帰るべき場所
アンデッドが棲むと言われている僻村、ザイアースベルク。品のない噂話と一蹴するにはあまりに長いあいだ語り継がれている流説。真実とも空言とも確証が持てない。一昔前であれば命知らずの冒険者や探究心ににを任せる渡り鳥が、意気揚々とザイアースベルクへ向かったが、誰一人戻る者はいなかった。今では近付く者すらほとんどいない。
そんな俗伝に半信半疑のエルとオルガ。一方でセシリアは十中八九アンデッドが潜むと考えていた。問題はその数。そもそもクリーチャー・エンサイクロペディアによるアンデッドのランクはD。5体、10体程度の数量であれば全くもって問題ない。しかし仮にそうだとすれば、人を寄せ付けない程に畏れられることはないだろう。そこら辺の渡り鳥にあっさりと滅されているはずだ。となると相当数のアンデッドが予想された。ザイアースベルクの住人がゾンビ化していることも十分に考えられる。簡単には手を出せない程のアンデッド。そうだとしても、知能の低いアンデッドであれば有益な集団行動はできない。単体毎に唸り徘徊するだけ。加えて動きは遅く殺傷効果の高い攻撃もないのだから、3人いれば一掃することができるだろう。予想できる最悪のケースは-
ザイアースベルクに到着した時、日は西に傾き、上空には夕焼け空が広がっていた。それは朱というよりも山吹色に近く、それ以上に朽ち葉色という表現が似合っていた。それでも辺りはまだまだ明るく、無人の村ではあったが暗さや重さを強く感じることはなかった。それでも村の入口から警戒心を強める3人。ゆっくりとした足取りで村の中心部へと歩いていく。先頭をオルガ、セシリアを挟んでエルが続く。小さな民家や古びた小屋が疎らに建てられていて、物陰へと隠れるにはもってこいの村だったが、アンデッドが潜んでいる様子は伺えなかった。何事もなければこのままザイアースベルクを素通りしてどこか適当な所で野宿、いよいよシュクリスの居城を目指すことになる。そんな期待を頭に過ぎらせながら、一行が村の中心部まで足を踏み入れたその時だった。村中の土という土が盛り上がった。その原因はやはりアンデッド。まずは腕、続いて頭、腕を支えにして胴体、脚部が地上に姿を現した。教科書通りの登場、お決まりのゆったりとした動き、無残に朽ち果てた肉体。濃密さを増してきた影と同色の、紛れもないアンデッドが至る所から出現した。これだけの警戒を施していたのに、不死者の存在を思い描いていたのに気配ひとつ感じることができなかったことをエルとオルガが疑問に思う。アンデッドが今まさに生成された印象を受けるのだった。
ここに2つの確信が生まれる。1つはエルとオルガの頭に描かれていたもの。この村がザイアースベルクであり、噂に違わずアンデッドが棲みついており、その数は見当もつかないということ。しかしこちらは仮構とは言わないまでも、有体の現実に過ぎなかった。目に見えたものをそのまま思考回路というフィルターを通して整理したに過ぎない。重要なのは2つ目の確信。セシリアの密かな推測が現実となったもの。そしてこちら側こそがこの村の真の姿であり、エルとオルガの状況把握では全てを現せてはいなかった。アンデッドは確かに群集する。しかしそれはバラバラに行動した結果の集合体。謀って一斉に集うことなどまずありえない。ましてや侵入者が逃亡できないように村の中心部まで引きつけておいてから包囲する形で出現するなど、脳ミソが残っているかも分からないアンデッドの頭が回るはずもなかった。結論、アンデッド達を操るものの存在、セシリアが真の敵と見据えるもの、それが死霊魔術師だった。エルとオルガが何百、何千とアンデッドを倒しても、この村から抜け出ることは叶わないのだ。
雑魚とも言えるアンデッド。1体、2体で現れることはまずないが、仮にそうであれば瞬く間に瞬殺できよう。尤も相手にせず無視することも容易に可能だが。それほどまでに弱く、鈍(のろ)く、脆い。注意すべきは噛み付き攻撃と数にものを言わせた押し潰し。手足を破壊されてもその活動を停止することはない。痛がり苦しむ素振りも見せない。何事もなかったように前進を続ける。両手両足を切断すれば動くことはできまいが、唯一残された顎の力で抵抗をみせる。そんなアンデッドの弱点は頭部。頭部を破壊すれば再起することはない。。そんな最低限の知識をつい先ほどセシリアから教わったエルとオルガは、せっせと剣を振るうのだった。オルガは豪快に大剣でアンデッド共を薙ぎ払った。筋肉の鎧に覆われた両腕には必要最低限の、剣を支えるに足る最小の力しか込められていなかった。馬鹿力など不要。大剣が触れればアンデッドの頭は易々と吹っ飛び、力を失った首から下はその場へ崩れ落ちたり、地面にへばりつく前にオルガの蹴りで頭部同様飛ばされていった。一方のエルは1体ずつ正確かつ迅速に頭部へレイピアを突き刺していた。オルガの仕留めたアンデッドとは対照的に、貫かれた一点を除いて綺麗な状態(注・所詮アンデッド)で、首と胴が繋がったまま没していった。2人共に十分な余力を残し、セシリアを庇いながらアンデッドと戦った。一方的にアンデッドを撃破し続けた。それでもセシリアの足元から忽然と姿を現すアンデッド。セシリアは絶叫しながら、半身はまだ土に埋まっている状態のアンデッドに全力でロッドを叩きつけた。あまりによく通るセシリアの叫び声に最初は驚いたエルとオルガだったが、次第に慣れてしまった。
時間がないから簡単に説明するわ。セシリアはいつまでも戦っていられそうなエルとオルガに説明を始めた。アンデッドの倒し方は頭を狙うやり方で間違いない。その時に、アンデッドから糸の様なものが引っ張られていないか確認すること。何十体、何百体に一体かは分からないが、死霊魔術師がアンデッドを操っているのであれば必ず死糸が引かれている。そしてその糸が向かう先にターゲットがいる。最初は糸を見つけることも難しいが、死霊魔術師との距離が近付く程に糸は密集し、その居場所を示す。そいつを倒せばアンデッドも朽ち果てる。だから糸を探しながら戦って。と、ここでオルガが水を差す。何で敵に近付くと糸が集まるって分かるんだ。セシリアはやれやれとしゃがみ込み、小さな○を1つ、その横に小さな・を縦に5つ、○と・の間を少し開けて描いた。そして○と・を線で結ぶ。今いる場所がここ、それは・に近い場所で線に触れることのない場所。敵に近付いた位置がここ、それは3本の線に触れる場所。敵に近付くと糸が重なっていくでしょう、分かったわね。成程な、と納得するオルガ。既に相手戦力の限界を悟った故の余裕を見せつける。黙って変わらずアンデッドを狩り続けるエルと、楽勝だ、のんびり行こうとアンデッドを壊し続けるオルガ。彼らに護衛されながら、セシリアは死霊の糸を探すべく目を凝らした。時間はない。
