森と大樹と男と女

            【森と大樹と男と女】


 2人の世界が再び色を帯びるまでに多くの時間は要さなかった。視界がはっきりしてまず分かったことは、ここがカタコンベではないこと。窓から日差しが入り込んでいた。いや、窓からではない。これは木洩れ日。2人の受け皿である、対となる転送装置は森のど真ん中に置かれていた。そして人の気配を察した1人の女性が驚いた表情で駆け寄って来るのを、2人は状況を理解できぬままに見つめていた。

 栗色の長い髪を後ろで緩く束ね、右手にはロッドを持っている。服装を見る限りは、この世界でも珍しい法術士であるらしい。年の頃は20歳前後だろうか。エルよりは年上で、オルガよりも年下といった所。華奢なカラダに切れ長の目、雪のように真っ白で透き通る素肌は大変に美しく、世の男子たるものが目を奪われないはずはなかった。しかしながらそんな夢心地も、

「あなた達、人間?」の一言で意識を無理やり現実に引き戻された。

「あ、ああ。俺はオルガ、こっちはエルだ。」慌ててオルガが自己紹介するが、法術士らしき女性は無視するかの如く、背を向けて歩き出してしまった。

「えっ、おい・・・」小走りに2人はとりあえず後を追いかけた。

 大木の間を塗って敷かれた森の小道の先には何もなかった。正しくはエルとオルガの2人には何も映らなかった。ただ声だけが不気味に聞こえてくるのだった。

「エアル様、ただいま戻りました。」目の前で女性が身も竦む程の大木に語りかける。すると

「いかがでしたか。」と、かなり嗄(しわが)れた別の女性の声が返ってくる。状況から見て女性と1本の大木が会話をしている。男2人は黙って聞き耳を立てるしかなかった。喬木は久々の珍客に轟き、葉は噂話でケシケシと翻り、虫は落ち着き無く蠢き、小鳥は冷やかすように囁いた。森全体が物珍しさと気疎さに揺らぐ中、2人が女性に前へと呼ばれた。訳も分からぬまま、エアルと呼ばれていた大樹と面と向かうエルとオルガ。セシリアはどこかへ歩いて行ってしまった。

「ようこそ、クルヴィの森へ。私はエアルと申します。お待たせしてしまい申し訳ありません。弟子のセシリアが聞きわけありませんで・・・いろいろ戸惑っていることとは思いますが、時間がありません。要件を手短に申し上げます。この森は今、大量のゴブリンに包囲されております。現在は森のすぐ周辺に結界を張ることで森の外に出ないよう、そして私達のこの場所にも結界を張ることで森の中心部にに入って来られないようにしております。つまりそのゴブリン共を倒さないことには、このクルヴィの森から外には一歩も出ることができないのです。セシリアにも準備をさせております。どうかゴブリン共を殲滅し、この森から脱出して下さい。」2人は結局最後まで、どこに視線を合わせて良いのか分からないままに話を聞き終えていた。


 

 再度合流したセシリアに連れられて、エアルの言う内側の結界との境界線に辿り着いた一行。樹木の奏でる風光を貪り覆い尽くすゴブリンの大群。ゴブリン程度ならば朝飯前だと高を括っていたオルガですら、多いな、何匹いやがると、うんざりといった感想を述べる。

「137匹。」セシリアは抑揚と感情を押し殺して数を伝えた。

「ひゃく・・・!?」エルもいささか驚きの表情で息を飲む。

「それよりあんた達、ちょっとは戦えるの?」エアル様は何故だか随分信用しているみたいだけど、私は大して頼りにしちゃいないからね。そもそも突然転送されて来た見知らぬ奴らと一緒に・・・」そんなセシリアのぼやきを無視して、エルとオルガは既に結界を越えて戦場へと足を踏み入れていた。無視され、置き去りにされたセシリアは頬を膨らませる。

 「数が多い。背中合わせで敵さんの攻撃を迎え撃つぞ。極力こっちからは仕掛けるな。囲まれた上に背後まで取られたら厄介だからな。」オルガの指示に頷くエルの右手には新しいドラグヴェンデルが握られていた。『蒼き秋風の魔導石』も仄かに光を放つ。ゴブリンたちは一匹、二匹と人間2人の存在に気付き始めていた。

 いくら知能の低いゴブリンとはいえ、目の前で同胞が次々と蹴散らされていけば、1対1ではまるで歯が立たないことを理解し始めていた。むやみに2人の人間へ飛びかかるのではなく、集団で円を描いて間合いを詰める。50匹以上は切り刻んだエルとオルガだったが、今はそれ以上の残党にぐるりと包囲されてしまっていた。

