結界なき騎士団
第1章 ~ 出会い
【結界なき騎士団】
鬼の跡を想いながら目指すはガレオス城。ヴィルガイア有数の軍事国家として名高いその王国に魔導石の可能性を期待するエル。そして長老の言葉。友を探しなされ。共に戦える友を。目的の共有等は要りますまい。御一人様では成せることも限られます。西へ、西へ向かいなされ。鬼の緋涙石を長老に預けたエルは今、東に背を向けている。ただし占いに従ったのではなく、元々の道のりが偶然に彼女の吐露と重なっただけ。与った運命ではなく、自らの意思で歩を進めていると自答しながら。
「何故、旅を?」長老の質問には、魔族に対抗できるだけの力が欲しいと正直に答えた。もしも大きな力の眠る魔導石がこの里に眠っていて、それを頂戴できる運びとなれば好都合などと考えていたのだが、当然事はそううまくはいかなかった。老婆は、守護と殺戮は紙一重、これだけは胸に刻んでおきなされと、忠告したが、その真意をエルは理解しかねていた。どういう意味だろうか。人を守る為であれば、魔族を殺すことも厭わない。反対に止めを刺すことを躊躇えば、次の瞬間には自分が殺されているかもしれない。だから油断するなよ、ということなのだろうか。何か違う気がする。もしかしたら老婆の単なる思いつきか。
だが直にそんなことを考えている暇もなくなってしまった。出交わした魔獣エメラルドバッファローとは相性が芳しくなかった。レイピアを手に『野分の息吹』で蹴散らそうと試みるも狙い通りのダメージは負わせられず。対して細剣の攻撃力を見切った魔獣は臆することなく突進を繰り返した。威力よりも速度を重視して初弾を当てることに重きを置いた野分の息吹では足止めにもならなかった。エメラルドバッファローの進撃は目を見張るものがあり、まともに跳ねられればただでは済むまい。どっしりと重さを感じさせる鉛のような肉体に不釣合いな、鮮やかな色調をもつ2本の角、そして驚異的な突進スピード。敏捷性はエルが格上。坐作進退は鈍いものの、加速のために距離を要しない抜群の瞬発力はエルを威圧した。これでキレモノなれば、エルも相応の苦戦を強いられていただろう。
間合いとタイミングを測るために多少の傷は負ったものの、版で押したようにただ突っ込んでくる魔獣の行動パターンに助けられた。突進を避けようとするから余計な思考と無駄な動きが多くなり、体力が削られ攻撃まで手が回らなくなる。単に猛スピードで突っ込んでくるのであれば待っていれば良い。そしてその進撃に合わせて迎撃を放つ。いや、迎撃などという代物ではなく刃をその場に置いておけば良いのだ。頃合を見誤らなければ威力は倍加し、思考の乏しいエメラルドバッファローに致命傷を与えられる。そんなエルの思惑通り、魔獣達は待ち構えるように設置された風の槌に自ら突っ込んできた。
『玄翁(げんのう)虎落笛(もがりぶえ)』。速度に重きを置いた『野分の息吹』とは対照的に攻撃力を重視した剣技。その分攻撃範囲やスピードは劣るものの、レイピアでありながら槌の威力を有する。まんまと罠にはまる魔獣。入れ替わり立ち代り十数等と対峙したエルだったが、変化に乏しい単式行動をあっさりと退けた。
宿代の足しになるかしらと、城の近くで倒した一頭を引きずって城下街に踏み入れた。宿を見つけ、獣を買い取ってくれる交易所を尋ねると宿にて買い取ってくれるとのこと。この城の男どもは骨ごと無残にバラバラ砕くので、これくらい傷の少ない状態で出回ることは珍しいという。エルにしてみればそれなりに随分と、派手に傷つけての狩猟だったのだが。
