【第三章】◆夜空にはためく黄金色の旗印

『君は、私は探偵なんかではないと言うけれど』

 それはいつだったか、俺がシエスタに「お前は探偵というよりも、エージェントみたいだな」と言ったときのことだった。

『私が考える《探偵》の定義とは、いつだって、のことだよ。私はそんな仕事に誇りを持っている──だから私は今までも、これからも、ずっと《探偵》であり続ける』

 シエスタはそう言って、自らが《探偵》であることにこだわり続けた。

 きっとシエスタの場合の依頼人とは、のことだ。

 それをもって彼女は、自らを名探偵体質だと称して笑っていた。

 あまりにまぶしい笑顔だった。

「あとは頼んだ!」

 そんな昔のことを一瞬思い出しながら、俺はさいかわに叫んだ。

 依頼人の利益を守る──それ以上でも以下でもない。それさえできればいい。

 推理ができたからなんだ。それで人の命が救えなければ意味がない。

 客船に残った人たちを自らの命をもって助けようとしたなつなぎも、その彼女をぎりぎりのところで救ってみせた斎川も、間違いなく名探偵の遺志を継いでいた。

「行ったな……」

 俺は、既に遠く小型ボートで海を走る二人を見送る。

 だが、彼女たちをこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 ここから先は俺の仕事だ。

「やってくれますね……」

 口調は丁寧なままではあるが、カメレオンの無表情だった顔は怒りに染まっていく。

 そして口元の血をぬぐうと、弾丸で切断されていたはずの《舌》を再び伸ばしはじめた。

 その姿は尻尾を自切、再生するトカゲのようで、まさしくちゆうるいそのものだった。

 もはやこいつは、ヒトという種を捨てている。

「もう容赦はしない。あなたは必ずここで殺してさしあげます」

 瞬間、カメレオンの《舌》が勢いよく俺めがけて飛んでくる。そしてその先端は、コウモリのそれと同じように、鋭利な刃物へと変化する。

「──ッ!」

 似た動きを見たことがあるとはいえ、そう簡単にかわせるものではない。

 転げながらけるも、わずかに肩口を削られる。

「っ、いてえ……」

 それに四年前も、これを躱していたのは俺じゃなく、シエスタだ。こんなことならもっと護身術を習っておくべきだったか。

「くそっ」

 俺は苦し紛れに、銃弾を放つ。

 正直、ここから先はもうノープランだ。

 ぎりぎりだったがなつなぎは助け出せた。そして他の乗客たちも、さいかわがここに駆けつけて来られたということは、大方の避難が完了しているということだろう。

 ならばもう、大丈夫。

 船と共に海に沈むのは、俺一人で構わない。

「……ふう」

 俺はどうにか立ち上がり、拳銃に弾をこめる。

 この六発が最後だ。

「ほお、覚悟が据わった目ですね。一人で死ぬつもりですか?」

 カメレオンは一旦舌をうと、細い目をさらに細め、いちべつをくれる。

「いいや、悪いがお前も道連れだ。男二人、海で心中っていう最悪な筋書きにはなっちまうが、あいにく俺は売れっ子脚本家じゃないんでな」

「この状況でもまだそれだけ口が回りますか。脚本家よりもコメディアンに向いているのでは? 地獄の二丁目で寄席でもやればきっと一ドル紙幣を恵んでもらえますよ」

 俺たちはひとつも面白くないブラックジョークを交わしつつ、視線で互いの動きをけんせいする。

「そもそも、私はあなたにこの命をくれてやるつもりはありませんがね。そしてあなたが逃がしたの少女たちも、あなたを殺した後でちゃんとその命、奪わせていただきます」

 そう言ってカメレオンは気味悪く、舌めずりをする。

「どうして、そこまでして……」

 いくらシエスタの遺志を引き継いでいると言っても、夏凪はただの女子高生だ。なぜそうまでしつように彼女を──

「すべては、あの《心臓》ですよ」

 カメレオンが忌々しそうな表情で唇をゆがめる。

「私も最近まで知らされていなかったことですが──は普通じゃない」

 普通じゃ、ない?

 シエスタの心臓に、なにか秘密があるとでも?

