【第三章】◆君と過ごした、あの目も眩むような三年間は

 今、俺の目の前にいる人物は──夏凪渚だ。それに間違いはない。

 だけど、

「君の顔を見るのは一年ぶりだけど、少し目つきが悪くなったね」

 この台詞せりふを聞けば、そののが誰なのか、嫌でも分かる。

「お前の方は見た目からなにから、全部取っ替え引っ替えじゃねえか──シエスタ」

 外見は夏凪──その中身はシエスタ。

 そんな普通ならあり得ない現象を、しかし俺はなぜかだと認識できている。

 それに理由があるとするならば。

「《》に、お前は、まだいたんだな」

 記憶転移──臓器移植を行った際、提供者ドナーの性格や趣味こうが、受領者レシピエントに反映されるようになる現象。まだ科学的に証明されたわけではないが、記憶転移と見られる事例は世界各地で観測されており、以前、心臓移植を受けたなつなぎなぎさもその現象に行き合っていた。

 しかし、いくら記憶転移という現象が実存すると言えども、通常、ドナーからレシピエントに引き継がれるのは、性格や日々の習慣、少しの記憶程度のはずである。

 ところが今の夏凪は、シエスタの記憶を継承しているどころか、シエスタ本人に身体からだを乗っ取られている。まるで主従が逆転しているようだった。

「なんだか君はまた、失礼なことを考えていそうだね」

 夏凪が……いや、シエスタが、ほんの少し不服そうに眉をひそめる。

「私は、ちょっとこの子の身体を借りてるだけ。乗っ取ってやろうなんて考えていないから」

 夏凪の顔で、夏凪の声で、シエスタがしやべっている。

 その事実にわずかな違和感を抱きながらも──それでも、俺は、


「会えてうれしいよ、シエスタ」


 どんな形であれ、一年ぶりの再会に身体からだが震え──俺は思わずその場に腰を下ろした。

「君は、そんな顔で笑うんだっけ」

 シエスタが、わずかに目を見開いた。

「少し、丸くなったかもしれない」

 なんとなく、そう思った。

 そんな風に再会の言葉を交わしていると。

「──ッグ、ルア」

 カジノ場の奥。

 シエスタの銃撃を受けて、口から血を流すカメレオンが、低いうなり声を上げる。

 浮き出た白目は血走り、全身の皮膚には青い脈がうごめいている。前傾姿勢で、《舌》と《尻尾》を振り回すその姿には、もう人間だった頃の面影はない。

「シエスタ、おしやべりはここまでだ。まずはアイツをどうにかしねえと」

「だね。まあ、そのために来たんだし」

 それからシエスタは、どこから持って来ていたのか銀色のアタッシュケースを開くと、そこには俺が使うための銃が入っていた。そして座り込んだ俺に向かって左手を差し出すと、


