第2話蜜月(みつき)のさらなる困惑

 結局、本当に二宮様と主の間で根回しがあったのかどうかはわからない。だがそんな事を気にしている暇はじきになくなった。

 師走月が近づいている。

 師走社から睦社への月神の遷座は年越祓だ。

 大祓はかんなぎだけでなく黒衣や素衣の百官も関わる大きな行事だ。前の夏越祓の時は龍眼たつのめにいたけれど、本来はみやこで大祓の用をつとめるのも輝宮かぐのみやとしての主の役割だ。

 主は準備のために朝宮と島宮の間を飛び回るようになった。

 大祓に必要なものは多い。

 もちろん半年毎の事だから、準備の手順は決まっているけれど、龍眼で揃えたよりもはるかに多くの仕度がいる。龍眼で主が行った大祓は、本当に最低限だったのだ。

 本来なら青菰だけでもあの五倍では足りない。川の岸に敷き詰めて、鈴女などの供奉の巫はみんな青菰に座す決まりなのだ。

 綺の幕など、最初から無理とわかっていたので用意しなかったものもある。

 主のお供をするようになるまで全然わかっていなかったけど、何かをする時にはその十倍以上の準備がいるのだ。ちゃんと準備していないと、結局は上手くいかないのだ。主は色々とだらしなくて残念な人だけど、そういうことはきちんとやる人だと思う。

 むしろ強すぎるかぐなんてなかったら、官人にこそ向いていたのじゃないかなあ。書類の整理も処理も作成も、とても得意だもの。

 でも、主は輝宮かぐのみやで、だから祀りから離れる事はできない。

 そんなわけで今日も師走庄と睦庄の境の川辺で主は舞っている。

 大祓の会場を結界し、浄めるためだ。

 龍眼では霊地で禁足されていたから必要なかったけれど、普段は生活のために使われている場所を使う場合は、こういう事前準備がいる。

 島宮しまのみやの楽人が笛と鼓を鳴らすのに合わせ、主が足を踏み鳴らす。足下から叩き出された穢れは主の煌に絡め取られ、浄化される。

 実に見事な浄化なのだけど、本人には見えも感じもしていないというところがすごい。主はただ、手順通り、作法通りに舞っているだけなのだ。

 主が舞収める頃に雪が降り出した。

 今年、初めての雪だ。積もるような雪ではなく、降ったそばから消えてゆく。

 今の時期の初雪は、特に早くもおそくもない。

 舞い終えた主が空を見上げてため息をつく。ついたため息は白く、一瞬絡まって消えた。

 早くも遅くもない例年通りの初雪は、主が龍眼で行った大祓の成果のはずだ。

 「冷えてきたな。宮に戻るか。」

 師走宮の母屋は今、住んでいる煌族がいないので、大祓の用意のために使われている。

 楽器を抱えた楽人たちと大道を宮へ戻り、階から上がろうとして違和感を感じた。

 

 待って。


 主が楽人を止めてくれる。

 依緒音を呼ぶと、依緒音はくちばしに紙を咥えて現れた。

 その紙を受け取る。式だ。

 「いったい誰が? なんのために。」

 楽人の一人がつぶやいた言葉が全てだ。意味がわからない。

 主に式は効かない。

 あれだけの煌を相手にかりそめの式ごときに何ができるはずもない。主自身は感応しないから、返されはしないだろうけど。

 では主の行動を見張る役にたつかというと意味がない。七面倒臭い式なんかにみはらせるより、そこらの神霊にきいたほうが早い。いつでも闇夜の大松明の如く目立っているのが主という人なのだ。

 「返せるか?」

 主に問われて式を確かめる。

 

 たぶん


 隠密性はやけに高いけど、そんなに複雑な式でもない。

 「では返せ。」

 主の言葉を受けて式の紙に薫餌くのえを包んで折畳む。


 ちょっとお借りしますね。

 

 主の煌を絡め、吊り香炉を開いて火種から火をつけた。吊り香炉の火種は乾かした繊花だ。この絡んだ絲を思わせる花は、内に火種を包むと燃え上がらない形で長く火種を保ってくれる。

 紙に移った炎は燃え上がり、炎のままで蝶の形をとった。そのまま天に舞い上がり、蝶にはありえないほどの速さでまっすぐ飛んでゆく。

 術者を探るつもりまではないので返すだけ返して放置する。どうせ黒幕と術者は別人だ。

 淡雪の舞う中を飛んでゆく蝶を、なんとなく見送ってから私達は宮へ入った。


 


