鬼の薬屋

一白

ここは薬屋・明暗堂。

週に一度だけ、天国と地獄の境目で出張開店をしています。


店主は若い女性で、名を茜といいました。

若い、とはいっても、それは見た目の話であって、天国の住人にとっては、年齢という概念はありません。

実際、茜も天国の暮らし始めてから、どのくらい経ったのか、自分でも覚えていないくらいでした。


「私より先にいた人たちよりは年下だし、私より後から来た人たちよりは年上だろうな」という程度の意識しかありませんし、そもそも、後先のことも、すぐに忘れてしまいます。

それは、天国では時の流れがとても穏やかで、誰もかれもが大きな事件を起こすことなく暮らしているからでした。


生前、薬屋を営んでいた茜は、その生業をとても気に入っていましたので、天国でも続けることにしたのです。

天国では、仕事をしようとしまいと、それは個々人の自由に選ぶことができるのですが、茜は生前、仕事熱心なタイプでした。

天国とはいえ、時折、過食などの原因で体調を崩す人はいます。

そういう人たちの力になれれば、と思って開店したのでした。


しばらくは天国の一角で細々と営業していた明暗堂は、いつしか天国中に噂が広まりました。

というのも、天国で仕事をしている人は少ないからです。

天国では沢山の人たちが暮らしていて、やがて転生する時を待っていますが、仕事をしなくても誰にも怒られないので、やらない人たちが段々増えていったのでした。


(昔は、半分くらいの人たちが働いていたんだけどなぁ)


ぼんやりと遠い昔のことを思い返しながら、茜はぼやきます。

しっかりと確認したわけではありませんが、いまや仕事をしている人は、全体の一割にも満たないのでした。

その原因は、時々お客さんの言葉の端々から発せられていたので、茜も別に、働かない人たちを責めることはありません。


どうも最近は、ブラック企業というものが出てくるようになって、働きすぎるほど働いてから、天国に来るようでした。

いつとははっきり言いませんが、茜の生きた時代などは、せいぜい「日が昇ってから落ちるまで」が活動するのに精いっぱいの時間だったのです。

いまや地上は昼夜関係なく光にまみれ、働いても働いても働き足りない人と、働きたくても働けない人たちとでせめぎ合っている、と、ある客からは聞かされました。


(なんて恐ろしい時代だろう。地上がそんな恐ろしい場所に変わってしまっているというのなら、まだいましばらく、ここにいたいな―――)


茜が薬屋を営んでいるのは、そういった下心も、ほんの少し混じっていました。

というのは、実は天国で仕事をしている間は、転生しなくても良いのです。

茜は別に、いつ転生しても構わないと思っていましたし、いまでも少しは思っていますが、できるなら、そこまで厳しくない時代を生きたい、という人並みな感覚も持ち合わせていました。


実は天国は、転生を厭う人たちが増えたお陰で、これまでにないくらいの人口増加率を誇っているのですが、茜はそのことは考えないようにしました。

茜はそこそこ長く天国に暮らしている身ですから、これまでの経験、というものが少しはあります。

茜の見立てでは、きっと恐らくもう少ししたら、一気に転生していくはずなのでした。


いくら転生したくない、と申告したところで、通らない時は通らないものです。

妙なところで天国もシビアなのでした。




それはともかく、明暗堂のお話です。

最初はそれほど品ぞろえもなかった明暗堂ですが、長らく続けた甲斐あって、今ではちょっとした大店くらいの取り扱い量となっていました。

天国では病人・怪我人は少ないとはいえ、他にお店がないものですから、来客は比較的頻繁です。


明暗堂は店主である茜一人しか働いていませんので、それなりに忙しくはありました。

しかし、元来、好きなことをしているだけなので、それほど苦にも感じられず、毎日休むことなく営業していたのです。

そうこうしているうちに、天国だけでなく、地獄にまで評判が届いたのでした。


普段、見たことのない鬼が初めて来店した時には、びっくりしながらもおずおずと対応した茜ですが、いまや、地獄で開いている仮の店舗の店内に、大小様々な鬼がひしめいていても、動じることもありません。