「まあ、あなたは知る必要もないことですよ。ただ、我々にとってはつい最近事情が変わったのだということだけお伝えしておきましょう」

「……っ、さっきからなにを言って……」

「ですが、どうやら恐れていたほどの事態にはなっていなかったようで、安心しました。加えて、メイタンテイが残したという遺産は今からこの船と共に沈む。我々の勝利だ」

 ハハ、ハハハ、と不快なノイズでカメレオンがわらう。

「あなたを殺した後は、地の果て、海の底、空の上まであの少女たちを追いかけて、苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、自分たちの方から『もう死なせてください』と泣いて懇願するまで痛めつけて、最後の最後になぶり殺してさしあげますよ」

 自分の中で、なにかがはじける音がした。

「さて、少々おしやべりが過ぎましたね。そろそろ終わりにしましょうか」

 そしてこれが殺意の音だと気づくのに、ほんの一秒もかからなかった。

「神に祈る時間は必要ですか?」

「いや。あいにく俺は無神論者だ」

「そうですか、では──」

 カメレオンが口を閉じる。悪いがその先の言葉は、俺がもらう。

「──死ね」

 弾丸のように飛んでくる《舌》をスライディングでかわし、敵の懐に潜り込む。

 もうこの殺意の衝動は抑えられない。俺は拳銃をやつの顎に突きつけ──

「甘いんですよ」

 しかし、今度はむちのように一瞬で戻ってきた舌が、俺の手を弾く。

「くっ……!」

 そして落としかけた拳銃をどうにか手に収めているうちに……、

「がら空きですよ」

「ぐ……かっ……」

 腹部に長い舌がめり込み、金属バットでボールを打つかのごとく吹っ飛ばされる。

「息、が……」

 デッキに身体からだたたきつけられ、呼吸さえままならない。

 恐らく、あばらも何本かいった。

 全身の血の気が引き、一気に体温が下がっていくのが分かる。

 ──このままだと、死ぬ。

 あまりにもあっけない。

 だがこれは予感ではなく、確信だった。

「ただのヒト風情が、《人造人間われわれ》に勝てるはずがないでしょう」

 近づいてくるカメレオンに対して、俺はどうにか立ち上がり銃を構える。

 ……が、ひどく視界が悪い。

 呼吸が浅いからか、まともに照準も合わせられない。足元もやけにふらつく。

「ほら、あなたは誰も守れない」

「うるせえんだよ!」

 俺は手当たり次第に引き金を引く。

 しかし銃弾は的を外し、ようやく正面に飛んだ一発は、やつの《舌》にはじかれる。

 長さだけでなく、硬度も自在に変えられるのか……。

「あなたはここで死に、あなたが逃がした少女たちも、必ず私がこの手で殺す」

「……くっ、そ! 黙れ!」

 もう一度俺は、引き金に指をかけ……銃弾はもう出ない。弾切れだった。

「そう、あなたがやったことは全部無駄だった。あなたも、あなたが守ろうとした人間も、みんな死ぬ。あの忌まわしきメイタンテイと同じように」

 俺は、死ぬ。それはいい。

 どうせ一年前に死にそびれた、生きたしかばねだ。

 だけどなつなぎは。さいかわは。

 彼女たちだけは、守らないと。

 依頼人の利益いのちは、守らないと。

 シャルに言ったように俺は探偵ではないけれど、ただの助手に過ぎないけれど、でも、それでも──


「名探偵の遺志は、俺だって引き継いでるつもりだ」


 動かないと思っていた脚が、動いた。

 斎川の言葉を思い出す。

 手が握れる。肩も回る。

 呼吸はリズム。一度目を閉じ、深く息を吸い込み、吐き出す。

 血が巡る。目を開くと、濁っていた視界がクリアに映る。

 サファイアの瞳が宿ったのかもしれない。

 そんなわけはないけれど、じゃあ耳はと、聴覚細胞に望みを託す。

 ──聞こえた。

 そしてそれは、俺だけではなく誰の耳にも届くごうおんで。

「ヘリコプター?」

 見上げた先──真っ暗な夜空には、一機のヘリが飛んでいた。

「キミヅカ! 伏せて!」

 遠くそう聞こえた気がして、俺は甲板の陰に身体からだを投げ出した。

 次の瞬間──

「これでもらえええええええええええ!!!」

 耳をつんざく、銃撃の爆音。

 夜空から、雨のような弾丸がカメレオンに浴びせられる。

「ぐああああああああああああああああ!!!」

 上空、ヘリコプターの開け放たれたハッチには──


「随分と苦戦してるみたいね、キミヅカ」


 黄金色の長髪を夜風に流しマシンガンをぶっ放す、シャーロット・ありさか・アンダーソンが立っていた。

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