初めに死霊の糸を発見したのはエル。アンデッドを貫いた瞬間に1本の細く、仄暗くセピアに輝く糸が右手側へ伸びていた。見つけた、あっちだと言うが早いか、向かう先を右側へと急転換した。オルガとセシリアもエルの声に反応して、皆で糸の示した方向へ進撃を開始した。倒しても倒してもその数を減らさないアンデッド。戦闘能力の差は明らか。体力的にもまだまだいける状態ではあったが、いい加減に同じ顔を見飽きていた。やれやれと思いながら突き進むと、今度はオルガが紫紺に光る糸に気付いた。しかしながら糸の向かう先は3人の進行方向とは一致せず、今度は向かって左手側に操られていた。今度はあっちだ。オルガが糸の方向を大剣で示し改める。ターゲットは向かっていた方向と違う場所に隠れているようだが、3人共動揺はしない。物陰から敵を狙う位に慎重であれば、ずっと同じ所に留まることはないだろう。相手が自分の存在や位置取りに気づいたと察すれば潜む場所を変えて当たり前。エルとオルガが攻撃の手を速めた。死霊魔術師を追い込むべく、距離を縮めるべく急いだ。糸の示す方向、より多くの糸が密集する地点に目当ての敵がいる。同時にアンデッドではありえないせっかちに動き回る気配にも注意を払う。逃がしはしない。加えて大きな問題。それは日没。日が沈んでしまえばあんなか細い糸など探せまい。ランタンやセシリアの法術で多少は何とかなるかもしれないが、日が完全に落ちれば一時退却という選択肢が懸命と言えるのだろう。1時間倒し続けろ、と言われればエルとオルガは戦い続けられるだろう。それ程まで戦力には余裕があった。エルとオルガは強かった。問題は時間。日没まであとどれ位だろう。法術で照らすことは可能だが、村全体を照射することはできない。そして糸を探し出すなど、もっての外。アンデッドに囲まれた死霊魔術師を発見するなど雲を掴むが如く。こうなっては勝機を見出すことは難しかった。セシリアはひたすらに目を凝らした。時折足元に現れるアンデッドを踏みつけ殴りながら、死霊の糸を詮索した。もはや叫び声を上げている暇もない。男2人も遅ればせながら、時間的制約に気付いていた。肉体的圧迫よりも精神的圧力に気圧されながら糸を探り、その行方を追った。やがて3人の糸を見つける頻度が上昇する。糸の導く方向も面から点へと近づいていく。間違いなく、死霊魔術師を追い込んでいた。
水平線へと沈み逝く太陽。緩やかに波を刻む水面を幾千、幾万もの太陽光線が駆け抜けていく。直に迎える暗闇を憂えるからか、微弱でか細い幾重の光の線条一本一本全てが唯一無二の一点を、この地上と輝ける天球とを結び導いていた。希望を繋ぎ留める志の命綱、その力強さと可憐な色彩に癒された後、漆黒の闇夜に恐怖と後悔を抱くのだ。
エル、オルガ、セシリアの3人はようやく、死霊の糸の終着点に辿り着いた。正確には目的の場所と思しき点に到着した。間もなく日没。気付いた頃にはザイアースベルクが漆黒に覆われる。日暮れに恐怖を抱いたのは子供の時以来だろうか。けれども肝心の死霊魔術師が見当たらなかった。恐れ狼狽しているであろう魔獣の姿が闇に紛れてしまった。エルとオルガは互いの距離を遠ざけつつターゲットを探した。が、いない。目に映るのは見慣れた、そして闇と同化し始めたアンデッドばかり。日没が刻一刻と迫っていた。そして差し迫るものが日没の他にもう1つ。セシリアがオルガへ猛然と走り寄ってきた。
「オルガ!私を空に向かって投げ飛ばして!」
「何、何だって!?」周辺のアンデッドを突き飛ばしてセシリアの方を振り向くオルガ。
「上に。できるだけ高く!」
「何だそりゃ。んじゃぁ、剣の上に乗れ。」そう言うとオルガは構えていた剣を寝かせ、セシリアを乗せる準備を整えた。セシリアは駆け寄り、オルガの剣に飛び乗る。
「んむ、うるぅあー・・・」オルガは奇妙な雄叫びを上げながら、剣を振り上げてセシリアを上空へ押っ放りだした。点在する家屋を見下ろせる高さまで飛翔するセシリア、その両腕には法術の構えが施されていた。そして躊躇うことなく発動させるのだった。
「おいおい、俺達ごと燃やす気か!」オルガの大声にエルも空を見上げたが、2人の視線と困惑を受けてもなお、セシリアが法術を踏み留めることはなかった。
「フレイム・オーケストラ!」幾つもの火球が我先にと地上へ降り注いだ。しかしながらその火の玉達はあまりに広い範囲を射程に収めてしまっていた。オルガらが火だるまになる心配はなかったが、同時にアンデッドを効果的に一掃することはできなかった。あちらこちらのアンデッドが単体で燃えてはいたが、現勢に変わりはなかった。ただ一時、周囲がさながら昼間の明るさを取り戻した。ほんの一瞬ではあったが。
セシリアは必死に眼球を動かした。首もフル稼働。好機は極めて短く限られていた。死霊魔術師がすぐ近くに、手を伸ばせば届く距離にいるはずなのだ。幸運だったのは糸が光を反射したこと。遠火の光を手繰り寄せられた糸達が涼し気に跳ね返したのだった。やっと見つけた。近くにいるのは・・・エル。
「エル、右よ!小屋の後ろ!そこにいるわ!」セシリアの大声は通った。普段の声量ではそれ程には感じないのだが、声量が増すと声に貫通性が伴った。これまで気にしなかったが、そのことに皆が感謝した。セシリア本人も。指名を受けたエルは右手に見える小屋を確認すると、腰を落とし前傾姿勢をとった。間髪入れずに小屋を目指して走り出す。立ちはだかるアンデッドは相手にせず、その間をすり抜けていった。そして助走からそのままレイピアで小屋ごと吹き飛ばす。「玄翁虎落笛」。小さな廃屋は乾いた音を立てながら土台から◯げ、廃屋の建っていた付近は更地に変貌した。
「きゃぁぁあああ・・・」セシリアは翻るスカートを押さえながら大地へ落ちていった。それをオルガがヒョイと抱える。いわゆるお姫様抱っこと云う奴で。ご苦労さんと一言労うと功労者を地面へ下ろし、背中の大剣を再び構えた。舞い戻ったセシリアもロッドを片手に、改めて法術の準備を整えた。2人が、自分達を取り囲むアンデッドに目を凝らす。動かない。元々動きの遅い魔獣ではあるが、間違いなく動きは止んでいた。オルガが近づいて確かめようとすると突然、ザイアースベルク中のアンデッドが一瞬で砂と化し、ザラリ・ゾロリと崩れだした。オルガはニマリと口元を緩め、セシリアはちょっとだけ、ビクッとなった。
「やったようだな。ったく、面倒臭ェ。」オルガの身体から闘気が消え、セシリアは両腕をダラリと垂らし大きく息をついた。そんな2人の視線の先にはエル。オルガは右手を挙げ、セシリアは胸の前で小さく手を振った。エルは頷いて合図を返したが、暗闇の中ではほとんど確認できなかった。そしてその表情が険しく、安堵に相好を崩していないことも2人は見て取ることができなかった。
腐敗、腐朽、不潔で汚穢(おわい)、どれだけ不衛生であるかは想像もつかなかった。ましてや埃にアンデッドの砂が混じっているのだから、セシリアが散々に文句を言うのも理解できない訳ではなかった。それでも我慢する他ない。3人はザイアースベルクで旅寝するしかなかった。適当な民家にお邪魔して躰を無理矢理にでもやすめ、魔族との対戦に備える必要があった。セシリアはこれでもかとベッドを叩(はた)いて埃を落として横になると、すぐに寝息を立て始めた。エルとオルガは外で火を囲む。オルガは煙草をふかし、エルは細剣の手入れ。無言のままに時間が流れていた。時折オルガが薪、否、枝や木片、木材を火の中に投げ込む。時々カチリと弾ける音と明るさがやけに大きく眩しい夜だった。エルが1つの決意を告白するには静かすぎる小夜。
話すよりも見せたほうが早いだろうから、そう断った上でエルが立ち上がった。篝(かがり)から少し離れて目を閉じるエル。煙草を土に擦りつけながら、目つき鋭くエルに視線を送るオルガ。カッ目を見開き力を込めるエル。白い閃光に包まれて身体が一回り大きくなったかと思える。眩しさから目を細めるオルガ、それでも決して目を背けない。背中には翼のようなものが生え、宙に浮いていた。変身していたのはごく短い間、10秒位だったろうか。取り巻いていた白光りが輝きを失い元の姿に戻ったエルが口を開いた。俺は魔族に変身できる。エルの告白にオルガは、そうかと答えるのが精一杯だった。変身できるのは10分。それを超えると理性が無くなって、見境がつかなくなって、誰其構わず・・・多分・・・殺すと思う。それでも・・・シュクリスに勝てないと判断したら、俺は変身する。それで刺し違えてでも必ずシュクリスを殺す。その時もしも、もしもオルガとセシリアのことが分からなくなっていたら、魔族の姿のままだったら・・・俺を殺して欲しい。