城下街を探索するとさすがは武力国家といった所か、恐らく日常的に腕比べが行われているのだろう。木製の武具を用いた一対一の対戦。大勢の観客に囲まれた闘技場で2人の腕自慢が暴れまわっていて、思わずエルも足を止めて観客に紛れてしまった。両者共なかなかの猛者と見える。一方が手斧、もう一人は長剣。手斧の戦士が優勢に思われたが、剣士は一頻り攻撃を受けきった後に逆襲を仕掛け、そのまま押し切る格好で手斧の戦士を降参させた。沸き立つ観客の隙間を通って立ち去ろうとするエルの腰に携えられたレイピアを見つけたからだろうか、突然長剣の戦士が聴衆を制止し、エルに闘技場へ上がるよう合図した。数テンポ遅れて突発的な周囲の沈黙と注目に気付いたエルだったが、首を横に振りその場を立ち去ろうとした。けれども、盛り上がった見物人がそれを許さない。エルは舞台へ上がる羽目になってしまった。尚以て盛り上がる観客と盛り上げる長剣の戦士。エルは素直に情報を収集せず寄り道したことを後悔した。
立会人か審判か、闘技場に立つもう1人の男から説明を受けるエル。相手を打ち倒すか降参させれば勝ち。武器は用意された木製の中から選ぶこと。長剣、大剣、小太刀、手斧、槍に棍棒、ヌンチャク、トンファー、そして細剣等。中には見たことのないものも含まれていた。エルは細剣を選び、続いて長剣の戦士がエルの身の丈程もある大剣を手にした。190センチはあるだろうか。大柄で見事な筋肉の鎧を身に纏った、オルガと名乗った戦士が大剣を構えると、エルの持つレイピアの何と心許ないことか。パワーでは勝負にならない。スピードで撹乱する。大剣はその重さと大きさ故に攻撃パターンが限られる。重さを利用して振り下ろすか、遠心力を使って薙ぎ払うか。防御に関しては表面積の大きな刀身を盾のようにして使うというのが妥当な所だろう。そして防御から攻撃への素早いシフトチェンジは困難。先手必勝に疑いの余地はなかった。
闘技開始の合図と同時にエルがオルガとの間合いを詰め、高速の突きを繰り出す。思った通り、大剣を盾代わりに後退りしながら身を防ぐ。石の力がなくとも、慣れ親しんだレイピアでなくとも、エルの太刀捌きは速い。周囲が息を飲む。驚嘆と静寂が辺りを包む。一気に勝負をかけるエルは手を休めない。屈強な戦士に反撃の隙を与えない、はずだった。刀身を押し出すようにしてエルを遠ざけるオルガ。僅かに間合いが広がるものの、既に次の攻撃態勢を整えたエル。大剣が攻撃へ転じるには隙が生じる。振り下ろすにしても薙ぎ払うにしても。反撃の機会は与えない、再度間合いを詰めようとした時、突きを繰り出したのはオルガだった。戸惑うエル。既の所で躱しているが形成は逆転した。突き、振り上げ、振り下ろし、蹴り等の体術まで混ぜてくる。体を大きく動かすことでしか防御できない。レイピアを盾がわりに使うことなど不可能。守勢に回ることでその頼りなさに拍車がかかってしまった。息を吹き返す観客。およそ20秒間オルガの猛攻が続いた。どうにかこうにか攻撃を避け続けるエル。その攻防の中で確かな動作の鈍りを見逃さなかったことが勝利につながる鍵。あれ程の大剣を振り回していれば致し方のないこと。エルがオルガの右腕目掛けてカウンターの突きを放つ。剣先が仄かに届いたという感覚が響いた時、細剣はオルガの左手に握られていて、ポッキリと、菓子の様にへし折られてしまった。エルは突きつけられた大剣に降参した。
~ エメラルドバッファロー
-魔獣
-ランク:D ~
