持たざる国の騎士団長
翌朝、オルガは食事を済ませるとさっさと仕度を始めた。エルも反応して準備を進めるが、セシリアは動けなかった。疲労が抜けず、朝食もとらず自室でひたすらに眠り込んでいた。元より荷物の少ないエルとオルガではあるが、必要最低限の装備と道具を持って宿を発った。目的地は魔獣に覆われたガルネード鉱山。ここで採掘されていたガルネード鉱石は比較的安価で取引され、流通量は多かった。武器や防具、装飾品と幅広く活用され、グラーツ近辺では馴染みのある資源の1つだった。王国の財政にも潤いを与え、急速な経済成長を支える主要な原資材、それがガルネード鉱石だった。しかし近年は魔獣が巣食い始め、瞬く間にグラーツでは手に負えなくなってしまった。今では人の出入りが見られない、閉ざされた領域と化していた。それでも依然としてグラーツの領土。可能性を秘めた鉱山を手放すことなくいつしか魔獣が離れれば再び有益な土地へ転化する。その時を待ち望んでいた。
「改めて見ると、宝の山だな。」セシリアみたいだね、とエルにからかわれながらガルネード鉱山を進むオルガ。エルに詳細はわからなかったが、恐らくはオルガの見立て通りこの洞窟内はお宝が一杯ということになるのだろう。エルにとって明らかだったのは沢山の魔獣が巣食っていることだけ。そしてこの、ガルネード鉱山に彷徨く外敵を蹴散らすことが目的ということだった。がルネード鉱石を安全に採掘するには魔獣が大きな阻害要因であること、その阻害要因を除去することでどこかしらヘ果実が流れるのだろう。ただし、その果実がオルガに流れるとは考えにくかった。低級のスライム、ウルフ、翼種目系の魔獣は数が多いだけで、エルとオルガの敵ではなかった。魔獣達は力の差を認識し始めると、次第に2人へ戦いを挑まなくなった。鉱山内の敵を全滅させることが目的かとエルは考えていたが、戸惑う魔獣に対してオルガから仕掛けることはなかった。エルもそれに倣って最低限の戦闘で済ませていく。時折オルガは手近なガルネード鉱石を手に取り何かを確かめるように覗き込むと、フムと納得して投げ捨てた。投げ捨てられた鉱石がカチャリと音を奏でると、周囲の魔獣の視線が一斉に2人を取り囲むのだが、2人は気にしない。エルとオルガが意識を手向ける先、それは、最深部に居着いている、厄介な気配を纏っている魔獣。その辺を屯している雑魚とは明確に異なる輩。そいつがガルネード鉱山の今の主なのだろう。
偶然と言うべきか、運命の悪戯と言うべきか。随分と性質(たち)の悪いものではあるが、実はこういった偶然は人が考えている以上にしばしば生じている。最深部で不穏な邪気を放っていたのは『ブラッドソード』。クリーチャー・エンサイクロペディアのランクはC。それが3体。形状は三日月刀なので昨夜エルとオルガが弔ったレイピアとは似ても似つかないが、
「皮肉なもんだな、昨日の今日とはな。」そんな気配りの感じられないオルガの一言。エルは問題ないと笑った。戦闘意欲に問題のないことは正直な所だったが、昨夜オルガが自分を追い、同席してくれたことに心底ほっとしていた。そうでなければ確かにオルガの懸念通り、何かしらの問題が生じていたかもしれない。ガルネード鉱山をグラーツが取り戻せない理由がはっきりし、倒すべき敵が明確になった。エルとオルガは各々武器を構え、ブラッドソードに立ち向かっていった。
最新部の溜まり場。地べたに捨てられているようなブラッドソード。2人を認識すると3体のブラッドソードがユルリと浮かび上がり、フワリ・フワリと宙を舞う。エルとオルガはブラッドソードに向かっていた足をピタリと止め、構えたまま間合いは詰めない。周囲の魔獣達は依然闘争心を失ったまま。戦いの行く末に視線を向けてはいるものの、殺気は発していない。動くことの無い鼓動が続いた。初めは鍔が競り合うまでに近付いて浮遊していた3体の距離が徐々に開いていった。エルとオルガを中心に三角を描いて取り囲む。自然と背中を合わせる2人。呼吸音が大きい。