 ところが、それから行く先々で式と遭遇する事になった。どの式も同じで、やけに隠密性だけは高い。なので気づくのはいつも私で、そのたびに依緒音に獲らせる羽目になる。

 いっそ依緒音に覚えさせて命じなくても獲るようにさせようかとおもったけれど、そうするには微妙に術を変えてくるのだ。

 むしろ術者を変えているのような気がする。

 術者というか、式の発動者というべきなのかもしれないけれど。

 術の癖は似ている。

 だからきっと組んだのは同じ者だ。

 だが、そこにのっている気が違う。おそらくは同じ術を別の人間が発動しているのだと思う。

 主が見えもしない神霊を招き、場を浄める事ができるように、巫でなくても発動するばかりに組まれた式があれば、術を発動できるのかもしれない。

 そう考えたのにはきっかけもある。大蔵の官人が妙な噂をしていたのだ。

 最近、蝶の形の炎が降ってくるという噂があると。

 それをきいてからは返すのはやめにした。

 せめて術を組んだ術者に返すのでなければ意味がない。噂を聞く限り炎が降る場所は京中のあちこちに散っていて、しかも巫のあまり多くいない、田畑や市などに多かった。

 それに巫の世界は狭い。

 例え綺の巫ではなくても、何度も炎の蝶に襲われる巫の噂や、炎の蝶が何人もの巫を襲ったという噂ならきっと聞こえて来ると思う。

 そう考えるとどうやら発動しているのは巫ではないのではないだろうか。

 とにかく見つけた式は片っ端から依緒音に穫らせる。でも獲っても獲ってもどこからか湧いてくる。

 本当に、いったい何がやりたいんだろう。いい加減に面倒なんだけど。ただでさえ忙しい師走に変な手間が増えて、地味に負担になっている。

 「何を燃やしているんだ。」

 大蔵の庭で落ち葉が焚かれていたのに式を放り込んでいると、島ニノ王お兄様に声をかけられた。出会いはわりとぱっとしない感じだったお兄様だけど、その後はぶっきらぼうに話しかけてくるようになった。ぶっきらぼうだけどちょっとお兄さんぶられている感じもあるので、私は声が出ないのをいい事に勝手にお兄様と呼んでいる。

 そのお兄様の言葉に空を見上げる。空からは依緒音が下りて来るところだ。

 依緒音はくちばしや爪に捉えた何枚かの紙切れを差し出す。全部式だ。

 確認のために一枚ずつ広げて確かめる。やっぱり同じような式だ。どれだけ量産してあるんだろう。

 「おまえ、それは呪符ではないのか?」

 お兄様がぎょっとした顔をする。

 呪符…呪符っちゃ呪符かな。でもなあ。

 私は懐から布と筆筒をとりだすと、布に露草の染料で「式」と書いて見せた。

 「式? 式神か。そんなものをなぜ…うわっ」

 確かめた式神を焚火に放り込むとお兄様が叫ぶ。

 「そんなもの、無造作に焚火に突っ込んで大丈夫なのか。」

 大丈夫もなにも式はとうに無力化している。依緒音は主の煌や龍眼の気から成った子だ。符でかりそめに結んだだけの式神など、依緒音が触れただけでも消し飛んでしまう。

 「平気」と布に書くとお兄様が顔をしかめる。

 「いや、そう気楽に扱われても。」

 だって無力化しちゃった式の依代なんてただの紙だし。

 私は再び布に書いた「平気」をお兄様に示して、残りの式の紙を全部焚火に放り込んだ。

 「おわっっ…」

 お兄様が焚火のそばから跳び退く。

 式は火に触れるが早いか溶けるように燃えてしまった。

 「おまえ、いくらなんでも乱暴だろう。」

 だってその辺に放って置けないし、ゴミ箱とか反古入れとかに入れておいた方がびっくりされそうだし、符の書式はもう覚えちゃってるし、燃やしちゃうのが一番面倒がないし。

 でもこれだけ全部筆談するのは面倒なので、お兄様にはきっぱりと「平気」をもう一度指さした。

 「いや、そうなのかもしれんが…おまえ、あんまり大雑把な事をしてるとそのうちしっぺ返しを食らうぞ。」

 一応確認はしてるのでそんなに大雑把な事をしてるってわけでもないけれど、その心遣いには感謝する。お兄様は基本的に良い人なのだ。布に「ありがとうございます」と書くとお兄様が赤くなってそっぽを向いた。

 「別にお前の心配とかそういうのじゃなくてだな…」

 うん。お兄様は良い人だ。きっと初対面の時は良い人成分が暴走してたに違いない。

 私はお兄様ににっこり笑っておいた。

 私の腹違いの兄姉は、全部で四人いるらしい。

 お兄様とお姉様が二人ずつ。弟や妹はわかっている限りではいない。

 一番上は島壱王しまのいちのおおきみとおっしゃるお兄様で、この方にはお会いした事がある。もちろん妹とかじゃなくて、主のお供としてだ。

 すぐ下が島壱皇女しまのいちのひめみこ様で、このお二人はどちらも別の采女の所生なのだそうだ。

 その下が三宮様の妃、島ニノ皇女様。この方は唯一島宮妃がお産みになった皇女だ。

 さらに下の島ニノ王お兄様のお母様は早くに亡くなったそうで、島妃のお手許に引き取られてそだったらしい。つまりお兄様にとってはもっとも親しい姉宮なのだろう。

 で、最後がぽっと出の私という事になる。

 基本的に朝宮や島宮に出ておいでにならないお姉様方は祀りの折などに遠目にしかお見かけしたもとはないし、この先直接お会いする事があるかも甚だあやしい。わざわざ引き合わされるって事もないんじゃないかなあ。

