえば当然。
「エルよ、魔族じゃねェからな。間違っても斬りかからねェでくれよ。」
「ハハハ、うん、分かってる。」静穏を装うエルだったが、微かにに自分が殺気を纏ってしまったことは自覚していた。強弱こそあれ、人間族以外を目にすると興奮状態に入ってしまうのはエルの悪い癖で、それは村が着々と復興を続ける今でも治っていなかった。エルの旅の目的は魔族を滅ぼすこと。その為に絶対的な力を手に入れること。自分の師であり育ての親であるカイツを殺し、村を殺そうとした魔族を許すことはできない。放置することもできない。ヴィルガイアの至る所で被害が報告され、今後も魔族が侵攻を思い留まることはないだろう。結界を張り巡らせて堪えるのにも限界がある。それは先の戦いで痛感させられた。守るだけでは、耐えるだけでは何の解決にもならないのだ。こちらから出向いて、殺す。
有翼人リリト族。セシリアの脳内を埋め尽くしたのはクリアンカという魔族。セシリア自身の手で死に至らしめた、子供たちを魔獣から守り抜いた魔族。それを私が手にかけた。覗いていた双眼鏡を瞳から外し、静かな吐息を零すセシリア。彼は死んでしまっただろうか。転生することはできなかったろうか。アポトーシスから逃れることは不可能だったのか。必要なのは強い意思。生きたいとか死にたくないといった類のものではなく、何の為に、何をする為にという目的意識。使命感。それが彼にあったろうか。例えば、打倒ネクロスを折れない心で支えられただろうか。あの痛々しい姿と、使い物にならなくなったクリアンカの代名詞ともいえる槍を見る限り、難しいだろう。なぜクリアンカを助けようとしたのか。それはセシリア本人にもよく理解できなかった。咄嗟に可能性ゼロではない手段をとった。クリアンカも気付いたはずだ。クリアンカが生来の魔族でないことは直感的に閃いた。こういってはなんだが、都合の良いサンプル、エルがいたからだ。魔導石を体内に埋め込まれているエルと同じニオイがしたのだった。
何事もなくエティオーグへの入港が済まされた。威風堂々と海賊旗を掲げていたのだが、気に止める者はほとんどいなかった。有翼人リリト族。外見は人間族と変わらない。背中に生えた大きな翼を除いて。肩甲骨辺りから繋がる2枚の羽は普段折り畳まれた状態で、下端は腰まで位置していた。ただし翼を持っているからといって常々飛行生活を送っているわけではない。歩行生活の方が圧倒的な割合を占めているので、エルとセシリアが予想したよりも人間族の街に様相が似ていた。空を見上げればライトブルーに映える白き翼、数える位には飛行するリリト族が見られたが、本当に数える程のものだった。彼らを物珍しげに見上げるのはエルとセシリアだけで、リリト族はもちろん、オルガやアンタレス一味も特に興味を向ける様子はなかった。初見ではこうもいくまい。暗にオルガたちが、このエティオーグに複数回立ち寄っていることを匂わせていた。そしてその目的、オルガの言うちょっとしたサプライズはすぐに提示されるのだった。
「無理すんな、と言っても聞くようなお前じゃないが、命は粗末にするなよ。船長はまだお前に会いたくないそうだ、オルガ。」海賊船アルタイルは現船長とオルガが二言三言、別れの言葉を交わすと直ぐにエティオーグを去っていった。せめて飲食物の補給でもするのかと思われたが、クルーは誰ひとり陸に上がることなくアンタレスは出発してしまった。エルとセシリアは礼も挨拶もできぬまま船を見送るしかなかった。オルガも微動だにせず見送る。手を振ったり声をかけたりすることなく、暫く黙って、小さくなっていく海賊船に視線を注いでいた。エルとセシリアはいつの間にか船ではなく、オルガの背中を見つめ続けていた。そんなオルガ流の別れに区切りをつけたのはエルでもなく、セシリアでもなく、はたまたオルガ自身でもなく。
「お待ちしておりました。御三人方。」振り返り2人は唖然とする。あっ、と言葉に詰まり、文字通り開いた口が塞がらなかった。対してオルガは、片手を上げて余裕の合図をその人物に送った。有翼人リリト族の元魔族、セシリアの法術によって尽きかけていた命を拾い、魔獣から子供たちを守り、子供たちに守られた、その名をクリアンカ。銀髪の短髪に眼鏡、背中には2枚の純白な翼。さすがに槍こそ携帯していなかったが紛れもなく、間違いなかった。
