龍の眷属の仔は眠る 下

真夜中 緒

第1話 蜜月(みつき)の困惑

 黄玉の円環を手に取る。美しい円環だ。ほとんど均一に透き通った見事な黄玉に一部白く濁りが入った部分を、積極的に活用して蝶の彫刻が入っている。艶めいて透き通る部分と、白い蝶の繊細な彫りの対比がとても美しい。どう見ても一介の女童には過ぎた品と言うよりない。

 実際にこれは島宮しまのみや様の持ち物だった品だ。娘である証として、前の大饗の時にいただいた。

 今の私はいつでも黄玉を二つも身につけている。

 母の形見の吊り香炉には龍眼たつのめでいただいた小さな蕾の飾り玉を下げ、帯には島宮様の蝶の円環を飾っている。

 自分でもどこのお姫様だと思うけど、驚いた事に私は本当に女王ひめおおきみなのだそうだ。島宮様の息女として女王の称号を許し、輝宮かぐのみやの妃とすると、勅許の御宸翰に書いてある。

 どうしてこうなったのだろう。さっぱりわけがわからない。あの日の朝まで私は、単なる口のきけない綺の女童だったのに。

 黄玉の円環だけではない。あれから島宮様からは折々贈り物をいただくようにもなった。美味しいお菓子や果物は、もったいなくも嬉しいけれど、上等すぎる衣装などはどうしたものだか本当に困る。

 最初にいただいたのは島宮様の御料と思しい白衣びゃくえだった。

 かんなぎの纏うは綺という特別な布で作られる。はとり庄だけで織られるこの布は、当然かなり希少なもので、着る人によってかなり色々と決まりがある。私のような半人前の女童はもっとも下位なので、当然無紋で袖もない。それでも綺の白衣をまとえること自体、女童としては十分にすごいのだ。

 それが、島宮様が寄越された白衣には見事な向かい蝶の地紋が入っていた。さすがに袖はなかったけれど、この生地だけでもう女童の白衣としてはありえない。

 悩んだ末に大饗の最後の日にまとったけれど、どう考えても似合わない分不相応さに頭を抱えたくなった。

 その後もやたら上等な袴とか、地紋のある袙とか、美しい箱に収められた鏡や櫛などが折々届き、嬉々として飾り付ける婆どののおかげもあって、私の部屋はやたらと華やいでしまった。

 うん、これはもうお姫様の部屋だと思う。ちょっと狭いけど。もともと人の少ない輝宮では召人めしうどの部屋も他所よりはかなり広くて、私も個室を頂いている。

 「まあまあ女の子のお部屋が華やかだと、宮が全部華やいだような気がするわねえ。」

 とりあえず婆どのや、下女のみんなが楽しそうだから、まあいいけれど。

 私はわりと恵まれてるなって今回の事でよくわかった。こんなふうに急な立場の変更があったのに、輝宮では前と同じように可愛がられて、居心地良く暮らしている。もしかしたら前よりも、みんなに守ってもらっているのかもしれない。