 齢十二になろうかって頃にいきなり現れた「娘」って、存在自体胡散臭いだろうって思うもの。

 そう考えると私を一応妹扱いしてくるお兄様は、やっぱり良い人なんだと思う。

 「そうだ。そなた正月はどうする。」

 お兄様にそんな事を言われて首をかしげる。どうするっていつも通りだ。

 年越祓に供奉する主についていって、三日までは朝宮か島宮での新年の祀りに参加する。

 四日はさすが輝宮にもどって召人めしうどのみんなも一緒に新年を祝って、五日、六日はたいていお休み。七日の節会にはまた主の従者として参加する。

 「…結構忙しいんだな。」

 簡単に書き出すと、お兄様がおののいた。

 祀りといえば引っ張り出される輝宮の従者なんだから、こんなものだ。

 「じゃあ五日か六日のどちらか、招きの書状をよこすから来い。母上と姉上からおまえを招くように頼まれたんだ。」

 はい?

 「母上は新年にいつも父上の子をみんな招くんだ。今年は必ずお前も招きたいと仰っている。母上は父上の唯一の妃だからな。実質嫡妻みたいなものだ。つまり父上の子全てにとって嫡母にあたる。」 

 嫡母! それは思いつかなかった。

 たぶん私は目を白黒させていたのだろう。お兄様がおかしそうに笑った。

 「書状は輝宮宛で届けさせよう。早めに根回ししておけよ。」

 お兄様が頭をぽんとたたいて立ち去るのを、私はぽかんとしたまま見送った。





 年の瀬が近づくと雪の日が増えた。長く降るとうっすらと積もる。まだ雪遊びができるほどの積もり方ではないけれど、それでも誰が作るのか、手に乗るほどの小さなうさぎや達磨がその辺に置かれている。

 年の瀬が近づくということは、輝宮にとっては一層忙しくなると同義だ。主だけでなく召人一同忙しい。

 それなのに。

 「島妃様への手土産はどうしたものかしら。蜜月の立場ではやり過ぎも良くないわねぇ。」

 婆どのはここ数日、そんなことばかりをいっている。している。その前の関心ごとは私の衣装だったのだけど、これは乙姫様がご自身が少し前にお召だったお衣装を幾重ねも譲って下さったので解決したのだ。新しいものではないと言っても袖や裾に華やかな刺繍を施した衣装は素晴らしいものだったし、婆どのに言わせるとなまじ新品よりも、庇護者の存在も暗示できるのでいいそうだ。

 「輝宮自体が今上以外に後ろ盾のない宮ですからね。新しいものだと蜜月が輝宮様以外寄る辺のない身と侮られても困ります。」

 実際にそうなんだからそれは仕方がなくないかなあ。それにしても婆どのと乙姫様の連携にはびっくりした。どうもこの二人は個人的に連絡を取り合う仲らしい。

 袴や単は忙しいはずなのに主の料から割いた白布を染めて新調してもらった。こういうものこそ新品なのだそうだ。

 今、私の部屋には衣桁が三つも持ち込まれて、大祓のための衣装、新年の衣装、島妃様のところへ行く時の衣装の三つが並んでいる。

 はっきり言って三つはさすがに邪魔なんだけど、どうしようもない。時々召人仲間が見物に来ているところを見ると、娯楽的な何かにはなっているかもしれないのがせめてもだ。

 島宮様から前にいただいた袴なんかは新年の衣装に使う事になったのだけど、新年の衣装が改めて贈られてきたりもした。

 きれいな衣装は好きだけど、今のところこんなになくても困らない。明らかに私の衣装が三倍くらいに増えている。

 おかげで大事に使っていたとっておきが、急に普段着に格下げになったのもちょっと複雑だ。今日着ている袴なんて、すごく上手く染められて気に入っていた奴なのに、新しい袴に比べると布も染料も見るからに劣るので、普段着にしか使えなくなってしまった。

 まず直接は会うこともないだろうと思っていたお姉様方どころか、お会いする可能性を考えた事もなかった島妃様とまでお会いするのだという事態には、未だにちょっと頭がついていかない。

 本当の事を言えば島宮様がお父様だと言う事実だって、ちゃんと納得できていないぐらいなのに。

 私は神奈の薫餌師くのえし日咲ひだきの子、蜜月。

 ついこの大饗まではそれで全部みたいなものだったのに、いつの間にこんなに沢山のものがのってしまったんだろう。

 




 


 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る