ガレオス城周辺を棲家とする魔獣。体の色は黒に近い深緑色。名前の由来は日に照らされた2本の角が違和感を覚えるほどに鮮やかな萌葱色を醸すこと。主な攻撃方法は突進から繰り出される体当たり。非常に優れた脚力が短距離での加速を可能にする為、間合いの取り方には注意が必要。また強靭な皮膚で覆われたその肉体は中途半端な攻撃であれば弾いてしまう程に強固な皮膚で覆われている。群れをなすことは少なく単式行動をとることが多いので、個人で討伐する自信のない者は複数名で挑むと良い。
~ 野風のレイピア
- 涼風の魔導石
- 玄翁虎落笛 ~
速度を重視する『野分の息吹』と対をなす剣技。剣刃だけではなく体全体で押し出すように上段から振り下ろす。その刹那、レイピアは鉄槌の幻影を帯びる。エルにしては珍しく攻撃力を優先した技の為、攻撃前後の隙は小さいとは言えないがその威力、また攻撃範囲に関してもレイピアの域を大きく超えている。
自分の故郷とは違って活気に満ち、商店が所狭しと立ち並び、人の行き交う賑やかな城下町だった。大剣の戦士オルガは、城下町を案内してやると言ってついてきて、今はエルの4歩も5歩も先を歩いていた。独りで静かに散歩したかったのだが断りきれなかった。やや気乗り薄で一緒に歩いていたが、エルにとっても興味深い点が2つあった。1つはエルの武器に石が付されていると見抜いたこと。結界のないガレオスでも魔導石に関する情報が得られる可能性はある。2つ目。対戦後エルがふと手にした木製の大剣。持ち上げようと力を込めるも片手では動かない。両手で握った感覚では、やっとこさ持ち上げても剣に振り回されるのがオチだったろう。オルガの強さは本物、そして舌の回り方はそれ以上だった。
周囲を海洋と山々に包囲されたこの国は、地理的に他国との交易が難しい。その上魔獣がうろつく始末。武力的側面が伸長したことは言わば必然。生き続けるための知恵に他ならない。石を使える者もいるにはいるが、仮に石文明という言葉を使うなれば発展途上。魔導石の情報に関しては期待しない方が良い。その分、武具に関しては自信と誇りを持って勧める。ウチの兵士共は長剣、大剣、アックスを使う者が多いが、お前さんの使うようなレイピアだって捨てたもんじゃない。腕さえあれば、それに見合った武器をくれてやるさ。
そう話すこのオルガという剣士、なかなかに人望が厚いらしい。すれ違う大人、子供、老人誰もが声を掛けてくる。オルガも気さくに応じる。子供の中には戯れついてくる子までいた。道すがら、人口の15パーセントが兵力に当たること、50両を超える装甲車を有し、2隻の哨戒艇があること。しかしながら交易という弱点から燃料が不足しており、人に頼らざるを得ないこと。それでも「攻守3倍の原則」(攻める方は守る方の3倍の兵力が必要)と言われるように、自国から進撃しないことで何とか大国として成っていること等を聞かされたエルだったが、話の半分以上はうまく理解できなかった。
その後オルガに引率されるようにして繁華街を抜け出し到着した場所は、樹海にポツンと建てられた一戸の小屋だった。
「ジジィ、生きてるか!」大声で怒鳴りながら扉を乱暴に蹴り開けるオルガ。中には独りの男が入口に背を向けて椅子に座していた。押し入って良いものか戸惑うエルに、入れと合図するオルガ。従うエル。
「相も変わらず、騒々しいな、お前は。」溜息混じりに男が吐き捨てる。あまり歓迎はされていない雰囲気だった。
「客人だ。」オルガは意に介さずエルのことを紹介した。
「ふん、そこら辺に転がってるものを勝手に持っていけ。」やはり冷たくあしらわれた。
「ドラグヴェンデル。」オルガの一言に、一瞬大気が停止した。直後、
「ほう・・・」初めて男の声が抑揚し、空気の流れを呼び戻す。そしてゆっくりと立ち上がり、振り返った。
