【第三章】◆君と過ごした、あの目も眩むような三年間は
今、俺の目の前にいる人物は──夏凪渚だ。それに間違いはない。
だけど、
「君の顔を見るのは一年ぶりだけど、少し目つきが悪くなったね」
この
「お前の方は見た目からなにから、全部取っ替え引っ替えじゃねえか──シエスタ」
外見は夏凪──その中身はシエスタ。
そんな普通ならあり得ない現象を、しかし俺はなぜかそういうものだと認識できている。
それに理由があるとするならば。
「《
記憶転移──臓器移植を行った際、
しかし、いくら記憶転移という現象が実存すると言えども、通常、ドナーからレシピエントに引き継がれるのは、性格や日々の習慣、少しの記憶程度のはずである。
ところが今の夏凪は、シエスタの記憶を継承しているどころか、シエスタ本人に
「なんだか君はまた、失礼なことを考えていそうだね」
夏凪が……いや、シエスタが、ほんの少し不服そうに眉を
「私は、ちょっとこの子の身体を借りてるだけ。乗っ取ってやろうなんて考えていないから」
夏凪の顔で、夏凪の声で、シエスタが
その事実にわずかな違和感を抱きながらも──それでも、俺は、
「会えて
どんな形であれ、一年ぶりの再会に
「君は、そんな顔で笑うんだっけ」
シエスタが、わずかに目を見開いた。
「少し、丸くなったかもしれない」
なんとなく、そう思った。
そんな風に再会の言葉を交わしていると。
「──ッグ、ルア」
カジノ場の奥。
シエスタの銃撃を受けて、口から血を流すカメレオンが、低い
浮き出た白目は血走り、全身の皮膚には青い脈が
「シエスタ、お
「だね。まあ、そのために来たんだし」
それからシエスタは、どこから持って来ていたのか銀色のアタッシュケースを開くと、そこには俺が使うための銃が入っていた。そして座り込んだ俺に向かって左手を差し出すと、
「君──私の助手になってよ」
その
同じだ。あの上空一万メートルで
今、目の前に立っているのは、あくまでも
……だったら、最初から選択権なんてあるはずがない。
「ご命令とあらば──名探偵」
俺は差し出されたシエスタの手を取ると、ありったけの笑顔でそう答えた。
「……君の笑顔はホラーだね」
「ほっとけ!」
俺たちは二手に分かれ、カメレオンを挟む陣形を取る。
「ルオオオオオオオオオオ!!!」
《舌》と《尻尾》が、獲物を捕らえようと宙をうねる。
「気をつけろ! あれは伸縮性、硬度、ともに自在に操れる!」
俺は敵の正面に回りながら、反対側のシエスタに情報を伝える。
「あれ、君がそっち側でいいの?」
「ん、なにか問題か?」
いくらシエスタと言えども、
敵と正面切って向き合うのは、俺の役目でいい。
「そいつの《舌》は、もう私に攻撃できないんだから、私が正面の方が都合がいいと思うんだけど」
「……忘れてた」
くそ、かっこつけたのが
「意外と抜けてるところは直ってない」
「うっせ」
俺たちは敵の攻撃を
「思えばいつもそうだった」
シエスタは、敵の《尻尾》に銃で応戦しながら、懐かしそうに言う。
「『今日はリゾートホテルに泊まらせてやる』って意気揚々とカジノに乗り込んで、有り金ぜんぶ
「ぐ……それは前の日お前が『もう野ぐそはこりごりよ!』ってあまりに泣くから、仕方なく一発逆転を狙って……」
「記憶を
次の瞬間、俺の顔面すれすれのところを弾丸が飛んできた。
「シエスタてめえ!」
「人に罪をなすりつけないでもらえる? 君が野ぐ……外で用を足しているのを、私がたまたま見てしまって、君のプライドを傷付けてしまった件なら謝るけど」
「戦闘中だ! 余計なことは思い出すな!」
まったく、この女は。
…………。
……でも、昔もこんなんだったな。
「シエスタお前だって、恥ずかしい姿を俺に
「なんのこと?」
「だから、いつだったか。二人で飲めもしない酒を浴びるほど飲んで、その後……」
「あーあー、聞こえない」
「だから俺に銃を向けるな!」
……っと! カメレオンの《尻尾》が近くの遊技台をぶっ壊し、破片が飛んでくる。
なぜだろう。
あれだけ緊迫していた状況だったはずが。最終決戦だと意気込んでいたはずが……いつの間にか肩の力が抜けてしまっている。
シエスタがいるだけで。
彼女と共に戦っているというそれだけで、
「君、戦闘中ってこと忘れてない? 余計なことは思い出さないで」
「そりゃ俺の
シエスタと俺──二人の銃が同時に弾丸を放った。
「ガアアアアアアアアアア!」
命中。カメレオンは大きく膝をつく。
俺はその隙に弾を銃に
「はは、珍しいな。お前がそんなに取り乱すなんて」
「助手のくせに生意気。いつ私をいじれるような立場になったわけ?」
「男子、三日会わざれば
ましてや俺たちの場合、一年だ。
一年──離れ離れだった時間を取り戻すように、俺たちは馬鹿を言い合う。
「……それで? 結局のところ、あの後どうなったわけ?」
「どうって?」
「……だから、その」
「お酒を飲んで、二人ともベロベロになって、その後私たち…………シた?」
その珍しく照れた顔は、ぜひシエスタ本人のご尊顔で拝みたいところだった。
「余計なことは思い出してほしくないんじゃないのか?」
「いや、実はそれが気になって、しぶとく現世にしがみついてた」
「感動の再会を返せ」
と、その時、
「ゴギャアアアアアアアアアアアアア──ッ!」
これまでにない、空間を振動させるほどの
それに呼応するかのように、カメレオンの
激しく血走った目はさらに大きく外に飛び出し、全身に硬化した《
「化物」
自然と大きく喉が鳴った。
「あれは……完全に《種》に乗っ取られたね」
シエスタが横に並んで息を吐き出す。
「おい名探偵、当たり前のように知らないワードで解説を始めるな」
やれ、あの三年間の苦労が思い出される。
こいつは本当に、俺に大事なことを
「ふふ、君のその顔も懐かしいね」
「今のは完全にバカにしてるな?」
「好きだったよ、その顔」
……頼むからそういう直球はやめてくんない?
