第6話 蜜月(みつき)の物思い
七草節会の夜に、月の障りが始まった。
それと同時に熱を出して寝込んでしまった私に、婆どのは暖かな葛湯を作ってくれた。
「月の障りの折に体調を崩すのはよくある事ですよ。今回は直前にとても忙しくしていたから、疲れが出たのでしょう。暖かくしてゆっくりお休みなさい。」
葛湯には生姜や柚子の皮が入っていい香りだ。蜂蜜もたっぷり入って甘い。ゆっくり、ゆっくり飲んで暖まると、真綿をたっぷり挟んだ褥に横になった。
被いでいる大袿にもたっぷり真綿が入っている。こんな贅沢な寝具の出処はやっぱり島宮様だ。
二日前の睦月の五日、島妃様の住まわれる如宮の母屋で、島宮様の御子たちが一堂に集まった。私も主と共に始めて島宮しまのみや様の娘として参加した。
「はじめまして。私が島宮の妃よ。お会いできて嬉しいわ。」
島妃様はとても朗らかな方だった。
ふんわりと丸く柔らかい印象で、美女というのではないけれど、暖かく包み込んで来るような方だ。その唯一のお子様という島ニ皇女もよく似た雰囲気の方で、島妃様に育てられているお兄様が大切に思っておいでになるのもうなずける優しげなお姉様だった。
この方の背の君の罪に私は関わってしまったわけで、心が痛む。私が悪いわけではもちろんないけれど、この方も悪くはない。
「あの、まずお詫びさせて下さいませ。私の夫である三宮が大変なご迷惑をおかけいたしました。蜜月どのに何事もなくてほっといたしましたけれど、一時は凪海に落ちられたとも聞いております。本当に申しわけございませんでした。」
その島ニ皇女様に深々と頭を下げられて慌てる。この方に謝罪を受けようと全く予想していなかった。
「お顔をお上げ下さいませ。貴方様に落ち度があっての事ではございません。むしろ我らの婚約の勅許の事で貴方様にお辛い思いをおさせしたのではないかと案じております。」
主が受けてくれてホッとした。
「いいえ。あの方は睦臣が関わらなければお優しい方です。それにあの方に島宮が務まるはずのないことはわかっておりますもの。それは本来は輝宮かぐのみや様のご婚約とは関係ない、あの方自身の問題です。そのようなお気遣いは無用ですわ。」
この方は、三宮様の弱さや何もかもをひっくるめて理解した上で、三宮妃でいらっしゃるのだ。
「以後は決してこのようなご迷惑はかけさせませんわ。私が責任を持ちます。」
それでも朗らかに笑ってそう言い切られた事には驚いた。
「それでは貴方様は三ノ兄上をお見捨てにはならぬのですね。」
主の言葉に島ニ皇女様が肯かれる。
「ええ。あの方が睦宮においでなのも良くないことと思いますので、近くこちらに引き取るつもりでおります。母も承知してくれておりますわ。」
「母上、本当ですか?」
慌てているところを見ると、お兄様は知らなかったのだろう。
「西の対があいておりますし、丁度いいでしょう。手入れはいるだろうから、あなたも手伝ってちょうだい。」
島妃様がおっとりと笑う。
「本当なんですね。まったく、お二人とも無駄に面倒見がいいんだから。」
脇から島ノ壱王のお兄様が教えて下さったところによると、島妃様は縁の下で生まれた猫でさえ拾って育ててしまわれるご気性なのだそうだ。
「ニノの事もそんな感じで当たり前に引き取ってしまわれたの。それじゃあ反対できないでしょう。」
島壱皇女様がコロコロ笑う。お兄様はニノと呼ばれておいでらしい。
皆、母君の違う島宮しまのみやの御子たちは、それでも島妃様を中心に和やかな関係を築いているらしい。これも島妃様のご気性故だろうか。
和やかに談笑し、しばらくすると島宮様もおいでになった。
「宮様、おかえりなさいませ。あけましておめでとうございます。」
島妃様がおっしゃると他の皆も唱和する。
「あけましておめでとうございます。」
島宮様は肯かれて、一番上座に用意されていた席に着かれた。
「あけましておめでとう。皆、息災のようだな。」
不思議だ。如宮におられる島宮様はいかにもお父様という感じだ。島妃様をお側に、くつろいでおられるのもわかる。島宮よりもむしろこここそが、島宮様の本拠という感じだ。
「私は子供の頃はここで育ったのだよ。妃は西対に母君と住んでいて。私の母が亡くなった折に妃に移ってもらったのだ。」
やはり如宮こそが、島宮様のご家庭なのだろう。あるいは職場である島宮には、あえて妻子を置いておられないのかもしれない。
