持ちつ持たれつ

一白

『―――末筆ながら、坂木様の今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。ご応募いただき、誠に有難う御座いました。』


恐る恐る開いたメールは、いわゆる「お祈りメール」であり、すなわち、私の就職活動がまだまだ終わらないことを意味していた。

今回の会社は、三回も面接を重ねていた上に、面接官からの質問にもうまく答えられたと感じていたため、祈られてしまったことへのショックは大きい。


スマホを手にしたままベッドに倒れ込み、大きく溜め息を吐く。

一体、あと何社からの「お祈り」されれば、私の就活は終わるを告げるのだろうか。

ゴールの見えないマラソンコースをひた走っているかのような絶望感に、いっそのこと逃げ出してしまいたい。


父は、正社員になれ、と言ってくる。

いまのご時世、正社員が必ずしも良い条件とは限らないと思うのだが、父に意見できるほど「社会」のことを知らない私に、父を論破することはできない。


父の意向に従い、上場企業や有名企業を片っ端から受けてみたものの、メールボックスには祈りが溜まっていくばかり。

筆記試験だけは何とか突破できるものの、どんなに好感触でも、面接で必ず落とされてしまう。

どこが悪いのか、誰かにアドバイスを受けたいが、あまり直球で指摘されてしまえば、いまの精神状況では挫けてしまいそうだった。


そもそも、大学の学生支援課が主催している模擬面接や就職サポートは、事前予約で枠が埋まってしまっている。

今更、大学の助力を頼ることはできない状況だった。

就活サイト主催の模擬面接も、安くない料金を取られたり、無料と謳っていても勧誘があるんじゃないかと勘繰ってしまったりで、中々勇気を出して申し込みが出来なかった。


友人に様子を聞くと、次々に内定を勝ち取った旨の報告をされ、表面上では「おめでとう!」と喜びながらも、内心では羨ましいやら悔しいやらで、ぐちゃぐちゃだった。

どうしよう、と、考えながらも、何もする気が起きずにごろごろしていると、スマホから通話アプリの着信音が流れてきた。

相手が誰だろうと、いまの鬱屈とした気分を変えたかったので、画面の確認もそこそこに、躊躇わずにタップして通話状態にした。




「まさか、沙羅から頼みごとをされる日が来るとは思ってもみなかったわ」


自宅に招き入れた沙羅をここぞとばかりにからかいながら、貴重なエプロン姿を見つめる。

沙羅は居心地悪そうに目線を逸らし、「うるさいなぁ」と零した。


清水沙羅とは、大学一年で同じゼミを選択していた時からの付き合いである。

といっても、ずっと連絡を取り合っていたわけではなく、お互いの必要な時にだけ会う程度の関係だ。


沙羅は、ボーイッシュな服装を好むサバサバ系女子であり、会話をスパッと切り上げてしまう部分があるため、一見すると取っつきにくい。

だが、一度打ち解けてしまえば、初見で抱く印象とは真逆といってもいいくらい、楽しく会話のできる子なのだ。

「普段からもっと笑顔を心掛けていれば、余計な勘違いが減って友人も増えるだろうに」と助言したこともあるが、本人はどこ吹く風、といった様子で気にしていないようである。


そんな彼女がどうして私に連絡を取ってきたかというと、今後の一人暮らしに備え、家事……とりわけ、料理の腕を少しでも向上しておきたい、と思い立ったというのだ。

実家から通学している沙羅は、元々の不得意分野だったこともあり、これまで料理に携わることなく生活してきた。

しかし、就職先では当面、寮生活を強いられることになるらしく、「これではまずい」と腹を括ったらしい。


「得意料理は?」と聞くと、真顔で「おかゆ」と返してくる程度には料理が出来ないようなので、包丁の扱いも危ういのだろうかとヒヤヒヤしていたものの、いざ、台所に立ってもらうと、ゆっくりであれば問題なく切れるようだった。

小学校の頃に、キャンプ場でカレーを作ったことはあるのだ、と苦笑した沙羅は、それでも手順や分量についての記憶は曖昧で、自信はまったくない、と堂々と言い切った。


「最近は、サイトとかアプリでちょっと検索するだけで、色んなレシピがすぐ出てくるから、慣れちゃえばすぐ出来るようになると思うよ」

「そうかなぁ……。ああいうのって、おしゃれなレシピとか、見たことない食材とか使うんでしょ?」

「うわぁ偏見。後で肉じゃがでも検索してみなよ。肉じゃがだけでも、入れる具材とか、調味料の量とかが違うレシピがいっぱい出てくるから」


謎の先入観を抱いている沙羅に呆れながらも、少し笑ってしまった。


無事に調理を終え、沙羅と二人でテーブルを囲む。

囲む、とはいったものの、一人用のローテーブルなので、向かい合って座っている、と表現した方が正しい。

テーブルの上には二人分のご飯茶碗と、味噌汁、それから大皿に、キャベツとモヤシと豚肉炒めの卵とじが盛り付けられている。


私はたいして手を加えていないので、これらのほとんどすべてを沙羅が作った。

味噌汁の具材はジャガイモと人参で、形が不ぞろいだったためか固い部分もあったが、食べられないほどではない。

沙羅は申し訳なさそうな顔をしていたが、誰だって最初から料理ができるわけがない、と伝えると、肩の力を抜いたようだった。


「母が調理師免許持っててさ、兄の料理を注意してるのを見て、注意されながら料理するなんて嫌だなーって思ってたら、いつの間にか家族のそばで台所に立てなくなっちゃって」