「おぅ、わざわざ悪ィな。こちら命の恩人様のエルとセシリアだ。」オルガの紹介が終わっても到底頭の整理がつかない2人にクリアンカが近付き、まずはエルと握手。続いてセシリアと、と思いきや、突然膝を付き手の甲に口づけるのだった。ふぇっ、と頭の天辺(てっぺん)から声を出し、セシリアの頭は一層とっちらかってしまった。
「さぁ、こちらへ。エティオーグをご案内しましょう。」そう言うと、クリアンカは先頭を切って歩き出すのだった。
オルガの用意したサプライズは3人を宿へと案内し、各人が荷物を置くと、息つく間もなく宿を出た。どこへ、という問いに対して、長老の所へ、という返答。クリアンカはオルガの旅の目的を知っていた。これまでオルガはエティオーグを4度訪れていた。今回で5度目。顔を合わせる中で、オルガが人魔共存に並々ならぬ興味を抱いていることが分かった。ガレオスの現状も聞いた。果たして人間同士の殺し合いに効く妙薬となるかどうかは定かでないが、命の恩人のひとりに恩返しをすべく長老に話を持ちかけた。有翼人リリト続長老フォルテナ。その命はもう長くない。だからエティオーグの次期長老も既に決まっていた。フォルテナ御歳150.1日の2/
3以上を睡眠に当て、両の目は光を感じる程度の機能しか有していない。100年以上も長老を務め、蓄積された莫大な知識。そんなフォルテナも、若かりし頃は大天使として恐れられた。本来リリト族の背丈は人間とほぼ変わりない。むしろ人間よりも小柄なくらいだ。けれどもフォルテナの身長は5メートルに達する。だから人間族の3人が横になって寝息を立てるフォルテナを目にして、デカイと零してしまったのも致し方なかった。大天使フォルテナ。槍を一振りすれば竜巻が生じ、二振りすると雲が割れ三振り目には山が削れたという。フォルテナという名前だけならばセシリアも聞いたことはあった。伝説的な狂戦士。そのフォルテナが長老として一族をまとめ、今、死を迎えようとしている。ピンと空気が張り詰める中、クリアンカがそっと、死期を悟った長老に声をかけた。二言、三言。フォルテナは静かに、しかし非常に大きく頷き、目を開かぬまま半身を起こした。
「フォルテナ、以前お話した人間族です。」どうやらリリト族には、目上の者に敬称や尊称をつける習慣はないようだ。フォルテナが口を開く。
「オルガ、エル、セシリア殿ですな。まずはお礼を言わせて頂きたい。我がリリト族の若者を救って頂き、本当にありがとう。心より感謝致します。愚かにも私と同じ道、同じ過ちを歩ませるところでした。悪しき力と強欲を求めた罰として割り切らざるを得ない覚悟を決めていましたが、若い命の息吹が絶えず、心おきなく眠りにつくことができます。お恥ずかしながら今の私には虫を殺す力も残っていません。無駄に長く命を紡いだことで得られた記憶がもしも皆様のお役に立つなれば、微力なれど協力は惜しみません。」ゆっくりと、文節ごとにとても丁寧に、そして見た目から予測していたよりもうんとしっかりした口調で喋る大天使フォルテナ。圧倒的な存在感と威圧感。虫も殺せないほどに老衰しているとは思えない。それもそのはず、褥の上に半身を起こした状態でも、優にエル達を見下ろしているのだから。鼻息ひとつで人間族など、どこまでも飛んでいってしまいそうだった。その反面、やはりというべきか、背中の翼はクリアンカのそれとは異なり艶やかさを失い、至る箇所で羽が抜け落ちていた。顔には幾線ものシワが刻まれていて、目の前に垂れている指に残されたのは皮と骨ばかり。かつての異称、大天使を連想させるものは壁に飾られた巨大な槍だけだった。
「さて、時間がありませんので本題に入ります。人魔共存、詰まる所、魔族と人間族が生活空間を共有している国があるかどうかということですが、結論から言えば、そのような噂は耳にしたことがあります。」
「本当か、そうか。場所は分かるのか。」人間族の中でオルガが最初に口を開いた。
