私と彼とゲームと、それから

一白

「よっしゃ、完走!」

「……、ヨカッタネ」


スマホの画面を確認するや否や、嬉しそうに歯を見せて笑う目の前の男は、これでも一応、私のカレシというヤツである。

せっかく二人の休みが重なった、非常に貴重なデート日和の一日であるというのに、こやつは「今日はイベントがあるから!」とガチな顔で外出を断固として拒否した。

そのイベントとやらがたったいま終わったらしく、大変ご満悦な表情を浮かべている彼に比べ、私はといえば、これ以上ないくらいに感情をそぎ落とした顔になっていることだろう。


俗にいう、チベスナ顔。

チベットスナギツネを直接見たことがないが、いまの私は彼らの群れの中に混じっても、どうにか生活できるのではないか、と我ながら無駄に関心しそうになるくらいの無表情だ。


別に、彼が始終チェックしているオンラインゲームが嫌いなわけではない。

私だって、自分のスマホにアプリの二、三個はインストールしているし、通勤時間だったり、ちょっとした休憩時だったりに遊んだりもしてる。

ただ、それもどちらかといえば、人付き合いの一環のようなもので、先輩後輩との会話に交じるためにプレイしている側面が強いので、そこまでのめり込んでいるわけではない。


一日に十数分程度だけを割いている私に比べ、彼のプレイ時間は異常の一言で、おはようの挨拶より前から始め、おやすみの呟きの後までスマホを手放さない。

もはや病的であると言わざるを得ない領域に入っているように思えるが、仕事の時間だけはきっちりと既定の場所にスマホを隔離しているようなので、いまのところは辛うじてセーフと判断している。

まあ、機密情報満載の職場ですら、ホイホイとゲーム画面を開いてタップやらスワイプやらを連発しようものなら、即刻解雇となっても不満は言えないだろうから、当然の行動ではあるのだけれども。


それはともかく、現在時刻は午後五時ニ十分を超えたところなのだけれど、この時間からであればまだ、映画デート後にディナー、という流れにできなくもない。

その選択肢を取るかどうかで、男としての評価が大きく上下動するのだけれど、さてはて、彼の反応はというと。


「えーっと……、ここをこうして……いや、やっぱりこっちを……」

「……、ねえ」

「ちょっと待ってて。……うーん、これだとバランスが悪いし……」


これである。

アメリカンドラマであれば、大げさに肩をすくめて天を仰いだり、額に手を当てて首を左右に振ったりして、大仰な溜め息の一つでも零すところだ。

それでもって、「アンタはアタシなんかより、その小さな機械がオトモダチってワケね!ええ、もちろん分かってたわよクズ野郎!」とか何とか文句を言って、立ち去ったりするのだろうけれど、生憎とここは私の部屋であるし、私は演劇部ばりの芝居はできなかった。