小屋の中には多種多様の武具が所狭しと転がっていた。飾られている、整頓されているとは世辞にも言えなかった。立ち上がった男は思っていたよりも背丈が大きく、がっちりとした体格。頭には灰色の髪の毛が目立ち、向かい合うと顔には幾線もの深い皺が見られた。
「レイピアとは珍しいな。加えて石使いか。こりゃまた、この国では珍しい。」
「うちの国の者ではないんだが、腕は確かだ。」
「お主、名前は。」男はエルをやや見下ろしながら名を尋ねた。
「エル。」
「うむ、エルとやら、ついて参れ。ついでにデカいのもな。」
「ちっ、ついでかよ。」エルは奥の部屋へと案内された。
通されたその部屋からは眩しさすら滲んでいた。前室とは大違い。至極丁寧に飾られた武具の数々は輝きを放ち、先にオルガの言った、自信を持ってくれてやる、という言葉はハッタリではないことが明らんだ。正直、武器に疎いエルですら思わず見とれてしまう程。
「わしと勝負をしてもらう。お主が勝てればここにある伜から好きなものを持っていくが良い。レイピアの類も幾つかある。」小屋に来るまでの道すがらオルガから簡単な説明を受けていたエルは、老人の指示に対して素直に従うことができた。本当に腕自慢の多い国だなと感心し、少し辟易してはいたが。
「よっこいせ。」そう言いながら老人は飾られた1つの大剣を手にした。オルガの物より一回り小振りではあるが、相当の重量はあるだろう。それを右手に持ち、類似したもう1本の大剣を左手で掴んだ。
「さて、表に出ようかの。」
「奴は大剣の二刀流さ。」オルガは懐かしむ口調で呟き、歩き出した老人の後ろについて行った。
ゆったりと構えられた2本の大剣。十字を形作るその姿は、剣がなければ拳闘のそれに似ている。
「ルールは特にない。どちらかが降参するかおっ死ぬまでの一本勝負。もちろん石の力を使っても問題ない。」老人の説明に対して、目を離さずに頷いたエルも野風のレイピアを抜く。来い、老人の一言に再び頷いたエルが突っ込む。静かな森に乾いた金属音が響く中、聳立(しょうりつ) する大木を器用に避けながらエルの剣を受ける老人。静かな立ち上がりとは全く無縁。いきなり両者とも激しく動き回った。一連の攻撃を退けた老人が大剣の突きを契機に反攻へと転じた。2本の大剣が軽々と操られるが、エルは余裕を持って躱し続ける。間合いの取り方も卓越していて、老人のスピードでは次第に間合いを詰められなくなった。腕組みしながら見守るオルガはふと口元に笑みを携える。
「大地徒波(あだなみ)。」攻撃が手詰まりとなった老人は2本の大剣で、エルの立つ地面とは随分な距離のある大地を切り裂いた。魔導石の力だった。不可思議な一閃が土をくねらせ、波立つ大地がエルの機動力を削ぎ落とした。沼地のごとく反発力を失った大地がエルに力強く踏み込むことを許さない。一気に飛びかかる老人。老人の奥の手かつ常套手段だった。
しかしながら、飛び込んだ老人の眼前からエルは姿を消した。そして老人が辺りを見回す暇もなく、横から差し出されたレイピアが首元で静止する。優しい沈黙。
「参った。見事なり。」老人がどことなく嬉しそうに剣を納める。エルもにっこりと笑って剣を納め、オルガの下に歩み寄った。
「よく動けたな。足元が沼地みてェに錬成されていたはずだが・・・」オルガの疑問符にエルは、レイピアを抜き、剣を握った拳骨ですぐ傍らの木に向けて応えた。レイピアの柄が青白く光り、小さな衝撃波が放たれた。反動でエルの体が数メートル弾け飛び、木には拳大の窪みができていた。なるほどな、という納得したオルガを確認して、エルは再びレイピアを納めた。