「ええ・・・分かりますよ。その国はここから・・・遥北に位置する・・・失礼、詳細は・・・クリアンカに伝えておりますが・・・ゴホン、あくまで何十年も昔の話でして、今現在は・・・定かでは・・・ありませ・・・ん。」フォルテナは力尽きた。再び横になって眠りに落ちたフォルテ巨大な掛け布団を施したクリアンカは、場所を変えましょう、そう言って表に出た。3人もあとに続く。宿へと引き返すようだ。
「いいの?誰かついていなくて。長老さん独りみたいだったけれど。」セシリアが尋ねる。
「お心遣い感謝します、姫。ですが心配には及びません。我等リリト族、死する時は独り。看取られることを良しとはしないのです。」クリアンカの口調は滑らかかつ、落ち着いていた。
「そう、それなら構わないのだけれど・・・その、姫っていうのは何?」
「ああ、特にお気になさらず。」
「セシリアでいいわ。やめて頂戴、姫だなんて。」
然う斯うする内に宿へと戻ってきた4人。クリアンカは躊躇うことなく宿の一室に入っていき、跡に続く3人を席に着くよう急かした。リリトの歯車が廻り出す。
空(くう)舞うリリトだからといって住まいの天井が特別に高いわけではなく、ロフトへの梯子も上階への階(きざはし)も設置されていて、その真新しい仮宿は純朴な木の香気に包まれ、素直な年輪と色彩、それは人肌とでも言うべきか、色の黒いオルガと色白のセシリアとの中間に当たる色調、理想的な枠組みを施された空間、領域においてエル、オルガ、セシリア、そしてクリアンカの4人が創る未来を紡ぐための共同謀議は、この時点ではひとりを除いて描くことのできない未来予想図、安息のこの地に再び足を踏み入れる。誰もいないその時に4人は目的を果たせているのだろうか、答えの外貌を見定めているだろうか、絶望からの解放は、希望の萌芽は、夢の続きは。かくして口を開く若きリリトの勇者は決意と懇願の眼差しを内へ殺しながら、3人を悲哀の物語へ巻き込んでいくのだった。
セシリアはぼんやりとしていた。どう説明していいのか、どう解釈していいのか分からずに戸惑う反面、どうにかこの違和感と瞬間的に向き合っていた。
「時間も限られていますので、余計な前置きは省いて説明します。」クリアンカは一室の小さな円卓に地図を広げて話を切り出した。
「おう、手短にな。長ェ話は苦手なんだ。」
「俺は平気だけどね。村の爺さん、婆さんにいつも付き合わされてたから。」オルガとエルが話の展開を邪魔しながら促した。
「では。まずオルガのお目当て、人魔共存の国があると言われている場所はここ。」クリアンカはそう言って、ヴェルハウゼン全土を描く地図の最北端を指差した。
「ヴェルハウゼン唯一の降雪かつ豪雪地域、魔族であれば露知らず、人間が住むにはかなり厳しい環境に人魔共存の国、ファラム・ランサがあるとされています。されていますが、やはり、その可能性は―」
「前に話をした時もそうだったんだが・・・」オルガがタバコに火を付け割り込んだ。先に顔を合わせた時もそうだったのだろう、予め灰皿が用意されていた。
ふぅ~ん、そうか。知っていたのにオルガは長老さんに話を合わせていたのね。顔に似合わず、少しは気配りができるようになったのかしらね。セシリアは微笑むが、オルガは全く気付かなかった。
「その、何だ・・・人魔共存の『可能性』とか、『言われている』みてェな話ばかりでよ、まるで誰も見たことも行ったことも無ェっていう言い草だよな。」クリアンカは地図に視線を落とし高々、食、拇指の3本で眼鏡の位置を直す。この眼鏡に触れる仕草はクリアンカの癖だった。何か思い悩み、思いを巡らせている際にしばしば見られるもの。尤も、それだけではなく、とある練習、鈍らせない為の演習も兼ねているのだが・・・
「実はそれに近いのです。」クリアンカは心の中で、筋肉マンのくせに意外と鋭い、そう呟いていた。
「永久氷壁に覆われた上、消隠の結界が張られているそうです。かつて幾人もの戦士、勇者、冒険家がファラム・ランサを目指しましたが、戻った者はほとんどいないのです。」
「じゃあ、ファラム・ランサに関する情報というのは―」結論を求めた質問を繰り出したのはエル。