何も思っていないかといえば、まったくもって全然少しもそうではないけれど、腹が立つかというと、そういうわけでもない。

かれこれ一年ほどはこんな状況が続いているので、慣れたというよりは、諦めてしまったのだ。

彼と同棲を始めて三年になるが、ステップを進める気配なんて微塵も感じられないし、潮時なのかもしれない。


スマホのバッテリーがピンチになったのか、慌てて充電ケーブルに繋げる彼を横目で見ながら、私はのろりと立ち上がる。

どうやら外食なんて案は出て来そうにもないし、今日も今日とて、私のたいして美味くもない料理の腕を振るわなくてはいけないようだ。


炒飯にしてはベタベタしている料理を皿に盛り、味見もそこそこの生煮えコンソメスープを器によそう。

彼に対する嫌がらせでも何でもなく、私の料理センスが壊滅的なせいで、いつもこんな中途半端なものが出来上がる。

そもそも、彼と一緒に私も食べるのだから、もし上手に作ることが出来るのなら、美味しく作る方が良いに決まっているのだ。


同棲を始める際に、家事は分担しよう、と決めた。

私は前述のとおり料理が苦手だったから、それ以外の洗濯や掃除などを頑張ると言って、彼も私の主張を受け入れた。


二年くらいは、彼は手料理を頻繁に振舞ってくれて、中でも特に煮込み料理が得意らしく、休日になるとよくキッチンに立っていた。

それが段々と頻度が減り、総菜の割合が増えたのは、もはや言う間でもなく、ゲームに熱中しているせいだった。

いまや総菜の買い出しすらしなくなり、そのくせ野菜などの材料だけは定期的に買う癖がついているのか冷蔵庫に常備されているので、フードロスをなくすために、渋々私がキッチンに立つのである。


全てのゲームが悪いとは言わない。

何を隠そう、私が勤めている会社もゲームの開発運営部門があるし、それなりの業績を上げているので、私の給料の一部はゲームから吸い上げられたものなのだ。

だから、全てがすべて、悪だとは言い切らないが、生活に支障を来たすようであれば、やはりそれは、もはや毒なのではないだろうか。


酒は百薬の長、という言葉があるが、飲みすぎれば内臓機能を損なうのだし、ビタミン剤や風邪薬だって、用法容量を守らなければ、想定外の事態に陥りかねない。

彼とゲームとの付き合い方は、眠れないからと寝酒を増やし続けている不眠症患者のような危うさが見える時があり、専門外来の門戸を叩くのも時間の問題なんじゃないか、と薄っすらと覚悟を決めている。


しかし、依存症患者は往々にして、病院に行くことを拒むとも聞く。

アルコール依存しかり、ギャンブル依存しかり、「自分は依存なんかしていない、正常だ」、と言い張るのだと、テレビで報道していた。

モザイクがかかった顔で、変声器を通した声で、身内の振舞いによる苦労を語る家族を追うドキュメンタリーは、度々目にする。


機体が熱くなったのか、ようやくスマホから手を離し皿を取った彼と目が合い、「どうかした?」と首を傾げられる。

「何でもないよ」とつい答えてしまったが、そろそろ、口に出して言った方が良いだろうか。ゲームやりすぎじゃないの、と。


何度か喉を飛び出しそうになるその言葉が、どうしても音となって空気を震わせないのは、ひとえに彼が事前に行った宣言を、ただひたすらに信じているからに過ぎない。


「あと一年、待って欲しい」


付き合って五年目のお祝いの食事の席で、彼はやけに真剣な表情でそう言った。

「何を?」と聞いても、「何が何でも」と、答えになっているのだかいないのだか分からない回答しか返ってこなかったので、押し負けた私はうんざりして「分かった」と頷いた。

そして、その翌日から、彼のゲーム熱は悪化の一途を辿り始める。


最初の一か月は「何かしらハマるものでもあったんだろう」と楽観視していたものの、分担したはずの家事を疎かにするだけでは飽き足らず、私が用意しなければ食事すら忘れるほどに熱中しているとあれば、心配を通り越して、むしろ恐怖すら感じる。

ゲームが関わらない場面では至極真っ当な真人間であるため、会社の人間や近隣住民などには本性はバレていないようだが、それも時間の問題なのでは、と思う。


一年前は、まさかこんなことになるとは想像もしなかったので、勢いに流されるように了承してしまったが、いい加減、堪忍袋の緒を切り落とした方が良いような気もしてきた。

たとえ仕事がきちっとできていたとしても、日常生活を破綻させるほどであれば、やはり専門スタッフによる治療が必要なのではないだろうか。


しかし、無料の相談窓口にでも電話をかけてみようか、と、本気で検索を始めた矢先、彼は唐突にぱたりとゲームを止めた。

それは本当に何の前触れもなくて、驚きすぎたせいか、私の方から「ゲームはいいの?」とアホな質問を投げかけてしまった程だ。

彼はと言えば、あっけらかん、とした様子で、「ああ、もう大丈夫だから」と晴れやかな表情で笑っていた。


まあ、どんな心境の変化があったにせよ、依存から脱出できたのであれば、それに越したことはない。

医者の診断だとか通院だとか、そういった手間のない方が有難いのは確かだし、ひとまず危機は去った、と、私は胸を撫で下ろした。


それは、彼の宣言した一年まで、あと一週間に迫っていた日のことだったので、ひょっとしたらゲームを一時的に断っているだけなのでは、という疑念も湧かないわけではなかったけれど、とにもかくにも、私は安心しきっていたのだ。