「──ッ! ゴギャアアアアアアアアアアアアッ!」
再び化物が
ああ、気持ちは分かるぞ。最終形態に変身したというのにまるで相手にされないんだもんな。そりゃ叫びたくもなるだろうさ。だが、文句はこの名探偵に言ってくれ。
俺とシエスタはもう一度陣形を整えなおし、二人で敵を挟み込む。
「それで? 本当はなにをしに戻ってきた?」
「なに? 君を助けるためだよ、とでも言わせたいわけ?」
「
「
飛び交う銃弾、硝煙の匂い。
それはまるで、昼中に見る夢のように空想的な景色。
頬を切り、薄く血を流しながら《
やがてカメレオンの暴れ狂う舌に飛び乗ると、そのまま跳躍して敵の頭部を蹴り飛ばした。
「実は、彼女に頼まれてしまってね」
それから一回転して着地した名探偵は、振り返りながら言った。
「君を助けてあげてほしい──そうお願いされた」
「
「うん。本当は、もうあの子に全部任せるつもりだったんだけど……あそこまで頼まれたら、ね?」
一つの
ただ一つ分かるのは、夏凪の言葉がシエスタを動かしたということだった。
しかしそれは同時に、これが特例だということを意味している。つまりは。
「だから、今回が最後──もう、二度はないからね?」
夏凪の顔にシエスタの面影が重なる。
その
「ああ、分かってる」
分かってるさ。これが本当の、お別れだ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアア──ッ!」
倒れていたカメレオンが起き上がり、化物のごとき姿で
そして次の瞬間、姿を消した。きっとこれが、最終局面だ。
「シエスタ、気をつけろ」
俺は、そばに戻ってきたシエスタに声をかける。
「大丈夫だから──助手、
「は? ……うお!」
四年ぶりだ。
あのときも俺は、こうしてシエスタに助けられた。
シエスタは、俺を引っ張りながら、その嗅覚で見えない敵の攻撃を
「やっぱり俺は、お前に振り回されるぐらいがちょうどいいらしい」
「……急にどうした、助手」
…………。
「
まさか、そんな女々しいこと。
「ごめん」
謝るな。
「先に死んで、ごめん」
だから、謝るなって。
「本当はね、君と三年間も旅をする予定はなかったんだ」
おい、そんな昔話をしながら勝てる相手じゃないだろ。
「下手に親しい人間を作ると、この世にしがらみができてしまう。その
だから、戦いに集中しろって。
いつ火の手が、ここまでくるか分からないんだぞ。
「でも、気づいたら三年
あほか。
お前と俺は、恋人でもなければ、友達ですらなかった。
探偵と助手──ただの奇妙なビジネスパートナーだ。
「分かってるよ。君は私のことを特別に思っていなかったし、私も君を特別扱いはしなかった。ただ──」
やめろ、今さらそんなことを言うな。
俺が言うのはいい。だけど、お前は言うな。
自分勝手と言われてもいい。でも、お前は──
「君と過ごした、あの目も
お前にそれを言われたら、俺は──
「バカか、君は」
シエスタが俺の頭をそっと
「死人に意地を張ってどうするの。この一年、ひとりでよく頑張った」
喉がひりつき、
あほか、こんなの……こんなの、キャラじゃない。
まったく、勘弁してくれ。こんな姿、
俺は、シエスタから離れて、隣に並ぶ。
「
いくつかの顔が浮かんで、苦笑が漏れる。
「だからもう、ひとりじゃない」
「そっか──仲良く、するんだよ」
俺たちは、どちらからともなく背中を合わせた。
この戦いが終わったら、きっとまたシエスタはいなくなる。
そしてもう二度と、夏凪の身体にこいつが現れることはないだろう。
だったら。
「なあ、シエスタ」
「なに?」
「いや、さっきの続き。はじめて二人で酒飲んで、酔っぱらって、その先どうなったのか」
最終決戦の、恐らく最後の局面でこんな会話もどうかと思うが、それもある意味俺たちらしいのかもしれない。
半身を寄せ、伸ばした俺の右腕と、同じくシエスタの左腕が一直線にくっつく。
「残念ながらと言うべきか──なにも、なかったよ」
そして、二丁の銃が前を向いた。
目には見えない敵が迫る。これを外せば、俺たち二人の命はない。
だが、シエスタは言った。「大丈夫だから」とそう言った。
ならば迷うことはない。
シエスタが、正しくなかったことなんて、ただの一度もないのだから。
そして次の瞬間、目の前のなにもない空間で大きなアラーム音が鳴った。
「助手!」
「ああ!」
その場所を目がけて俺とシエスタは同時に引き金を引き──
──そして。
鈍い音と、短い
「そっか。実のところ、一度ぐらい、君となら寝てもいいと思ってたんだけどね」
「そういう大事なことは、今度から早く言ってくれ」
俺たちは最後に、ばかみたいに笑った。
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