【第三章】◆三十億の秘宝の使い方

「ここもダメ、か……」

「ですね、次に向かいましょう」

 俺と斎川はわずかに肩を落としつつも、調査していたダイニングレストランを後にして、次の施設へと向かう。

 今、俺たちは船内を歩き回りながら、シエスタの遺産……ではなく、なつなぎ本人を直接探していた。

「くそ、そんなズルは通用しないってか……?」

「《ひだり》を使っていますし、見落としはないはずなんですけど……」

「……そう、だよな」

 両の手のひらに爪が突き刺さる。痛みで脳が刺激されるなら大歓迎だ。

 あのしおりに書かれたメッセージ。犯人からの要求は「なつなぎの命を救いたければ、シエスタの遺産を差し出せ」というものだった。

 だが、俺たちにはその肝心のシエスタの遺産がなんなのかが分からない。昨日、シャルからそういうものがあるらしい、という話を聞いただけで、それが一体なにを指すのか、まだ把握できていないのだ。そしてそれはシャルも……恐らくは今回のこの犯人も、分かっていない。だからこそ、夏凪を人質にして、俺たちにそれを探させようとしているのだろう。

 ……しかし、ここまでの状況で、分かったことも一つある。

「でも今回の犯人は、《SPESスペース》であることは間違いないんですよね?」

「名探偵の遺産をご所望とあっては、状況証拠としては十分だな」

 昨日、シャルと二人で話している時にも、《SPES》がシエスタの遺産を狙っている可能性については言及していたが、この誘拐事件を受けて確信に変わった。

《SPES》はシエスタがこの船にいたというを恐れ、それを刈り取るべくこの客船に潜伏した。しかし肝心のブツは見つからず、しびれを切らした敵は、同じくこの船に乗り込んでいたである俺たちに、揺さぶりをかけてきたというわけだ。

「だがあいにく、俺たちにも心当たりはないんだよな……」

 そこで俺たちは、シエスタの遺産ではなく、夏凪本人を探す作戦に切り替えた。客船の一つひとつの設備を巡り……また、勝手に足を踏み入れられない客室に関しても、さいかわの《ひだり》を使いながら、夏凪がどこかにいないか探し回っていたのだった。

「次はここですね」

 俺たちが次にやって来たのは、大きな劇場だった。

 夜になるとミュージカル公演が始まるそうなのだが、昼のこの時間はリハーサルをやっているようだ。本来は今の時間は立ち入り禁止であるものの、斎川の権限で入ることができた。

「どうだ、なにかえるか?」

 シアターの一番後列からぐるっとあたりを見渡す斎川。その《左眼》は眼帯越しに、床の下も、扉の向こう側も、ありとあらゆるものを見通すことができる。もしこの劇場のどこかに犯人や夏凪が隠れていたとしても、斎川なら一発で見つけることが可能なはずだ。