その、一年後の日である、今日を迎えるまでは。




今日は、朝からどうにも憂鬱だった。

生理が近いのか、腹部に重苦しい圧迫感があったし、夜中に予想以上に冷え込んだらしく、布団からはみ出していた手足は冷え切っていた。

内容は忘れてしまったけれど、何かしら良くない夢を見たようで、後味の悪さだけが残っている。


のそりと体を起こしてみれば、窓を叩く雨粒の音が聞こえた。

せっかく新品のヒールを下ろそうと思っていたのに、レイニーデイとはついてない。


スマホで時間を確認しようと電源ボタンを押すも、応答はなし。

そういえば就寝前に、ローバッテリーを警告されていたような記憶があった。

もぞもぞとコンセントから充電ケーブルを辿り、スマホに繋げておく。


彼は一大プロジェクトの最終調整が必要とのことで、泊まり込みで仕事に行っているので、今日は久々に一人での起床だ。

正直に言うと、彼の宣言した一年後、を少し、いやかなり、期待して待っていただけに、昨夜、彼から帰宅できない旨を連絡された時、柄にもなく拗ねてしまった。

「どうせ私より仕事が大事なんでしょ」、と、ひと昔前のドラマの定型文のようなセリフを叩きつけて通話を切ってしまった。


しかし、一晩寝て起きて考え直してみれば、まだ籍も入れていない同棲相手と、社運をかけた一大プロジェクトとを比べてみれば、やはり男性としては、仕事を取らざるを得ないだろう。