むしろ、こっちとあっちと、どっちの薬にしよう、と悩んでいる鬼に、「その容態なら、こちらが良いと思います」と横からアドバイスをするくらいです。

週に一回しか出張しない上に、仮の店舗で営業しているものですから、天国で働いている時よりはずっと忙しいのでした。


次から次へと来客を捌き、ほんのわずかに終業時間を過ぎてから、今日も暖簾を下ろします。

着々と天国へ帰る準備をしている茜の背中に、「あの、」と声を掛ける影がありました。

しかし、茜が振り返ると、誰もいません。


「あの、こちらです。下です」


下から聞こえた声に、目線を下に下げていくと、茜の膝丈くらいの大きさの鬼が、困り顔で茜を見上げていました。


「あの、今日は、もう終わってしまいましたか?」

「そうですね。一応、これで私は帰ろうと思っていますけれど」

「ああ、困ったな。どうしても薬が欲しいのです」


地獄には一応、他にも薬屋はあるはずですが、地獄は天国よりも遥かに広いので、この店からどれだけの距離があるのか、茜にも分かりません。

茜が一週間に一度、この場所に出張してきているのは、この近辺に薬屋がないからです。

ここで茜が断れば、この小鬼はきっと、とても遠い薬屋へ行かなくてはならなくなるのでしょう。

それは流石に気が引けました。


「どういう症状なんですか?」

「ずっと喉が痛くて、咳が出てるんです」

「鼻水は出ていますか?」

「えっと……あんまり、出てなかったです」


膝を折り、小鬼の視線に出来る限り合わせながら、茜は症状を聞き取っていきます。

医者というわけではないので、はっきりと病名を診断したりすることはできませんが、症状からある程度の予測はつきます。

茜は、たったいま一つにまとめたばかりの荷物をほどき、症状に合うような薬を取り出し、小鬼に手渡しました。


「朝、昼、晩、の三回、ご飯の後に飲んでもらって。ご飯は消化にいいものを。お風呂は、体調が良いなら入っても大丈夫だと思うよ」

「ありがとうございます。えっと、お代は……あっ」


薬を受け取った小鬼が、懐をごそごそと探り、慌ててぱたぱたと全身を叩きます。

どうやら、あまりに急いでいたので、お金を忘れてしまったようでした。

茜は、「お代は今度でいいよ」と言い、「早く薬を届けてあげて」と小鬼の頭を撫でました。

小鬼は何度も茜にお礼を言ってから、ばたばたと忙しく走り去っていきました。




天国の店舗に戻ってから、のんびりとしながらもそれなりに忙しい一週間が過ぎ、再び地獄へ出張する日が来ました。

その頃には、他の沢山のお客さんの対応をするうちに、茜はすっかり、先週の出来事のことは忘れていました

閉店時間を迎え、片付けを始めた時、「あの、」とどこからともなく声がして、初めて「あ、先週の」と思い出したのです。


「先週は、どうもありがとうございました。お陰でお父さん、元気になりました」

「それは良かったです」


カウンター越しでは小鬼の顔が見えないので、茜はカウンターを回って小鬼の傍に行きました。

あの日と同じように膝を折り、小鬼の目線に近づければ、小鬼ははにかんだ笑みを浮かべています。

ここで、茜はふと、小鬼の服がとても汚れていることに気が付きました。


「お代、これで足りますか?」

「うーん……」


小鬼が差し出したお金の額を見て、茜は困ってしまいました。

恐らく、小鬼自身のお小遣いを持ってきたのでしょうが、とても薬の代金には届きません。

小鬼の小さな両手で持てるだけの小銭の山を見て、茜は小鬼に尋ねます。


「お父さんとお母さんは、元気に過ごしてるの?」

「お母さんはいつも体が弱くて……お父さんはこの前、怪我しちゃったんだ」


しゅん、と暗い表情を浮かべる小鬼の頭を、茜はそっと撫でました。

顔を上げる小鬼に、茜は問いを重ねます。

お母さんがどのように体が弱いのか、お父さんはどこを怪我しているのか、怪我はどんな具合なのか。

聞き取った後、小銭をしまっておくように小鬼に言いつけてから、茜は店奥へと姿を消しました。


小鬼は、せっかく用意した小銭をしまえと言われて、困惑しましたが、ずっと手に持っているわけにもいきません。

仕方なく、持ってくる時に入れていた巾着に入れ直しました。

最後の一枚を入れる時、手が滑ってしまい、小銭がころころと床を転がっていきます。


こつん、と小銭の回転が止まったのは、奥から戻ってきた茜の足元に当たったからでした。

茜はしゃがみ込んで小銭を拾い、小鬼に渡さずに自分の手のひらに握り、その小銭の代わりに、奥から持ち出してきた風呂敷を渡します。

「これは?」を首を傾げる小鬼に、茜はにっこり笑いました。


