《2話 カッコイイ占い師》

 風に散った桜の花弁たちが地面に落ちて、コンクリートの道を桃色に染め上げる。陽気もいよいよ本格的に春のものに変わり、日々誰かさんの理不尽に晒されている私の気分も上がっていった。

 彼が住む京都ではとっくに桜は散って、あとは夏を待つだけなのだという。北海道はやっと最高気温が二桁になり始めたのに、向こうはこちらの倍は暖かい日があるらしい。私は暑いのが苦手だから、北海道に生まれて良かったと心から思っている。

 ちょうどいいポカポカ陽気の中をしばらく歩くと、待ち合わせ場所のバス停が見えてきた。そこには、うっすら日陰ができていた。少し強めの陽射しを、歩道まではみ出した桜の枝が柔らかく遮っているのだ。

 文ちゃんは、もう待ち合わせ場所に着いていた。私よりも頭一個ぶん小さい、ややつり目気味の女の子。私に気がつくと、小さく手を振って駆け寄ってくる。その姿は、見た目が手伝って、さながら小学生のようだ。同い年とは到底思えない。

「久しぶり、文ちゃん」

「よっ、ひな! 元気だったか?」

 文ちゃんは、メッセージのテンションとの差が激しい。知り合った時からだけど、何故か私といる時だけ男口調で話すのだ。子供扱いされることを嫌うから、そういうことなんだろうけれど。他の人の前では“見た目通り”に振舞っているから、たぶんこれが文ちゃんの素なんだろう。

「最近どーなんだよ」

「珀くんに行ってらっしゃいって言ってもらえた」

「うぇっ……あのシキヨクニンゲン、まだ息してたんだ」

「してるよそりゃ! してなきゃ困る!」

 文ちゃんは、珀くんへの嫌悪感を隠しもしない。それでも話を聞いてくれたり、相談に乗ってくれるのは、私のことが好きだからだ。もちろん、友達として。見ていればわかる。この子は私のことが好きなんだ。他の人になら何言われても、こんな苦虫を噛み潰したような顔しないし。

「早くくたばらねぇかな。でもくたばったら、ひなが悲しむのか……悲しむよな?」

「う、うん、悲しい」

「くそったれ……ひなの記憶から抹消したい……でもひなが幸せならそれでいい……」

「あはは……」

 そんなに嫌いか。そんなに珀くんが憎いか。わからなくもないし、傍から見たら珀くんは相当やばい人間なんだ。そんな人を好きになった私も大概だけど。

「ふ、文ちゃんの方は最近どうなの?」

「あ? 売上は上々だよ。近々ネット予約も始めようかと思ってる。“カッコイイ”占い師の夢に一歩ずつ進んでるぜ」

「はーーすごいねぇ」

 文ちゃんは、専門学校に通いながら副業で占い師もしている。副業のことは自身の親にも友だちにも秘密にしているらしいが、私にだけは話してくれた。もちろん、私も珀くんに言ったりしていない。正真正銘、二人だけの秘密だ。

「今度、また占ってよ」

「おう、なんなら今日にでも練習台にしてやるよ」

 にやり、として鞄からタロットカードのケースを取り出す。このタロットは文ちゃんの手作りで、何やら木を彫って絵を描いているらしい。何度か製法を聞いているが、とても覚えられるものではない。

「夜に入る予定の店あるだろ? そこで占ってあげる。金運とか、健康運とか」

 練習台と言いつつ、毎回ちゃんと占ってくれるあたり、本当に私のことが好きなんだろう。なぜだか今日はひしひしと感じる。

「確か半個室なんだよね。我ながらいいお店予約したわ〜」

 珀くんと電話しながら決めた、しかもそのお店は珀くんが見つけてくれた、なんて言ったら文ちゃん帰っちゃう。だから余計なことは言わずに黙っておいた。

「ウン、ソウダネ」

 ……バレてそうだけど。



 バスに揺られて三十分。目的地である新さっぽろに到着した。今日は、適当に新さっぽろ内を歩いて、ショッピングをしたりカラオケに行ったりプリクラを撮ったり美味しいもの食べたり……とにかく適当に過ごす。文ちゃんと外で遊ぶ時は、夜ご飯を食べるお店以外は特に何も決めない。行き当たりばったり、自由にしたいことをするのが、これまた楽しいのだ。