それに併せて僅かに上下動する身体の揺れも大きく感じられる。その振動がピタリと止まった。ブラッドソード達が空中で静止した。静止した鼓動は更に停止を見せる。息が止まり緊張の糸が張り詰める。動くのは眼球のみか。ふと一匹のウルフの前脚がカツリと小石を鳴らした。この小さな轟音によって、堰を切って空気が流れ出した。ブラッドソードの攻撃方法は体当たり。その名の如く薄気味悪い赤色をした三日月刀の襲撃を、エルとオルガは共に刀で受け止める。鉱山内には連続した金属音が鳴り響き、加速するブラッドソードをエルとオルガが弾き返す。テンポを上げ攻勢に出るブラッドソード。2人は守りに徹しているのか、それとも攻防一体か。攻撃も含めているのならば、果たして効いているのかどうか。数分間は迷いを撒き散らしながらの戦闘となったが、エルの一撃で戦況は一変した。『天蚕糸(てぐす) 縢(かがり)』。助走、加速をつけてより強力な一発をエルに見舞おうと、攻防の最中距離を置いたブラッドソードが空中で停止する。隙をついたエルの妙技が決まる。さらにその隙を見逃さなかったオルガ。まるでエルと打ち合わせていたかの身のこなし。目の前の、自分が相手にしていた魔獣を無視して、動きの止まった相手に向かって豪快に上段から大剣を振り下ろし、ブラッドソードを地面に叩きつけた。三日月刀は砕け、気色悪い赤色が失われた。だが、それまでオルガを相手にしていたブラッドソードが背後から猛スピードで迫り来る。それを弾き返したのはエルだった。手応えを感じるエルとオルガ。残り2体のブラッドソードはエルとオルガから距離をとり、魔獣同士は再び鍔がぶつかるまでに距離を縮めていた。
2体のブラッドソードはまた少しずつ互いの距離を離すだろう。それが攻撃の合図。もう見切れない動きではない。さぁ、早く動き出せ。攻撃して来い。そんな思惑をブラッドソードが見事に裏切った。石飛礫ならぬ鉄飛礫。片手で握り隠せる位の小さな塊をこれでもかと無数に飛ばしてきた。
「イテッ、ぐわ、何だ、クソッ、コラッ!」オルガが文句を零しながらガードに専念する。エルも同様。しかしダメージは避けられない。飛来する鉄屑の種類は2つ。打撃を与える為のものと、よく研がれたもの。致命傷とまではいかないが、敵との間合いを詰めるどころか、敵をしっかり見定めることも難しい。エルとオルガには打撃と切り傷が次々と刻まれていった。2体のブラッドソードによる猛攻にジリジリと退るエルとオルガ。その様子を見て周囲の魔獣共は殺気を帯び始める。ブラッドソードによる猛攻が鳴り止んだら一斉に飛び掛ってくるだろ。万全の状態であれば容易に排除できるものの、ダメージを負った状態では苦戦するかもしれない。それをブラッドソードが高みの見物をしている姿を思い浮かべるとムカッ腹が立つ。それならばと、動き回ることで鉄飛礫を躱そうとタイミングを伺うエルに、オルガが声を掛けた。
エルがオルガの背後に隠れる。体の大きなオルガの後ろに回ったことで、エルに向けられていた鉄飛礫のほぼ全てがオルガへと飛んでいく。それでもオルガはゆっくりと一歩ずつ、ブラッドソードとの間合いを詰めていった。ブラッドソード2体による集中攻撃。飛礫の数はそれまでのおよそ倍、鉄屑同士で衝突、弾ける物もあったが、その多くがオルガに向かって強襲する。攻撃に重みが出て顔を歪めるオルガだったが、後退することはなかった。ジリジリ、ユルリじっくりと、徐々に少しずつ間合いを詰めるオルガ。傷は確実に刻まれ続け、皮膚に沈み込む塊も見られた。それでもオルガの目の光は失われず、気迫は嵩を増していた。呼吸音は次第に荒く大きく、肩で息をして身体は拍子をとっていた。それでも先に音を上げたのはブラッドソードだった。詰められた間合いを嫌がるように一体のブラッドソードが天井近くまで急上昇。攻撃の手を休めて離脱した。それをオルガの背中越しに見逃さないエル。鋭い反射神経、瞬発力と集中力。エルの攻撃を受けるまでブラッドソードはその接近に気付かなかった。それ程までに、オルガの気迫は鬼気迫るものがあった。エルの出足は鋭かった。
