【第三章】◆十二時前のシンデレラ
謎の質問を残したシャルと別れた俺は、その後プールから戻ってきた
それからは三人で「シエスタの遺産」を探して広い客船を探し回ったのだが……そもそも、その遺産とやらが具体的になにを指すのかまったく分からない。当然捜索は難航し、そうしている間に
「なんか変な気分」
船内にあるフレンチレストランのテーブル席。
フォークとナイフで、
「なにが?」
「こうやって
「嫌だって?」
「そんなこと言ってないでしょ」
そんなジト目もなかなかどうして
性格ももう少し可愛くなってくれるとありがたい。
「じゃあなんだ。俺と二人きりでディナーなんて、まるでデートみたい、とか殊勝なことを言ってくれるのか?」
「……一文無しの立場でよくそんな
「……それに関しては弁解の余地もないな」
ギャンブルといえば、さっきのシャルとのことも少し話しておくべきか。今朝は売り言葉に買い言葉で
「
「えっ、いや特には。シャワー浴びて寝るだけだけど」
「そうか、だったら少し、話したいことがあるんだが」
「話? 話なら別に、今ここでも……」
「あー、ちょっとここじゃ話しづらい内容でな」
《
「確か、向かいにバーがあったろ? 一時間後にそこに来てもらってもいいか?」
「えっ、と……あたし、ひとりで?
「ああ、そうなるな」
本当は
「そ、そう。二人きりで、バーで、話……他の人には、聞かれたくないこと……」
なにやら、もごもごと口を動かす夏凪。
「ま、まあいいけど。……うん、じゃあ、一時間後ね」
そう言い切ったのち、今度は残ったムニエルをフォークでぶっ刺し、一気に口に放り込むと、席を立ってぱたぱたと駆けていく。一体なんなんだ……。
「メインもまだなんだが」
本当はシャルにでも食べてもらいたいところだが、今ごろは俺の部屋で寝転んでいる頃だろうか。まさか本当に船を降りたわけもあるまいし。
「けどあいつと二人で飯って、
俺は一時間かけて二人分のコース料理をどうにか食べ終え、その後約束のバーへと向かった。
「……お待たせ」
席で少し待っていると、やがて約束の時間きっかりに夏凪はやってきた。人目を避けるため、あえてカウンターからは離れ、奥のボックス席で向かい合う。
……にしても。
「わざわざ着替えたのか?」
「へっ? あ、いや、たまたま? シャワー浴びたあと、着替える服がこれしかなくて?」
夏凪の格好は、昼間のラフな服装から一転。
胸元の開いたワンピースに、薄手のショールを羽織っている。
確かに店の雰囲気には合っているが……いつも以上にメイクも整っているし、香水の匂いもする。この準備のために、あんなに慌てて部屋に戻ったのだろうか。
「はあ、まあなんでもいいけど」
「なんでもいいって……」
「……で? その、話って……」
「ああ、そうだったな。ま、飲みながら話すか」
ちょうど、夏凪が来る前にオーダーしていたドリンクが運ばれてくる。
「お酒?」
「シンデレラ」
「あたしが?」
「酒が」
そういう名前のノンアルコールカクテルだ。
俺の方はシャーリー・テンプル。こっちも代表的なノンアルである。
酒での失敗はもうコリゴリだからな。
「じゃあ、ちょっと聞いてくれ」
乾杯を交わした後、俺はシャルとの出会いを含めて彼女という人間について話し始めた。
「……思ってた話と違った」
一通り話を終えると、夏凪がなぜか微妙にうなだれていた。
「……いや、まあどうせこれは違うし……あくまで心臓の持ち主の影響だし……」
「なに小声でぶつぶつ
「っ! ……は? なに?」
途端に不機嫌そうな顔になる夏凪。
「え、なに急にキレてんの」
「キレてないけど」
「いやキレてるだろ」
「キレてないって言ってんじゃん!」
そしてヒールの先が俺の
「倍殺し!」
「理不尽だ!」
──閑話休題。
「でも、そっか。思ってたほど悪い人じゃないのね、彼女」
夏凪はカクテルを傾けながら言う。
「ずっとシエスタさんのことを思っていて、今もそのことだけを考えてる。純粋すぎて