「お父さんとお母さんのお薬だよ。今日は、これで売ってあげる」

「えっ、でも、そんな小銭じゃあ、」

「店主の私が売るって言ってるんだから、良いんだよ。さ、お家にお帰り」


小鬼を入り口まで連れて行き、そっと背中を押してやると、小鬼は泣きそうな顔になりながら、また何度もお礼を言って、夕闇の中を走り去っていきました。

茜はその背中が見えなくなるまで見送ってから、店の閉店準備に戻りました。


元々茜は、営利目的で営業しているわけではないので、時折、割り引きしたりしているのです。

とはいえ、ここまで大幅に割り引きをしたのは初めてでした。

天国のお客さんであれば、おおよそお金に困っていることはないので、そもそも割り引きすることがない、というのも理由の一つです。


天国で長く過ごしすぎた茜には、地獄の状況を正確に把握することはできませんが、他の客が普通に代金を払えているのですから、あの小鬼はやはり、経済的には苦しい方なのでしょう。

両親ともに働ける状態ではない、ということは、あの小鬼があれこれと動いている、ということです。

茜が小鬼を直接、手伝うことはできませんが、薬を融通することで、少しでも楽になれば良いな、と思いました。


そんなことを何度か繰り返すうちに、いつしか小鬼はぱたりと来なくなりました。

茜は時折、小鬼のことを思い出すこともありましたが、普段から忙しく過ごしていましたので、そのうちすっかり頭の隅へと追いやってしまいました。


もうすっかり地獄へ出張に来るのも慣れた頃、「あの、」と遠慮がちな声を聞いて、茜は顔を上げます。

どこかで見た覚えのある、けれど最近のお客さんではない鬼が、カウンターの前に立っていました。


鬼は「覚えているかどうか、分かりませんが」と前置きをしてから、訥々とこれまでのことを話し始めました。

両親が病と怪我とで床に臥せ、生活が大変だったこと。

明暗堂から融通してもらった薬で何とか持ち直し、その後、十分にお礼をする前に、引っ越すことになってしまったこと。

そして、ようやくあの頃の恩を返せるほどにお金が貯まったので、こうして足を運んだこと。


鬼に語られるうちに、茜はあの小鬼のことを思い出しました。

そういえばそんなこともあったな、と、記憶の彼方から頑張って引っ張り出します。

「ご両親は、お元気でお過ごしですか?」と茜が尋ねると、「いまは父は引退して、母とともにゆっくりしています」と鬼は笑顔を浮かべました。


「それで、こちら、いままでの代金を自分なりに計算してみたんですが、受け取ってもらえませんか」

「あら……」


ずっしりと重くなった巾着には、ぎっしりとお金が詰まっているようです。

いまのいままで、昔のことをすっかり忘れてしまっていた茜にとっては、突然わいた大金でした。

特にお金が必要なこともないしな、と、少し考えた茜は、ピン、と名案を思い付きました。


巾着から目を離して鬼を見上げ、お金を受け取る代わりに、と、鬼へとあるお願いごとをします。

鬼は、びっくりしつつも茜の説得に負け、やがてお願いごとを引き受けることになりました。

茜はほっと胸を撫で下ろし、にっこりと笑って言いました。


「それじゃあ、私がいない間は、このお店をよろしくお願いします」

「はい。出来る限り、頑張ります」


こうして、一週間に一度、地獄に出張開店していただけの明暗堂は、ようやく、地獄にきちんとした支店を設けることになったのでした。

茜が不在時のお店を頼まれた鬼は、それなりに長い時間をかけて研修を終えてから、それまでの仕事をきっぱりと辞め、明暗堂に通い始めることになりました。


最初は、薬の名前も効能も、置き場所や保管方法、代金すらも、何も分からずに右往左往するだけで、茜なしで営業することはとても無理でした。

それでも鬼は、小さい頃に受けた恩に報いようと、一生懸命に学びました。

元々真面目な鬼でしたので、どんどん知識を吸収し、やがて、茜に次ぐ知識を身に付けました。


そうして茜から太鼓判をもらった鬼は、少し緊張しながらも、明暗堂に一人で立つことになったのです。

鬼が店番をする日は、一週間に一日、数時間から始め、少しずつ少しずつ増やしていきました。

何度もミスを重ねながらも、鬼は必死にお客さんを捌き、やがて鬼は、毎日店頭に立てるようになりました。


「お薬ください」

「どんなお薬をお探しですか?」


とうとう鬼は、茜から任された明暗堂の支店を、一人で切り盛りできるようになりました。

そうして地獄には薬屋が一つ増え、今日も沢山の薬が売れています。

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