『ドラグヴェンデル』。老人の作り出した武器はそう呼ばれていた。推されたレイピアは野風のレイピアよりも少し重量を感じたが、切れ味、貫通力、耐久性という点では明らかに上だった。『ドラグヴェンデル・戦針(いくさばり)』。エルは老人の大切な倅のひとつを受け取った。それでもやっぱり石が欲しいなと思っていることを察したのか、元々そちらへ導くつもりだったのか、そちらこそが本命なのか。老人が漏らした一言。
「行ってみたらどうだ、魔の島へ。」城一番の魔導石研究者が住んでいると、オルガの補足が続いた。エルが軽く頷く。
「水先案内人は俺が務めよう。まぁ何かと準備もあるし、出発は3日後の午後だな。」その後オルガとこの大剣の老人が何か言葉を交わすということはなかった。無言のまま城に向けてそそくさと歩き出すオルガに、エルは慌ててついて行った。十分な礼も言えず振り返り様に会釈をするエル。頷く老人。そこにどんな意味が込められていたのか、今はまだ知る由もなかった。
ガレオス城、城門前に会する聴衆数千人。黒服に身を投じ、墨色の軍帽を目深に被り、漆黒のマントで身を包む。この国の喪服のようだ。エルも用意してもらった黒衣を纏い、オルガも装束に念を入れていた。時折聞こえる子供の声とそれを静止する母親。それすらも途絶えさせる葬礼が始まった。
「天より遣われし六百と十三の命。空高く梢と共に。受け継いだ命を暗涙と共に。我らは生きる、この子らと共に・・・」黙祷は正直エルにはかなり長く感じられた。1分、2分ではなかったように思う。その後、一撃の空砲を合図に活気ある賑わいが戻された。エルとオルガは付添いの男に重ね着していた式服を渡して、街を後にする。オルガの足取りは過剰なまでに力強く、必要以上に早足だった。船着場までの道中オルガは黙々と歩き、エルは少し離れて背中を追いかけた。
613の内、526が城の猛者たちによって仕留められた魔獣の数。ガレオス城では人の命も、人が殺した魔獣の命も同等に弔う。その命を支えに生かされていることを不抜に子供達へと残す為。定期的にこのような国葬が行われ、その魂の安眠を祈っているのだった。
沿岸港を出て20分、オルガの操る船に揺られた。羽織っていたマントを脱いだオルガの肉体にエルは改めて感心する。痩躯の自分にはとてもあの大剣は扱えない。腕も確かだ。オルガは石を使わないのだろうか、あの老剣士のように。いや、本職は鍛冶屋なのか。それにしてもドラグヴェンデルと野風のレイピアを比べると、前者は細剣でありながらも力強さを感じさせる。まるであの老人やここにいるオルガの肉体のように。前者がそうなら、後者は己であろうか。あとは魔導石があれば。目も虚ろにそんなことを考えていると、オルガが声を掛けてきた。酔ったか、と。首を横に振り、ふと我に返ると船は離れ小島に近付いていた。さっさと荷物を持って上陸すると、ガレオス城には存在しなかった結界が目を引いた。結界だ。ただし張り方が逆である。つまり島の中から外へ脱出することは容易でないが、島の外から中へは外敵が簡単に侵入できてしまう。オルガに続いて、訝しい表情で結界の内側に侵入するエル。そこには広々とした草原が佇んでいた。原野と言った方が適切かもしれない。そしてオルガの指差すずっと遠方には、この島に不釣合いな小高い塔がそびえ立っていた。
「培養スライム?」エルが聞き返した。
