子の守りしもの
マグノリア。その村は森を抜けるとすぐさま目に飛び込んできた。まさに目と鼻の先。転送装置でのワープや森の中で時を過ごした為にエルとオルガの時間感覚は狂っていたが、時は夕刻。村の宿に入った3人は、夕食をとりながら手探りの会話を進めていた。
「それじゃあ、あなた達、何の目的も決めていないわけ。これからどうするのよ。」
「その前にお前ェ、俺達に付いて来る気かよ。足手まといになるんじゃねェか。」
「失礼ね。命の恩人に何て言い草かしら。」
「命を落としかけたつもりはない。多少ダメージを受けただけだ。それにお前の法術1発、2発じゃ数える位のゴブリンしか倒せんだろう。命の恩人はこっちだと思うがな・・・ゴホン・・・ウン・・・しかし、何だその、お前・・・細い体でよく食うな。何皿目だ、それ。」オルガの堂々とした質問に合わせてエルもセシリアの前に重ねられた皿の山を盗み見る。
「うるさいわね。法術は想像を絶する位に体力を使うの。だからお腹も減るの。それとね、私にはセシリアって名前があるんだからね。お前って呼ぶのやめてくれる。」そんなやりとりをエルは黙って聞きながら、ゆっくりと箸を進めていた。周囲の客や店員は3人を唖然と見つめている。大声で話をする姿も注目を集めたが、幾重にも積み重ねられた皿の大半を華奢で美しい女性が重ね上げていることに、一層の驚きを隠せなかった。
「エルはさ、何で旅を始めたの。」人心地ついて少しお酒の入ったセシリアがエルに尋ねる。えっ、、という風にセシリアと視線を合わせたエルは、再び視線をテーブルに落とし数刻の間を置いて、単なる渡り鳥だとだけ答えた。仄かに顔を赤くしているセシリアは、ふ~んと興味無さげに反応した。
翌朝、疲労の為か予定がない為か、遅めに目を覚ました3人は頭が冴えてくるにつれて村の異変を感知した。大人達が一堂に会して何かを話し合っている。遠めに見ても穏やかな雰囲気ではなかった。宿の主人の話では朝から子供達の姿が見えないという。どの親も子供から何も聞かされておらず、ひたすらあたふたしていた。村の外には魔獣の姿も見られるとのこと。村の外に意識が行くということは、村の中は既に粗方探したのだろう。そして浮かび上がった不吉な手掛かり。近くの洞窟に出入りする子供達の影を見かけた者がいた。魔獣の巣食う洞窟に。
聞かぬ振りはできたし、別にこのマグノリアの村と深い関係があるわけでもない。面倒に足を突っ込む必要はこれっぽっちもなかった。だのに真正面から首を突っ込むエルにセシリアは閉口した。俺達がその洞窟を見てきますと。
マグノリア北の洞窟。子供達が潜んでいると思われる場所。それでも魔獣の住処である可能性を否定できずに、大人達が近寄れない所。洞窟に着くまでの短い間、セシリアは絶え間なく愚痴を零し続けた。私達には何も関係ない、村の人間の問題だ、子供達が洞窟に行ったという確証は、まずは村の中をもう1度探すべき、隠れん坊でもしていたら2、3発引っぱたいてやる、報酬はどうするのよ、渡り鳥なんでしょう、こんな貧乏村じゃ何も期待できないじゃいetc...そんなセシリアのぼやきをまぁまぁと笑いながら聞き流すオルガ、そして諦めろと付け加えた。エルは黙々と先頭を切って小さな洞窟を目指す。その道中に魔獣の気配は感じられなかった。そして子供の姿も。程なく目的地に着くなり、戸惑うことなく中へと進んで行った。もちろんオルガとセシリアの2人もそれに続いた。
小さな洞窟内では魔獣が徘徊していた。しかし奇妙なことに、人間を見つけても襲ってくることはなかった。ギロリと鋭い目つきで3人を睨みつけているので恐らく敵として認識はしているのだろうが、何事も起こらなかった。不可思議な状況下に、警戒だけは解かずに先を急ぐ3人。誘われているのかと疑る者、腕が疼いて仕方のない者、己の幸運に酔いしれる者。そんな3人は5分とかからず最深部へと近付く。最新部を前にして先頭をいくエルがピタリと足を止めた。続いてオルガも何かを察する。少し遅れてセシリアもそれを感じ取った。最深部にいたのは子供達、そして、紛れもない魔族だった。岩陰に隠れて気配を殺し慎重に目を遣ると、魔族を子供達が取り囲んでいる様子が伺えた。するとセシリアが数歩奥へと引き返す。逃げ出すのかと思いきや、ポンと手品の如くセシリアの手元にクリーチャー・エンサイクロペディアが出現するのだった。ペラピラとページを捲るセシリアを、いつの間にやら覗き込むエルとオルガ。あった、というセシリアの一言にもう一歩顔を寄せる。