 私は、主の夜歩きには同行しなくなった。

 前だって同行しない事も多かったけど、津宮と弥生桃院以外には本当に行かなくなった。その分柑次さんの仕事が増えたのはとても申し訳ない。

 主について朝堂に行った時は、いつの間にか袖に文が投げ込まれていたりもする。恋文だったり、何かの揶揄だったりするけれど、どれでもとても迷惑だ。

 もっともこれは見つけるそばから主に丸投げする事で、たぶん解決した。最近はめったに文は来なくなっている。面倒は主に押し付けてしまうのが一番だ。

 だから、今の私は表面上はわりと平穏に過ごせている。それでもこんな平穏がずっと続くわけが無いことはひしひしと感じる。

 どうしてこうなったのだろう。あの朝まで、私は自分の境遇に、結構満足していたのに。あのまま主の従者として、一生やっていくので全然構わなかったのだけど。

 女王にも、まして主輝宮の妃にも、まったくなりたくなんてないんだけど。




 「お前が父上の新しく見つかった娘か。」

 出会い頭にそう言われて、めをぱちくりしてしまった。主の墨をするために、水差しに水を汲みに出た時の事だ。

 私よりもちょっと年上かなという感じの少年は、たぶん煌族なんだと思う。地紋のある白衣をまとい、まだ元服前らしく、髪を半角髪に結っている。

 「お前が、島宮の息女、輝宮の蜜月蜜月みつきかと聞いている。」

 それなら確かに私だ。最初からそう聞いてくれれば良かったのに。

 私はとりあえずうなずいた。

 「何だお前は。口が聞けないのか。」

 そっちにもうなずく。実際に声はでない。

 「…父上はなぜこんな娘を…」

 よくわからないけれど話の流れから察すると、この少年はたぶん、島宮様の御子なんだろう。

 「お前のせいで姉上は大変なんだぞ。わかっているのか。」

 いや、わかってないし、私のせいとか言われても困る。「姉上」どころか少年本人も、誰だかはっきりとはわかっていないぐらいなのに。

 「私の従者が何か?」

 振り返ると主がいて、私をそっと引っ張った。私は黙って主の後ろに隠れる。

 「輝宮様…」

 主の登場に、少年はあからさまに怯んだ。

 「蜜月みつきの声は生まれた時から出ぬのだ。それは承知で使っている。ところで、島ニノしまのにのおおきみともあろうそなたが、なにゆえ蜜月を問い詰めているのだ。」

 島ニノ王という事は、島宮様のご次男なのか。

 「…その娘は父上の新しく見つかった子供だと聞きました。それで顔を見にきたのです。」

 「で、いったい島ニノ皇女しまのにのひめみこと、なんの関係があると。」

 島ニノ皇女というのが「姉上」かな?

 島ニノ王が再び怯み、それからキっと主を睨んだ。」

 「輝宮様がこの娘を妃として次の島宮(しとなられるというのは本当ですか。」

 おお、遠回しにはよく話題になっているけど、正面から主に聞く人を見たのは初めてだ。

 「…今上と叔父上の思し召しで、いずれ蜜月を妃にということにはなっているが、次代の島宮については知らん。」

 正面から聞かれれば、主も答えるより他にない。その辺で、色々と耳をそばだてられているのを感じる。一瞬、薫餌くのえを焚こうかと思ったけれど、諦めた。どうせこれ以上の内容はないし、今から結界を張っても、色々と面倒なあて推量をされそうだ。

 「で、それがなんだというのだ。」

 島ニノ王がぐっと唇を噛む。

 「三ノ兄上が何ぞ言うておられたか。」

 そうか。三ノ皇子さまの妃という方が、きっとその島ニノ皇女と言う方で、島ニノ王の姉君なのだろう。

 「お前、それを蜜月に言ってどうする。情けなくはないのか。お前は蜜月の兄だろうに。」

 一瞬、島ニノ王の表情が消えた。明らかに虚をつかれた顔だ。

 私は私で新たな見解を得た思いで島ニノ王の顔をみた。そうかこの人は私のお兄様になるのか。 

 島ニノ王はもう一度主を睨むと、そのまま身を翻して行ってしまった。

 「…やれやれ、面倒くさいやつだ」

 主が頭をかく。

 私も主と同じ気持ちだ。その苦情は私に言われても困る。

 主の言う三ノ兄上は今上の第三皇子の事だ。東宮様と同腹で、睦臣むつのおみが次の島宮に推していると聞いた事がある。ただ、本人の煌があまり強くないこともあって、白衣の巫たちにはあまり本気にされていない。

 一度、舞われるのを見たことがあるけれど、気の毒になるほど下手だった。舞の上手い下手はかぐとは関係ないので、御本人も努力がたりないのだろう。

 「東宮と同母とか、今の島宮の息女を妃にしているというだけで島宮はつとまらんし、俺でなくても七宮は中々の煌持ち主だ。三ノ兄上の目はほぼないのだがな。」

 睦臣は巫の才のまったくない方なのだそうだから、その辺りのことがいまいちわかっていないらしい。


 主が私を妃とすれば、本当に次の島宮かもしれません。それどころか…


 麒麟の話が本当なら、私に子を産ませれば主の感応力の問題は解決するという事になる。そうなれば主は傷のない強大な煌の持ち主となるわけで、島宮どころか次の帝でもおかしくはない立場になるのだ。後ろ盾のなさなど本来なら問題にならないほどの煌が、主にはあるのだから。

 「そうだな。望むと望まざるとにかかわらず、な。」

 主もそこはわかっているようで、ちょっと面倒くさそうに眉をしかめた。






 「えらく噛みつかれたなあ。」

 もともとの目的だった水を汲んで、急いで戻るとニ宮様が面白そうに笑っておられた。二宮様は東宮様の異母の弟君で、主の兄君だ。祀りにはほとんど関わらず、大蔵を切り回しておられる。

