第5話 年越祓(としこしのはらえ)
禊川の両岸に敷き並べられた青菰の上には百巫、百官が居並び、松明にてらしだされた両岸をくっきりと白と黒に染め分けている。
あの黒衣の中に
シャン シャン シャン
鈴女たちが揃って鳴らす鈴の音。
幕ノ内では主が舞う。
むせ返る
私は幕ノ内の隅に控えている。いつもなら朝の宮に控えておられるはずの東宮様も、今宵は幕ノ内におられる。
「やはり
東宮様がぽつりとつぶやかれた。
前回の
ゆるりと主上が立ち上がられ、師走社しわすのやしろの前に立たれる。社から月神がお出ましになる。
月神は不思議な神だ。
月光から結んだ神だと言うけれど、月のない朔の夜以外は社に籠もっておられる。大饗のおりも最も動かないのがこの神だ。
一年をかけて十二庄を渡り、京みやこの場を整えるという役割を担う、本当にただそれだけの神。
お出ましになられました
私の言葉に主は舞納める。
どうしていつでも主には私の言葉が届くのだろう。主は月神を見ることすらもできないのに。
主上が舞始める。
緩やかに、満たされた煌の中で泳ぐように。
月神も舞う。
影が形に添うような、連舞。
主上と月神は南の気を招く舞を舞う。
考えて見ると主は、
いくら禁足の聖地とは言っても、そしてでき得る限りの簡略化を施していたとしても、場を整え、月神を写し、南の気を招くという事を、私を含めた僅かな助けだけでやり遂げたのだ。
主上は優美な舞のままに、緩やかに禹歩を踏み始める。
青菰の敷き詰められた上を主上の何も履かない素のおみ足が踏んでゆかれる。鈴女たちは同じ調子で鈴を打ち鳴らし、主上の禹歩をお助けする。
禊川の水に主上の足が浸った時、夜の深くなるに連れてあたりが冷え込んできていることに気づいた。冷えている上に流れる水だ。きっと切るように冷たいだろうと思うのに、主上は同じ拍子を乱れさせる事なく禹歩を踏み、川を渡って行かれる。
主上と月神が対岸の茅の輪を潜ると黒衣の官たちから「万歳」の声が上がり、御代の泰平と長久を寿ぐ歌を声を合わせて歌い始める。
その歌の中を主上はなおも歩まれ、
さらなる「万歳」を合図に巫かんなぎの舞人たちが舞い始める。
「さて、行くか。」
東宮が立ち上がられ、主も続く。
このまま新年の歌会が始まるが、東宮様や主は一度朝堂にもどる手はずになっている。そこに二宮様がおられるはずだ。
「二宮は大蔵だけでなく武官も相当把握している。もしかしたらすでに三宮を捕らえているかもしれん。」
東宮様がおっしゃるように、朝堂にはすでに三宮様とあの大男がいた。大男は縄をうたれ、三宮様にはさすがに縄は打たれていないけれど、武官二人に付き添われておいでになった。床に座らされている二人から少し離れて、二宮様が立っておられる。
「
主に問われて首を振る。
いません。
主が東宮様にその事を告げる。東宮様が座り込んでいる三宮様の前に立たれた。
「もう一人はいかがいたした。」
三宮様がぼんやりとした目を向ける。
「兄上…何を…」
なんだか目の焦点があってない。
「もう一人、配下を連れていたろう。妙な術を使う男だ。」
東宮様の重ねてのお言葉に首をかしげる。
「え…それは…どういう…」
三宮様はおかしい。もともとちょっとトロくさかったし、中身も微妙だったのは初めてお話しした事でわかっていたけど、そういうおかしさではなく、明らかに何か術にでもかかったようなおかしさだ。
「そこの者、そなた名は?」
三宮様にきいても埒があかないと思われたのだろう。東宮様は縄を打たれている大男の方に直接御下問になった。
「猪丸…だ。そう名乗れと…」
大男の方も呂律がおかしい。
「名乗れと、誰に言われた?」
東宮様の声の調子が変わる。東宮様は煌を使っておられるのだ。
煌は強力な魅了の力だ。その力に捕らわれればなんとかして煌の持ち主の意を迎えたいという欲にかられる。本当に持ち主が望めば神霊に対する感応のある無しもあまり関係がない。全ての生き物は皆、もともと神霊から始まっているのだから。
男の目の焦点が東宮様に合い始める。
「外国の男だ、と思う。白鹿と呼べと…俺は奴に逆らえなくて…」
「兄上、それ以上は。」
二宮様のお言葉に、東宮様の煌が緩む。
「…どうやらその術者は三宮の配下というわけではなかったようだな。」
むしろ三宮様が術にかけられているような感じだ。しかし、一応は皇子とされるに足る煌を持つ方を術にかけるとは、どれだけ強力な術者なのだろう。
「三宮は蜜月が捕らえられていた可能性の高い、凪海の邸にいました。睦臣の
二宮様がおっしゃると、主が眉間に皺を寄せた。
「撫菜の同母兄ですね。撫菜のところで会ったことが何度かあります。」
そう言われれば私にも誰の事かわかった。
撫菜様を四角くしたような印象の方だ。
「寿代は三宮とよく遊んでいた睦臣の子息だ。」
東宮様の表情も苦い。
「すでに寿代卿も捕縛の命を下してございます。その術者とやらがどこから入り込んだものか確かめられるとよろしいのですが。」
二宮様は言葉尻を濁されたけれど、おそらく難しいだろうと言うことはわかった。実際にほとんど時をおかず捕まった寿代卿は、白い目の術者の記憶だけが曖昧だった。
捕物は捕物として新年の祭礼は行われなければならない。
三宮様と猪丸、寿代卿はまとめて東宮の予備の塗込に押し込められ、武官の見張りがつけられた。西宮の三宮様のお部屋や、本拠とされている睦宮西対の探索は二宮様が指揮をとって下さるらしい。