「今日は」

 ふと文ちゃんが、携帯の画面をこちらに向けて呟いた。

「今日は、“はじっコせいかつ”の手乗りぬいぐるみを買う」

「……この前も買ってなかった?」

「今回は映画限定のはじっコを買う、アレがないと占いできない」

 文ちゃんがにやりと笑った。不機嫌そうなときが多いから、楽しそうで何より。 この様子じゃ、カッコイイ占い師というよりは幼い……いや、怒られそうだからやめておこう。

 幸せそうにはじっコせいかつについて語る友人の話に、緩んだ口元を隠すことなく耳を傾けた。

「……そのあとは、ひなの行きたいところに行こう。なんでも付き合う」

「うーん。プリクラさえ撮れればいいんだよね。あとは……そうだなぁ……」

 私がやりたいことは、今日の大体のスケジュールの中に入っている。他になにか……と言われると何だろう。

「んー」

「…………」

 文ちゃんが、ジッと私を見つめてくる。あぁ、これは答えるまでテコでも動かないやつだ、と確信しながら、それから逸らすように彼女が手に持つカバンに目線を走らせた。その中には、赤銅色に光るタロットケースが入っている。それだ! と私は閃いた。

「文ちゃん、あとで占ってくれるんだよね」

「そりゃな」

「金運と、健康運」

「金運と健康運……って、まさか」

 目を見開いて後ずさりする文ちゃんをしっかり捕まえて、私は“笑顔で”お願いした。

「珀くんとのこと、占って!」

 何回か占ってもらったことはあるけど、珀くんとの関係を見るのはいつも断固拒否される。なのに、文ちゃん自身は結果を知っているっぽい。私にだって、それを教えてもらう権利はあるだろう。当事者だもの。

「……いいぜ。ひなのお願いならなんでも聞いてあげる。でも……絶対に後悔するなよ」

 眉を顰めた真面目な顔で、文ちゃんは言う。

「ど、どういうことっすか……」

「そういうことだ。何が起こっても、それが事実だと受け止めてくれ。私だって、私だって何回も……」

 文ちゃんは俯いてしまった。

 あれ、もしかしてとんでもない地雷を踏んだ? 尋常ではない様子に、私は少し焦る。

「ふ、ふみちゃ――」

「なんてな。ちょっと揶揄っただけだ。あのシキヨクニンゲン、どうしても好きになれないから……ちょっと意地悪したくなった」

「そんなに嫌いか……」

「タロットは嘘をつかない。アレのことを視るときは、あまりいいカードがでないんだ。だから……占ってやるけど、あんまり期待するなよ」

 そりゃ、珀くんは女たらしを素で行くようなジゴロだ。かつて振り回した女の子たちには、さぞ恨まれていることだろう。いいカードが出ないのもうなずける。

「それに……いや、なんでもない。とりあえずは遊ぼう。占いは月が出てからの方がやりやすい」

「そうだね。ごめん、なんか無理言っちゃったみたいで」

「いいんだ。さ、行こう。はじっコせいかつが私を待っている!」

 ぐいぐいと私を引っ張る文ちゃんが、いつもより空元気に見えたのは……気のせいであると自分に言い聞かせた。



 ぬいぐるみを手に入れて子供のようにはしゃぐ――なお、これは毎回のことである――文ちゃんをお店から剥がして、私はベンチがある一階の広場まで彼女を引きずった。手に乗せたぬいぐるみに話しかけ、自力では歩こうとしない文ちゃんは些か気味が悪いが、たぶんこうでもしないと精神を保っていられないんだと解釈している。

 私だって同じだ。その気持ちを向ける対象が違うだけで、珀くんと話していないと漠然とした不安に襲われるのだ。珀くんに心を壊されているくせに、珀くん無しじゃ日々の生活を送るのさえ難しい。どうして、いつからこんなになってしまったのか……わからない。

「……ひな?」

「あ、文ちゃん。落ち着いた?」

「毎回毎回、見苦しいところを見せて悪いな。なんか……手乗りぬいを見ていたら、可愛すぎて意識が飛ぶんだ」

 それは頭の病院に行った方がいいやつではないだろうか。

「大変だね」

 当たり障りのない言葉は、珀くんとの会話でカンストまでレベルが上がった。褒められるべきだと思う。

「ところでなんだが」

 未練がましくぬいぐるみを鞄にしまいながら、文ちゃんはぽつりと言った。

「あのシキヨクニンゲン……は、実際どんな奴なんだ? 占いの精度を上げたい。生年月日とか、支障のない範囲で教えてくれないか?」

「文ちゃんが珀くんに興味を持って――」

「ないからな。本当ならそんな情報、耳にも入れたくないくらいだ。けど、ひ、ひなのために……できるだけ、精度の高い占いがしたいから……」

 そうだ、文ちゃんはそういう子だ。こんな子供みたいな姿で、私以外の前ではそれ相応に振舞って、ずっと自分を偽ってる。けど、根は真面目で好奇心旺盛な子なんだ。……私の前でだけ、かもしれないけど。