「さすがにバカでも学習するか。やれやれだぜ。」オルガは若干息を乱しながら溜息混じりに吐き捨てると同時に構えをとった。‘till the end of the spiral’の構えを。すると、エルがオルガにそっと耳打ちをする。こちらの呼吸も荒い。エルの魔導石が光を増していた。右手に神経を集中し、細剣を頭上に掲げる。精神統一を図り、ゴブリンとの間合いに意識を傾けた。「天蚕糸(てぐす) 縢(かがり)」。エルは静かに石の力を発動した。青く細い、幾線もの風とも糸ともつかぬ光線がゴブリン共を襲う。それはゴブリンの腕に、脚に、首に腰に絡みついた。直接のダメージは与えられないが、ゴブリンの動きを鈍らせ動揺を誘った。このきっかけを見逃さないオルガ。掛け声を発しながら大剣をぶん回し突き進む。ゴブリンの自由が回復する前に滅殺を謀る。大技など不要。一太刀で十分。対して、一時的に自身の許容量を超えて力を発動したエル。その反動に全身を襲われていた。ただし容赦しないオルガ。

「エル!動けるなら手当たり次第狩り尽くせ!」思っていた以上に強力な魔導石とそれを使用した反動、本来は対象一体に対して放つ攻撃の範囲をできるだけ拡大したことで、片膝を地面について森の土塊を見つめていたエルが目を見開き、短い一声と共に群衆に突っ込んでいった。その後のエルとオルガは、瞬く間にゴブリン達を一蹴した。ここまでの間、セシリアは戦場に一歩も踏み出すことはなかった。

 戦いの幕引いた戦場にようやくセシリアが足を踏み入れる。足の踏み場もないわ、という表情で。

「思っていたよりは強いみたいね。」セシリアは視線も合わせずに毒付いた。

「お前さんはちと、経験不足みてェだがな。」オルガも嫌味を返すと、改めて構え直す。息を整えたエルも同様。エルの様子を視界の端で確認したオルガは満足気な表情。やや距離を置いた所から騒ぎを聞きつけた一ッ目獣キュクロープスが徐々に歩み寄っていた。2人の視線を追ったセシリアは、巨大な魔獣を確認すると2歩、3歩と後退した。

「厄介な所に放り込みやがって、クソ大木が。戻ったら薪にしてやるからな、ったく。」そう吐き捨てたオルガの背中をセシリアが無言で睨めつけた。そして気を取り直して2人よりも1歩前に出ると、手挟むロッドに光を照らし始めるのだった。

 百を超えるゴブリンを統率していた親玉の登場に、再び緊張感を帯びる戦場。目の前のキュクロープスは、その筋肉質な見た目通り俊敏さには欠けるが、耐久性と攻撃力はゴブリンと比較にもならない。今のエルとオルガの体力では一撃が致命傷となりかねない。極力接近戦は避けながらスピードで攪乱したい。エルの速さと技であれば十分に通用する。万全のエルであればの話だが。いささかに分の悪い戦いが始まるはずだった。。

「ソロ・フレイム!」突然セシリアの持つロッドから放たれた火の玉がキュクロープスの一ッ目に直撃した。奇声をあげて顔面を押さえる一ッ目獣。瞬間、魔獣の濁声に勝るとも劣らない雄叫びを上げて斬りかかるオルガ。炎に塗れる頭を切り落としにかかった。触れれば溶けてしまいそうに澄んだ緑で覆われていた森の一角はゴブリンの死骸に埋め尽くされ、大剣の一太刀によってそこに血飛沫が降り注いだ。しかしその出処は首ではなく、丸太と見間違うほどの右腕だった。およそ半分の切れ込みが入った右腕は、キュクロープスの意思とは関係なくブラブラと揺れる。チッとオルガが舌打ちすると同時に、丸太のような左腕がオルガを殴り飛ばした。かろうじて大剣で直撃は回避したものの、すっ飛んだオルガは近くの木に背中から叩きつけられた。「玄翁虎落笛」。キュクロープスの力任せな攻撃によって生まれた隙にエルが踏み込む。狙うはその首。新調された武器によってその威力は以前よりも増している。確かな手応えを感じとったエルは、技の効果を目視した。上段から振り下ろす攻撃で飛び散ったのはキュクロープスの右腕のみ。右肩にカスリ傷程度のダメージは見て取れたが、致命傷には程遠かった。魔獣は使い物にならなくなった右腕を犠牲に首と命を繋いでいた。身体の半分は深紅色に沈んでいたが、その瞳には怒りに満ちて輝きすらも感じさせていた。

 「離れて!」突然のセシリアの要請に素早く反応し、その場を飛び去るエル。巨大な一ッ目でギロリとエルを追うキュクロープスに、初弾よりも大きな大きな火球が直撃した。今度は頭部だけではなく上半身も炎立つ。さらに

