石物語
遥風 悠
プロローグ~枯れ国の御里(かれくにのおさと)
【枯れ国の御里】
今は昔か未来のことか。野放図に広がる大地の上で、石を求めて彷徨う者達。希うは富か、力か、名声か。太古草昧の奇跡とも、朽ちた魔族の骸とも、女神の涙の一雫とも言われる魔導石。人間の望蜀を満たし、希望を叶え、欲望を果たす。渡り鳥、トレジャーハンター、冒険者、そう呼ばれる猛者達が石を探求する。生きる為、契約の為、自己顕示欲の為。人に話す目的はなく、人を守る力を持たず、人に妬まれる名声もない。始まりを忘れ、終焉も分からぬまま、希求の歩みを絶つ事はない。
故郷を離れて3ヶ月。少年が目指すは小さな人里。石の噂を聞きつけ、一路辺境の地へ向かう。この世界における里、村、町等およそ人間の住まう土地は、結界によって守護を受けている。さもなければ定住に慣れ親しんだ人間が、多過ぎる外敵から身を守る事は難しい。結界の内部と外部は10センチに満たない白色光の壁で隔てられているので、人間の集落に近付けば結界の存在を見て取ることができる。こんな辺境の地でも結界が貼られていることを考えると、いかに一般的で不可欠な能力であることか。ちなみに人間の作り出した結界が人の侵入を防ぐことはない。害を及ぼすこともない。数多いる渡り鳥のひとりエルは、薄光りする結界を通り抜け、里へと足を踏み入れた。
見渡す限り田畑が広がっていた。その他、住居以外は目に入らない。とても静かな、深すぎる静寂という全くの無音に不気味さを覚える里だった。外部との接触を絶ち、子供は数える程しかいない。今いる大人と限られた未来しか持たぬ老人が役目を終えれば、この里も消えてなくなる。その前に子供達を希望ある世界へ送り出さねばならない。そんな話を宿の老主人から聞かされた。『枯れ国の御里』。申し訳ないが適切な名だ、エルは心の中で納得した。宿の一室で暫く落ち着いても、時折聞こえる小鳥の囀り以外は響かない、風に揺れる草木以外は動かない、己の影以外に気配はない、淋しい里だった。
日が沈む前に長老への挨拶がてら、石に関する情報を伺った。信憑性を度外視すれば昔からの言い伝えは残されているとのことだった。エルは一晩宿に泊まり、翌早朝にその魔導石があるかもしれぬ場所へと向かった。一般的には考えられない速足で歩を進めながら、長老との会話を反芻していた。『鬼がきたりて』。里に伝わる伝承詩らしい。知っているかと問われたが、首を横に振った。目にしたことはもちろん、話に聞いたこともない。さやうか、と言うが早いか長老は原本を書き写したと思われる仙花紙を差し出した。好意を突き返す訳にもいかず有り難く頂戴したが、中身は拝見していない。無論今は、他の幾つかの荷物と一緒に宿へ置いてきた。
夜明け直後に里を発ち、予定通り午前中の内にそれらしき場所へ到着した。途中フォレストウルフの群れに遭遇したが、特に傷を負うことなく遣り過ごした。魔獣ではあるが、そのスピードは普通の狼とさほど変わらない。クリーチャー・エンサイクロペディアにはEランクと記載されており、エルの敵ではなかった。『野風のレイピア』を構え、『涼風の魔導石』の力を解き放つ。そこから繰り出される『野分の息吹』の攻撃範囲はおよそ5メートル。的確にフォレストウルフの脚部に狙いを定め、貫く。剣先から青白い風が吹き出たかと思うと、魔獣がキャンと鳴き声をあげバランスを崩した。間合いを詰められる前、円形状に囲まれる前、背後を取られる前に威嚇と攻撃を繰り返すことで、フォレストウルフ達に逃走を余儀なくさせた。