「まぁ、実際に見りゃ分かるさ。ただし一般的なスライムの認識は捨てるこったな。じゃねェと怪我するぜ。」臨戦態勢が嬉しいのだろうか、歩きながらオルガは顔を綻ばせているように見えた。島に上陸して暫く、思い出したように腹減ったなと、緊張感の欠片もない感想をオルガがエルに告げたとき、戦いの序曲が奏でられた。遠方にスライムを発見する。オルガの言う通り培養されたスライムと天然のそれの違いは明らかだった。姿・形が似ていても動きがまるで違う。スライムであってスライムでない生物にエルは大いに戸惑いながら、新しい細剣を構えるのだった。
ナックルスライム。
「スライムのくせに拳を固めやがる。本体のどの部分からでも腕を伸ばすみたいに触手を出しては振り回す。油断していると気付かない内にブン殴られるぞ。」前も後ろも関節もない本体から突然生えてくる棍棒にも似た触手は確かに厄介だった。しかも2本とは限らない。これをまともに喰らえば確かに効きそうだし、鞭の如くしなる為に読み辛くもあった。しかしながら、エルに見切れないことはない。本体の動きが十分過ぎる程にゆったりとしていたから。躱して、隙をついて、レイピアで突く。本体の中心部で仄暗く、赤色に薄光る球形の核を貫いた。すると一瞬動きを停止したスライムは音を立てて液状化し、土に溶けていった。20匹程相手にしただろうか。拳がエルを捉えることはなかった。一方のオルガはご丁寧に大剣で触手を薙ぎ払ってから、本体ごと核を真っ二つに断ち切った。言わずもがな、慣れた仕草でナックルスライムを一掃したオルガも無傷だった。
スピードスライム。
「スライムと思わん方が良い。素早く相手の背後に回り込んでは酸の霧を吐く。まぁ、速いとは言っても所詮スライムだがな。」目が慣れるまではその奇抜な動きに嫌悪感を覚えた。倍速、三倍速の伸縮運動は違和感をこれでもかと漂わせた。それでもオルガの言う通り、スライムにしては速い程度。見慣れはしなかったが、核を狙うことは難しくなかった。一方のオルガは、相も変わらず本体ごと一刀両断の繰り返しだった。
塔の輪郭がはっきりしてきた頃合に姿を現したのはストレッチスライム。
「気の抜けた単発の攻撃は弾かれちまうぞ。ブヨブヨした本体が斬撃を吸収しちまう。大した反撃はしてこねェが、気合入れて打ち込まねェとな。」なる程、エルが突き刺した数発の攻撃は本体に吸収され、核に届くことはなかった。なっ、とオルガがエルに目を遣るよりも早くエルは武器を使い慣れた『野風のレイピア』に持ち替えた。同時に石の力を発動させると『野分の息吹』によって次々と蒸発させていった。その様子を見届けると、オルガは高く飛び上がり、大きく振りかぶった大剣を叩きつける。力任せの一撃をスライムは吸収しきれず、潰れた大福のように変形しては土に溶けていった。しかしオルガが3匹目のストレッチスライムを切りつけ、潰した瞬間、ストレッチスライムが黄緑色の酸を噴霧する。やられっぱなしのスライムが一矢を報いた。ぐわっ、という呻き声と共に片腕で目元を押さえて着地するオルガ。
「オルガ!」目の端でオルガの異変を捉えたエルが腰の革袋から手探りで薬を引き抜きながら、血相を変えて駆け寄る。酸の霧が目に入ればちょっとした火傷では済まない。そう思ったのも束の間、
「なんてな・・・」と何事もなかった様に立ち上がり、清々しく微笑みかけながらこちらを見下ろすオルガに対して、エルは一発蹴りを見舞った。その後は気を緩ませることなく、ストレッチスライムの群衆を蹴散らした。
いよいよ塔の入口を目前に迎えた所では、一匹の巨大なスライムと対峙するエルとオルガ。その高さはエルの身長と同じ位、半液状のスライムとは思えない程の圧迫感を持ち併せていた。
「初物か。」どうやらオルガも見たことはないようだ。ぼそり呟いたオルガが間合いを詰めて斬りかかるも、先のストレッチスライムと同様に跳ね返されてしまった。エルの攻撃もぷよぷよの本体をへこませる程度の効果。無論そのへこみはすぐに元通り。エルが再び石の力を起動させると、