 「噛み付くというか、唸られたというところですね。あいつはどうして朝堂にいたんですか。」

 主が手元の書類を差し戻しの箱にいれる。

 「年が明ければ元服だっていうんで、見習いの童殿上だよ。できればうちで仕込んでくれないかと叔父上には頼まれてるんだ。」

 主がぎょっとした顔をする。

 「大蔵でですか。勘弁して下さいよ。」

 主はあちこちで政務を手伝っているけれど、ニ宮様のもとで大蔵の手伝いをしている事が一番多い。

 「いや、真面目な話として私以外の煌族を入れたいんだ。輝宮は大蔵の専属にはできないし、大饗や龍眼の時のようにどうしても抜けてしまう時が出る。うちは金蔵の管理が仕事なのでね、煌族が動けると押しがいい。」

 はあ、とため息をついて主が書類をニ宮様に回す。

 「島ニノ王は王だから祭事にも引っ張り出されにくいし、年齢も正月で十四とかで仕込み出すのにちょうどいい。それにほら、融通はきかなそうだけど中々真面目そうだろう。朝堂で揉まれれば融通の方もおいおい身につくだろう。なんとか仲良くやってくれ。」

 十四歳…二つ上なのか。

 二宮様は主が回した書類を確かめると、ぱんっと小気味のいい音をたてて印をついた。 





 「蜜月いらっしゃい。柚子の蜜煮があるのよ、お湯で割ると美味しいのよ。すぐに準備させるわね。」

 津宮の舟繋に舟をつけると、乙姫様が手を振りながらそう言って下さった。

 「乙姫、毎回言うようだが、あからさますぎるだろう。」

 そうぼやく主に目もくれず、私の手を握って下さる。

 「ずいぶんと手が冷たいわ。もう川面は冷えるもの。早く暖めた方がいいわ。」

 それから主を振り返ると、乙姫様のお部屋とは反対の方を指さした。

 「二宮様が、あなたがきたら一杯やりに来るように言ってくれ、ですって。もうお姉様のところにいらしてるわ。」

 乙姫様の姉君の大姫様は、二宮様のお妃だ。お二人の間には愛らしい姫君もおいでになって、二宮様は姫君を溺愛しておられるらしい。

 「ああ、まあそうなるか。わかった。ちょっと伺ってくる。」

 主は手を後ろ手に振りながら、大姫様の対の方に去っていった。

 「邪魔者はいなくなったし、今日は蜜月を独占できるわね。さ、まずは柚子を飲んで暖まりましょう。」

 乙姫様に手をつながれて、私は乙姫様の居間にお邪魔する。

 「なにがいいって、蜜月が島宮の叔父様の娘で女王ということなら、私の従妹だもの。これはもう妹みたいなものという事でいいと思うの。」

 従妹と妹は違うような気もするけれど、私も乙姫様にそう言っていただけるのはとても嬉しい。乙姫様は私の憧れの方なのだもの。

 私は大饗が終わってすぐに、成り行きを乙姫様にお話しした。乙姫様の事だから私が言わなくてもきっと、事情はご存知かもしれない。でも、だからこそ、私が自分でお話ししたかった。

 だから主が私を置いて夜歩きにでかけている間に、一人で舟を操って津宮まででかけた。乙姫様は驚かれたけれど、今と同じように居間に通してくださった。

 私はとにかく全てをお話しした。お話というか、筆談だけど。あとから考えたら先に書いておけば良かったと思ったけれど、あの時はひたすらにその場で書いた。

 私が麒麟に吾子と呼ばれた事。

 私が主の子を産めば、主も私も欠けているものを手に入れられるというような事を言われた事。

 島宮様が私は自分の子でもあると言われた事。

 今上と島宮様のお取り決めで、私は島宮様の娘の女王として、いずれは主の妃となると決まった事。

 「まず、話してくれてありがとう。」

 そうおっしゃって乙姫様は私の髪を撫でて下さった。

 「私はね、蜜月が好きよ。輝宮(と関係なく蜜月が好き。私の可愛い弟子だもの。」

 でも、私が主の妃になってしまったら、乙姫様と同じ主の妻の立場になってしまう。しかも勅許を得ている私が嫡妻となってしまうのだ。

 「そうねえ。でも私は妃じゃないわ。お互いに自由な通い処よ。蜜月みつきだって聞いているでしょう。私には他にも通わせている相手もいるわ。だからそのぐらいたいした事じゃないわよ。」