特に迷うことなく見つかった岩窟。あいにく、容易に見つかるということは既に先客が事を済ませた可能性が高いのだが。『青やかの洞窟』。中は仄暗く、所々に白を携えた光が差し込んでいた。洞窟を構成する結晶質の石灰岩に足を滑らせないよう、最新部を目指す。魔導石の為だけに作られた洞窟かは分からないが、貴重なものほど奥深くに眠らせるという心理は今昔問わず普遍。道はほぼ一本道で帰り道に戸惑う心配はなかった。複雑な迷路であれば目印を刻んだり、所持品を落としたりもするのだが、その必要性はなし。黙々と歩を進める中でブルースライムやグリーンスライムを見かけたが、エルに気付いているのかいないのか、静かな蠕動運動で通り過ぎていった。エルにしても用無しだ。倒しても高値で売れる何かが手に入る訳でもないし、戦えばゲル状の蛍光塗料と異臭が装備に付着する。間違ってグリーンスライムの毒素を含んだ吐息を吸ってしまえば、暫くの間は悪寒が止まらない。今回の目的はあくまで石の探索。資金集めや鍛錬ではない。目的遂行が最優先であって、リスクを極力避けることがその近道になることをエルは承知していた。
足を踏み入れて3、40分経過しただろうか。予想よりも奥深くまで続いた洞窟の最新部と思われる場所に辿り着いたが、こちらは予感通り、魔導石は見つからなかった。何者かが既に持ち出した後か、元々存在しなかったのか。エルは腰を下ろしてしばし休息をとる。雫の音がする。その反響音が大きい。辺りのスライムがのろのろと動く。入口付近よりも濃く深い紺碧の中、当たりがないことを確認すると、エルはゆっくりと歩みを戻し始めた。
~ 魔導石 ~
古来より不思議な力を宿してきた数々の石。石の力を用いて一国の王として君臨した者、天界に昇った者、魔界を治めた者が存在したという。かつては魔導石をめぐって戦も絶えなかったが、今では外敵から身を守るべく結界に使われることが多い。また魔導石は、武器や防具に装飾することで様々な特殊効果を得ることができるのだが、まだ石を扱える人間が多かった頃はこちらの使われ方が一般的だった。天然の魔導石、人の手によって合成された人工の魔導石、魔族等の体内に埋め込まれた魔導石が存在するが、全く無の状態から石を作り出す方法は解明されていない。
~ 結界 ~
主な役割は外敵(人間族以外の種族)の城や町への侵入を防ぐこと。その性能は術者の能力や魔導石の質によって左右される。多くのものは侵入を妨げるだけの障壁だが、敵に攻撃を仕掛けるもの、結界内部の姿を消し去るもの、内部に敵を閉じ込めるもの、非常に広範囲に渡るもの等がある。ただしどんな結界も万能ではない。侵入者との間に圧倒的な能力差が生じる場合には、結界がその機能を維持することは難しい。
~ クリーチャー・エンサイクロペディア ~
ランクS:該当種族の最高位、もしくは既定種族に属さないマスタークラス。目にすることは稀だが、 対峙した際は命の覚悟を。
ランクA:特に危険性が高く、特殊能力や変身能力を持つタイプも多い。その力は歴戦の勇者をも一掃する。
ランクB:下級クラスを統べられる程の力を持ち、戦闘では前面に立って破壊活動を行うこともしばしば。排除するには相当の実力を要する。
ランクC:平均的な強さを誇り、その生息数が最も多いランク。鍛錬を積んだものであれば互角以上の戦いを強いることができるだろうか。
ランクD:実戦経験を養うのに適する。怠ることのない事前準備によって、その被害を最小限に留めることが重要。
ランクE:非戦闘員でも退けることが可能なレベル。ただし好戦的なタイプ、集団攻撃、不意打ち等には注意が必要。