「ありがとう、文ちゃん。そうと決まれば……珀くんのこと、いっぱい話すね」

「え、いや、だからそういうわけじゃねぇ……」

「ちょうどお昼の時間だし、お腹も空いたよね。ご飯食べながら……ね!」

「あぅ……」

 眉を下げる文ちゃんだったが、すぐに諦めたように肩を竦めると、鞄からノートとペンを取り出して私の方を見た。

「やるからにはやってやる……とことんやってやるからな……」

「それでこそ文ちゃん」

 何か言いたげにこちらを睨んでくる文ちゃんに、私は笑顔で対応する。

「ふん。……となると、タロット広げられる所に移動しなきゃだけど……まぁ、そこでいいか」

 文ちゃんの視線の向くほうを辿ると、座席をカーテンで仕切るタイプのカフェがあった。確かここ、珀くんが候補に挙げてくれた所だったような。夜ご飯を食べるには物足りないかもってことで却下したんだっけ。でも、お昼ならちょうどいいくらいかも。

「ここ、まぁまぁコーヒーが美味いんだ」

「そうなんだ。あ、珀くんのこと追加で占ってもらうわけだし、コーヒー奢りますよ」

「まじか。ありがと。やる気出てきたぜ」

 至って単純だ。珀くんもこのくらい素直で単純だったら、少しは可愛げがあっていいのに。

「……ひな、すごい緩みきった顔してらぁ。シキヨクニンゲンのこと考えてた?」

「ばっ、別に!? 考えて、なんて、ないよ!」

「フーン……」

 全部を見透かすような目。何が見えているのかわからないけど、心の奥底まで見られているんじゃないかと、思わず両手で文ちゃんの目を隠してしまった。

「あーぁ、お腹すいたな! フレンチトースト食べたい! お店入ろうよ! ね?」

「わかった……」

 不服そうに口を尖らせる文ちゃんを連れて、私は目の前のカフェに入っていった。




 珀くんのことを一通り語り終え、生搾りリンゴジュースに口をつけた。かなり長い時間話していたと思ったが、まだ店に入ってから十五分も経っていなかった。フレンチトーストが出来上がるまではもう少し時間がかかりそうだ。

「ふむ……生年月日から見ると、相性はまぁそんなに悪くないこともなくもない」

「良くもないんだね?」

「悪くなくもない。普通以上良好未満と言ったところか」

 はぁ〜、と長いため息をついて、文ちゃんはノートを閉じた。心做しか、カフェに入る前よりぐったりしている気がする。ストローでコーヒーを啜る力も何だか弱々しい。乗り気になってくれてるのをいいことに、ちょっと熱く語りすぎてしまっただろうか。

 どうも珀くんのことになると、かなりヒートアップしてしまう自分がいる。抑えよう抑えようとは思ってるけど、なかなか簡単にはいかないものだ。

「ぅおぇっ……」

「ふ、文ちゃん大丈夫?」

「ごめん……シキヨクニンゲンが予想を大幅に超える理不尽男で驚いて……うぇっ……」

「嘔吐くまで無理しないでよ……」

 私は、脇に退けてあった水が入ったグラスを差し出した。ありがとう、と言って文ちゃんはそれを飲み干す。

 それにしても珀くん、清々しいほどの嫌われっぷりだ。彼の人生で、ここまで女の子に嫌われたことってあるんだろうか。今日の夜にでも聞いてみよう。

「うぅ……この情報をまとめて……夜までに覚えなきゃ……無駄な知識がまた増える……」

「すぐ忘れればいいんだよ」

 適当にそんなことを言ってみる。

「そっか。そーだよな」

 文ちゃんは、納得した、といった顔で頷いた。ここまで単純だと逆に心配になる。いずれ悪い男に騙されそう。……私が言えたことじゃないし、文ちゃんに限ってそんなことはないと思うけど。

「ところでひなさんや」

「なんですかい文さん」

「……あの人間、もっとマトモなエピソードないのか?」

「んん??」

 真顔でそんなこと言われましても。マトモなエピソード? たとえば……

「実はお菓子が好きとか?」

「果てしなくどうでもいいけど、まぁそういう感じだな」

「うーん……でもなぁ……」

 珀くんと話すようになって結構経つけど、彼の素性というか人となりとか、まだまだ知らないことだらけな気がする。知っているつもりでも、第三者に「陰山珀はこんな人間です」と話せるほどの知識がない。