「君──私の助手になってよ」


 その台詞せりふを聞いた瞬間、俺の意識は四年前に遡る。

 同じだ。あの上空一万メートルでった時と、同じ。

 今、目の前に立っているのは、あくまでもなつなぎなぎさのはず──だが俺の目には確かに、四年前のあの日のシエスタがまざまざと映し出されていた。

 ……だったら、最初から選択権なんてあるはずがない。

「ご命令とあらば──名探偵」

 俺は差し出されたシエスタの手を取ると、ありったけの笑顔でそう答えた。

「……君の笑顔はホラーだね」

「ほっとけ!」

 俺たちは二手に分かれ、カメレオンを挟む陣形を取る。

「ルオオオオオオオオオオ!!!」

 けんせいするように、交互に俺たちをにらみつけるカメレオン。

《舌》と《尻尾》が、獲物を捕らえようと宙をうねる。

「気をつけろ! あれは伸縮性、硬度、ともに自在に操れる!」

 俺は敵の正面に回りながら、反対側のシエスタに情報を伝える。

「あれ、君がそっち側でいいの?」

「ん、なにか問題か?」

 いくらシエスタと言えども、身体からだなつなぎに借りている状態だ。

 敵と正面切って向き合うのは、俺の役目でいい。

「そいつの《舌》は、もう私に攻撃できないんだから、私が正面の方が都合がいいと思うんだけど」

「……忘れてた」

 くそ、かっこつけたのがあだとなった。

「意外と抜けてるところは直ってない」

「うっせ」

 俺たちは敵の攻撃をかわしつつ、ポジションを入れ替わる。

「思えばいつもそうだった」

 シエスタは、敵の《尻尾》に銃で応戦しながら、懐かしそうに言う。

「『今日はリゾートホテルに泊まらせてやる』って意気揚々とカジノに乗り込んで、有り金ぜんぶはたいたり」

「ぐ……それは前の日お前が『もう野ぐそはこりごりよ!』ってあまりに泣くから、仕方なく一発逆転を狙って……」

「記憶をねつぞうしないで」

 次の瞬間、俺の顔面すれすれのところを弾丸が飛んできた。

「シエスタてめえ!」

「人に罪をなすりつけないでもらえる? 君が野ぐ……外で用を足しているのを、私がたまたま見てしまって、君のプライドを傷付けてしまった件なら謝るけど」

「戦闘中だ! 余計なことは思い出すな!」

 まったく、この女は。

 ひようひようと敵の攻撃をかわしながら、昔話に花を咲かせてやがる。

 …………。

 ……でも、昔もこんなんだったな。

「シエスタお前だって、恥ずかしい姿を俺にさらしたこと、あるだろ?」

「なんのこと?」

「だから、いつだったか。二人で飲めもしない酒を浴びるほど飲んで、その後……」

「あーあー、聞こえない」

「だから俺に銃を向けるな!」

 ……っと! カメレオンの《尻尾》が近くの遊技台をぶっ壊し、破片が飛んでくる。

 なぜだろう。

 あれだけ緊迫していた状況だったはずが。最終決戦だと意気込んでいたはずが……いつの間にか肩の力が抜けてしまっている。

 シエスタがいるだけで。

 彼女と共に戦っているというそれだけで、身体からだが、心が、羽が生えたように軽かった。

「君、戦闘中ってこと忘れてない? 余計なことは思い出さないで」

「そりゃ俺の台詞せりふのはずだったんだが──やれ、理不尽だ」

 シエスタと俺──二人の銃が同時に弾丸を放った。

「ガアアアアアアアアアア!」

 命中。カメレオンは大きく膝をつく。

 俺はその隙に弾を銃にてんする。

「はは、珍しいな。お前がそんなに取り乱すなんて」

「助手のくせに生意気。いつ私をいじれるような立場になったわけ?」

「男子、三日会わざればかつもくして見よ、だ」

 ましてや俺たちの場合、一年だ。

 一年──離れ離れだった時間を取り戻すように、俺たちは馬鹿を言い合う。

「……それで? 結局のところ、あの後どうなったわけ?」

「どうって?」

「……だから、その」

 なつなぎの顔でシエスタが言いよどむ。

「お酒を飲んで、二人ともベロベロになって、その後私たち…………シた?」

 その珍しく照れた顔は、ぜひシエスタ本人のご尊顔で拝みたいところだった。

「余計なことは思い出してほしくないんじゃないのか?」

「いや、実はそれが気になって、しぶとく現世にしがみついてた」

「感動の再会を返せ」

 と、その時、うなり声を上げながらカメレオンが起き上がった。

「ゴギャアアアアアアアアアアアアア──ッ!」

 これまでにない、空間を振動させるほどのほうこう

 それに呼応するかのように、カメレオンの身体からだに変化が現れる。

 激しく血走った目はさらに大きく外に飛び出し、全身に硬化した《うろこ》のようなものが生え始める。メキメキという鈍い音と共に、頭身自体も普通の人間をはるかにりようするほど巨大化し、服もビリビリになって辛うじて身体に引っ掛かっているほどだ。そして肉体はその自重に耐えきれなくなったのか、ちゆうるいか、あるいは恐竜のように四足歩行に近い前傾姿勢を取っていた。その姿はまさに──

「化物」

 自然と大きく喉が鳴った。

「あれは……完全に《種》に乗っ取られたね」

 シエスタが横に並んで息を吐き出す。

「おい名探偵、当たり前のように知らないワードで解説を始めるな」

 やれ、あの三年間の苦労が思い出される。

 こいつは本当に、俺に大事なことをしやべらないやつだった。それで何度俺がピンチに陥ったと思う? しかし最後の最後でドヤ顔で助けに入っては「存分に私に感謝するといい」なんて言いやがる。あー、思い出したらムカついてきたな。

「ふふ、君のその顔も懐かしいね」

「今のは完全にバカにしてるな?」

「好きだったよ、その顔」

 ……頼むからそういう直球はやめてくんない?

