【第三章】◆Buenos días

「シャル……」

 俺は呆然と夜空に浮かぶ機体を見上げる。

 海上に波紋を描きながら、大きく回転翼を駆動させる武装ヘリコプター。

 開け放たれた扉ではシャルが機関銃を構えており、一方操縦席の方には──

「よお、久しぶりだな、くそがき! やっと自首する気になったか!」

 ふうさんが俺を見下ろしながら、ヘリの拡声器の機能を使って小馬鹿にしてくる。

「誰がどう見ても今の俺は被害者側だ!」

 言うとふうさんは、俺のなにかを見て指さす。

 ……ああ、これか。

 銃刀法違反。はじめて現場を押さえられた。

 まったく、まともな警察みたいなことを言ってくれるじゃないか。

 というか、あんただって勝手に軍用ヘリを持ち出してるくせに。

「アタシはいいんだよ! おまわりさんだからな!」

 いいわけあるか。そして心の声までしっかり読むな。

 まったく。頬を緩めさせないでくれ。

 まだ一人じゃなかったんだと、安心させないでくれ。

「ぐ……くそ、が……」

 地の底から響くようなうめきが聞こえた。

 血を流しながらも、よろよろと立ち上がるカメレオン。

 その細い目は血走り、夜空に滞留するヘリとシャルに向けられる。

「ご無沙汰ね、ジンゾーニンゲン。二度と会いたくなかったわ」

「……ああ、お前もいつか見た顔だなあ……ッ」

 再びカメレオンの口調が荒々しくなる。こっちが本来の姿なのだろう。

「キミヅカも、今度こそもう会わないかと思ってたけど」

「……ったく、最初からこうするつもりだったのか」

 武力をもって敵をせんめつする。シャルらしいと言えばシャルらしいやり方だ。

 いち早く敵の正体に勘づいたシャルは、早めにこの船を抜け出し戦力を補充して戻ってきたのだ。少しぐらい相談してくれても、とは思うが……いや、昔から俺たちにそんな無駄な習慣はなかったな。そしてよくシエスタに叱られたものだった。

「……けど、よく来てくれた。シャル」

 まさか、今になってシャルに助けられる日が来ようとはな。

「ふんっ、に、あんなたんを切られて、ワタシが黙ってられるわけがないでしょ?」

「いや同い年じゃねえか、お前たち」

 ……だが、そうか。シャルもまた、なつなぎの言葉にきつけられて。

 きっと夏凪には、本人でも自覚していない、何かが──

「というわけでキミヅカ、あなたは下がってなさい! ここからはワタシのターンよ!」

 言うとシャルは扉付近に装備された機関銃を再び構え、《人造人間》に狙いを定める。

 残念だったなカメレオン。

 武器を持たせたあいつには、竜虎が束になってもかなわないぞ。

「せいぜい逃げ回りなさい!」

 どっちが悪役か分からない台詞せりふを叫び、シャルは甲板めがけて散弾を浴びせ始める。

「……ぐっ」

 撃たれた身体からだを引きずりながらも、なお俊敏に逃げ回るカメレオン。時折、硬化した《舌》を振り回し、銃弾を跳ね返す。

「くっ、しやくな」

 地上と空中の攻防戦。

 しかし、それでも地の利はシャルにある。

 カメレオンは上から降り注ぐ銃弾を防ぐことに精一杯で、唯一無二のぶきを防御にしか使えない。尽きることのない弾丸の嵐に、カメレオンはやむなくデッキを逃げ回ることしかできない。

「キミヅカ!」

 突然、銃声に負けない大声でシャルが俺に呼びかける。

「ワタシはアナタのことが嫌い! 大嫌い!」

 そうかよ。だけど俺も同じ気持ちだ。

 悪いがお前とよろしくしようだなんて、思ったことはない。

「でも……でも! マームに選ばれたのはアナタだった! ワタシじゃなくて、ワタシが嫌いなアナタだった! だったら……だったら、託すしかないじゃない! ワタシが大好きなマームが、ワタシが大嫌いなアナタを選んだのなら……ワタシは、アナタを頼るしかないじゃない!」

 それは祈りのような叫びだった。

 涙は見せない。銃弾の雨がそれに代わって天空から降り注ぐ。

 シャーロットはきっと、師の最後の願いをかなえようとしていた。

「キミヅカ! 今度こそワタシたち二人で、このミッションを成功させるわよ!」

 ああ、分かってる。分かってるさ。

 最初から、そのつもりだ。

「うらああああああああああ!」

 弾をそうてんする手間も惜しんでか、シャルはドアガンに頼らず次々に新しい銃器を手にしてカメレオンを攻め立てる。

 このまま押せば、勝てる。

 物陰に身を寄せ、そう確信していた、その時。

「──もう、いい」

 それでも武器の交換で生まれた、攻撃がんだわずかな隙。

 カメレオンは、だらん、と前傾姿勢になると──突然、姿を消した。

「シャル! 気をつけろ!」

「えっ」

 そして次の瞬間、ヘリの機体が大きく傾いた。

「くっ! やられた!」

 見たところ、プロペラは無事だ……だが、機体から、なにかが漏れている。

「……燃料か」

 エンジン部分からガソリンのような液体が滴り、俺たちのいるデッキに落ちてくる。

 ヘリはさっきと比べて随分と低空飛行になった。このままではいつ墜落するか分からない。しかしカメレオンの姿は周囲の景色に完全に溶け込み、俺たちの視界からは消えている。これでは……。

「くっ、これじゃ当たってるかどうかさえ分からない……」

 シャルは手当たり次第にマシンガンで攻撃を続けるが、カメレオンに当たった様子は見られない。操縦席のふうさんも、傾く機体を必死に持ち直そうとそうじゆうかんを握っていた。

 くそ、視覚でアドバンテージを取られると、手の出しようがない。

 見えない相手にどう戦えば。シエスタだったら、どうやって……。

「はは、こうなったらもう私に攻撃は当たらない! あのメイタンテイですら手が出せなかったように!」

 姿は見えぬまま、敵の勝ち誇ったような声だけがこだまする。

 ……それよりも今、こいつはなんと言った?

 メイタンテイすら手が出せなかった?

 俺の知らないところでそんなことが起こっていたというのか?


「今でもまぶたの裏に残っているぞ──無様に私に屈した、あの忌々しき少女の姿が!」


 ああ、そうなのか。

 こいつが。

 こいつが、シエスタを。

 本当の意味でのきゆうてきを、ついに見つけた。

 だが、どうしてか、俺の心はいだままだった。

 もはや感情はない。

 ただ俺の中にあるのは《SPESスペース》を──このバケモノを、せんめつするという使命。

 それが終わるまで、この足は止まらない。

「……ッ! お前が、マームを……ッ!」

 シャルの怒声が戦場にとどろく。

 ああ、分かる。お前の気持ちは、誰よりも分かるさ。

 だが、シャル。今は俺のことを見てくれ。

 俺は、自分の唇に二本の指を持っていくジェスチャーをする。

「キミヅカ? ──そう。分かった」

 投げキッスじゃないことぐらいは分かってもらえたか。

 さあ、もう終わらせよう。

 ここから先は、バケモノ退治の時間だ。

「ワタシも、この人はそろそろ禁煙するべきだと思ってた」

「……ったく、仕方ねえな」

 シャルはふうさんから奪ったオイルライターに火をつけて、下に落とした。

 そう、ヘリから漏れた燃料が広がる、デッキの上に。

「があああああああああああああ!!!」

 火は一気に燃え広がり、カメレオンの周囲一辺を焼き尽くす。

 当然同じフィールドにいる俺もダメージはゼロではない。だが、元より相打ち覚悟だ。

「ア、アツ、イ……シ、ヌ……」

 この苛烈な環境に皮膚の変色機能も働かなくなったのか、再びカメレオンの姿がさらけ出された。火柱に囲まれ、長い舌をだらしなく垂らしながら、膝をついている。

らいなさい」

 そして鈍い一発の銃声。

 計り知れない思いを乗せて、シャルが一撃をぶっ放す。

「──ッ! ッガアア!」

 声にならない声を上げ、カメレオンはかつけつする。

 硬化していたはずの《舌》が銃弾に貫かれ、ゴトンと足元に落ちた。

 しかし、千切れた《舌》は、再び根元から再生してゆく。その様子を見て、俺は自ら燃え盛る炎の現場へ向かう。そして、先端が刃物のようにとがったその《舌》を右手で拾った。

「──ッ、クソ、クソ、ガ」

 目の前のちゆうるいが、なにかしやべっている。

「コロ、ス。オマエ、モ、アノ、メイタンテイノ、ヨウニ、ブザマニ……」

 そうか、《舌》が再生し続ける限り、これはまだ喋るのか。なら──

「──! ガッアアアアアアア!」

 俺は、その拾った《舌》で、カメレオンの再生した《舌》を切り裂いた。

 これは、剣だ。お前自身が生んだもろやいば

 かつての相棒の、その仲間の、その遺志を継ぐ者たちの──色んな人間のおもいを背負って、俺はそれを振るう。

「ヤ、ヤメロオオオオオオオオオオオ!」

 やめるものか。これが、お前が人に与えた痛みだ。

「ガアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 何度でも再生するというのなら、何度でも切り裂くだけだ。

 お前は二度と、しやべらなくていい。

「ア……ア、アア……」

 もう目の前のモノはなにも意味のある声は発していない気がする。

 だが、この右手は止まらない。まだ足りない。

 もっと、もっと、血を流してくれ。

 シャルの分、俺の分、そして、シエスタの分。

 頼む、頼むから。もっと、もっと──

「──頼む、もう死んでくれ」

 何回その《舌》をぶった切ったか分からない。

 もうこれで終わりだと、今度こそ終わってくれと、俺は大きく剣を──

「……っ!」

 振りかざしたところで、大きく船体が揺れた。そして、次の瞬間。

「マダ、ダ」

 気づいた時には、遅かった。

「……ッ!」

 俺の身体からだにカメレオンの長い舌が巻き付いている。まだ完全に断ち切れてはいなかった……!