沙羅は苦笑しながら話しているが、幼少期からの刷り込まれた記憶の影響力、というのは存外、大きいと思う。

私もずっと、父に進路を示されながら歩いてきたので、沙羅の気持ちは少し理解できた。


「ホントは料理なんて、家で練習するのが一番なんだろうけど……、もし失敗して怒られて、寮暮らしに反対でもされたら、溜まったもんじゃないし」

「別に、料理くらい失敗しても良いと思うけどねぇ。ただ、人に失敗を見られたくない、っていうのは分かるかも」


私も結局、父に「就職に失敗する姿」を見せたくなくて、諦めずに就活を続けているようなものなのだ。

父の言葉に逆らいたい一方で、素直に従って安心させてあげたいとも思っている。

つい昨日も「お祈り」歴を更新したことを思い出して、私は一気に憂鬱になってしまった。

料理の味が悪かったのかと焦る沙羅に、慌てて理由を告げて訂正すれば、沙羅は少し悩む素振りを見せてから口を開く。


「詩織、公務員試験とか受けてみたら?」

「え?いや、無理だよ。公務員用の試験勉強してないし、公務員試験だってもう、締め切ってるでしょ?」

「やってみなきゃ分かんないじゃん。まだ締め切ってないとこ、あると思うし」


「私は肉じゃがのレシピでも検索してるから、詩織は公務員試験の締め切り日を検索してみなよ」とまで言い出し、実際に自分は検索を始めてしまったものだから、それに付き合う形で渋々とスマホを手に取る。

思いつく限りの市町村を検索し、試験日や締め切り日を一つ一つ確認していくと、意外なことに、自分の実家の自治体の締め切り日が今日だった。


「ダメで元々、失敗したっていいじゃん!詩織は公務員の仕事、向いてるような気がするし、やってみて損ってことはないでしょ」

「えー……交通費とか、時間とか、消費するものは諸々あるんだけど……」

「つべこべ言わない!ほらほら、申し込みフォームに飛んで飛んで」


やけにぐいぐいと押してくる沙羅に根負けして、その場でサクッとエントリーシートを仕上げる。

受験動機、の部分だけ突っかかったものの、横で沙羅が「テキトーに書いとけばいいじゃん、ダメ元なんだし」と口にしてくれたお陰で、下調べせずに動機をでっちあげることへの罪悪感は少なく済んだ。

送信完了、の文字を確認した時には、テーブルの上で湯気を立てていたはずの料理は冷めきっていて、でも、私と沙羅とは奇妙な達成感に支配されていた。


「……じゃあ、詩織は公務員試験を、私は料理を、お互い頑張りましょうってことで!」

「もー、自分は内定取ってるからって……。はいはい、エントリーしちゃったからには、精々悪あがきしてみますよ、と」


不満たらたら、みたいな口調で言ってはみたものの、私の頬は確実に、ここ数日の間で一番、緩んでいた。

思い返してみれば、私が二年次のゼミをどれにするか悩んでいたときも、沙羅は明るく背中を押してくれた。

そういう、押し付けすぎずにやる気にさせるのが、沙羅はきっと得意なのだろう。


互いの奮闘を誓い合った後、「次にいつ会う?」という約束も決めずに別れる。一人の空間に戻った部屋で、「頑張らなければ」ではなく「頑張ろう」という気持ちに変えてくれた沙羅に感謝をしてから、財布の中身を確認した。

取り急ぎ書店に行って、公務員試験の対策本を見てこなくては。



結局、私は公務員試験には筆記試験で落ちてしまった。

だが、公務員試験対策をする傍らに進めていた企業の内定を、無事に勝ち取ることができたのだ。

沙羅が勧めてくれた公務員でこそないものの、こうして就活を終えることができたのは、沙羅のお陰の他ならない、と思っている。

沙羅への感謝のしるしとして、「沙羅が行きたいと言っていたスイーツバイキングを奢らせて」と申し出ると、彼女は困ったように笑いながら、こう言った。


「それじゃあ私はお返しに、この一か月の練習の成果を披露するよ」


ごそごそと鞄から取り出したお弁当箱のフタを取ると、真っ先に目に飛び込んできたのは、ほぼ真っ黒に焦げ付いた卵焼き。

「結局あれから、全然上達しなくて……」と居心地悪そうに目を逸らす姿が、あの日の沙羅と重なる。

思わず言葉を失ってしまったが、この様子では沙羅はまだまだ困っているのだろう。

「また、うちに遊びに来てよ。食材持参で」と誘えば、沙羅は、今度は嬉しそうに笑ってくれた。

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持ちつ持たれつ 一白 @ninomae99

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