他者を神とした場合の人間についての散文、あるいは個人的見解

和須賀 亜弥

真の人間とされなかった者たち

原初げんしょの昔、人々は自らを知らぬ獣であった。風に流れる形無き水蒸気であった。

かつて人の子は、空腹に追われてかてを求め、渇きに急かされて水をすすり、まどろみに飲まれて暗闇に目をつむった。

果実の甘さに驚き、手傷に涙し、動物たちの軽やかな声を聞いて過ごしていた。

かつて人間は洞窟の中で過ごしていた。だが、彼らは満ち足りていた。


ところがある日、天空のはるか高い所からおびただしい数の雷槌いかづちが洞窟めがけて降り注いだ。

岩の天井は崩れ、壁は炎に飲まれ、人間たちは急いで洞窟を後にした。

安寧あんねい棲家すみかを追われ、彼らは途方に暮れた。

彼らは洞窟の外での生き方を知らなかったのだ! 飢えを満たし、渇きを癒やし、気だるい眠気に身を任せる事が、以前は人間の目的そして喜びであった。

しかし、それらは永久に失われてしまった。


洞窟から離れて以降、空腹は彼の意地悪な主人に、渇きは彼を棒で突く獄吏に、眠りは怠惰な食虫植物に姿を変えた。

純粋な希みは尊大な強欲さへと変わり果ててしまった。

飢餓と渇感と睡魔とに脅されて、人々は求めて死肉を貪り、泥水を舐め、惰眠だみんふけり、形も持たずさまよっていた。


そんな愚かな人々を、我らが神は天空から見下ろされていた。

実は人間から洞窟を奪ったのは、この高き天空に住まわれる神であった。

神はご存知であった。遅かれ早かれ彼らが洞窟を捨てざるを得ないことを。

そして神は待たれていた。彼らが洞窟から出てくる瞬間を。

しかし、いくら待てども人間は洞窟から出ようとはしなかった。

だからこそ、神は罰として彼らの安らぎの洞窟に雷槌いかづちを落とされたのだ。


神は浅ましい人間の姿を見てお嘆きになられた。


「ああ、なんと空疎くうそな存在なのか。彼らは肉体の奴隷となっているのだ。ただその無知ゆえに! 彼らを生の蒙昧もうまいから解放するためには唯一つ、彼ら自身がどのような姿、性質であるかを私自身が決めてやらねばならない!」


我らが神は無数の顔と無数の目、数え切れないほどの身体を持たれていた。

神が見つめると、形の定まらなかった人間は秩序ある姿となった。

無数にある神の目は、一人一人の人間の姿とその職業を決めていった。


神は人間たちに向かって言われた。


「人間よ、私に形を与えられたこの日から、お前たちは肉体の奴隷ではなくなった。今日よりお前たちはその生をただいたずらに浪費するのではなく、この私のために働かせるがよい。さすれば、お前たちの生はより豊かになるだろう」


そうして、人間たちは神に捧げるために労働を行った。

神はさらに続けられた。


「人間よ、お前たちは理性と秩序に祝福された存在だ。私のために調和し、均衡を保ち、節度を持って生きよ。さすれば、お前たちは私の守りを得るだろう」


そうして、人間たちは神のために自らを律した。

秩序と形を与えられた人間たちは、新たな土地を新たな安寧の棲家とした。


しかし、神の目すら届かぬ地の果てに、形を与えられなかった人間たちがいた。

その者たちを見つけられた神は、自らがお造りになられた秩序ある人間たちにこう伝えられた。


「理性ある人間たちよ、あれを見るがよい。あれらは人になりきれなかった人間、お前たちがその昔過ちを犯していた頃の愚かな姿だ。地の果てから彼らを連れてきて、私の前に立たせなさい。そうすれば彼らも我が祝福を受け、秩序ある人間となるだろう」


神の秩序ある下僕たちは命ぜられた通りに、この世の果てから形の無い人間たちを神の御前に連れてきた。


「生の愚昧ぐまいむさぼる者たちよ。私がお前たちに姿と性質、そして役割を与えよう。そして愚かを捨て、真に人間となりなさい」


形無き人間は神に答えた。


「しかし、神よ。我々はあなたが最初に人間たちに形をお与えになった頃から、ずっとこの姿でした。あの時我らはあなたから、あなたが望むような形を与えられなかった」


彼は続けた。


「そして、我らは我らの姿かたちや職業を自らで決めてきました。我々は神のためでなく、自らのために働き、己を律します。確かに我らは歪です。ですが我々は、あなたの下僕である秩序の人々と同様に、真に人間であるのです」


神はこの言葉に激怒された。


おごり高ぶる浅慮せんりょな人間たちよ、お前たちは秩序ある人間と比べるまでもなく劣った存在であるのだ。私の与えた秩序と姿かたちを持たぬ者は、得てして真の人間にはなれぬものなのだ。自らの歪な姿を見るがよい!」


そして、神は自らの下僕にお命じになられた。


「彼らを星の光も届かぬ場所に連れて行き、そこに閉じ込めよ。さもなければ、この歪な者どもは私やお前たちを、無秩序を持ってして害するだろう。彼らは永劫えいごうの時をそこで過ごさなければならない。これは、彼らが真に人間で無かったゆえの罰なのだ……」


かくして彼ら、形無き歪な人間たちは地下の暗闇に押し込められ、二度と顧みられることは無かった。

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他者を神とした場合の人間についての散文、あるいは個人的見解 和須賀 亜弥 @wasuka_aya

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