エルは先に焚き火を離れた。外では独り焔を見つめるオルガ。その指には新しく煙草が挟まれていたが、ほとんど吸われることなく先端から灰と化していた。勝てないと判断したら魔族に変身する。シュクリスを倒した後とも人間に戻らなければ、殺してくれ、か。エルよ、そいつはちと難しいぜ。仮に俺達がシュクリスに勝てなければお前はさっきの姿に変身するのだろう。そしてシュクリスを仕留める。そのお前を殺せと・・・スマンが物理的に不可能だ。頭の悪ィ俺でも分からぁ。10分は短いよな。エルが変身した時点で敗色濃厚。みんな揃ってお陀仏か、エルが独りで生き残るか、2つに1つ、とは考えたくねェよな。死の如き静寂の中で夜が老けていき、朝が粛然と迎えられた。
~ ブラッドソード
- 魔獣
- ランク:C ~
刀剣の姿をした魔獣。地面に伏せている状態では一見魔獣かどうか判別できまい。血の如く赤色に彩られた刀身は不気味な気配を発し、鋭利な殺気を放つ。手足がついていない為、移動は空を飛ぶことになる。攻撃対象を発見すると浮遊しながら間合いを測り、隙を伺い、主に体当たり攻撃を仕掛けてくる。というよりは基本的に体当たりしか攻撃方法を持っていない。文字通り攻防一体の剣撃を防ぎ、さらに撃破するには並以上の戦闘能力、刀剣を破壊できるだけの攻撃力が必要とされる。また一部の報告では、何かしらの飛び道具を使うという情報もあり、近接戦闘以外にも注意が必要である。
~ ドラグヴェンデル:戦針(いくさばり)
- 蒼き秋風の魔導石
- 地祇 滑翔風舞(ちぎ かっしょうふうぶ)
目標地点に向けて風の軌条を敷き、そのレールに沿って武器を滑らせる技。遠距離攻撃ながら一手間かけることで高い命中精度をほこり、小さな急所も遠方から狙い定めることができる。また距離が長いほどに加速が増し、貫通力、破壊力が高まることも特徴の一つ。エルのように軽量の武器で攻撃を行う際には、その武器が音速の羽衣を纏うという。一方の欠点としてはやはり何より、武器を手放してしまうことが大きな痛手となる。使い所を間違えればたちまち丸裸の状態になってしまう為、発動後のフォローまで考えた上で行動しなくてはならない。
~ 死霊魔術師
- 魔獣
- ランク:C ~
アンデッドを操る魔獣。普段は闇に潜んで仕込みに余念がない。アンデッドを己の意思のままに操るための糸、『魔糸(まし)』を括りつけて地中に待機させる。獲物が接近したところで地中から溢れさせ、標的を取り囲むように襲わせるのが常套手段のようだ。意思統一のほとんど図れないはずのアンデッドが妙な集団行動をとったり、異常と思われるほどに大量のアンデッドと遭遇した際は、死霊魔術師の存在を疑うべきである。発見にさえ至ってしまえば、魔術師自体の戦闘能力は皆無といえるので、始末に困ることはないだろう。
~ クルヴィの杖
- 蛍火の魔導石
- フレイム・オーケストラ ~
ソロ・フレイムの応用法術で、火球を同時多発的に発生させる。かなりの法力を消費するが、それに見合った効果は期待できる。雑魚であれば少し位数が多くても一掃できるし、強敵に対しては炎球を一点集中させることで対抗することもできよう。それでも後先考えずに使い方を誤れば法力が早々に尽きてしまう為、乱発は避けたいところ。尤も、この法術を乱発できるほどの者であれば使い所を誤るということもなかろうが。
「本当に近ェのな。ほとんど目と鼻の先じゃねェか。」眠そうな仕草も見せないオルガの言う通り、シュクリスの居城はザイアースベルクから程近い距離に存在していた。早朝にザイアースベルクを発ったということもあるが、一行は午前中の内に目的地へと到着したのだった。先頭をいくのはエル。城が見えてからのエルは鬼気迫る静寂を宿していた。殺気を孕み、殺伐な気風を漂わせていた。もう1つ。エルの魔導石が点滅を繰り返す。オルガとセシリアには前を歩くエルの表情は分からない。それでも歩くスピードが普段よりも僅かに速い。やっと2人の歩速に慣れてきたセシリアは特に、敏感にそれを察知していた。そして何よりやはり、「蒼き秋風の魔導石」があまりにも不気味だった。あまり感情を表に出さないエルの気持ちを悲し気に代弁している様で。
シュクリスの居城。その城は3人の緊張感を薄めてしまうまでに真新しかった。大きく、立派だった。闇夜に浮かぶ今にも崩れ落ちそうな城を想像していた上に、到着したのが昼間だということもある。周囲には魔獣もいない。静か過ぎる中にシュクリスの居城は存在していた。邪魔のいないのを良いことに、エルは踏み留まることなく城入口の大扉を開けてしまった。心の準備もとうにできていたのだろう、むしろ待ちくたびれていたのか。オルガとセシリアも黙って従った。城内はひたすらに広い空間。シュクリスはおろか、魔獣一匹見当たらなかった。しかし。立ち止まり上を見上げるエルとオルガ。2人の険しい表情に気付き、
「2階にいるの?」セシリアが尋ねる。
「シュクリスかどうかは分からねェがな。」オルガはセシリアの質問に答えつつエルに目を遣った。
「間違いない。間違えるはずがない。」上へと続く階段を昇る3人。魔導石は点滅から点灯に変わっていた。
階段を昇りきると気色悪い気配は一層強まった。廊下に等間隔で並ぶ扉の中、目印でも見つけたかのように迷わず1つの扉を選ぶエル。そして開ける。激しく、オルガの様に。その先、広い空間の最奥に座する1人の魔族。片肘を付いたまま動かないが、その表情には薄ら笑いが浮かんでいた。歓迎の支度は済んでいる様子。それとは相対するエルの顔つきから、眼前の男がシュクリスであることに疑いはなかった。
「ようこそ我が居城へ、勇者御一行様。」シュクリスがあっさりと口を開く。一方のエルは無言。オルガとセシリアも黙ったまま。ここで「蒼き秋風の魔導石」が輝きを増す。エルの周囲にはさくい辻風が巻き起こり、エルの長い髪を逆立てた。会話をするつもりなど毛頭ない。こちらの要件はひとつ。敵をとること、それだけだ。貴様は殺すぞ、シュクリス。
『野分の息吹』。ドラグヴェンデル・戦針から打ち出された20とも30ともつかぬ風の槍がシュクリスを急襲した。しかしこれをヒラリと舞い上がって往なし、風槍によって粉砕された玉座の跡に降り立った。腰程まである、エルよりも長い銀色の髪には全体的にウェーブがかかっている。服装は黒を基調とした軽装鎧。足は2本、手も2本。角もなければ、尻尾もなければ、羽もない。外見は人間と変わらない容姿だった。
「近頃の勇者様は随分と性急(せっかち)なことで・・・」笑みを絶やさずシュクリスは独り言のように口を開く。
「どこかで見た顔だと思ったが、そうか、あの村の生き残りか。あの爺(じじい)についていた風使いだろう。なる程、敵討ちに参上したというわけか。全く、相も変わらず人間というのはご苦労な種族だ。善悪にこだわる割に、善悪の判断が適切とは言い難いな。やはりあの時滅ぼしておくべきだったか。」この一言に初めてエルが口を開いた。
「滅ぼしておくべき・・・だった?」
「ん、何だ、知らなかったのか。まぁ、壊滅状態には違いないがな。そういえば貴様、爺を殺した時には姿が見えなかったが。小便でもちびらせて逃げていたのかな、フハハハハ・・・・・・・」
「何故、滅ぼさなかった。」エルは表情を固定したまま問う。
「ん、ちょっとした野暮用でな。時々魔族にもつまらん裏切り者が現れてな。そいつの処分を優先したんだが・・・この機会に改めて滅ぼしに行くとするか、貴様の村を。貴様等を殺した後とでな。それならば寂しくはあるまいて。」