「ああ。純粋バカだよ。そのせいで時たま言動がぶっ壊れることもあるが、それがアイツの良いところかもしれない」
本人には口が裂けても言わないけどな。
「そうだね……うん、本当はあたしも分かってた」
「シャルが悪いやつじゃないって?」
「それもだけど……間違ってるのはあたしの方だって」
「彼女が言ったこと、図星だったんだよ」
それは、今朝の
「あたしはシャルさんみたいに、ずっとシエスタさんのそばにいたわけでもないし、なにか特別誇れるような武器もない。ただこの心臓を
そんなことは、分かってるんだ。
自嘲的な
そうだ、彼女が自分で認めた通り──夏凪とシエスタは、違う。
顔や髪の毛の色なんてのは当たり前のことで。
二人は、
夏凪がシエスタの、ビスクドールになることなんてできるはずもない。なのに──
「どうして夏凪は、シエスタの跡を継ごうと思ったんだ?」
あの日。夏凪に移植された心臓が、シエスタのものだと判明した日。
夏凪は自分が名探偵になることを決めた。「誰かの代わりになろうとしなくていい」と言われてもなお、その道を進むことを選んだ。
だけど俺はその思いを、まだ明確には聞いてはいなかった。語られぬ言葉には敬意を払うべきだと、そう勝手に解釈して、今まで目を
「あたし、小さい頃から
夏凪は遠い昔を思い出すように目を細める。
「周りのみんなが学校に通う中、あたしだけはベッドの上。唯一のお友達は、何冊かの絵本と小さな熊のぬいぐるみ。テレビで歌って踊るアイドルの女の子が羨ましくて仕方なかった」
白い病室。薬品の匂い。細い腕に点滴が刺さった、幼い少女が脳裏に映った。
「あたしはこの部屋からどこにも行けないんだと思った。勉強もできない、運動もできない。そしてきっとあたしは、そのまま何者にもなれない」
それがすごく怖かった。
そう語る
「でも時が
「飛び方が?」
「うん、飛び方が……生き方が。だからあたしは、軸が欲しかったんだと思う」
生きていくための軸が。
夏凪の口から出たその言葉が、恐らくはこの話のすべての本質なのだろうと思った。
「何者でもなかったあたしは、急に何者かになることを求められた。だからあたしはこの心臓に頼った……彼女の生き方を、あたしの生き方にしようって、そう思ったんだ」
それが、夏凪が心のうちに秘めていた本音。
だから彼女は、心臓の声を聞いた。
心臓が探し求めた人物Xを……俺を追いかけ、そして、名探偵を継いだのだ。
夏凪はきっと、名探偵を……シエスタを軸にすることでしか生きられなかったのだ。
そしてそれは、俺と同じだった。
「だから、シャルさんが言ってた通りなんだ。あたしはずっと、探偵ごっこをしてるだけ。こんなの、おままごとだって分かってる」
「夏凪……」
俺はなにか声をかけようとして、しかしうまく言葉が出てこなかった。
同じだったから。
俺も夏凪と同じコンプレックスを抱え、これからどうするべきか迷っている。だから今、彼女に与えてあげられる答えを、俺は持ち合わせていなかった。
「ごめん、あたし先に休むね」
そう告げると夏凪は、残ったカクテルを一気に飲み干し立ち上がった。
「夏凪、俺は……」
「おやすみ。また明日、ね」
手を振る夏凪はいつも通りの表情で、だからこそもうこの話は終わりと言われているような気がした。
「ああ、また明日」
遠ざかっていく夏凪の小さな背中を、俺はただ見送ることしかできなかった。
「また明日、か」
そうだ、まだこれで終わったわけじゃない。
もう一度考えをまとめて、機会を図ってまた話してみよう。
とりあえず、今日は部屋に戻って……ああ、そういえば俺の部屋はシャルに占領されてるんだったか。そっと同じベッドに潜り込みでもすれば、明日の命はないだろう。
仕方がない。俺は携帯を取り出すと、
「あー、もしもし、
『はい、そうですけど……こんな時間にどうされました?』
「もう部屋か? 悪いが今晩、そっちに泊まらせてほしい」
ついでにシャルやさっきの
『……
「あほか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます