【第三章】◆最悪が、はじまった

 翌朝、部屋の外のけんそうで目が覚めた。

「う、ん……なんだ……?」

「うう~、うるさいですよ……きみづかさん……」

「……ん、おいこら、斎川ひっつくな……」

 腕に抱き着いている斎川をどかしながら、俺はのっそりと起き上がる。

「一体なんの騒ぎだ……」

 身体からだをばきばきと鳴らしながら、部屋の外に出ると。

「さっきのアナウンスはなんだ! 誰の声だ!」

「分からん、無線室に誰かが侵入した痕跡はないんだが……」

 なにやら乗組員らが慌てた様子で走り回っている。

「君塚さ~ん……?」

「おい斎川、しゃきっとしてくれ。なんか、おかしいぞ」

 まなこをこすりながら歩いてくる斎川に、顔を洗うように促していた、その時──

『ゴジョウセンノ、ミナサマニ、オシラセデス』

 それは船内の廊下に響き渡る、合成音声のような不気味なアナウンスだった。

『ラウンジ、ニテ、オンナノコヲ、オアズカリ、シテオリマス』

 迷子のお知らせ? 普通に考えればそうだ。

 だが、さっきの乗組員の反応を見る限り、これは正式な放送ではない。

 となると──

『オンナノコノ、ナマエハ──ナツナギ、ナギサ』

「「……!」」

 俺はさいかわと顔を見合わせる。嫌な予感は、確信となって全身を駆け巡る。

『ココロアタリノ、アルカタハ、オイソギ、ゴカイラウンジマデ、オコシクダサイ』

「斎川……これは、だよな」

「……ええ。が、はじまったんだと思います」

 女の子を預かっている。

 これが迷子の保護でないとすれば、考えられる可能性は一つだけ。

 女の子は。なつなぎなぎさは、何者かによって誘拐された。

 また明日──夏凪の別れ際の言葉が、何度も耳にリフレインした。


 俺と斎川はまず夏凪の部屋を訪ね、やはりもぬけの殻になっていることを確認して、それからアナウンスにあった第五デッキのラウンジへと向かった。

 入り口につくと、既にそこは客船の警備員によって封鎖されており、中では早速見分が行われているようだった。

「夏凪さんは?」

 斎川が警備員に尋ねる。彼女はこの船のオーナーだ、すべてを知る権利がある。

「いえ、アナウンス後すぐに乗組員が駆けつけたものの発見にはいたらず……」

 警備員はちら、と部外者らしき俺をいちべつするも、斎川が問題ないと小さくうなずく。

「……では。また、らしき人物も、いまだ見つかっておりません」

「そう、ですか……」

 斎川は考え込むように顔を伏せる。

 ……くそ、どうなってる。

 アナウンスに従って来てみたものの、犯人はおろか夏凪の姿もどこにもないとは。

「とりあえず、乗客リストを洗ってください。そして全部の部屋を確認して、顔と名前の照合を」

「分かりました」

 斎川が警備員に指示を出し、解決の糸口を探る。

 そうだ。ここは客船、海の上。たとえ犯人がいたとしても、逃げ出す方法はありはしない。夏凪だって、必ずこの船のどこかにいる。

 ……ん? この船から、逃げ出す方法……?

「なあ、斎川」

 俺は警備員が持ち場を離れたタイミングで斎川にく。

「この客船を途中で降りる方法って存在するか?」

 もちろんあらかじめスケジューリングされた定期寄港を除いて、だ。

「あれ? 昨日のシャルさんと同じことをかれるんですね?」

「昨日? 俺が夜そっちに行く前に、シャルと話したのか?」

「ええ、夕方ごろ、シャルさんがわたしの元を訪ねていらっしゃいまして」

 なに、いつの間にそんなことが……。

「それで? この船を降りる方法を教えたのか?」

「ええ、まあ。この客船に救助用として置かれてる小型ボートのことを」

 そうか、当然そういう設備は整っているか。だとしたら、本当にシャルは船を降りているのか? じゃあ、まさか、なつなぎと一緒に?

 いや、それは考えすぎか。第一、シャルが夏凪をさらってこの客船からとんずらする動機がまるでない。

「……というかさいかわ、どうしてシャルに手を貸した?」

 動機と言えば、斎川がシャルにくみする理由もまったく見えてこないが……。

「ふふ、きみづかさん。知っていましたか? わたしのこのの力は、単に物体を透視できるだけのものじゃないんですよ」

 斎川が左の眼帯に指先で触れながら言う。一見、今回の件と関係ないような話に思えるが……まさか雑談ではないだろう。

「たとえばある人が、うそをついてるかどうか、本音をしやべってるかどうか。そんなこともこのひだりは見通すことができるんです」

「本音を喋ってるかどうか……?」

「ええ。そして昨晩、わたしの元を訪れたシャルさんは、ただ一つの嘘もついていませんでした。ある目的のために、今この船を降りなければいけないと、そう言っていました」

 それは、シャルが言いそうなことではあった。

『ワタシは、ワタシのやり方でやらせてもらう』

 シャルはなにかの考えのもと、俺よりも先に動いていたということだろう。

「だからわたしは少しだけ手を貸すことにしたんです。……困ってる女の子は放っておけませんからね」

 ……この話は、斎川なりの方便なのかもしれない。さすがにサファイアの義眼に、人の心を読む能力まで備わっているとは思えない。

 だが斎川もまた、自分の考える正しいをしているのだろう。

「……けど、どうしてそのことを俺に黙ってた? シャルに協力するのは構わないが、俺にもそのことは言ってくれてもよかっただろ?」

 俺は昨日、シャルが俺の部屋を占領してると思ってお前の部屋に泊まったんだぞ。

「え、だってそうしないと君塚さんがわたしの部屋に泊まってくれないじゃないですか?」

「それが目的か!?」

 いや、本当になにが目的なんだ……。

「ふふ、なーんて。ドキッとしました?」

 そして、わざとらしくみぎでウインク。

 ……まったく、俺はお前と違ってうそを見抜く能力がないんだ。勘弁してくれ。

 だが、張り詰めていた空気がいつの間にかどことなく緩んでいる。

 にじんでいた汗も、眉間に寄ったしわも、気づけば消えてなくなっていた。

 もしかしたら、これもアイドルさいかわゆいがなせる技の一つなのかもしれなかった。

「斎川様!」

 すると、ラウンジの中から警備員の一人がこちらに駆け寄ってくる。

「ラウンジのカウンター席に、こんなものが」

 手にしていたのは一冊の本。タイトルは──

「──『The Memoirs of Sherlock Holmes』」

 斎川が小さくつぶやく。

 この本を俺は知っている。アーサー・コナン・ドイルによる、シャーロック・ホームズの活躍を描いた短編集だ。

 俺は警備員から本を受け取ると、パラパラとページをめくり……すると、ふいに一枚のしおりが落ちてきた。それが挟まっていたページは『グロリア・スコット号事件』という、ホームズが探偵になるきっかけが綴られた短編小説の箇所だった。

 そして、そんなとある船の沈没を描いた物語でもある『グロリア・スコット号事件』のページに挟まれていた栞には、こんなメッセージが書かれていた。


「ゴゴハチジ、メイタンテイノ、イサンヲモッテ、メインデッキヘ、コイ」

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