「名前はクリアンカ。ランクはB。魔族に間違いなし。さぁ、どうする?」タンと辞典を閉じて再びポンと消し去ってから、狐に摘まれたような2人に視線を送るセシリア。
「子供を助ける。」小さいけれど意思の通った、消して曲がらず折れない太い声で宣言したエルが、クリアンカという魔族に向かって突き進んでいく。転送の小枝は外に置いてきたから最悪の場合は逃げることもできるけれど、洞窟の外まで追ってこられたらアウトだわ。私達も村も。こんな小さい洞窟では時間が稼げない。その前に子供達。本音を言えば望み薄であることは否めない。生存者確認が最優先か。セシリアは2人の背中を負いながら状況整理に追われていた。
眼鏡の奥に光る鋭い眼光。金髪の短髪。背中には黒く大きな羽が見られた。ただし眼鏡のレンズにはヒビが入り、髪の毛はボサボサ、背中の片翼はほとんど原型を留めていない。その身を覆っていたであろう魔装はその大半を砕かれ、クリアンカの代名詞とも言える長い槍は刃の部分が破壊されて単なる棒と化していた。手負いの魔族クリアンカ。死にかけ、瀕死といった方に近いだろうか。彼は近付いてくる3人の人間を目視すると、棒を杖代わりに立ち上がろうとする。無事な方の翼は幾らか揺れるが、もう片方はピクリともしない。さらに傷口が開いているのであろう、どこからともなく血液が滴り落ち、顔面に大量の汗を浮かべ、もはや武器とは呼べぬ槍に全体重を預けてやっと立ち上がった時、3人と魔族を割って入ったのは6人の子供達だった。両手を精一杯に広げた通せん坊の格好をして3人を見上げ、希う。彼らが庇うは魔族クリアンカ。臨戦態勢の3人は魔族の姿と子供たちの行動に戸惑い、足を止めた。互いに視線を交わし、必死の表情を崩さない6人を見澄まし、同じく必死のクリアンカに照準を合わせた。
魔族と人間の戦いを阻止したのは子供達に違いなかった。目の前の光景が幻でなければ人の子は、魔族クリアンカを守るべく立ち塞がっていた。この状況に魔族は平常心を乱すことはなかったが、3人は少なからず動揺を強いられた。思考と行動は凍結、手にした武器が輝きを弱めているようだった。そんな時、膝を折って子供達と目線を合わせたのはセシリアだった。彼女の表情はクルヴィの森で大樹エアルと別れて以来、最も優しく穏やかな微笑みを携えていた。そして男2人に行動の指針を示す。セシリアの要請に従い、エルと6人の子供達は席を外した。7名はクリアンカ等の姿が見えない、話し声も聞こえない所まで戻り待機した。オルガはそのままセシリアのボディガード。そしてセシリアはクリアンカと会話を始めるのだった。
エルが子供達を連れてその場を離れている間、フル稼働するセシリアの視覚。隅から隅まで目の前の魔族クリアンカを熟視した。それこそ頭から足の先まで。見れば見る程、瀕死の状態に他ならなかった。それでも壊れかけの眼鏡を通して輝くその眼光は、誇りを失っていなかった。仮に今この場でオルガが切りかかれば、その命を失った槍で応戦するだろう。そんなクリアンカの鋭い瞳に吸い込まれる様にセシリアが口を開いた。
「あなたは魔族に違いないわね。確か名前は、クリアンカ。」魔族は答えない。
「魔族ともあろう者が一体誰にやられたの。まさか子供達になんていう冗談は言わないでよね。」
「・・・」
「子供達があなたを庇ったのは何故?」