『幻魔風刃』。シュクリスの右手に具現化されていく太刀。まずはシンプルな柄の部分が輪郭を現した。装飾が一切施されていない日本刀の握りに続いて刃の部分。柄から流れるように、滞ることなく生み出される刃。まさに日本刀。ただし長い。果たして振れるのか、というまでに長い。シュクリスの背丈大に長い妖刀。オルガの大剣ももちろんデカく長いのだが、刀身が細い分、シュクリスの武器は異様さが際立っていた。
さてと・・・相も変わらず余裕を携えたまま妖刀を構えるシュクリス。そして軽快に刀を振り始めた。宙に十字を描く。1振り、2振り、3振り・・・その度に青緑色したかまいたちがエル達を襲った。エルとオルガは素早くセシリアの前に立ち法術師を庇った。しかし魔族の繰り出した風の凶刃からその身を守ったのは2人の剣士ではなく、最後方に立つ可憐な法術師だった。『玲瓏の木洩れ日』。優しく、美しく、うっすらとエメラルドに光る結界が3人を囲み、魔族の放ったかまいたちから2人の勇者を守るのだった。面食らったのはエルとオルガ。セシリアから何も聞かされることなく、不意に現れた光の障壁が短兵急に襲来するかまいたちを防ぎだしたのだから。法術師はロッドを握る左手を前方に突き出し、右手をロッドに軽く添え、次々と繰り出されるシュクリスの魔刃を寄せ付けない。結界の内側に多少の衝撃は伝わってきたが、直接のダメージはなかった。かまいたちが障壁に触れると、微弱な揺れを残して深緑がエメラルドを侵食していく。けれども直に深緑は、エメラルドによって溶かされるように消滅していった。剣士2人は物珍しそうにその現象を見つめていた。
これは、これは・・・嬉しそうなシュクリス。期待を裏切らない強さ、必死に抗う姿、すぐには壊れない耐久性を心中密かに賞賛しながら、振り切る刀の速度を一段、もう一段と高めていった。その数と威力を増す漆黒の緑。シュクリスの攻撃が儚いエメラルドに発光する防御壁を飲み込まんと猛襲した。セシリアは唇を噛み、顔を歪める。セシリアへの負担増加はエルとオルガにも手に取るように分かった。
「散らすぞ。」オルガが木漏れ日を飛び出す。エルもオルガと反対方向へ走り出す。これに対してシュクリスは、一点集中していた攻撃を三方向へ振り分けた。セシリアの負担は軽減され、散った二人は激しく動き回った。オルガは極力攻撃を躱そうとはするものの、かまいたちのスピードに対応できず大剣を盾にして攻撃を弾く。それでも時折、避けきれない風刃が四肢を掠めていった。エルは駆け回り飛び回り、どうにかシュクリスの背後を取れないか機会を伺いながら、幾許かのゆとりを持ってかまいたちをかわし続けた。
周りの石壁は至る所が毀れ、石塊が飛び散っていた。セシリアはぐっと堪え、エルとオルガは律動的な撹乱から反撃を試みていた。シュクリスの攻撃は正確かつ適切。固守のみ、反撃の余力がセシリアには無いとみるや女への攻撃の手を緩め、その分を動き回る小バエ2匹に回すのだった。法力・体力の尽きるのが先か、攻め疲れが先か、膠着状態が続く。表情を強ばらせる3人に対して、顔にも動作にも余裕のあるシュクリス。いつまで我慢が続くのか、限界地点はどこなのか、誰から脱落していくのか、1人が落ちた時他の2人はどんな行動をとるのか、その結果誰から死んでいくのか。シュクリスは筋書きの見えない人間の忍苦を物語るストーリーに快楽を感じていた。
言葉を交わすために費やされる時間、停滞する時流、共有されてしまう空間。戦いの最中に言葉の不便が身に染みることは多い。いつの頃からかエルとオルガはアイコンタクト、いわゆる目配せ、もっと言えば視線を交差するだけで互いの意思疎通を可能にしていた。詳細まで綿密にとまではいかないが、共に戦いを重ねる中で個々のレベルアップのみならず、連携にも成長が見られた。それがこの均衡を打破するきっかけを導く。『地祇 滑翔風舞』。エルの手から離れた細剣が一直線にシュクリスへ向かう。遠距離攻撃を継続するシュクリスの背後を、死角を取ったその瞬間に迷わず、剣から手を離す一撃を放ったエル。背中越しの攻撃にシュクリスの反応が遅れる。それでも、エルのリスクを伴った秘技をかろうじて避けた。身体のど真ん中を狙って投じられたレイピアは、シュクリスの脇腹を掠めて通り抜けていった。その先にはオルガ。速度と貫通性能に優れた一投をオルガも躱す、と同時に細剣を追いかけ、石壁に突き刺さったレイピアをすぐさま手に取り、合流したエルに剣を手渡した。騒がしい魔族の攻撃は中断し、揃った2人がシュクリスを見遣ると、プスッという音と共に少量の鮮血が飛び散った。しかしシュクリスは傷に手を当てることも目で見て確認することもなかった。その顔は無表情。黒い軽装鎧の一部が欠落し、その周辺は濃紺に変色している。一息つくか・・・ふと天井を見上げると、傷口を激しく照らす数々のスポットライト。否、セシリアの法術が発動されていた。
「フレイム・オーケストラ。」火球達がシュクリスを取り囲んだ。場内を貫く叫び声と共に火の玉が次々と魔族を強襲する。爆音と爆発、爆炎が止まない。百に迫る決死の炎撃が下され続けた。エルとオルガは目を凝らす。内側の状況は籠る白煙に塞がれて伺い知ることはできないが、煙に穴があくまで見つめるしかなかった。やがて数十秒間の焔が収まり幕が上がる。相応の法力を使ったセシリアは肩で息をし、エルとオルガは改めて剣を構えた。直撃はしたはず、手応えはあった。いくら魔族といえど、あれだけの攻撃をまともに受けたら-開幕と共に提示される解答。それは仄暗く鈍光を放ってシュクリスを包み込む障壁だった。
「バリアー・・・」そう、障壁、バリアー、結界は人間の専売特許等という甘い考えがどこかに潜んでいたのではないか。無傷、無害、無益、それこそが叩きつけられた答えだった。それでもシュクリスに休む暇を与えない。飛び上がり、天井を蹴り魔族に対して急降下するはオルガ。‘the lightning to a mole’。目標に向かう姿はさながら大気圏を驀進する宇宙戦艦か。輝きを纏うオルガ。城中が震撼する勢いで大剣を振り下ろすオルガ。長剣で受けるシュクリス。そのか弱くほっそりとした剣の抵抗により、オルガの降下はあっさりと停止する。それでもエネルギーをその身に宿して剣を振り切らんとするオルガ。力が入る。オルガの雄叫びが響き渡る。グガガガアアアァアア・・・だがしかし、その声量と反比例して小さくなるオルガのエネルギー。そして、消失。淡白なまでにあっさりと剣を振り切ったのはシュクリスだった。ぶっ飛ばされ転倒するオルガ。ダメージは無く、即座に片膝をついてシュクリスを睨みつけるが、力負けという現実を思い知らされた瞬間だった。
間合いが一旦広がり、オルガを遠めに見下ろすシュクリス。他2人の人間にも届く声量で魔族が口を開いた。
「人間離れしたスピード、人並みならぬパワー、そして法術-」エル、オルガ、セシリアの順にいちいち指を差しながらシュクリスは演説を進めた。
「見事、実に見事。正直、ここまで楽しめるとは思わなんだ。ただしここまでだな。諸君の限界だ。所詮人非ざる者、人成らざる者には及ばないのだよ。魔族と人間の歴然たる格差、人間族のこの上ない脆弱さを噛み締めつつ、そろそろ死ぬがいい・・・ククク・・・フハハハハ・・・」最後は堪えていた笑いを吐き出し、吹き出したシュクリス。一通り感情が落ち着くと長剣を構え直す。やはり長い。分かっていたことだが、今改めて魔族の手にする魔刃の脅威を痛感させられる。それでもなお、無理矢理に先手を取ったのはエルだった。
