男やもめは意地を張る
一白
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ずき、と痛む膝に小さく舌打ちを洩らし、鈴木は椅子の手すりに加重をかけ、ゆっくりと立ち上がった。
まだまだ若いものには負けない、と、大口を叩いたのは、つい先週のことで、記憶に新しい。
立ち上がりさえ我慢してしまえば、歩行など他の動作には影響はないのだが、年々、痛みは増す一方だ。
本音を言ってしまえば、そろそろ周囲に助けを求めたい。
だが、生来の意地っ張りな性格が邪魔をして、弱みをさらけ出せないでいた。
鈴木は今年で八十五歳になる。
妻は十年ほど前から認知症を患い、しばらくは自宅で介護を受けていたものの、ある日、出先で転んでから一気に衰弱し、あっけなく先に逝ってしまった。
以来、男やもめの一人暮らしを続けていたが、つい先週、妻の三回忌を終えたタイミングで、二人の子どもたちから同居の話を持ち掛けられたのだ。
「お父さんももう年なんだし、離れて暮らしていると心配だから」―――そんなことを言われた。
だが、どちらの子どももそれぞれ家庭を築いており、居室が余っているわけでも、資金が潤沢にあるわけでもなかった。
そもそも、これまで何とかやってこれたのだから、いまさら世話を焼かれるのも面倒だと思い、その時は「辛くなったら頼るから」と強引に話を切り上げたのだ。
そんなことを言った矢先に、膝の痛み程度で頼っていては、男としてのプライドが廃る。
口をへの字に曲げて痛みをやり過ごしてから、鈴木は窓口へと歩を進めた。
「では、お預かりした書類がこちらですね。住民票のとおりに内容を修正させていただきましたので、ご確認をお願いします」
若い女性の職員が、丁寧な口調とは裏腹に、雑な手つきで書類を鈴木へと提示する。
視線を落とせば、提示された書類に書いた住所が修正されていた。
ハイフンで繋いでいた箇所を、ご丁寧に「丁目」やら「番地」やらに直し、長ったらしいマンションの名称を加えられている。
鈴木としてみれば、書類の下部に役所の印さえもらえれば、あとの表記はどうだって構わないのだが、役所としては何かしら決まりがあるらしい。
「お間違いないですか?」と聞かれたので、よく分からないながらも「はい」と問題ない旨を告げて、証明書の代金を支払う。
毎年毎年、生きているかどうかを証明するためだけに役所に来なくてはならないのは面倒極まりないが、この書類を出さなければ年金が受け取れないので仕方がない。
(たったいま返却された書類を、返信封筒に入れ封をして、役所の入口わきにあるポストへ突っ込む。そうすれば、今年の手続きも終わりだ)
頭でそうと分かっているのに、駐車場と逆の方向にポストがあることが、ひどく億劫に感じられた。
鈴木をゆっくり追い抜いて、初老の夫婦が先へと歩き去っていく。
和やかに会話している様子を遠目に眺めて、鈴木はぼんやり、妻が健在だった頃のことを思い出した。
あの頃から既に、鈴木の膝は痛み始めていたため、心配した妻が事あるごとにくっついてきては、鬱陶しいと感じたものだ。
しかし、いまこうして一人で黙々と歩いていると、隣に長年連れ添った妻がいないという事実が、どうしようもなく鈴木の胸を抉った。
(俺も早く、アイツと同じところへ行きたいものだ)
子どもたちの前では決して口に出せない弱音を、胸中にひっそり抱きながら、いつの間にか握りしめていた封筒を、そっとポストに投函した。
男やもめは意地を張る 一白 @ninomae99
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