男尊女卑の撤廃だとか、男女平等だとかが騒がれてはいるものの、なんやかやあって、女性よりは男性の方が出世しやすい傾向は残っているのだし。


いい年した大人が情けない、ここは一つ、きちんと謝罪しなければ、と、洗顔がてら頬をぱしりと叩く。

昼には帰宅する、と言っていたから、こうして身支度している間にも、帰ってくるかもしれない。


せめて、疲れた体を労わってあげられるように、とキッチンに向かい、ケトルをコンロにかける。

いつもだったらインスタントで済ませてしまうけれど、せっかくだから、少し前に奮発して買った、お高い豆を用意しよう。

そう考えながら豆をどこに置いたかを思い出そうとしていると、ピンポン、と玄関のチャイムが鳴った。


扉を開けて、真っ先に目に入ったのは、鮮明な赤。

その次に、照れくさそうに笑う彼が映って、ピシっと決めたスーツを纏った彼が、こう口にするのだ。「結婚しよう」と。

私はうれし涙を浮かべながら頷いて、「もちろん」と答える。


……なんて展開になれば、なかなかに感動的なのだけれど、生憎とそんなメロドラマのようなことは起こらず、チャイムを鳴らしたのは新聞代金の取り立てだった。

ほんのりがっかりしながら代金を支払い、室内に戻る。

「いつ頃帰ってこれそう?」と充電ケーブルに繋げたままのスマホで短いメッセージを送ると、すぐに返事があった。


「もうつく」と、すべて平仮名で書いてあるということは、本当にすぐのところにいるのだろう。

まだコーヒーの準備が整ってないのに、と慌ててコーヒー豆を買い物袋から取り出しているうちに、ガチャリ、と玄関の戸が開く音がした。


「ただいま」

「おかえり」


会社に泊まり込みだっただけあり、少しくたびれたスーツに身を包んだ彼が、疲労困憊という空気を纏ったまま、力なく席に着く。

手に提げていたデパートの紙袋を机に置くと、そのままどろりと机と一体化するように突っ伏した。


「……、お疲れ様」

「うん、疲れた……。もう絶対プロジェクトリーダーなんか引き受けない……」


肩周辺の筋肉を伸ばして少しはすっきりしたのか、のろのろと起き上がると、彼はおもむろに紙袋に手を突っ込んで、中から小さな箱を取り出した。

その箱を見て、キッチンに向かいかけていた私の足が止まる。

なんというか、ものすごくおあつらえ向きなサイズの、高級感溢れる箱なのだ。気にならないわけがない。


ぴたりと動きを止めている私を見て、彼は思わず、といった感じで柔らかな笑みを零して、それから、「もし良かったら、受け取ってほしいんだけど」と、たどたどしい手つきで箱を開けて中身を取り出して見せた。

濃紺のリングケースの中には、シンプルな指輪が一つ、指に通される時を待っていた。


期待を寄せる反面、過度の希望を持つのはやめておこう、という自制を働かせていたせいで、願ったり叶ったりの状況だというのに、反応が追い付かない。

いつの間にか乾いてた喉から、何か言葉を絞り出さなくては、と腹に力を入れたところで、ピーッ!と甲高い音が鳴り響いた。


ビクッとして我に返り、慌ててキッチンに走りコンロの火を止める。

奇妙な空気が流れ、ますます何を口にしたら良いか考えあぐねていると、「……もしかして、いらなかった……?」とか細い声が聞こえたので、ほとんど条件反射のような早さで「いる!」と叫ぶ。

叫んでから改めてハッとして、思わず口を塞ぐと、彼はそんな私を見て安心したようで、肩の力を抜いて眉尻を下げた。




結局、一年前の「待ってくれ」宣言は、彼の担当していた一大プロジェクトとやらが片付くまで待って欲しい、という意味だったらしい。

プロジェクト内容を簡単に言えば、新作のオンラインゲームの開発。

彼の任された仕事は、開発中のオンラインゲームの動作確認をしつつ、イベントの適切な報酬設定ラインを見極めることだった。


以前、他のゲームをリリースした際に、一般のテストプレイヤー同士が示し合わせて手を抜いたテストプレイをして、正式リリース版の報酬ラインの引き下げを狙う、という事件があったらしい。

それを受けて、社員からもテストプレイヤーを出すことになり、その一人が彼だったのだそうだ。


日常生活のスキマ時間にプレイすることを想定したゲームのため、自宅でもプレイしなくてはならないし、報酬設定の参考にするためには、それなりに時間をかけてプレイして、上位の報酬まで入手しなくてはならないだろう。

プレスリリースもされていない内容だから、詳細は明かせなかったが、プロジェクトの内容からして一年ほどはかかるだろう、と想定して、「あと一年」と告げたものの、内容の秘匿性を重んじるあまり、他に何をどう伝えたか覚えていない、とも白状した。


「一応、いまのところの目標額は回収できてるし、当面は安定した生活、のはず。本当は、去年の時点で渡したかったんだけど、プロポーズ直後にゲーム三昧は流石にどうかと思って……」

「ああ、うん、確かにね……。まあ、いきなりゲーム中毒になられたのも、それなりに困ったけど……、とにかく、プロジェクト成功おめでとう?」


私の左手薬指に嵌められた指輪に目を落としながら、彼は申し訳なさそうに言う。

後から事情を説明されれば、言葉足らずなところは大いにあったにせよ、それなりに納得いく発言ではあった。


ただ漫然と待たされた気がしないでもないけれど、終わり良ければ総て良し、とかいう格言もあることだし。

何より、諦めかけていたものが手元にある喜びに、頭が上手く働かないのだ。


気を抜くとにやけてしまう口元を隠すように、コーヒーを一口含む。

香ばしい匂いの立ち上るカップの中には、幸せそうな笑みを浮かべる私の顔が映り込んでいた。

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私と彼とゲームと、それから 一白 @ninomae99

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