エルの両踝(くるぶし)に風の塊が現れると同時に床面を蹴出す。「朔風の足袋」。素早いエルの移動速度が更に上昇する。両足首の風を切る風技はさながら翼の形状を醸し出していた。そのスピードに身を任せて、エルは体ごとレイピアを突いた。翻り避けるシュクリス。顔に笑みは無し。手応えないままにシュクリスを通過したエルはすぐさま方向を転換して体当たりにも近い攻撃を続けた。参度、肆度・・・繰り返し、繰り返しシュクリスを襲撃した。エルが反転する度に床石は飛散し、次の瞬間にはシュクリスに向けてレイピアを突き出していた。速い、間違いなく速いのだ。そしてその速度を駆使した連続攻撃。それでもシュクリスの肉体を貫くことはできなかった。魔族を傷つけることはできなかった。躱されるか長剣で弾かれるか。ただしシュクリスも反撃できずにいた。
エルはシュクリスの変化に気付いていただろうか。顔から余裕は消え、反応が遅れ始め、微かに後退りしていた足運びを。攻勢だったのはエルではなかったか。シュクリスに誘い込むだけのゆとりがあったとは思えない。もしくはエルの両足、体力、肉体もギリギリの状態だったのか。とにかくエルの心は、彼の肉体に冷静沈着な判断を許さなかった。シュクリスに対する憎しみ、激情が、殺意がシュクリスに勝機を与えるのだった。
「玄翁-」何十回目かの突貫にエルは威力と、隙の大きい「玄翁虎狩笛」を選択した。
「抜かったな。」満を持してシュクリスが踏み込み、剣を握りを改める。一振りに纏うは八ッの太刀筋。2人が交わり、エルの背中から赤い翼が迸った。エルは「朔風の足袋」の勢いそのままに壁際まで飛んでいき、俯せで倒れ込んだ。対照的にシュクリスは綽然と立ち止まり、構えを解き、振り返った。振り返り、背中から血を流すエルと、長剣に残る温血を確認した。魔族は息こそ切らしているものの、ほぼ無傷と言って良い状態だった。
それでも、いや、それだからこそ、シュクリスに休む間を与えまいとセシリアが法術を仕掛ける。先程同様、セシリアの作り出した火球がシュクリスを包囲した。シュクリスは慌てない。バリアを張り、さぁどうぞ、法術師へ視線を遣るのだった。再び生み出された微笑と共に。
「フレイム・オーケストラ・ダ・カーポ!」セシリアの声に呼応して火球が分裂する。火の玉がその数を倍増させた。火球の変化を認識したシュクリスは顔を覆う形で腕を交差させて、防御姿勢をとる。お願い、効いて。セシリアの祈りを込めた爆炎が、再度城内の一部屋に充満していった。傷付いたエルも起き上がり、炎と煙の中に目を凝らす。瞬時に急所は避けたのか、エルの傷は動けない程ではなかった。爆音が木霊する。ビリビリと振動が伝わってくる。煙で視野は狭まり、目が染みる。煙に目を冒されながらも、セシリアは手応えを感じていた。悪くはない感触。確かに火球の多くはシュクリスの障壁に阻まれているようだ。しかしながら直撃した感覚もある。呼吸を乱す法術師が抱く期待。望みは魔族の撃破であり、この攻撃の暁には丸焦げになったシュクリスが寝そべっていて欲しい。半分以上の火球は打ち尽くした。残りおよそ1/3、もう法力はほとんど残っていない。打ち切ったら自分にはもう何もできない。いけるか。そんな時に煙の中で何かが光った。そう感じた次の瞬間には、シュクリスから放たれた閃光がセシリアを補足していた。 煙の影で何かが光ったのをセシリアは察知した。彼女は瞬間的に、シュクリスの身につけている装飾品でも燃えたのかと即断した。それが誤りであったと文字通り痛感するセシリア。些細な光はナイフに近い小刀。シュクリスが風の魔力を用いて具現化したもの。それを煙の中から飛ばし、セシリアの左肩を貫通、そのまま勢いを失わずに壁まで直進してぶつかると溶けるようにして消えた。セシリアは声を上げることもできずに両膝を床につき、右手で左肩を抑えながら項垂れた。痛みと悔しさに涙が浮かぶ。法力が失われる。まだ相当数残っていた火の玉から輝きが引いていく。空中からシュクリスを狙い定めていた火球たちは白く、儚く、弱々しく床面に落下、消滅していった。シュクリスの周囲から次第に解ける炎と煙。姿を顕にする魔族。目の異様な輝きは失われていない。それどころか怒りが増し、殺意に覆われ、憎悪に溢れていた。一方で障壁は欠け、ひび割れ、鈍光は薄まっていた。頭髪の一部は炎によって焼け焦げ、軽装鎧の左肩口は破損、呼吸も乱れている。それでも、無色で降り注ぐ炎だった球形状の物体に包まれながら、シュクリスは愚たる人間を睨めつけていた。ボトリ・クトリと培養スライムが溶けるが如く降下する、色と力を失った炎球。全てが落下し終えた時にまず1人、手始めに女を粉々になるまで切り刻んでくれる。血の一滴まで粉々にしてな。その後とにデカ物、最後に餓鬼。それで終いだ。
突如、1つの炎に光が蘇生した。力強い輝きを放ちながらシュクリス目掛けて急降下していく。セシリアの態勢は変わらず、戦意を喪失したまま。息を吹き返した焔、否、それは再度攻撃を試みるオルガだった。
‘the lightning to a mole -’そのエネルギーにシュクリスは頭上を見上げ、慌てることなく長剣で迎え撃つ。激突再び。オルガの余力と感情の全てが大剣に注ぎ込まれていた。それを正面から受け止めるシュクリスの長剣。敵ながら堂々と、相手の秘技を受けきっていた。若干、魔族の足下が床面に沈み込む。力が入る、しかし程無く、仕掛けるオルガ-受け立つシュクリスという構図が崩れ散った。既に色を失ったセシリアの炎球は全て落下し尽くしてしまったが、輝きを放っていたオルガの一撃もまた終幕の時が近付いていた。オルガの顔はより厳しく、シュクリスの表情には余裕が生まれていた。オルガは剣を振り下ろすことができない。シュクリスがその長剣でしかと受けきった。グルアアァァァァ・・・唸りとも嗚咽ともとれる雄叫びを発するオルガを黙して受容するシュクリス。到頭、希望を宿したオルガの一撃もその色を無くす。まるでシュクリスに、魔族の長剣に、渾身のエネルギーが吸収されるかの様にオルガの光輝は尽きてしまった。一部始終を見つめるエル、顔を上げられないセシリア。シュクリスの目は見開き、白い歯と真紅の歯茎が
零れる。順番が変わってしまったが、まぁ良い。
「黄泉の客となれ、人間。」
‘- twist!’オルガが手首を返した。オルガの大剣に光が宿り、一瞬で周囲の輝きが蘇った。同時にシュクリスを押し潰す。その一振りはシュクリスの抵抗を全く許さなかった。今回抜かったのは人間ではなく魔族。この戦い、幾度目かの油断。オルガの一撃は長剣ごとシュクリスの体に圧力を掛け、床面を突き崩し、豪音と共に2人揃って階下へ落下していった。
静かな時が流れる。眼下には1階へ続く縦穴がその威力を物語っていた。その生々しい出来たての穴を中心に、エルとセシリアには恐怖に内蔵を抉られるほどの静寂が流れ込んでいた。下階では何が起こっているのか。戦いは終わったのか。シュクリスは上がってこない。そしてオルガも。覗く度胸がないのか体力が残っていないのか、2人の待ち人は動くことができなかった。五感を研ぎ澄ませてやや遠目から穴を見つめ続ける。少し経って、まずは物音に感応する聴力。砂利、石ころの動く音が馬鹿な位に大きく聴こえた。続いて短く歯切れの良い音。地面を蹴った?一呼吸置いて縦穴の縁に指が引っ掛けられる。五感の主役は聴覚から視覚へとバトンパスが成された。
「よっこいせ・・・と。」待ち人は緊張を解き、大きく息を吐き出した。オルガも2階へ昇りきると同じく息をついた。再び静かな一時が訪れる。けれども今は、不安や恐怖とは無縁で愁眉を開いていた。シュクリス、討伐!