奇妙な雄叫びを耳にしたのは洞窟を出てすぐのこと。葉が擦れ、木々は轟き、土が震えた。ただならぬ事態であることは容易に想像できた。それでもエルは反射的に声のした方へ走り出す。雄叫びを耳にしたのは1度きりだったが、その蛮声を頼りに発生元へ近づくにつれて、奇怪なエネルギーの存在を手に取るように感じられた。正体も詳細も分からないが、可能性はある。洞窟での成果が空振りに終わり手ぶらでの帰路を覚悟した中では、どのような手がかりも興味惹かれる希望の光に見えた。己の中で無理にでも希望の光に差し替えてしまうのだ。
正体は指呼の間で目にするまでもなく判明した。しかしながら大体10メートル位なのだろうか、自分の常識に収まりきらない背丈を瞬時に目測することはできなかった。赤鬼。鬼人族を実際に見るのは初めてだったが、伝承やお伽話、寓話やクリーチャー・エンサイクロペディアでは何度も見聞きしてきた。それでも正直、足は竦んだ。そして、それに拍車をかけるもの。それは赤鬼の視線の先にあった。魔族。肩や背中を覆う長い銀髪が特徴的。宙に浮かんで、目線を鬼と合わせていた。気圧されているのは鬼。その背後には子鬼。2匹の小さな子鬼が匿われていた。
「滑稽だな。心を持ったばかりに絶滅するか。」呟くと同時に魔族の両目が大きく見開き、避けた口から小さな2本の牙が顔を出す。空に向けてゆっくりと振り上げる魔族の右手に、黒とも紫とも、濃ゆい血の赤ともとれる光が灯る。赤子の手を捻る、か・・・やってみよう。最も捻る前に父親ごと消滅するがな、アッハッハッハッハッハ・・・高らかに放たれた笑い声と一瞬の白光り。周囲の木々から色が失われた。
光に包まれたままで姿はシルエットすらもはっきりしないが、白き光の塊が鬼と魔族の間に割って入った。背中から翼のようなものが生え、宙に浮いている。鬼に背を向け魔族と目線を合わせたこの時点で、どちらの味方かがはっきり示された。エルの存在に気付いていなかった魔族は一瞬驚きの表情を見せるも、余裕の笑みが失われることはなかった。一方でエルと赤鬼の表情は堅い。緊張が走る中、徐(おもむろ)に右手を突き出し、掌を魔族に向けるエル。すると何かを予感した魔族はあっさりと姿を消し、直後、エルの伸ばした右手から閃光が放たれた。
「まぁ、いい・・・」どちらの呟きだったろうか。取り巻いていた白光も輝きを失うとエルは元の姿に戻り、地上へ着地した。魔族は逃走したようだ。エルはふぅ、と一息吐き出すと振り返り、ニコリと笑みを浮かべるのだった。
赤鬼は泣いた。エルを警戒する必要がないと悟ると、眠っている子鬼達を前に大声で泣いた。自分の親指ほどの子供達を優しく、傷つけぬよう、恐るゝ愛でる。そしてまた涙を流す。父親の発する騒音に目を覚ます子鬼達を見て微笑むエル。しゃがんで、まだ小さくて柔らかい角の生えた頭を撫でてやる。子鬼達は気持ち良さそうに目を細め、再び安眠に落ちていく。親鬼はまだまだ泣いていた。心ある者にとって、赤子の手を捻ることほど難しいことはない。鬼の目から零れた涙の一粒が魔導石として土に転がった。『鬼の緋涙石(ひるいせき)』。エルは石をありがたく頂戴して森を後にした。あの様子では暫く泣き止まないだろう、再度エルの口元が緩んだ。魔族や龍神族の様に消滅と共に魔導石を残す種族もいれば、特別な条件下で石が姿を現す場合もある。エルは思った以上の成果を手に、往きよりもゆっくりとした足取りで里に戻った。
宿に戻ったエルはベッドで体を休めながら、長老から渡された『鬼がきたりて』という短い詩と『鬼の緋涙石』を交互に眺めた。次第に詩を辿る時間が増え、その内に石は脇へと退けられた。幾度となく文字を目で追い、終着すれば始点に戻る。単純作業を飽きるまで尽くしたエルはふと起き上がり、石を手に部屋を出ていった。およそ24時間前と変わらぬ姿勢の老婆。無事で何より、という出迎えの言葉に軽い会釈で応え、御付きの者に差し出されたお茶に再びお辞儀を済ませると、エルは魔導石を取り出し、旅路での経緯(いきさつ)を口の端に掛けた。