「どけー!」というオルガの怒号。炎と煙で仲間の位置を確認し辛い状況の中、巻き添えを回避するための心遣いか、それとも単に気合を入れるための叫喚か。‘the lightning to a mole’。上空に飛び上がったオルガが大地に向けて一気に降下する。彗星の様な、僅かな閃光と共に。大きな爆発音。ソロ・フレイムによる火炎は掻き消され、魔獣を中心にクレーターに似た跡が形作られていた。エルとセシリアが目を凝らす。炎による煙ではなく、‘the lightning to a mole’によって巻き上げられた砂煙によって視界が遮られて、オルガの状態も魔獣の状況も分からない。数秒の後、エルは胸を撫で下ろし、セシリアは思わず顔を背けた。キュクロープスは後頭部から大剣で貫かれ、その巨大な目は大剣を伝って地面と接合していた。キュクロープス本体に力はなく、瞳を失った頭部に突き刺さった剣によって体を支えられ、斜め前方に傾斜していた。左腕とその半分程度の長さになった右腕はダラリと垂れ下がり、まるでオルガに敬服しているようだった。

 決着。オルガが剣を引き抜くと糸の切れた操り人形は課される重さのままに崩れ落ちた。同時にオルガも膝をつく。キュクロープスに吹き飛ばされた際、背中を強か打っていた。エルとセシリアがオルガの元へ走り寄る。大丈夫だと意地を張るオルガだったが、立ち上がることはできない。エルの持っている薬草程度では気休めにもならないことは明らかだった。すると、

「どいて。」セシリアがエルを冷たく退ける。そして法術の詠唱を開始した。手にするロッドが光を纏い、オルガに優しい温もりを与えていく。この「大樹の天恵」の回復作用によって直に立ち上がったオルガは、身体の状態を確かめる為か右肩をグルグル回し、助かったとセシリアに礼を述べた。そしてすぐさま、苦情を申し立てるべくエアルという名の大木に向かって歩きだした。決着の瞬間、朽ち果てたキュクロープスを見て青い顔をしていたにもかかわらず、すぐにオルガの手当をしてくれたセシリアに、エルもありがとうと礼を述べた。セシリアは視線を合わせず、微かに首を動かしただけだった。やがて3人は元の場所に立ち戻った。しかしながら、エアルと名乗った大樹から再び声が聞かれることはなかった。神々しい、他の木々とはまるで異なる何かも消えていた。代わりに、セシリアのほんの少しの手荷物が根元に置かれていた。まるで手渡すかのようにそっと。名残惜しむかのようにそっと。そのことを知っていて、その想いと荷物をそっと受け取るセシリア。

「行きましょう。すぐ近くに村があるから。」そう言うと、荷物を受け取ったセシリアは大樹を離れていった。エルとオルガも続く。2人は力なき大樹を幾度か振り返ったが、セシリアが向き直すことはなかった。長く、細く、柔らかい栗色の髪の毛が力強く揺れる。その力強さが虚勢と儚さを引き立てていた。どれ程に後ろ髪を引かれようと、セシリアはただ、歩き続けた。俯くことなく、前だけを、森の外を目指して。




~ ドラグヴェンデル・戦針 

- 蒼き秋風の魔導石

- 天蚕糸 縢(てぐす かがり) ~

陽光に輝く蜘蛛の巣のように美しい風の糸を対象に絡める技。成功すれば動きを封じたり鈍らせるなど、ある程度まで相手の自由を奪うことはできるが、操り人形のごとく動きを強制することはできない。現在のエルの力量では単体、『涼風の魔導石』から『蒼き秋風の魔導石』へ変えた所で多くても2、3体の敵へ放つのがやっと。無理に対象を複数へと拡大すれば効力は大きく失われ、術者の体力も削られる。




~ クルヴィの杖

- 蛍火の魔導石

- ソロ・フレイム ~ 

その名の通り、単発の火球を放つ法術。火を操る法術全ての基本、根幹を成すもので、術者や武具、魔導石によって威力や炎の大きさが多様に変化する。ちなみに火属性はセシリアが最も得意とする砲術である。術者の間では「(狙いを)定められて初級、巨大化で中級、極小化で上級」という言葉がある。




~ クルヴィの杖

- 蛍火の魔導石

- 大樹の天恵 ~

対象者の自然治癒能力を急速に高める森を属性とする法術。まだまだ未熟なセシリアでも骨折程度の怪我であればある程度の時間と集中できる環境があれば治すことができる。さらに経験豊かな熟練者、例えば伝承者クルヴィであれば切断された腕も瞬時に接合できたという。ただし古傷を元に戻したり、死者を蘇らせることはできない。これらはまた別の法術の出番ということになる。

          



~ ガルネードソード

- till the end of the spiral ~

遠方の標的を目掛けて螺旋状に剣気を飛ばす技。一定時間の溜めを要するものの、攻撃範囲の狭いオルガにとって重宝する剣技である。ただし最たる特徴は遠方まで攻撃を届かせることではなく、螺旋の始点から終点までその破壊力がほとんど変化しないことである。



~ ガルネードソード 

- the lightning to a mole ~

空高く飛び上がり急降下しながら重力を味方につけて攻撃する剣技。剣を突き刺したり振り下ろしたりと、その時々に合わせて武器の扱い方を変化させて最良の効果を狙うことができる。また天井のような足場があれば加速が増し、怪力自慢の魔獣にも防御することを許さない。また、付け加えるならば、この技には先があるという。

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