「やったのね。」左肩の傷を法術で癒し終えたセシリアがオルガに近付いた。ああ、と答える代わりにオルガは魔導石をセシリアの目に届かせた。『魔空風陣の魔導石』。流石は支配者クラスの魔族だけあってそれなりに名の知れた魔導石であること、風の属性を持っているからエルが装備したらきっとレベルアップできること、もしも店に売るのなら私が高値で売却してみせる。そんなセシリアをオルガが優しく、幼児を扱う位に優しく、忍び音で名を読んで注意した。
エルにとって憎しみの対象であった魔族シュクリス。そいつの躰から出てきた魔導石を装填するなんてとんでもない。セシリアは浮かれていたことを反省し、珍しく素直にゴメンとエルに詫びた。セシリアの一言と偶然に重なって放たれたエルを呼ぶオルガの声。エルはオルガに呼応していた。何故ならば、同時に魔導石が放られていたから。オルガの開けた穴を二等辺三角形に囲んで座っていた3人。穴の上を横切って魔導石を放り投げるオルガ。エルは石を受け取り暫く見つめていた。エルが何を思っていたのかは定かでない。定かではなかったが、感情に反応して魔導石が光ることはなかった。石を受け取り、2人に背を向けるエル。2人の視線が集まる。よっ・・・と。エルが魔導石を頭上に投げ上げた。ゆっくりと舞い上がり頂きにて静止、落下を始める直前にレイピアを抜くエル。そして素早く幾度か突いた。魔導石は空中で鮮やかに砕け散り、床の砂利石に混じって消えた。レイピアを納め、1つ軽く息を吐き、振り返るエル。
「帰ろう。」微細な笑みを携えて一言、戦いの終わりを告げる合図だった。オルガとセシリアにも自然と笑顔が戻り、クタクタになった城内の一部屋を後とにするのだった。
エル、やっぱり背中の傷・・・セシリアの問いに当人は平気、大丈夫を繰り返した。セシリアの法力も底を尽きかけてはいたが、血の止まったエルの傷を治す位は残っていた。けれども結局、どういういう訳かエルもセシリアも譲らなかった。
「とりあえずザイアースベルクまで戻ろうや。日が暮れちまったら野宿だぞ。」何をきっかけに始まったか分からぬ押し問答に耐えかねたオルガが提案する。
「あの村じゃ、野宿と変わらないけどね。ちょっとだけはマシなのかな。」セシリアが歩き出し、道が決まった。扉を開けて魔族と一戦交えた戦場を後とにする。セシリアは1階に続く階段をタン・トン跳ねて降りていった。シュクリスを倒してテンションが上がっていたことは間違いないのだが、帰ろう、というエルの言葉が心に響いた。ガレオスという帰る場所のあるオルガ。故郷という帰るべき場所が返ってきたかもしれないエル。けれどもセシリアには帰る場所がない。クルヴィの森は消滅してしまったから。コノアトドウシヨウ。そのことを忘れる為の強がりだった。寂しさを悟られぬ為の哀しき演舞。
エルとオルガが抱く同じ疑念。シュクリスは確かに強かった。独りではとても勝てなかった。そして恐らくはエルの剣の師であったカイツも相当の猛者であったに違いない。当時のエルが足元にも及ばない実力者ということだから。例えシュクリスより劣っていたとしても、エルが離脱するその寸刻のみで勝負が決するだろうか。そこまで大きな実力差があったのだろうか。何か腑に落ちない。そんな気持ちだった。
城を少し離れた頃、正確には離れようとした時か。その魔族が城からの帰還を許さなかった。普段は当たる気配すら皆無の野郎2人の予感が的中した。城の屋根に何かいる。邪気を伴い、明らかな敵意を孕んで。そして強い。シュクリスとは比較にならない。圧倒的。セシリアに戦慄、オルガに諦観、エルに悚然をを与えた。3人が束になっても、ましてや万全ではない傷ついた数名の人間では歯が立たないことは明白だった。
「ネクロス・・・最悪だわ。」クリーチャー・エンサイクロペディアを開くまでもなかった。その言葉の意味を知識として理解しているものが1名、直感的に認識したものが2名。かなり遠めに見ているのに、ネクロスの恐ろしさが手を触れたように伝わってくるのだった。だからこそ、逃走という選択肢がごく当たり前に思い浮かんだ。それが生存の可能性を高められる実行可能な手段。しかしながらその選択肢は突然眼前に現れた、もしくはシュクリスと戦っている時から待ち惚けていたネクロスによってサラサラと掻き消された。屋根にいたネクロスが消えたと感じた次の瞬間、魔族は3人の鼻先に現れた。
「テレポー・・・」セシリアがたった今起こった現象を口にする事も待たずに、ネクロスの殺気に満ちた覇気によって、3人は後方へ吹っ飛ばされてしまった。
カイツに止めを刺したのはシュクリス。胸を一突き、それでエルの師であり育ての親であるカイツは絶命した。エルがカタコンベへ誘導され、転送装置で村を脱出するまでの僅かな間の出来事だった。ただしカイツに致命傷を-両足を短剣で貫き背中を一刺し-与えたのはネクロスだった。何事かをネクロスから告げられたシュクリスが不本意ながら止めを刺した。その弑逆の瞬間をエルは瞼の裏に焼き付けていた。尤もエルにとってはシュクリスだろうがネクロスだろうが関係ないのだが。ネクロス、その首から下はマントで覆われていた。真っ黒なマントで体中を隠し、その上にトンと乗っかる金色の髑髏(しゃれこうべ)。その他に邪魔な装飾は見られない。これ以上ないまでにシンプルなシルエット。ドクロにマント。これがSランクの魔族として畏れられているネクロスの姿だった。
ネクロスの不可思議な力で飛ばされてから最初に立ち上がったのはエル。背中の傷は癒されぬまま。それでも柔らかな目付きでオルガとセシリアを見つめた。
「ありがとう。一緒に旅ができて楽しかった。」そう言い残して駆け出した。続いてオルガが立ち上がり、セシリアへ願いを込めて言葉を送る。
「逃げろ。できるだけ遠くへ。」するとオルガもエルの背中を追ってネクロスに向かっていった。とり残されたセシリア。独り言が宙を舞う。
「ありがとうって何よ。逃げろって何よ。帰るんでしょう。村が残っているかもしれないんでしょう。ガレオス騎士団はこれから忙しくなるんでしょう。あなた達2人は帰らなくちゃならないんでしょう。」セシリアは立てない。座ったまま、エルとオルガの姿をただぼうっと、焦点を合わせられないまま見送っていた。悪夢とは覚めない現実。夢であって欲しいと願わざるを得ない現実。夢でないと悟らざるを得ない現実のこと。
エルがネクロスに斬りかかる。駆け引きや詐術等ではなく、一直線にネクロスとの距離を縮めた。特別な剣技を繰り出すこともなく、観念したともとれる背中。レイピアを突く。けれどもその時にネクロスの姿は無かった。本当にテレポーテーションなのかもしれない。世の原理原則等とうに吹っ飛んでしまっている。エルの眼前から突如姿を消し、次の瞬間にはエルの背中側に回り込んでいた。ネクロスを目の前にしながら、エルはその移動を補足できなかった。気配だけ、ただ背中に何者かが居るという気配だけは感じ取ることができた。そのネクロスがエルを再び吹き飛ばした。弾かれたエルは最初よりも激しく、遠くまで撥ね飛ばされた。背中の傷が開き、その軌跡には再び赤い翼が華開き、土に消えた。
オルガがエルの背中を追ってネクロスに向かう最中、エルがぶっ飛ばされた。追走していたエルの背中にふとネクロスの姿が現れ、何をしたのかは分からない。分からないが、エルは前方遠くへ吹き飛んでいった。オルガの瞳には、紅く染まったエルの背中が鮮明に刻まれた。しかしネクロスは後ろ姿。オルガにとってチャンスでもあった。まだ間合いには入っていないが、魔族が背中を向けたまま。切り倒すチャンスに大剣を構え、突進するオルガ。しかし間合いを詰めたのはネクロスだった。間合い云々というよりも、気が付いたらオルガの目の前にネクロスが立っていた。いつの間にかマントからナイフが現れる。其処いらの食卓に置かれていそうな小刀。オルガは咄嗟に大剣を顔の前に立てて防御の体勢を取った。その大剣にピンとナイフが触れた。触れるようにそっと当たった。