大昔、この辺りには大小様々の石が散在していたそうな。殊に珍しいものではなく至極当たり前の砂利石だった。それは情と涙に脆い鬼達が人と共にいた証。しかしながら、平らかで和やかな日々に感謝し、喜び分かつことを諦めさせたのは人間だった。高貴な魔導石として名高くなった『鬼の緋涙石』を求めて、里の外の者が多く出入りするようになった。御他聞に漏れず強欲は争奪を招き、破滅に帰した。気付けば鬼人族は、人間族の前から姿を消していた。幾つかの偶然が重なった結果、鬼は滅したのかもしれない。人語を介せずとも、心を持ってしまったから。決してそうではないことを心より願うそうな。
~鬼がきたりて~
鬼がきたりて、米・牛・芋茎を食い漁る
貯蓄余剰、欠片も骸も残さぬよう
鬼がきたりて、田畑・林を踏み荒らす
風か嵐か、風神の私憤慷慨か
鬼がきたりて、雪の布団に身を任す
若い息吹が、土の筵に身を任すまで
鼻歌ならし、手を叩き、浴びる程まで酒を呑む
女・子供に手を焼かせ、三日三晩は起きますまい
・・・
鬼がきたりて、山神様と相対す
山を登りて仁王立ち、山を殴り、砕き潰す
・・・
鬼が去りて、里の命が救われて、隠れの里も役目を終える
鬼の耕した畑で人間が作物を育てる。実を成す樹々の恩恵に鬼も与る。酒も飲む。互いに飲み交わす。颶風が唸れば鬼共が身を晒して家屋を囲み、寒さ厳しければ人間が石炭をくべてやる。秋口までの蓄えを共に分かつことで生きる人と鬼。
ある夜、地鳴りに目を覚ます里人。山は既に炎立つ。噴火で滅ぶは里の人間のはずだった。しかしながら、鬼の衆が身を挺して山を囲んでいた。そして噴煙が解かれる頃、何も残ってはいなかった。ただ里だけを除いて。石の力などではない。鬼神様によって残された里。そして墓石。
~ ブルースライム、グリーンスライム
- 魔獣
- ランク:E ~
ゲル状の魔獣で、その移動速度は非常に遅い。低温を好み、火気を嫌う。多種多様なスライムの中でもブルースライム、グリーンスライムは好戦的な方ではないが、酸性の水を吐き出したり、毒の息を吐き出すこともある。危険性が低いとはいえ不用意に近づくことは避けた方が良い。
~ 鬼人族 ~
かつて栄華を極めた種族も、現在は絶滅の危機にある。その腕力、特に、怒りに我を忘れ身を任せた際の圧倒的な破壊力は、何人たりとも抑えることができないと言われている。絶滅危惧の原因について詳細ははっきりしないが、衰滅は時間の問題とされている。
~ 魔族 ~
絶大な闇の力を持つ一族。戦闘能力に長け、戦闘行為を好み、法術の知識を有するものも少なくない。過去、無益な殺生を絶っていた時期もあったようだが、近年は支配欲に目覚め、破壊活動を繰り返している。魔族の寿命は人間族の10倍、一方で繁殖能力は100分の1程である。
~ 野風のレイピア
- 涼風(すずかぜ)の魔導石
- 野分(のわけ)の息吹 ~
「風を携えているかのよう」と評されるほどに軽量化された細剣、『野風のレイピア』。その分切れ味や耐久性は劣る為、直接敵を貫くよりも魔導石を介した攻撃に適した武器と言えるだろう。
『野分の息吹』貫通性に優れた風の小槍を放つ、風属性の基本的な剣技。今のエルだと飛距離5メートル、厚さ5センチ程度のベニヤ板ならばわけなく貫ける。
【枯れ国の御里 終】
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