とりあえず私は主に付いて、島宮に急いだ。
新年の祭礼は数多い。
まずは夜の明けぬ内に島宮で四方位神の祭礼を行う。祭礼を行う大広間の四方にそれぞれの色の幟を立てて四方位神の席を作り、絞られたばかりの新しい酒を奉る。
その後舞われる五龍の舞は、必ず中央の煌の龍を煌族が舞う。私が知る限りいつも主がその役を担っていて、今年も変わらなかった。
それが終わると今度はまた朝堂に戻って祭礼だ。
新年最初の日の出を群臣打ち揃って拝礼するのに主も出席する。
追儺から始まって、三賀日の間は次々と祭礼が行われるので、主といっしょに朝堂と島宮を行ったり来たりすることになる。
本当に忙しいのだ。拐かされたりなんかしなくても。
いや、どれだけ暇な時だって拐かされるのは二度とゴメンだけど。
冷えて来たと思っていたけれど、朝宮のある穂積庄に向かって舟に乗っている間に、雪が降り始めた。
舟首に吊った灯籠の灯りが落ちる水面に、雪が消えてゆく。
雪の白さにふとあの薄気味悪い真っ白な眼を思い出して身震いした。
白。
そう言えば、あの男が名乗ったのは白鹿だった。
先程の四方位神の祀りでも白い幟があった。
白は西を表す色だ。
(西と秋を司り、総てを結び、縛る白竜。)
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
どこで聞いた言葉だろう。思い出せない。
「蜜月みつき、どうした。」
主が心配そうに私を見ている。竜魚を操る柑次さんも。
いえ。言葉を思い出したのですけど、どこで聞いた言葉か思い出せないんです。
浮かんだ言葉は一節ではなく一組だ。
いや、むしろ景色という方が正しいのかもしれない。海へ沈む黄龍と、四方へ去ってゆく五色の龍。
東と春を司り、畏れを力とする青龍。
南と夏を司り、苛烈さを旨とする紅龍。
西と秋を司り、総てを結び、縛る白竜。
北と冬を司り、整え正す黒龍
中央にあってあらゆるものを惹きつける黄龍。
「始原の五色の龍か。あらゆるものを惹きつける黄龍が煌の龍だな。」
主が考え込む表情で人差し指の節を自分の唇に当てた。
「縛る、白…妙な感じだ。」
私もそう思う。あの奇妙な術者に変に呼応しているようで薄気味悪い。
こんな言葉を、景色を、私はどこで知ったのだろう。
始原の龍の話はもちろん知っているが、言葉といっしょに浮かんでくる景色は、妙に実感的だった。お話を聞いて思い浮かべる「絵」ではなく、どこかにいつか確かにあったと思わせられる「景色」。
「麒麟の話もそうだが、知らない事が多すぎるのじゃないかという気がする。考えてみると五色の龍どころか、煌の龍のことすらろくに知らない。」
主の言うとおりだ。
まるで目隠しされたまま手探りで答えを探しているかのような、なんとも言えないもどかしさがある。
しかもあの白い目の術者、自称白鹿は明らかに危険だ。あの術はあまりに気持ち悪すぎる。
心というか、意思を縛り付けてくる薄気味悪さは、もはや生理的嫌悪感というのに近い。今思い出しても吐き気がしてくる。
そう言えば、あの術者は煌に、ついてなにか言っていた。なんだっけ。
煌はまだるっこしい…
「なんだ?」
主が怪訝な顔をする。
白鹿がそういってたんです。煌かぐはまだるっこしいって。
「煌かぐはまだるっこしい? なんに比べてだ。」
そうだ。まだるっこしいなんて言葉は何かと比べないと出てこない。
「やはり白鹿は捕らえたいな。こちらの知らない事を知っていそうだ。」
私も白鹿が何者なのか、何を知っているのかは知りたいが、捕らえるのは簡単ではないだろうと思う。
「あとは…麒麟か。」
おそらく島宮様の中に今もいるであろう麒麟も、確かにいろいろ知ってはいそうだけど、こちらの情報を得るのも簡単ではなさそうだ。明らかに島宮しまのみや様との間に確執があるし、麒麟の気分で出てくる以外には接触できない。
いろいろとかなり面倒な感じだ。
「蜜月は白鹿の件が決着するまでは、俺から離れては出歩くなよ。また攫われても困るからな。」
主に釘を刺されてうなりたくなった。あちこちで習っている術の修行とか、全部主に付き合ってもらうなんて不可能だ。
ええと、島妃様のお招きはどうしましょう。
何より目先の問題として、島妃様のお招きの話がある。既に日付は五日に確定して、知恵を絞った手土産も用意してあった。
「それは問題ない。俺も行くから。俺にも招待は来ているしな。」
え、聞いてないんですけど。
「三ノ兄上は例年参加されないと聞いていたから迷っていたんだが、もう兄上の動向は関係ない。ならば俺が行けばいいことだろう。」
それは、そうなのかもしれないけど。
思わずついたため息は、思いの外白々と目についた。
水面に落ちる雪は段々と数を増している。この分だと朝には積もっているかもしれない。実際に、舟や、主や、柑次さんの肩にも薄っすらと雪が積もり始めている。
主の手が私の髪に触れて、払う仕草をした。
「雪が積もってるぞ。髪がえらく冷えているな。」
ありがとうございます。でも髪なんてそんなに、暖かいもんじゃないですよ。
冬場の髪なんて冷たくてあたり前だ。
主はなぜかちょっと驚いた顔をして、それから「そうか。」とつぶやくと、黙りこくった。
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