「もっと知りたいな……珀くんのこと」

「知ればいいんじゃね」

「教えてくれるかわかんない」

「なんだそりゃ」

 文ちゃんが、眉を顰めて小首を傾げた。まぁ、普通の人――文ちゃんが普通かは置いておいて――から見たら、その反応も当たり前と言える。

「珀くんは……気分屋、だから」

「ほへぇ〜ん」

 コーヒーのグラスに入っていた氷を噛み砕きながら、文ちゃんは訝しげな目を向けた。目線はこっちを向いているのに、右手に握られたペンはスラスラとノートの上を走っている。

「ま、とりあえず情報まとめっから待っててくれや。夜までには終わるから……あ、」

「お待たせ致しました。こだわり牛乳のフレンチトーストと、トマトクリームパスタです。ご注文以上でよろしかったでしょうか?」

 頼んでいた料理が届いた。バニラアイスが乗ったフレンチトーストに、思わず口元が緩む。

「まずは腹ごしらえが先だな。その後のことはその後だ」

「だね」

 私たちはしばらく無言になって、それぞれの料理に夢中になっていた。



「じゃあこれ……今日のメモ」

「ありがとう」

 日もすっかり暮れ、私たちはいつものバス停まで戻ってきた。あとは各自の家に帰るだけなのだが、どうも文ちゃんの様子がおかしい。夜ご飯のために入った店でのことを、やっぱり気にしているのだろう。

「気にしなくていいんだよ、文ちゃん。無理言って占ってもらったのは私なんだから」

「でも、私の占いは、ひなに……いや、占った人みんなに希望を持ってもらうためのものだ。あんな結果を呈示せざるを得なかったのは……ほんとに申し訳ないと」

「いいんだって。それが結果だったんだから。ほら、私としても、悪いことは事前にわかっていれば覚悟できるしさ」

「ん……ひな好き……」

「はい、ありがとうございます。じゃ、夜道暗いから気をつけてね。そしてそのテンションのまま車道に身投げしないでね」

「ウン……また会おうね……」

 背中を丸めた文ちゃんがしっかり帰路についたのを見届けて、私も自宅の方へと歩き出した。

「塔の……正位置」

 占いの結果は気にしてないよ、とは言ったが、ものすごく気にしているのが本心だ。立ち止まって文ちゃんからもらったメモを開くと、私と珀の今後を占った惨憺たる結果が見て取れた。

 今の状態や珀くんの気持ち、私の潜在意識は大方当たっていた。非常に危ないバランスで成り立っている関係であり、珀くんとは気持ちが向いてる方向が違ったり、そのことに薄々気づいていて不安を覚えていることだったり。何回も文ちゃんに占ってもらっているんだから、内容自体はほぼ予想通りといえた。

 問題は、タロットを切っている時点で何度も飛び出してきた『塔の正位置』。あれは、文ちゃん曰く出てきちゃいけないカードらしい。死や破滅、運命の崩落を表し、それは大体のカードでは逆の意味を示す逆位置でも変わらず悪い意味のままなんだそう。そんなカードが、何度も何度も飛び出してきた。文ちゃんが切ってる途中だけじゃない。私が混ぜている時もだ。

「珀くん……」

 彼が死ぬ、もしくは私が死ぬ。そんなんじゃないと思う。おそらく、おそらくなんだけど、もうすぐ私たちは――

「!」

 意識が暗く沈みかけていたところで、いやに鋭い携帯の着信音が聴こえてきた。時刻は9時前。誰からの着信なのかは予想がつく。

「もしも」

「だから遅いってば。二秒で出てって言ってるじゃん」

 三秒じゃありませんでしたっけ。まぁ、それは置いておくとして。

「どうしたの、珀くん」

「そろそろブンちゃんと解散したかなって思って」

「まさに丁度だよ。もしかして待ってた?」

「うん。暇でさ」

 暇だから、私に電話をする。珀くんの中にその思考回路があることを知って、ちょっと嬉しくなった。

「今何してんの?」

「家帰ってるよ。外歩いてる」

「奇遇〜。おれもウォーキング中。陽香ちゃんも一緒に歩こうよ」

「うん、歩く」

 こうしていると、占いの結果が外れたように思えた。これまでも、これからもきっとこうしていられる……何故か、根拠もないのに、そう思ったのだった。

 でも、自分を殺してでも珀くんといられるなら、それでいいんだけどね。


 ――運命は、廻り始めた。

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