結果、不意打ちという形でエルが攻撃を仕掛ける。瞬きする間に16発。寸分違わず同じ一点にドラグヴェンデルを突き刺した。16発目の一刺しがブラッドソードを貫通、三日月刀は色を失い地面へと落下した。残るブラッドソードは一太刀。周囲の魔獣からは明らかに殺気が削げていく。いつの間にやら鉄礫は止み、オルガとの間合いが詰まっていた。摺足でさらに距離を縮めるオルガ。鬼の様な目力で凝視され、金縛りを喰らったかの如く動けないブラッドソード。オルガの間合いには達していた。しかし動かないオルガ。剣を振り下ろさないオルガ。鉱山内の時間が止まる。刹那、空より細剣が降下した。最後のブラッドソードを撃破したエルの放ったドラグヴェンデルだった。『地祇(ちぎ) 滑翔風舞(かっしょうふうぶ)』。
「剣を手放すからあまり使いたくない技なんだけど。」放ったレイピアを追って着地したエルが呟いた。
「フフフ・・・そうだな。だが助かったぜ。正直剣を振るうのはちとしんどかった。」そう言うとオルガはガシャリと音を立てて、珍しく大剣の重さに負けて、重力の導くままに剣を下ろした。ブラッドソードの鉄屑は数発、オルガの太い右腕深くに食い込み、1発は貫通していた。それでもフンッと力を込めると溜まっていた弾丸が表に吐き出された。オルガは血塗れの鉄屑の隣に落ちていたガルネード鉱石を1つ手に取ると、来た道を戻り始めた。
二人共に歩けない程ではなかったが、特にエルの傷はオルガと比較して程度の軽いものではあったが、道には不定の感覚で鮮血が滴り落ちては土に吸収されていった。途中で魔獣に襲われなかったのは幸運だった。往路の2倍以上の時間を要した復路、エルとオルガは宿へとようやく辿り着く。
「んっ、おはへひ(おかえり)~、ろほひっふぇはほ(どこいってたの)・・・って、何よその傷、血だらけじゃない!」太陽へ天辺を跨ぎ帰路についた頃、溜まった疲労の為にようやく身を起こしていたセシリアが一気に目覚めた。
「どうしたのよ、何なのもう。野良猫じゃあるまいし。」寝起きかつ混乱した頭、寝癖のついた髪のままにセシリアは法術にとりかかった。まずは出血量の多いオルガから治癒術が施され、続いてエル。共に傷は体の広い範囲に渡ったが、オルガの一部の傷を除けば軽傷だったので治療は短時間で済まされた。が、その後とが大変だった。
「何で私に声掛けなかったのよ。もう、こんなに血だらけになって。何がどうしてどうやったら、2人揃ってこんだけ血だるまになって帰って来られるわけ。もう本当に単細胞のやることって予想がつかないから嫌なのよ。」回復を終えたセシリアは溜息混じりにベッドへ腰掛けた。腕を組み、自分だけが除け者にされたと感じたセシリアは幼子みたいに拗ねていた。不機嫌な彼女を見たオルガはすかさず弁解に入る。
「いや、そのな、声を掛けようとは思ったんだが、あまりにも気持ち良さそうに爆睡してたもんだからよ。ま~、いいかなと・・・」これがいけなかった。セシリアの表情が豹変する。
「えっ、何、部屋に入ってきたの?勝手に?どういう神経してんの!・・・っていうか、どうやって。鍵が、鍵が掛かってたでしょう。」
「・・・開けた・・・」
「どうやって?」
「・・・針金でコチョリと・・・」激昂するセシリア。顔を真っ赤に染め上げながら。エルは俯き加減で頭を掻いていた。
「このバカ、変態、ウルトラ単細胞!」その後しばしの間、ありとあらゆる物がオルガに投げつけられた。隣りにいたエルにもポコスカ当たった。数刻前の鉄飛礫に匹敵する連撃。ただし今回はなされるがまま攻撃を受けるしかない野郎二人組。傷口が開かなかったことは不幸中の幸いだった。
オルガは独り城門前に立ち、グラーツ王への謁見を求めていた。1度は門番に止められるも、ガレオスのオルガと名乗ると立ち所に目通りを許された。事前に人払いまで行われ、謁見室はグラーツ王とオルガの2人だけとなった。
「久しいの、オルガ殿。」