 そう仰った乙姫様は、お茶と、とても美味しい栗の甘葛煮を出して下さった。

 乙姫様は姉妹で同じ婿を迎える事もある事や、外国とつくにでは夫を共有する妻同士は、お互いを姉妹と呼ぶ事を教えて下さった。

 「だから蜜月は私の妹と言うことね。蜜月のような可愛い妹が出来て嬉しいわ。」

 それ以来、乙姫様は事あるごとに私を妹扱いして下さる。

 柚子の蜜煮をお湯で割った飲み物はとても美味しかった。川をわたっているうちに冷えた体が、じんわりと温まってくる。

 大饗の間に日吉が尾関おのせきまで行って来たそうで、色々と外国の話も仕入れてきたらしい。

 「西の大陸では王朝の名が変わったそうよ。『広』と言うのですって。最近順はずっとごたごたしてたから、収まってきたということかしら。」

 順なら聞いたことがあるが、広というのは初めて聞いた。

 「もともと西の大陸もいくつも国があったのよ。それを順がまとめたんだけど、まとめきれない内に次に変わったみたいね。西は順と同郷の王家らしいから、乗っ取りでもあったのかしら。ちょっと詳しく調べたいところだわ。」

 龍眼(たつのめ)まででかけて自分の国だって広いと思い知ったのに、さらに外国の話なんてあまりにも途方もない感じがする。

 「そう? でも結構関わってきたりするのよ。商売のやり取りだってあるしね。」

 東には大陸が二つ、南にはいくつかの島国があるのだそうだ。北には陸はなく、大きな氷の上に人が住んでいるという。

 氷の上ってどうやって住むんだろう。煮炊きとかしたら溶けないんだろうか。

 日吉が持ち帰ったという西の大陸の錦を、乙姫様が見せて下さる。つやつやとした厚手の生地は細かく文様が織り込まれていた。島宮で今上のお部屋の畳の縁がこんな布だったような気がする。

 「元々は上着なんかに使う布だそうだけど、こっちでは家具の覆い布とか、褥や畳の縁なんかに多く使うわね。最近は国が荒れているものだから、あまり入って来なかったのよ。これでまたちゃんと入ってくるようになるといいのだけど。」

 国が乱れたせいで技術者の流入もあったとかで、最近は国内でも作られているけれど、まだ全然品質が追いつかないのだそうだ。

 「他にはあちらでしか採れない香料とか、薬種、書物や絵画も入ってくるわ。尾関には東や南からの商人もくるから、それは賑やかなのだそうよ。それらの商売を監督するために師宮そちのみやが置かれて、多くの兵も集められているわ。」

 師宮という宮が尾関にある事は知っていても、その役割まではよく知らなかった。

 「今の師宮様は今上の年の近い叔父上に当たられるの。次はたぶん、二宮様に決まったわね。」

 唐突な話題の運びにきょとんとする。除目の話もないのに、どうしてそんな事がわかるのだろう。

 「元々、私と輝宮と、お姉様と二宮様の二組で、師宮と津宮を決めようという話はあったの。この二つの宮は一緒に事に当たることも多いしね。でね、どちらがどちらかというのが難しかったのよ。だからまだ話は決まってなかったの。輝宮には島宮という話もあったし。」

 難しいというのはわかる気がする。主は煌が強いというところを除くと、実は腕っぷしも強い、らしい。私は実見したことはないのだけど。外国の書籍でも一通りは読める。たぶん師宮を預かるのには向いているのだろう。

 ただ、あの強すぎる煌をみやこから遠いところに常駐させるのは、どうかという話になりそうだ。

 二宮様も外国語や商売に明るいし、師宮に向いておられるだろうけど、大蔵に深く関わっておいでだから、そこから離れるとなると大変だろう。

 ただ、主は今、次代の島宮を預かる可能性が高くなっている。そうなると…どうなるんだろう。

 「輝宮が島宮になるなら、私がお母様と同じように津宮を預かって、二宮様が師宮となる可能性が高いわ。女の私だけでは、さすがに外国相手の師宮はつとまらないもの。」

 ええと、そうか、だから私のお兄様だとかいう島ニノ王が大蔵に入る事になったんだ。二宮様が師宮になられても、大蔵に煌族が必要だから。

 自分が島宮様の娘となった事で生まれた大きな波紋に、ちょっと身が縮まる思いがする。

 どうしてこんな事になっちゃったんだろう。

 「今日、二宮様が輝宮を呼んだのもきっとその件よ。」

 そう言われるとなんだかちょっと気にもなって、大姫様のお部屋の方をなんとなく眺めた。

 

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