「シュクリスの奴を殺った大剣か。少々厄介だな-」希望を紡ぐ大剣。絶望を破る大剣。国を守る大剣。仲間を助く大剣。つい今しがた、魔族を撃破した『ガレオスの大剣』。それがあっさり粉々に。それは散り逝く花火か花弁か命の灯陽か。儚く可憐に砕けて逝った。その時、大剣によって遮っていたオルガの視界がネクロスの攻撃によって蘇る。そこに現れたのは黄金の骸骨(どくろ)ネクロス、と、やや遠方で白い閃光を放つ魔族。そう、エルの変身した姿だった。この変化にネクロスは敏感に反応し、オルガを無視して振り返った。
「ほう・・・そういうことか。ナルホド・・・なるほど・・・な。」息継ぎをする魔族。そして
「危険だ・・・危険だぞ!貴様ーーー!!」大声と共にネクロスはエルに近付いていく。警戒しているからなのか瞬間移動ではなく、ゆっくりと歩いて。
10分・・・か。事情を把握しているオルガはエルの身に起こったことを重々承知していた。そして、こうなってしまっては自分の出る幕はない、何の力にもなれないと足を止め、間合いの短縮を見限った。
「どっちにしろ、これじゃあどうしようもねェか。」オルガは刃を粉砕された大剣を強く握り締めたまま、前方の2体の魔族を見つめていた。
オルガの後方20メートルの位置で、未だ座り込んで動くことのできないセシリア。エルとオルガが走り去った時は微動だにできなかった彼女。今は震えを止めることができない。両手で自らの両肘を包むような格好で、混乱する頭を沈めることもままならないまま、ネクロスと、エルであったろう魔族にぼんやりと視線を送っていた。もう逃げることも法術を唱えることも不可能だった。
歩み寄るネクロスをエルが迎え撃つ、かと思われた。警戒を怠らず間合いを詰めるネクロスに対して、感情を剥き出し、豪快に仕掛けるエル。低音の奇声を発しながらレイピアを振り、体術を絡め、空いている左手からは光線も放たれた。戦い方にかつてのエルの面影はなかった。一方のネクロス、守勢に回っているものの簡単には攻撃に当たらない。既の所で見切っていた。マントには幾つも刻まれた痕跡は見られたが、致命傷は回避。また頭部(どくろ)にダメージは無かった。それでもネクロスに余裕は見られない。エルの壮絶な攻撃の前にテレポーテーションもできない。変身前のエルに見られた華麗ともいえる剣技は影を潜め、強引、我武者羅、力任せ。その奮闘する姿は、セシリアには恐怖とともに心強く映ったが、オルガの目には焦心以外の何物でもなかった。
2体の魔族、エルとネクロスの実力差は明らかだった。ランクSの魔族ネクロスを寄せ付けないエル。ネクロスはボロボロになりながら辛うじて逃げ続けていた。ほんの数分前までの威厳や威圧感、強さへの自信と殺戮を嬉々とする魔族ではなくなっていた。反対にエルの方が顔に笑みを浮かべ、狼狽えるネクロスを追い詰める。殺し合いの決着は間近。勝負の行方は誰の目にも明らか。このことは座り込んだままのセシリアにも感知できた。エルの身に何が起こっているかはさっぱり分からなかったが、絶望的な状況からの脱出。3人で変えることができる。帰ることができるのだ。自分はもうその場所を失ってしまったけれども、生きて還ることができる。それが希望の種火だった。
レイピアで突き刺し、左手からの衝撃波で追撃。ネクロスは空中で転がりながらも、地上へ落下しまいとマントの中で両手、両足を踏ん張って耐えた。耐えたのだろうか。マントはボロボロ。布の切れ間から見える骨格、その骨も至る箇所が砕けていた。元々なのか、エルの攻撃によるものなのか。そして金色の頭骨は左半分が消滅。そこから黒い煙がモヤモヤと漂っていた。両者が一時的に動きを止める。2人共に動かない。オルガも両腕を組んだまま微動だにせず。セシリアは石のように硬直。この四者の内、1番初めに動いたのはネクロスだった。逃走はしない。何かを叫びながらエルの目の前にテレポーテーション。その右手にはエネルギーの塊が握られていた。次の瞬間、エネルギーを解き放ったのはエル。モフッという音を残して、ネクロスが須臾に消え去った。
八百と五十秒・・・か。どうかな。オルガがカウントを止める。ネクロスの消滅を確認し、地上へ降下するエル。容姿は魔族のまま。人間の姿には戻っていない。じっとオルガを見ている。オルガもエルから目を逸らさない。そしてセシリア。セシリアにも大体のことが理解でき始めていた。そしてこの後と、何が起こるのかも何とは無しに、予期できてしまっていた。エルが人間の姿に戻らない、戻れない。オルガをオルガとして認知できていない。エルはオルガを、一体の獲物として品定めをしているのだ。果たして、その品定めが終わったのだろうか。エルがオルガに向かって歩き出す、歩き出したかと思うとその足は駆け足に変わっていた。オルガに武器はない。逃げたり防いだりする素振りも見せない。彼はただ、両手を大きく広げてエルを待ち構えていた。
「ダメーーーーーーーーー!!!」セシリアの絶叫は空しく空に響き渡った。大きく頼り甲斐のある背中は、両手を開くと一層引き締まった。その背中越しに見える白き光はエルのもの。セシリアはオルガの背中から目が離せない。瞬きすら許されないと束縛された挙句に、祈りも願いも届かない。その証に、オルガの背中から細剣が生み出された。赤い液体が噴出し、あっという間に頼もしい背中を溶かしてしまった。その色彩は悪魔の宣告で、嫌な予感が現実のものとなったこと、何が目の前で起きているのかを全て理解させる。従って残されたものは、寂滅か。魔族のままのエルはオルガを一突き。レイピアは躊躇いなくオルガを貫通していた。
オルガは倒れない。そして大の字に広げた両腕を力強く戻してエルの両肩を掴んだ。深く息を吸い、怪しく鋭い目色のエルに至近距離で、オルガが決死の声を上げた。
「帰って来い!!エル!!!」日が暮れ始める中、不気味に浮かび上がる真新しい城。オルガの一声が通り過ぎると、静寂が吹き流れた。エルの動きは止まったまま。オルガに細剣が刺さったまま。セシリアは居竦まったまま。そんな中、黄昏に拍車を掛ける様にエルから光が失せる。翼も邪気も。残されたのは戸惑う思考と、オルガを串刺したという現実と、人間の姿。
「よう、帰ってきたか。」そう言うとオルガは前のめりに倒れていった。エルは立ち尽くし、倒れるオルガを支えることもできなかった。
「どいて!」セシリアも自らの硬直を解き放ち、棒立ちのエルを押し退けてオルガに治癒の法術を唱える。ある程度出血が止まったのを確認してから両手で、尻餅をつきながらレイピアを抜く。返り血を浴びるも、すぐに法術を続けた。深手の為に時間がかかってしまう。セシリアの息が乱れ始める。法力がゼロになりそうだ。オルガは静かに目を瞑っているが、意識はあるようだ。エルは何もできない。ただ突っ立っているだけだった。押し黙って治療を見つめていた。最低限度傷口が塞がるとオルガが半身を起こし、片手を少し上げて合図をする。セシリアが驚き困った表情で寝かせようとするが構わない。エルも何か声を掛けようとするも、オルガが遮った。オルガが立ち上がる。セシリアは座り込んだまま。そして声を上げて泣き出した。我慢することなく、小さい子供同様しばしばしゃくり上げながら。お願い、独りにしないで。心の声をエルとオルガに届けることはなかったが、涙を堪えることはできなかった。エルとオルガは顔を見合わせ微笑みを交わす。オルガは立ち上がり、その大きな掌でセシリアの頭を撫でるのだった。
人間三名生存。
~ シュクリス
- 魔族
- ランク:A ~
数々の魔獣を支配下に治められる程の実力者。長い銀色の髪が特徴的な人型の魔族で、身の丈ほどもある長剣を扱い、風の属性を宿し、あらゆるものを切り刻むという。武士道精神を重んじるというわけではないが、強い相手と正面からぶつかり、殺すことにこの上ない快感を覚えるようで、無用な大量虐殺を進んで行うことは少ない。殺戮を好むというよりは戦闘、純粋に剣を交えることを欲し、強き者、自身が本気を出して戦える相手、耐久性のある敵、しぶとく壊れない対象を日々探し求めている。また、その住処は有名。
~ クルヴィの杖
- 蛍火の魔導石
- 玲瓏(れいろう)の木漏れ日 ~