「いえ、可能性が全くのゼロという訳ではありません。ファラム・ランサからの数少ない生還者のひとりがリリト族長老、先ほど会って頂いたフォルテナなのです。ただしご承知のように死を待つ高齢の身であること、さらにはファラム・ランサでの記憶がほとんど残っていない状態なので・・・何とも・・・」言葉に詰まるクリアンカ。僅かに立ち込める霞のようなフォルテナの記憶から明んだ情報は以下の3つだった。
1、人と魔族が同一の居住空間に存在したこと
2、争いは起こっていなかったこと
3、強力な結界が張られていたこと
「オルガ、今回はやめといたら。」セシリアが口を開いたがオルガは反応を示さない。
「もっと情報を集めてからでも遅くはないでしょう。全てが不確実。クリアンカには悪いけど今の情報だって信憑性に乏しいわ。無駄足に終わるわよ。」セシリアにはオルガの気持ちが痛いほどよく分かっていた。だからこそ、オルガの立場を理解しているからこそ気色悪い土地に足を踏み入れて欲しくはないのだ。彼の身に何かあれば、それこそがレオスは格好の的になるだろう。セシリアはオルガの答えを待つ。同様にクリアンカもオルガの言葉を、無頼漢を思わせる険しい表情で待ち望んだ。
「悪くねェ、行こう、ファラム・ランサ。」オルガが決意を表す。
「オルガ。」静けさ漂う中に重さが加わる。セシリアがオルガの視線を奪おうと試みるが、オルガは卓上の地図一点から焦点を外さなかった。ヨンレンさん、力を貸して下さいね。セシリアは心の中で念じた。ヨンレンはしばしば諺や格言を用いてオルガを黙らせていた。あのオルガが返す言葉も見つけられずにやり込められるのだ。
「オルガ・・・急がば回・・・」
「ああ、それな。」
「!!」全くもってヨンレンの様に上手くはいかなかった。瞬間的に、脅威的な反応速度でオルガは抵抗するのだった。時としてオルガは、戦い以外のことにも信じられない集中力をみせる。
「俺が思うに、急いだ状態でミスしなければそれがベスト。1番速ェんじゃねェかと思うんだよな。回り道する必要もなし。ま、別に急いでいるわけでもねェがな。」
「でも、ガレオスがいつまた攻められるか。」
「おいおい、ウチの騎士団を舐めるんじゃねェぞ。それに、いざとなればヨンレンがいるしな。」
「はっ?」セシリアがオルガのペースに巻き込まれていく。
「言ってなかったか。ヨンレンは強ェぞ。アンタレス元副船長の肩書きは伊達じゃねェってな。」悪ぃ、セシリア。お前の気持ちも分かる。何より有難い。例えば俺が死んだら、恐らくはお前の心配が的中する。騎士団が簡単に屈するとは思えないが、アルバの、ヨンレンの、そしてお前の負担が劇的に増加するはずだ。ガレオスは崩れるかもしれない。少なくとも、今以上に攻撃を受けることは間違いない。でもな、今のままでは何も変えられねェんだ。答えが欲しいんじゃねェ。ヒント、手がかりだけでもいい。きっかけだけで。そいつらは、会議室では見つからなかったよ。
「悪くねェ、行くぞ、ファラム・ランサ。」
「決りだね。」オルガの決意とエルのダメ押しにセシリアの割り込む余地はなかった。やれやれと溜め息を吐き出し、もう慣れましたよと苦笑いを浮かべたその表情を確認したクリアンカは対蹠的に、険しい目付きを変えなかった。
「ここからだと日数はどれくらいかかるんだろうか。」このエルの問掛がおよそ5秒、長い沈黙を呼び寄せたことで話が終わっていないことを3人は理解した。そしてもう5秒、クリアンカの次の言動を待った。
「条件があります。」クリアンカの静かな口調。
「言ってみ。」オルガも静かな口調。これ以上の沈黙は時間の無駄だという風にオルガが間髪入れずに催促する。
「2つあります。」
「1つ目は。」
「まずは私を同行させて下さい。」
「ん、何だそんなことか、いいんじゃねェか、別に。」
「助かるよ、ヴェルハウゼンの地理感覚を持った人が付いてきてくれると。」
「うん、戦力にもなりそうだし。何よ、そんな怖い顔して言うことじゃないじゃない。」
「ありがとうございます。では2つ目。これは条件というよりもお願いということになるのですが・・・」このあと語られた、ヴェルハウゼンの危機。殊にセシリアは驚きとショックを隠せない様子だったが、クリアンカの要望に異を唱えるものはおらず、ファラム・ランサを目指す旅路は少し後回しになるのだった。