「・・・」セシリアの声だけが虚しく響く。くれぐれも子供たちに聞かれまいと、極力声の大きさは押さえていたが。質問に窮したセシリアは一旦口を閉じそのまま魔族を見つめる。一方のクリアンカもセシリアから目を逸らさない。そんな静寂を崩すように突然クリアンカの腰が砕けた。些少の破裂が生じ、文字通り腰が僅かに砕けた魔族は、已むなく片膝をついて腰を落とした。暫くの間クリアンカを見下ろしていたセシリアだったが、やがて小さな溜息を吐き出して、魔族と目の位置を合わせるべく自分も座り込んだ。脚を崩し、咄嗟のことには対応できない格好をするものだから、隣にいるオルガが動揺してしまった。
「ごめんなさいね、自己紹介がまだだったわね。私はセシリア、こっちがオルガ。私は少し法術をかじっていて、こっちは剣士。今は私のボディガードね。」再び口を開いたセシリアから紡がれた言葉に、槍を固く握りしめていたクリアンカの拳が僅かに緩んだ一瞬をオルガは見逃さなかった。さらに次の一手として繰り出されたセシリアの言葉によって魔族の表情が一変した。オルガにはその言葉の意味する所は理解できなかったのだが。
「ネクローシスとアポトーシスの併発。あなた、同族にやられたのね。その相手はおそらく―」
「なかなかに聡明なお嬢さんだ。」初めて口を開いたクリアンカは手にしていた槍を地面に寝かせて、戦闘の意思がないことを明かした。元より戦える状態ではないが。
「俺をやった奴はお嬢さんお察しの通り。この洞窟で身を潜めていたらガキ共がやってきた。そ
れだけだ。」クリアンカは喋り終えると大きく深呼吸をする。
「随分と懐いていたみたいだけれど。」
「知るか。食料と適当な薬を持ってこさせたら勝手にそうなった。」
「洞窟内の魔獣が人間を襲わないのは?」
「こんな状態でも、あの程度の魔獣ならば操ることは造作もない。」
「子供達を守ってくれたのね。」
「勘違いするな。利用できるものを利用しているだけだ。利用価値が無くなれば魔獣共の餌になって終いだろう。」クリアンカの呼吸は荒くなり、肩も上下を繰り返した。
「そうね。」セシリアは会話を区切り立ち上がると、エルと子供達の待つ出口の方向へ歩き出した。オルガも背後を振り返りながらセシリアに続いた。
「ちょっと待ちな、お嬢さん。頼みがある。」背中越しの掛け声に対して振り返り、素直にクリアンカへと近付くセシリア。そこで静かに交渉が始まった。
「お嬢さんは法術士と言ったな。見た所、火炎の類を扱えるようだが。」
「少しなら。」
「よし、それでは1つ火の玉を作ってくれないか。ある程度大きい火球だと好都合なのだが。」クリアンカの血と汗の量が見るからに増える。セシリアはクリアンカの意図を理解できないままにソロ・フレイムを発動した。直径5メートル程の火球を作り出したセシリア。全力ではない。この先何があるか分からないから。警戒は解けない。それでも、それ相応の力を割いて作った火球だった。
「ふん、上出来だ。」クリアンカは小さな笑みを交えて呟くと、セシリアの作った火の玉を目力だけで自分の左斜め前方へゆっくり移動させた。加えて折損している槍を火球に向けると、その大きさが2倍以上に膨れ上がった。セシリアとオルガは安全と思われる位置まで後退る。セシリアはロッドを、オルガは大剣を握るその手に力を込め、徐々に蝕まれゆく魔族の次の行動を待った。
「もう・・・1つ・・・ん?、これは。」セシリアが恩師の預言だからと魔族に伝えた。そうか、と一呼吸置き、つい先程よりも表情の険しくなったクリアンカが息を切らせて言葉を紡ぐ。
「貴様ら、この洞窟を封鎖できるか。この洞窟の入口を破壊することは、可能か。誰も入ってこれないように。」質問の真意が理解できた訳でも、魔族と心を通わせていた訳でもなかったが、
「可能だ。」オルガが承諾する。
「10分後、入口を破壊しろ。このままの状態であれば数日後には追っ手が来るだろう。そうなれば俺も村の人間も殺される。一応ガキどもには借りがあるし、何より俺は、ふざけたアポトーシスでは、死なん。クルヴィの女に会ったのはそういう運命なのかもしれない。」
「諦めないで・・・」セシリアはそう言うとクリアンカの元を離れていった。オルガも続くのだが、最後の2人の会話が、この時のオルガにはまだ理解できなかった。