町や村などで目にする結界の縮小版。森を属性とする個人用の障壁である。「木漏れ日」という優し気な名とは裏腹に強力な防壁能力を秘めた法術で、加えて消費法力も比較的少量で済む為、長時間の詠唱も可能である。ただし「玲瓏の木漏れ日」を唱えている最中に別の法術を発動することはできない。つまり結界を張りながらは反撃に転じることができないというのが、この法術の唯一の欠点と言える。
~ ドラグヴェンデル:戦針
- 蒼き秋風の魔導石
- 朔風(さくふう)の足袋 ~
風の力を利用した加速装置。移動に、攻撃に、回避にと、戦闘において重要なウェイトを占めるスピードを飛躍的に高める技。ただしエルは法術が使えるわけではなく、細剣を手放した状態では「朔風の足袋」を発動することはできない。ただし「朔風の足袋」を発動しながらほかの剣技を発動することは可能である。
~ ネクロス
- 魔族
- ランク:S ~
謎多き魔族。全身をマントで覆い、ドクロの頭部だけが不気味な金色を彩る。シュクリスを支配下に置くことからも、相当の実力者であることは分かるのだが・・・
ゆっくりと帰路に就くエル、オルガ、セシリア。ザイアースベルクに着いた時には既に夜中。当然街灯など無いし、人っ子独りいない。荒廃した姿のまま。それでも贅沢は言っていられない。朝までザイアースベルクで体を休め、グラーツ城へ向かった。途中で魔獣とも遭遇したが、その殆どをエルが単独で遇った。もちろん人間の姿のままで。それ以外は何事もなく、また3人ほとんど会話もなくグラーツに到着した。ここで体力を回復、オルガを完治させ、できれば新しい武器の調達をと考えていたのだが。
ガレオスからの使者を名乗る者達がオルガの前に現れた。正確には通り過ぎた。実は密使だったそうなのだが、オルガの前を横切ったのが運の尽きだった。よぅ、と肩を叩かれた使者は飛び上がって喫驚していた。その後はオルガが話をまとめて、三頭立ての馬車にてガレオスへ送迎してもらえることになった。密使という割には随分と豪華というか、目立つというか、もしかしたら戦闘用なのか、実に速く快適な家路だった。ただしここでも、3人の間で会話はほとんど成されなかった。何故だろうか。恐怖が未だ心を心を支配しているのか、別れの近いことを知っているのか、得体の知れない未来(これから)に不安を覚えているのか。ともあれ、3人は無事ガレオスに帰還した。
オルガに招かれ場内へ連れて行かれる2人。それはオルガが騎士団長であり、挨拶とグラーツとの交易再開を報告する為だと思っていたが、ガレオス国王の登場によってまた別の、新しい歯車が回り出した。全てが元に戻り、終幕という新しい船出が始まるのだった。これはその序章といった所だろうか。
「兄上!」国王が一声。
「先代!」大臣と思しきものが続いた。場内で呼び掛ける大声。これによってオルガの正体が粗方バレてしまった。馬鹿、その呼び方はやめろと止めに入るも、時既に遅し。ここから暫くの間、現国王である弟のアルバと、今は弟に使える大臣ヨンレンの攻勢にタジタジになるオルガだった。2人はオルガの困惑を気にする様子もなく、現騎士団長である先代国王が帰還したことに対する労いは言葉にせず、質問をぶつけ説教を垂れて、オルガの生還を喜んだ。
「兄上、あの手紙は一体何ですか。」オルガの弟であり、現ガレオス国王のアルバ。兄とは違って小柄でほっそりとした、オルガよりも一回り近く若いのではないか、見た目は童顔で可愛らしい国王だった。オルガから手紙を受けて以来、グラーツとの交易再開に汗を流し、早くもガレオスの提供するモノ、グラーツが供給するモノの仕組みを形にし始めていた。武闘派のオルガとは対照的に頭脳派のアルバ。
「文字は汚い、内容は曖昧。どうせグラーツ城も突然訪問したのでしょう。全く、二度手間、三度手間をかけさせないで下さい。そもそも騎士団長がフラフラと・・・」エルとセシリアは、兄と弟の力関係を傍から思い知っていた。そして、再会を心から喜んでいることも。
「長旅でお疲れでしょう。すぐにお部屋をご用意致します。お食事も是非、こちらでお召し上がり下さい。」齢五〇のヨンレン。正装した姿に直立不動。その礼儀正しさに得られる安心感、常識という名の安定感にエルとセシリアが安堵したのは、束の間だった。
「さて、先代・・・」ヨンレンが歩み寄る。ング・・・オルガの顔が歪んだ。
「城を離れる際は連絡を小忠実(こまめ)にといつも申し上げているはず。それと危険に身を置かれる時はお独りでどうぞと。それをこのようにお若い方まで巻き込んで。どうやら大切な刀も亡くされた御様子。あなたはいつもいつもほかの方々に迷惑を掛けっ放し。反省という言葉をご存知ないのですか。猿以下ですよ、本当に。城下町の子供達の方が全くもって聞き分けがありますぞ。図体ばかり大きくなって、脳ミソはどこかに置いてきてしまいましたか。仮にも一騎士団長である貴方が・・・(以下省略)」
長かった。死ぬかと思ったぜ。オルガが幼少の頃から世話になっている大臣だそうで、エルとセシリアはオルガが反論もできず小さくなっているのを初めて見た。ただ最後の、ご無事で何より、という一言にヨンレンの実直な思いが込められていた。
その晩の食事。天井が高く、不便を感じさせるまでに広いダイニングルーム。純白のテーブルクロスの上に、給仕達が次々と料理を運んできた。その料理を淡々と片付けていくオルガ。非常に上品な振る舞いと済まし顔で。普段の彼の素行からは考えられない。エルとセシリアも見様見真似で奮闘するが、どうも上手くいかない。ヨンレンは、ご無理なさらずどうかお気軽にとフォローしてくれたが、こんな豪勢な食事、ましてや格調高い晩餐は2人共初めてだった。濃紫のお酒も出されたりと慣れない中に緊張感は持ってしまったが、相応しいトーンでの閑談も弾む和やかな食事会となった。
美味には違いなかったが、量は少なめだった。あくまでセシリアにとってのそれだが。その後は各人部屋に案内され、静かに夜を過ごすことになるのだった。明日からどうしよう。どこへ行こう。エルとオルガの2人と一緒にいる時はそんな不安が付き纏うことはなかったが、孤独は未来への心掛りを顕著にした。こんな夜はさっさと寝てしまおうと横になった時、ベッドから妙な音が聞こえてきた。グル・ゴロ・グル・ゴロと小さな台車を転がす様な。ん、ベッドからじゃない。その低音は廊下からだった。そしてセシリアの部屋の前で止まった。続いて扉が優しくノックされ、ノックされたまでは良いのだが、セシリアが応答するより早く乱暴に蹴り開けられた。体を起こすセシリア。そこには台車一杯に食べ物、果物を積んできたオルガとエル。ちなみにオルガは酒瓶を6本抱えていた。
久々に楽しい夜だった。騒がしい夜だった。笑いの絶えない夜だった。体裁を気にしないで好きなだけ頬張り、喉を鳴らして酒を飲み、肩を組み、指をさし、夜半まで思い出に耽った。騒音は城内に響き渡り、アルバやヨンレンにも笑顔を送り届けた。短く深い一夜だった。そして・・・
翌日、エルはガレオスを出発した。もちろん故郷を目指して。見送るオルガとセシリア。特に別れの言葉はない。じゃぁ、ここで。エルの残したこの言葉が最後の片言になるかと思われた。ガレオスの平穏な日常が流れる中、それを許さなかったのはオルガだった。エルが歩き出してすぐ、
「1年後。1年後もし、また一緒に旅ができるのならば、ここに戻って来ねェか!」振り返り、エルは頷いた。そして独り、家路に就くのだった。
オルガはセシリアに有無も言わせなかった。既にヨンレンに話をつけ、ガレオス城内の一室をセシリアの研究室として用意させていた。魔導石の研究の為にかつてスタヴが使っていた部屋を。城内の地理等さっぱり把握していないセシリアに、ここだぞと言い放った後と、城下町へ連れ立った。ここがお前の家だと。困惑するセシリアにオルガは、城と街の生活にはゆっくりと慣れていけば良い、とだけ伝えた。セシリアの全く新しい生活が始まるのだった。
ここでエル、オルガ、セシリアの冒険が1つの区切りを迎える。其々の1年を過ごし、再び集うまで。その後また、石を巡る物語は廻り出す。
【石物語 第一部 終】
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