守護獣(ガーディアン)暴走。これがヴェルハウゼンの直面している危機だった。守護獣。それは本来人間族が魔族に対抗すべく、魔導石の力を使って生み出した兵器。もはや古代兵器、と言われる程には過去の話ではないのだが、時を重ねていつしかその力は失われ、人々からは偶像として崇拝されていた。メルヴィルにおいてエル、オルガ、セシリアが挑んだ試練、石の巨人ゴーレムも守護獣。今になって考えてみれば人間に試練を与えられるだけの力が残っていたという変調も類似の現象だったのかもしれない。それでもゴーレムの場合は領域を侵すものに対してのみ攻撃を振るっていた。いや、それは脚部が破壊されていた為だろうか。ゴーレムの試練を膳立てたのはセシリアで、彼女の知識の源はクルヴィによる所が大きい。ともあれ現在ヴェルハウゼンでは、守護獣自らの意思で守護獣自身が破壊活動に身を投じていた。既に滅ぼされた集落も数多く報告されている。ガーディアンを誰かが狩らねばならなかった。そんな折、エティオーグの港に現れたのが海賊船アンタレス、そしてオルガだった。アンタレスがエティオーグを訪れたのは初めてのことではなくアンタレスのクルーは多少なりとも知った中ではあったが、まさか大剣の戦士と再び顔を合わせるとは思っていなかったクリアンカ。そして迷わず近付いた。オルガと話す内に、人魔共存という言葉に意外なまでの興味を示すオルガを見ている内に、この交換条件が思い浮かんだのだった。
今現在、守護獣の暴走が確認されているのは東部のリキュア、南西部のイォルコス、北西部のザキュトス。そして守護獣の情報は、
クレイトン - 魔導石 戦場の廃帝 - 属性 無
シモン - 魔導石 黒糸(もえぎ) 縅(おどし) - 属性 聖
F091 - 魔導石 漆黒の偶人 - 属性 闇
情報はこれが全てだった。さらに言えば、この情報を知った所で有益な対策を寝ることはできない。要するに、現地に赴いて実際に手合わせする他ないのだ。
「クリアンカ、もう行っちゃうの?」
「まだ早いよ。」
「私もついていく!」
「みんなで一緒に行こうよ~。」
「まだここに住んでていいって、お母さんが言ってたよ。」
「気をつけて、ゆっくり飛んでいってね。」
「いってらっしゃい。」エティオーグを発つ直前、クリアンカは子供たちから口々に別れの言葉を手向けられた。私もついていく、と愚痴って聞かない女の子とは膝を折って目線を合わせると、頭を軽く撫でてから指でそっと涙を拭ってやった。途端に少女が泣き止むものだから、その眼鏡の奥の瞳は大いに優しかったのだろう。最も顔をぐちゃぐちゃにしたままクリアンカに抱きついたので装備品に鼻水がピトリと張り付いてしまったが、嫌な顔一つせずに擁するのだった。
「子供に人気があるんだね。みんな寂しがってた。」エティオーグを離れてすぐに話しかけたのはエルだった。
「エティオーグには若者が少なくて・・・遊び道具を手放したくなかったんでしょう。まぁ、私も子供が好きなんですけどね。あの子達を守ってやらないと。」クリアンカは濃やかな眼差しのままエルに応えた。最初の目的地はヴェルハウゼン東部に位置するリキュアという町。エティオーグから1週間も北上すれば着くという。その内の何日間は野宿だろうと聞いたセシリアは明(あから)白(さま)にガッカリしていた。どっしりとトップを切って進むオルガ、にっこりクリアンカと談笑するエル。はっきりとした使命を帯びるリリトの戦士。亡羊の守護獣、クレイトン。秘めたる魔導石は『戦場の廃帝』。いざ、伝承詩に終止符を打つ戦いへ。
~ クリアンカ
- 魔導石 帰路なき雷道
- 鵬翼の白槍 ~
金髪の短髪は前髪が幾らか伸びた。眼鏡奥の瞳は以前よりも優しく穏やかになっただろうか。魔族ではなくリリト族の戦士。槍術を操り、雷属性の法術を唱え、背中の翼で宙を舞う。エル、オルガ、セシリアの3人に接近した目的は不明だが、3人にとって心強い戦力となることは間違いない。新しい土地(ヴェルハウゼン)という未知を進む点も含めて。が、どうしても謎多き部分に不安は感じてしまう。何かを隠している。3人に協力するのか。3人を利用するのか。
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