集まりは終始穏やかで、暮れ始めると島妃様が私が持参した手土産の踊灯籠を披露して下さった。
龍眼でもらった金蓮華の羅を張った灯籠は、火ではなく煌に寄る神霊によって灯りを灯す仕組みだ。
煌をためる図案を描くために多くの煌がいる上に、灯りを灯すのにも当然煌を必要とするのでそれほど使われているわけでない灯籠を、手土産にするのを思いついたのはちょっと癪なことに主だ。
思いつくだけでなく、煌をためる図案を描きもしてくれた。
スッキリと飾り気の少ない灯籠の中で、神霊の影がひらひらと踊っている。
その踊る影ゆえに踊灯籠と呼ばれるのだ。
「見事なものですこと。踊る影もそうですし、張ってある羅も淡い黄の色がとても美しいですわ。」
島妃様のお言葉にお兄様方、お姉様方も肯いておられる。主はこういう図案を描くとかいうことは得意なのだ。
「恐れ入ります。金蓮華の羅は蜜月が龍眼の長からいただいたものを張らせました。」
そのまま日がすっかり暮れるまで皆で踊灯籠を眺めていた。
踊灯籠の揺れる灯りを、父とか嫡母とか、兄姉と呼ばれる方々と一緒に眺めているというのは、孤児として育った私にはとても不思議な感じだった。
三宮様や睦臣様の罪はまだ確定していない。残念ながら白鹿という男の行方もわからないままだ。術が特異だったのでおそらくは外国の者だろうとは思われているが、西の大陸の人間はこの国の民と見分けのつかない者も多い。見つけ出すのは簡単ではないだろう。わからない事が増えただけで、きっと何も解決はしていない。
年の瀬からだけでなく、このところずっと慌ただしかったので、熱を出してぼんやりと横になっているのは変な感じだった。ポッカリとした空白にはまり込んでしまったみたいだ。
横になっているうちにウトウト眠ってしまったりもして、何度目かに目覚めると主がいた。
几帳を一枚隔てた向こうで、何やら読んでいる。
一体何をしてるんだろう。書見するなら自分の部屋でやればいいのに。
「起きたか。」
主は几帳越しに手を伸ばして、額に触れた。
「熱は下がったな。」
その手を滑らせるようにして、枕べに流した髪を撫でる。
「本当に髪はひやりとするんだな。昔は熱かったのに。」
昔っていつのはなしだろう。
「蜜月が夜泣きした時なんて、何もかもがやたらに暖かかったぞ。」
いつの話をしてるんです?!
だって私はもう十二だし、夜泣きなんてするわけない。そもそも主に仕えた時にはもう、七つになっていたのだ。夜泣きなんか…
「もう五年か。」
ふと、思い出す。そういえば、神奈庄かんなのしょうを離れてすぐの頃、夜中に寂しくなって泣いたことがあったような。
すっかり忘れていた。
だって輝宮の召人はみんな優しくて、すぐに輝宮かぐのみやこそが私の家になってしまったから。
正確には七つの大饗からだから五年にはまだまだ足りないけれど。
私はこのお正月で、十二歳になった。
月の障りも始まった。現にそれで熱を出して、こうして寝込んでしまっている。
「ずいぶん、大きくなったな。」
主の手がもう一度髪に伸びかけて、でもためらったように戻って行った。
もう少しこのままでいたい。
いっそずっとこのままがいい。
女童でいられるのは、せいぜいあと三年かそこらだ。もっと短いかもしれない。
裳着が済んだら私は女王として主の妻問を受ける事になる。
確かに今回、三宮様に拐われてわかった事があった。少なくとも三宮様よりは主の妃になる方がいい。
三宮様に「子を産め」と言われたときは吐き気がするほど嫌だったけど、主の子を産まなければならないと言われた時は、ただ困惑する気持ちだけが強かった。
主の子なら産んでもいいし、主の妃にならなってもいい。そう思うくらいには、たぶん主の事が嫌いじゃない。
でも、どうしてこのままじゃいけないのだろう。
ずっとこのまま、主の従者としてやっていけるんだったらいいのに。
大人になんてなりたくありません。
そう言うと、主はぽかんとして、それから笑った。
「言ってろ。子供はみんなそういうんだ。」
それから笑うのをやめてちょっと黙る。
「大人になるのは難しいんだ。中々できる事じゃない。」
色々だらしなくて、残念で、今まで大人になんてまるで見えていなかった主の事が、少しだけ大人に見えた。
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