 そして、その結果は──

「ダメです。ここにも夏凪さんはいません」

「……そうか」

 斎川がそう言うのなら、仕方がない。

 だけどまだ調べていない部屋はたくさんある。取り返しがつかないことになる前に、早く行動しなければ。

さいかわ、次に行こう。時間がない」

「……あの、きみづかさん。少し落ち着きませんか?」

「この状況でそんな悠長なこと言ってられない。早くなつなぎを見つけないと……」

「君塚さん!」

 きびすを返そうとした俺の右腕を斎川がつかんだ。

「……君塚さん、とても怖い顔をしています」

 斎川が俺を見つめる。

 優しい苦笑いという表情があることを初めて知った。

「……俺は昔からこんな顔だよ」

うそです。本当の君塚さんは優しい顔をしていますよ」

 わたしに嘘は通用しません。

 そう言って斎川は手を放す。

「それに、ごめんなさい。わたしのこの《ひだり》……使うのにも、実は結構体力を使うんです」

「……そう、だったのか。悪い」

 それは考えたこともなかった。であるならば、これまで少々無理をさせすぎたかもしれない。俺は焦っていた気持ちを落ち着かせるように、まぶたを閉じて眉間をむ。

「大丈夫です、落ち着いて──手は握れる。肩も回る。呼吸はリズム。一度目を閉じ、深く息を吸い込み、吐き出す。血が巡る。目を開くと、濁っていた視界がクリアに映る」

「なんだ、それ?」

「ライブ前、緊張で張り裂けそうな心を落ち着けるためのおまじないみたいなものです」

 一度座りましょうか、という斎川の提案を飲み、俺たちは観客のいない劇場のシートに腰をおろす。ステージでは、演目「オペラ座の怪人」のリハーサルが行われていた。

「悪いな、面倒かけて」

 情けないよな、とつぶやいて俺は年下の少女に、心の中でこうべを垂れる。

「情けない? 君塚さんが?」

「ああ、そうだろ? 夏凪がいなくなったって聞いて、みっともなく取り乱して……それでお前の身体からだいたわりもせず酷使しようとした」

 もしシエスタが生きていたらどれだけ怒られていたか分からない。助手失格──即刻解任を言い渡されていたことだろう。合わせる顔もありやしない。

「ふふ、面白いことを言いますね。君塚さんは」

「……この状況でジョークを飛ばすほどの胆力は持ち合わせてないつもりだったんだが」

 しかしさいかわは心からおかしそうに、くすくすと小さな身体からだを揺らして笑っている。

きみづかさんはまるで、自分が人からの期待通りの動きができていないことに対して、責任感だったり申し訳なさだったりを抱いていらっしゃるようなんですが──」

 そこで一旦言葉を区切ると、斎川は一つ大きく息を吸い込んで、

「──そもそもわたしは、最初からそこまで君塚さんに期待をしていません!」

 どやっ、と言わんばかりに斎川が人差し指を俺に向けてきた。

「……もしかして俺は今、めちゃくちゃディスられてるのか?」

 おかしいな? 斎川とはそれなりに信頼関係が結べていると思ってたんだけどな?

「もう~、違いますよ」

 しかし斎川は「これだから君塚さんはなにも分かってない」と手のひらを上に向けながら首を大きく横に振る。やっぱバカにしてるな?

「いいですか、ここでいう『はなから期待していなかった』とは『良い意味で』です」

「『良い意味で』をつけたらなんでも許されると思ってないか?」

「それはいいとして」

 こら、逃げるな。女子中学生。

「わたしも同じだったんですよ」

「……同じ?」

 その単語は、昨日のなつなぎとの会話を思い起こさせた。

「わたしも君塚さんと同じ、一人じゃ生きていけない人間だったんです」

 一人じゃ生きていけない人間。そのワードを聞いて、なにかが胸にすとんと落ちた。

「わたしにとっては両親が、そして君塚さんにとってはシエスタさんが……それぞれ決して欠けてはいけない存在だった」

 でも、俺たちからはそれが欠けてしまった。

「人生における指標を見失ったわたしは、過去の約束だけにとらわれて……その結果、取り返しのつかないことをしようとしてしまいました」

 過去の約束、取り返しのつかないこと。

 だけどそれは、ごとなんかじゃない。俺だって逆の立場だったらどういう行動を起こすかは分かったもんじゃない。それぐらい、俺にとってもシエスタの存在は──

「でもそんなわたしを助けてくれたのが、こともあろうかわたしと君塚さんで……あるいはなぎささんでした」

「そうか、だからお前は……」

「はい。わたしと同じくな君塚さんや渚さんが、わたしを救おうとしてくれた。同じ立場に立って、前を歩こうと言ってくれた。だからわたしは、迷わずその手を取ることができたんです」

 あのライブ襲撃事件のあとの楽屋にて。右手に握るものを、拳銃から、俺たちの手に持ち変えてくれたのには、そんな彼女なりの思いがあったのか。つくづく俺は、なにも分かっちゃいない……未完成な、期待外れな人間だった。

 どうやら斎川のひだりには、この張りぼてのしは利かなかったらしい。

「だから、申し訳ないんですけどわたしは必要以上にきみづかさんに期待をしません。そして、同じく君塚さんはわたしに必要以上に気を遣わないでください──だってわたしたちは、そういうなんですよね?」

 斎川が、そっと左眼の眼帯を取る。

 その青は──打算も、同情も、まんも、なにひとつ混じり気のない、ただひたすらに深く透き通るような青色だった。

「ああ、それでいい。それがいい」

 俺は心の中で、二年前のシエスタに賛辞を送る。

 お前が目をつけていたジャパンのアイドルは今、お前の遺志を守るために俺たちの隣に立ってるぞ、と。

「でも、君塚さんが名探偵の助手だというのなら、わたしはそのまた助手でもいいのかもしれませんね」

「名探偵の助手の、助手?」

「ええ、そうです。なんだかマトリョーシカみたいな構造ですが」

 くすっと笑いながら斎川は言う。

「君塚さんの右腕になれるかは分かりませんけど、左眼ぐらいにはなれると思いますから」

 ああ、そりゃ頼もしい。

 照明のないトンネルの中でも、迷わず歩いて行けそうだと、そう思った。


 それから俺たちは船内の捜索を再開して、やがてすべての部屋を調べ終わった。

「……見つかりませんでしたね」

 いつの間にかも暮れて、約束の時間までもうあとわずかだった。

 結局ここまで、なんの成果も得られていない。

「でも、君塚さん」

「ああ」

 

 そこから導き出される答えが一つだけある。

 ここから先は推理も駆け引きもなにもいらない。

「全面戦争だ、馬鹿野郎」

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