「はい。突然の訪問をお許し下さい。」
「いやいや、一向に構わんよ。それにしても一体何用かね。」
「はい・・・」相応の緊張感の中に懐かしむ様子が伺える遣り取り。面識があり、相互の立場を尊重し、密会の場を設ける、しかしながら腹の中には警戒心を宿していた。そんな中、オルガがガルネード鉱石を取り出した。
「ほう、これは-」感情を押し殺した上で感嘆の声をあげるグラーツ王。その表情は変わらない。
「これで取引をして頂きたい。」
「売買であれば城下町に店が出ている故、そちらで交渉してはいかがかな。」
「個人間で扱うには規模が大きすぎるかと存じます。国家間での交渉が妥当かと。」ずっと虚ろで俯き加減で遠慮がちだったオルガの視線が上がり、鋭くグラーツ王を包み込んだ。
汎用性の高いガルネード鉱石。かつてはグラーツにおける流通経済の一翼を担う商材となっていたが、いつからかガルネード鉱山には魔獣が巣食い、人々を遠避けていた。その主だった魔獣をエルとオルガが退治した。それでも魔獣の残数は多く、また、どこからともなく魔獣達は溢れ出てくることだろう。そして残念ながら、それを駆逐する戦力をグラーツは持っていなかった。そこでガレオスの兵士を傭兵として雇いボディガード、つまり魔獣討伐に当てる。そしてグラーツはガルネード鉱石を用いて経済活動を発展させることができれば、両国にとって金の回る話となる。両国の交流にも繋がる。別にガレオスがガルネード鉱石を奪って金儲けしようというわけではない。そもそもガレオスにはガルネード鉱石を使って何かを作る、加工するということに関して、グラーツを凌ぐ技術力はない。持たざる国ガレオス。けれどもガレオスにはグラーツに無い兵力がある。魔獣を狩るに足る戦力を有していた。ガレオスにとって武力こそが資源。これを経済活動に結び付けられなければ、今以上にガレオスが発展する余地はない。魔獣から民の命を守る為の武力、魔獣を倒すことによって得られる生活の糧という矛盾。この矛と盾だけではどれだけの時を経ても旧式の装備に違いない。他国との公益を通じて民を守り導くことが、ガレオスの未来には必要なのだ。
その後、ナナ湖ほとりの魔獣とユリ平原のそれを一掃するのではなく、オルガの指示に従い適度な数を残して打ち倒した。今度はセシリアも加えた3人で。そこに交易の商材が存在するであろうことは予測できたが、2人が尋ねることはなかった。オルガが胸に掲げる、ガレオスの未来を紡ぐ計画的犯行。
ナナ湖とユリ平原の旨をグラーツ王へオルガが報告した翌日、エルとオルガが血みどろになって帰ってきた日から数えて5日、エル、オルガ、セシリアの3人は出発の日を迎えていた。宿のロビーにはエルが独り。そこに仕度を終えたセシリアが合流する。いつもであればエルと一緒に、煙草を吸うオルガが待っているはずなのだが。辺りを見回したセシリアが問う。
「あれ、オルガは?」
「手紙を書いているみたい。詳しくは分からないけれど。」
「オルガが手紙?剣じゃなくてペン?机に向かって文字を書く?嘘でしょう。頭でも打ったのかしら。熱でもあるんじゃないの。雨具の用意しといた方がいいわよ、エル、今日は大雨かも。雪だったりして。ウフフ・・・ちょっと覗いて来ようかしら。」セシリアの上機嫌な独り言を聞き流しながら、エルは視線を床へ落とした。
「散々な言われ様だな、俺・・・」勝手にウキウキ・ワクワクしていたセシリアの背後からオルガがのっそりと現れた。優しく大きな掌をセシリアの頭に乗せると、セシリアはペロリと舌を出した。宿の主人に手紙を渡し、頼むと一言添えるオルガ。出発の合図だ。
諄々と手紙について聞いてくるセシリアを遇いながらザイアースベルクに向けて宿を、グラーツを発った。アンデッドが棲むと言われる村。そしてザイアースベルクに到着すれば、シュクリスの居城はそう遠くない所に位置しているのだった。
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