エルたちと合流した2人は、3人で子供達を囲うようにして出口へと急いだ。途中で幾匹もの魔獣とすれ違ったが、全て魔族の座する洞窟の奥へと進んでいった。人間族には目も呉れることなく、ただ奥を目指す為に歩きにくかったが、3人はそれ以上に子供達からの質問に弱り果ててしまった。詳細を知らないエルは答えられず、セシリアとオルガの2人も、魔族を守ろうとした子供達への回答を持ち合わせてはいなかった。その後の魔族の運命もオルガとセシリアでは見据える先が異なってはいたが、口にできる代物ではない。
洞窟の外は強く風が吹いていた。上空には沢山の白い雲が流れ、太陽はその厚い雲で覆い隠されたり顔を出したりを繰り返していた。乾いた大地の上を走るその影は全ての障害物を何事も無く通り抜けていくだろう。速度を緩めることもなく、ただ前進を続けていく。子ども達は強風で体が流されてしまわぬように背中を丸め、足を踏みしめながら、親達の待つ村を目指して歩いていた。引率役はエル。周囲に魔獣の姿は見えないが、無事に村まで辿り着かせることがエルの役割であり、それ以外には成すべきことがなかった。
一方のセシリアとオルガは洞窟の入口で立ち尽くす。風に強く靡く髪を左手で軽く押さえながら、セシリアは洞窟を見つめて動かない。オルガは彼女から少し離れた位置でタバコを吸いながら、セシリアの一言を待った。彼女がそのまま振り返り村を目指していたらオルガはどうしていただろうか。オルガにとっては唐突に、セシリアからすれば一念発起してソロ・フレイムが唱えられた。洞窟内で作ったものよりも巨大な火球を浮遊させ、入口上部へ叩きつけた。ガラガラと音を立てて入口が半壊する。あとはオルガが洞窟を潰す。入口は完全に封鎖され、もはや誰も出入りすることはできなくなった。奥の様子を伺い知ることはできないが、火葬場に化したと考えることが妥当だった。
一足先に宿へ戻って2人を待つエル。子供達を送り届けた後、逃げるように宿へ向かった。口々に礼の言葉を連ねる村人を避けて、何も言わずに立ち去った。直にセシリアとオルガも村に到着した。セシリアは人目を避け、殊に子供達の視界に入ることを恐れて急ぎ足で宿に向かった。オルガは慌てることなくどっしりとした足取りでセシリアの後を追った。声を掛けてきた村人に手を挙げ応えもした。そんなオルガを放ってセシリアは宿の扉を開き、中にエルしかいないことを確認して腰を下ろした。そして計ったように深く長い溜息を2人同時に吐き出した。セシリアは洞窟内での出来事を簡単にエルへ話した。エルは自分の憶測から大体外れていなかった事実に頷いた。それ以外には言葉を交わしたり視線を合わせることもしなかった。望み薄の状況ではあったが、考えうる最良の結果に結びついた。それでも、後味の悪さというか、納得のいかない何かがいつまでも尾を引いていた。そこにひょいと戻ってきたオルガ。扉を半分開けて2人の様子を確認したオルガは部屋に入らず扉を閉めた。3人共に、厳しい表情に覆われていた。2人の感情に対して合点のいかないオルガ、憎むべき魔族というものの存在がいまひとつ理解できないエル、そして実は、大樹エアルの遺言に従っただけのセシリア。ひとまずクリアンカとの出会いはここで一区切りということになる。
~ クリアンカ
ー 魔族
ーランク:B ~
眼鏡に金髪の短髪という容姿。外見は人間族と変わらない、背中に生える漆黒の翼を除いては。攻撃の多くは、黒に近い赤と紫に近い黒の二色に彩られた魔槍から放たれる。生き血を吸うほどに赤と黒が同一色へ近付き、魔力が増幅されていくというのが魔槍と呼ばれる所以。漆黒の翼で空中を自在に動き回り、多くの生物にとって死角である頭上から命を奪いに来る。とある魔族から受け継いだという魔槍、不死の象徴・畏怖の対象とされる黒き翼。向き合っただけで意識を絶たれてしまう者も少なくないだろう。ただし魔族としては非常に若い。辻褄の合わぬ程に若いため、一説によると生来の魔族ではないのではないかというが、将来は支配者クラスの実力を有する可能性を多分にもっている。
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