「バショヲ、カエ、ル」

 そして今度は、長く伸びた《尻尾》を勢いよく甲板にたたきつけた。

「ぐ……!」

 すると燃えてもろくなっていた床が抜け落ち、俺はカメレオンの舌に巻かれたまま下の階層へと落ちていく。

「くっ、そ!」

 わずか数秒の空中戦。

 俺は手に持ったままだった硬い《舌》の残骸を、カメレオンの口の中に押し込む。

「グ、ガッ」

 すると、腹部を締め上げていた舌の力がわずかに緩んだ。まんしんそうの身体で、そのまま俺はどうにかカメレオンを下に組み伏せ、床への激突を免れた。

「痛てて。くそ、あと少しのところで」

 ここは、どこだろう。どこに落ちた。

 天井の穴から吹きすさぶ黒煙で視界が悪く、はっきりと視認できない。落ちてくる時には聞こえていたふうさんやシャルが俺を呼ぶ声も、今はもう耳には届かない。

「とりあえず、体勢を整えねえと……」

 武器もない、現在地も分からないとあっては、まともにやり合うことはできない。

 俺は足を引きずりながら、同じく傷だらけのカメレオンから距離を取る。

「……って、これじゃまるで、逃げてるみたいだな」

 俺は自嘲しつつ……こんな状況にあってもなお、まだ自分が生きようとしている理由を、混濁しかけた意識で考える。

「……なつなぎか」


『あたしは死なない。あんたを置いて勝手にあたしだけ死んだりなんて、絶対しないから』


 俺は再びその言葉を思い出す。

 そうだ。夏凪がそう約束してくれたから、俺も。

 俺も、夏凪を残して勝手に死ぬわけにはいかない。

 まだ、別れの言葉すら交わしていないからな。

 そしてようやく壁際まで辿たどり着いたとき、俺は改めて今、自分がいる空間を見渡した。

「はは、よくできた話だ」

 そこは、ごうけんらん、酒池肉林。

 つい先日も訪れたばかり。人の欲望渦巻く、じごくの楽園──カジノ。

 最終決戦を飾るには、実にふさわしい場所だった。

「──ッ、──ス、──コロ、ス」

 そしてカメレオンも意識を取り戻し、前傾姿勢になりながら立ち上がる。

 敵もまんしんそうとは言え、俺は身一つ。武器も持っていない。

 さあ、どう戦う?

 と言っても選択肢はないんだが。

「アアアアアアッ!」

 もはや自我があるかすら怪しい形相でほうこうするカメレオン。

 さあ、来い。

 俺は左足を前に出し、右の拳を引く。

 武器はこの身一つ、ここから先は肉弾戦だ。

「ルオオオオオオオオオオオオ!」

 カメレオンがき、血まみれの長い《舌》が一直線で飛んでくる。

「うおおおおおおおおおおおお!」

 俺は下半身に力を込め、腰を回し。

 そして勢いよく右腕を振りかぶって──


「──バカか、君は」


 そんな声が聞こえた。

 聞こえた、気がした。

 いや、だって。

 こんな戦場に今さら割って入る人間なんて、いるはずがないだろう?

「《人造人間バケモノ》相手に肉弾戦? そういうのは無茶とは言わない。無謀って言うの」

 次に聞こえてきたのは一発の銃声──そして、カメレオンの叫喚。

 視界には血だまり。やつの長い《舌》が真っ二つに切断されている。

「さて、これでその《舌》は、

 それはどこかで聞いたことのある言い回しだった。

 そして声の主は、天井に開いた穴から勢いよく飛び降り、俺の目の前に着地した。

 背中姿に見覚えはある。見まがうはずもない。

 ここ最近は、なんだかんだでずっと一緒だったのだ。

 だけど、どうしてここに? さっき船で、斎川と一緒に逃がしたはずだろ?

 そんな当然の疑問は、あるひとつの仮説でうんさんしようする。

 俺がその答えを確かめようとしたところで、先にそいつの方から振り向いた。

 そして彼女は。なつなぎなぎさは、俺に向かってこう言った。

「久しぶりだね」

 ああ、確かに懐かしい。

 それだ。俺はずっと、その一億点の微笑ほほえみが見たかった。


「ああ、昼寝はもういいのか? ──シエスタ」

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