「軽めでいい。仕掛けたらすぐに横へ捌けてくれ。連撃する。」そう言ったオルガは、エルの後方で構えた。先んじてエルが仕掛けたがやはり核には届かない。しかし横に退いたエルの眼前で、オルガの豪快な一撃が巨大スライムを貫いた。螺旋の残像を残したその突きは、レイピアの繰り出す突きとは似ても似つかなかった。‘till the end of the spiral’。核を粉砕し、スライムの巨体に大きな風穴を拵えた。大剣を背中の鞘へと納め、バンバンと手を叩くオルガに
「俺が予備攻撃するまでもなかったね。十分な威力だ。」エルが近づいた。
「この技はちぃと隙が大きくてな。また酸を吐かれちまったら堪らねェ。蹴りを喰らうのも堪らねェ、っつう訳で、囮役が必要だったってわけよ。」それを聞いてポリポリと頭を掻きながら苦笑うエルもレイピアを納める。そして辿り着いた塔の入口へと歩みを進めるのだった。
塔の中。明かりは照らされているが、何もなく誰もいなかった。だだっ広い空間には飾り気1つ無い。当然のことながら音もせず。外から見た塔の色彩そのままに茶や焦げ茶、所々に肌色や黒色をした外壁が、内部でも2人を取りこ囲んでいた。やがてオルガのこっちだという声に頷きながら、オルガに続いて階段を昇りきると再び扉が現れた。不覚にもエルはあまりの静寂と、息苦しさも感じる広大で何もない空間に意識を奪われていた。
「おーい、婆さん、生きてるか!」オルガの大声に思わず怖じてしまった。
部屋には独りの老婆。そしておそらくは魔導石と思われるとりどりの小石達。それらを囲む薬品、試験管、ビーカー、ちらほら見える小さな煙。エルはひと目で確信する、期待からくる早合点の確信に違いないのだが、間違いではなかった。この塔は魔導石の研究所である。胸の高鳴りを感じ、手には汗が滲む。すぐにでも老婆かオルガに話を聞き、質問を投げかけ、魔導石を譲り受けたかった。多少の礼金を渡す準備もあった。けれども、かように急ぐエルを余所に、
「おや、オルガ様。いらっしゃるのであれば事前にご連絡を頂かないと。スライム達が暴れましたでしょう。お怪我はございませんか。」ゆっくりと眼鏡を外し、ゆったりと凝った肩を叩きながら歩み寄る老婆に、少々歯痒さを覚えるエルだった。
老婆の名はスタヴといった。城に仕えていた頃の功績を認められて、本人の希望に沿う形でこの無人島を与えられていた。この島の何が気に召したのかは不明だが、以来スタヴが島を離れたことはなかった。島は愚か塔の外へもほとんど出ていないのではないかとオルガが心配する程だった。ここ数年は急速に痩せ細った。オルガはしばしばこの培養スライムの住居と化した、人々曰く魔の島を訪れていた。剣の鍛錬の為かスタヴの様子を伺う為か、その両方か。幾度となくこの部屋の扉を乱暴に開けてきたにもかかわらず、オルガは魔導石を手に取らなかったのだろうか。一体何故。少なくとも1人は、魔導石を使える騎士と面識があるはず。エルは思考回路のどこかで炙り出された疑問を秘めながら、
「あの、石を-」間隙を縫った精一杯の依頼、スタヴはすぐに応えてくれた。
誰かさんとは異なる恭しい態度で請うスタヴに、エルは『野風のレイピア』と『ドラグヴェンデル・戦針』を手渡した。蚊の涙程の沈黙を嫌ったオルガが急き立てる。
「どうだ、何かわかるか。エルに合った石を見繕って欲しいんだが。」老婆の2倍もあるのではないかという巨人の催促に動じることなく、オルガの口調の半分程度の速さで、スタヴは目を瞑り口を開く。