「──ッ! ゴギャアアアアアアアアアアアアッ!」

 再び化物がいた。

 ああ、気持ちは分かるぞ。最終形態に変身したというのにまるで相手にされないんだもんな。そりゃ叫びたくもなるだろうさ。だが、文句はこの名探偵に言ってくれ。

 俺とシエスタはもう一度陣形を整えなおし、二人で敵を挟み込む。

「それで? 本当はなにをしに戻ってきた?」

「なに? 君を助けるためだよ、とでも言わせたいわけ?」

可愛かわいくねえなあ」

うそだあ」

 飛び交う銃弾、硝煙の匂い。

 それはまるで、昼中に見る夢のように空想的な景色。

 頬を切り、薄く血を流しながら《白昼夢シエスタ》は戦場を跳ねる。

 やがてカメレオンの暴れ狂う、そのまま跳躍して敵の頭部を蹴り飛ばした。

「実は、に頼まれてしまってね」

 それから一回転して着地した名探偵は、振り返りながら言った。

「君を助けてあげてほしい──そうお願いされた」

なつなぎが、お前に?」

「うん。本当は、もうあの子に全部任せるつもりだったんだけど……あそこまで頼まれたら、ね?」

 一つの身体からだを通して──二人の間で、どんなやり取りが交わされたのか。

 ただ一つ分かるのは、夏凪のがシエスタを動かしたということだった。

 しかしそれは同時に、が特例だということを意味している。つまりは。


「だから、今回が最後──もう、二度はないからね?」


 夏凪の顔にシエスタの面影が重なる。

 そのぐなまなざしが、俺を見つめていた。

「ああ、分かってる」

 分かってるさ。これが本当の、お別れだ。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアア──ッ!」

 倒れていたカメレオンが起き上がり、化物のごとき姿でえ叫ぶ。

 そして次の瞬間、姿を消した。きっとこれが、最終局面だ。

「シエスタ、気をつけろ」

 俺は、そばに戻ってきたシエスタに声をかける。

「大丈夫だから──助手、つかまって」

「は? ……うお!」

 身体からだが宙に舞う。

 四年ぶりだ。

 あのときも俺は、こうしてシエスタに助けられた。

 シエスタは、俺を引っ張りながら、その嗅覚で見えない敵の攻撃をけ続ける。

「やっぱり俺は、お前に振り回されるぐらいがちょうどいいらしい」

「……急にどうした、助手」

 …………。


さびしかった?」

 まさか、そんな女々しいこと。


「ごめん」

 謝るな。


「先に死んで、ごめん」

 だから、謝るなって。


「本当はね、君と三年間も旅をする予定はなかったんだ」

 おい、そんな昔話をしながら勝てる相手じゃないだろ。

「下手に親しい人間を作ると、この世にしがらみができてしまう。そのかせはきっと、私の仕事の邪魔になる」

 だから、戦いに集中しろって。

 いつ火の手が、ここまでくるか分からないんだぞ。

「でも、気づいたら三年ってた。きっと私は、自分が思っていた以上に、君のことを気に入ってたんだ」

 あほか。

 お前と俺は、恋人でもなければ、友達ですらなかった。

 探偵と助手──ただの奇妙なビジネスパートナーだ。

「分かってるよ。君は私のことを特別に思っていなかったし、私も君を特別扱いはしなかった。ただ──」

 やめろ、今さらそんなことを言うな。

 俺が言うのはいい。だけど、お前は言うな。

 自分勝手と言われてもいい。でも、お前は──


「君と過ごした、あの目もくらむような三年間は、私にとって、なによりの思い出だよ」


 お前にそれを言われたら、俺は──

「バカか、君は」

 シエスタが俺の頭をそっとでた。

「死人に意地を張ってどうするの。この一年、ひとりでよく頑張った」

 喉がひりつき、まぶたが熱くなった。

 あほか、こんなの……こんなの、キャラじゃない。

 まったく、勘弁してくれ。こんな姿、さいかわやシャル、そして元に戻ったなつなぎに見られたら、きっと笑われてしまうだろう。

 俺は、シエスタから離れて、隣に並ぶ。

さびしいか、だって? 悪いが、そんなこと考える暇もないぐらい、騒がしいやつらが仲間になってな」

 いくつかの顔が浮かんで、苦笑が漏れる。

「だからもう、ひとりじゃない」

「そっか──仲良く、するんだよ」

 俺たちは、どちらからともなく背中を合わせた。

 なつなぎ身体からだに、シエスタの体温を感じる。

 この戦いが終わったら、きっとまたシエスタはいなくなる。

 そしてもう二度と、夏凪の身体にこいつが現れることはないだろう。

 だったら。

「なあ、シエスタ」

「なに?」

「いや、さっきの続き。はじめて二人で酒飲んで、酔っぱらって、その先どうなったのか」

 最終決戦の、恐らく最後の局面でこんな会話もどうかと思うが、それもある意味俺たちらしいのかもしれない。

 半身を寄せ、伸ばした俺の右腕と、同じくシエスタの左腕が一直線にくっつく。

「残念ながらと言うべきか──なにも、なかったよ」

 そして、二丁の銃が前を向いた。

 目には見えない敵が迫る。これを外せば、俺たち二人の命はない。

 だが、シエスタは言った。「大丈夫だから」とそう言った。

 ならば迷うことはない。

 シエスタが、正しくなかったことなんて、ただの一度もないのだから。

 そして次の瞬間、

「助手!」

「ああ!」

 その場所を目がけて俺とシエスタは同時に引き金を引き──


 ──そして。

 鈍い音と、短いどうこくが、すべての終わりを告げた。

「そっか。実のところ、一度ぐらい、君となら寝てもいいと思ってたんだけどね」

「そういう大事なことは、今度から早く言ってくれ」

 俺たちは最後に、ばかみたいに笑った。

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