「良かった。心ばかりのお手伝いはできそうです。只今、ご用意致します。」そう言うと1つの魔導石を、朱色と薄い青色の同居する、しかし時に朱色のみに、時に青色のみに色を変える魔導石を手に取った。。
そしてスタヴの温もりと柔らかさを抱く優しい瞳が、エルの目を捕らえる。よくお聞きなさい坊や、と。矢の催促とは正反対に。
「一口に魔導石といっても、それこそ砂利石の如く無限に存在します。その性質・特徴は様々ですが、相性というものまで確認されています。武器や防具、道具といったものとの相性もさることながら、最も重要なことは何といっても使用者、つまりは人との相性です。己の特性に見合った石を探し、類似した性質、属性を持つより強力な魔導石を見つけることが、例えば魔族や魔獣に対抗する切り札の1つとなるはずです。まぁ、根本的に石の力を受け付けない方もいるようですが。」そう語るとチラリととオルガを見遣ってから、石をドラグヴェンデルの柄の底辺に埋め込んだ。石の半分がまるで粘土に沈むように、エルのレイピアに装填された。
「ほう、そんなこともできるのか。」
「法術の心得が多少ある者なれば誰でも。もう片方の細剣も同様の手法が取られております。アクセサリーの様に装飾しても良いのですが、エル殿の戦い方では邪魔になるでしょうから。」スタヴはエルに武具を返すと、今度はオルガに視線を移し、話し始めた。
「オルガ様、残念ながら人工の魔導石にはやはり限界がございます。自然の魔導石の多くには遠く及びません。自然に眠る、もしくは魔族の有する魔導石に勝る石を作ることはできませんでした。」
「そうか、ご苦労だったな。それと・・・。」しばしの沈黙。
「それと・・・世話になった。」
「こちらこそ。度々足を運んで頂き光栄でした。」スタヴは目を細めて微笑むと、2人を奥の扉へ連れて行った。エルとオルガが入ってきた扉とは異なる出口。手燭を持って露払いの役をするスタヴと、それに続くオルガ、エル。3人は階段を下り、地下道を進んでいた。
「この塔に地下道なんかあったのか。もう少し探索しておけば多少の食いもん位は・・・」独り言を呟くオルガと、やはり上に行くものとばかり思っていて意表を突かれたエル。
「上には何もございません。もちろん食べ物の類も。この塔はいわば目晦ましにございます。この塔が守るべきはこのカタコンベ。そして・・・」着いた小部屋に置かれた機械らしきもの。蝋燭の燈(あかし)以外に光のない空間では詳細が分からないものの、かなり年季の入った、古びた何かであることは察しがついた。物珍しそうに見回し、触れるオルガ。一方のエルはそれが何であるかを知っていた。使ったこともあった。もっと言えば、カタコンベを歩いている最中にこの転送装置の存在を予感していた。
2人はすぐに所定の位置へと促された。そしてスタヴが何らかの操作をしたのだろう、目の前から色が消えていく。元よりか細く儚い光で照らされていたわけだが、それでも無色に近づいていることが分かる。何の説明もなく、有無を言わせず事が進む。光が色を失い、スタヴの輪郭が薄れていく。白でも黒でもない、無色透明の世界が2人を包んでいった。次いで消失。
「オルガ様、どうかご無事で。」転送装置だけが残る小部屋で、スタヴは深々と誰もいなくなった機械に頭を下げ続けた。
『蒼き秋風の魔導石』。スタヴが残した唯一の魔導石となる。本人の謙遜とは裏腹に、今のエル達にとっては強力な戦力。ドラグヴェンデルの戦闘力を上昇させ、新たなる力を与えるのだった。
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