【第三章】◆十二時前のシンデレラ

 謎の質問を残したシャルと別れた俺は、その後プールから戻ってきたなつなぎさいかわと合流した。

 それからは三人で「シエスタの遺産」を探して広い客船を探し回ったのだが……そもそも、その遺産とやらが具体的になにを指すのかまったく分からない。当然捜索は難航し、そうしている間には暮れ、ひとまずレストランで夕食をることにした。しかし斎川はこのツアーの主賓として挨拶回りが忙しいらしく、俺となつなぎ、二人だけの食事である。

「なんか変な気分」

 船内にあるフレンチレストランのテーブル席。

 フォークとナイフで、さけのムニエルを切り分けながら夏凪が言う。

「なにが?」

「こうやってきみづかと向かい合って二人でご飯食べてること」

「嫌だって?」

「そんなこと言ってないでしょ」

 そんなジト目もなかなかどうして可愛かわいく見える。

 性格ももう少し可愛くなってくれるとありがたい。

「じゃあなんだ。俺と二人きりでディナーなんて、まるでデートみたい、とか殊勝なことを言ってくれるのか?」

「……一文無しの立場でよくそんな台詞せりふが出てくるわね」

「……それに関しては弁解の余地もないな」

 さいかわの厚意がなければ、ここの食事代すら払えず、俺は一生この船でただ働きをする羽目になっていただろう。ギャンブル恐るべし。

 ギャンブルといえば、さっきのシャルとのことも少し話しておくべきか。今朝は売り言葉に買い言葉でけんになっていた二人だが、本当はシャルもそう悪いやつではないことを伝えておくべきだろう。

なつなぎ、このあと時間あるか?」

「えっ、いや特には。シャワー浴びて寝るだけだけど」

「そうか、だったら少し、話したいことがあるんだが」

「話? 話なら別に、今ここでも……」

「あー、ちょっとここじゃ話しづらい内容でな」

SPESスペース》の話にもなるし、デリケートな内容にも踏み込むからな。できれば人目が少ない場所を選びたい。

「確か、向かいにバーがあったろ? 一時間後にそこに来てもらってもいいか?」

「えっ、と……あたし、ひとりで? きみづかと、二人きり?」

「ああ、そうなるな」

 本当はさいかわにも話しておくべき事柄だろうが、いまは主賓として忙しそうだし、後にしておこう。

「そ、そう。二人きりで、バーで、話……他の人には、聞かれたくないこと……」

 なにやら、もごもごと口を動かす夏凪。うつむく顔には、なぜか朱が差している。

「ま、まあいいけど。……うん、じゃあ、一時間後ね」

 そう言い切ったのち、今度は残ったムニエルをフォークでぶっ刺し、一気に口に放り込むと、席を立ってぱたぱたと駆けていく。一体なんなんだ……。

「メインもまだなんだが」

 本当はシャルにでも食べてもらいたいところだが、今ごろは俺の部屋で寝転んでいる頃だろうか。まさか本当に船を降りたわけもあるまいし。

「けどあいつと二人で飯って、しやべることないな」

 俺は一時間かけて二人分のコース料理をどうにか食べ終え、その後約束のバーへと向かった。


「……お待たせ」

 席で少し待っていると、やがて約束の時間きっかりに夏凪はやってきた。人目を避けるため、あえてカウンターからは離れ、奥のボックス席で向かい合う。

 ……にしても。

「わざわざ着替えたのか?」

「へっ? あ、いや、たまたま? シャワー浴びたあと、着替える服がこれしかなくて?」

 夏凪の格好は、昼間のラフな服装から一転。

 胸元の開いたワンピースに、薄手のショールを羽織っている。

 確かに店の雰囲気には合っているが……いつも以上にメイクも整っているし、香水の匂いもする。この準備のために、あんなに慌てて部屋に戻ったのだろうか。

「はあ、まあなんでもいいけど」

「なんでもいいって……」

 なつなぎは不服そうに唇を突き出す。なにかまずいことでも言ったか?

「……で? その、話って……」

「ああ、そうだったな。ま、飲みながら話すか」

 ちょうど、夏凪が来る前にオーダーしていたドリンクが運ばれてくる。

「お酒?」

「シンデレラ」

「あたしが?」

「酒が」

 そういう名前のノンアルコールカクテルだ。

 俺の方はシャーリー・テンプル。こっちも代表的なノンアルである。

 酒での失敗はもうコリゴリだからな。

「じゃあ、ちょっと聞いてくれ」

 乾杯を交わした後、俺はシャルとの出会いを含めて彼女という人間について話し始めた。


「……思ってた話と違った」

 一通り話を終えると、夏凪がなぜか微妙にうなだれていた。

「……いや、まあどうせこれは違うし……あくまで心臓の持ち主の影響だし……」

「なに小声でぶつぶつつぶやいてるんだ?」

「っ! ……は? なに?」

 途端に不機嫌そうな顔になる夏凪。

「え、なに急にキレてんの」

「キレてないけど」

「いやキレてるだろ」

「キレてないって言ってんじゃん!」

 そしてヒールの先が俺のすねに飛んでくる。

「倍殺し!」

「理不尽だ!」

 ──閑話休題。

「でも、そっか。思ってたほど悪い人じゃないのね、彼女」

 夏凪はカクテルを傾けながら言う。

「ずっとシエスタさんのことを思っていて、今もそのことだけを考えてる。純粋すぎてまぶしいくらい」

「ああ。純粋バカだよ。そのせいで時たま言動がぶっ壊れることもあるが、それがアイツの良いところかもしれない」

 本人には口が裂けても言わないけどな。

「そうだね……うん、本当はあたしも分かってた」

「シャルが悪いやつじゃないって?」

「それもだけど……間違ってるのはあたしの方だって」

 なつなぎは困ったように笑いながら続ける。

「彼女が言ったこと、図星だったんだよ」

 それは、今朝のいさかいのことを指しているのだろう。シャルは夏凪に「探偵ごっこはやめろ」と言っていた。そして夏凪は、それを今自分で認めてしまっている。

「あたしはシャルさんみたいに、ずっとシエスタさんのそばにいたわけでもないし、なにか特別誇れるような武器もない。ただこの心臓をもらって……そして彼女の遺志も引き継いでるになってるだけ」

 そんなことは、分かってるんだ。

 自嘲的なつぶやきは、静かなバーの空間にこだまする。

 そうだ、彼女が自分で認めた通り──夏凪とシエスタは、違う。

 顔や髪の毛の色なんてのは当たり前のことで。

 二人は、しやべり方も、性格も、信条も、一人称だって違うのだ。

 夏凪がシエスタの、ビスクドールになることなんてできるはずもない。なのに──

「どうして夏凪は、シエスタの跡を継ごうと思ったんだ?」

 あの日。夏凪に移植された心臓が、シエスタのものだと判明した日。

 夏凪は自分が名探偵になることを決めた。「誰かの代わりになろうとしなくていい」と言われてもなお、その道を進むことを選んだ。

 だけど俺はその思いを、まだ明確には聞いてはいなかった。語られぬ言葉には敬意を払うべきだと、そう勝手に解釈して、今まで目をつぶってきたのだ。しかし、そろそろ目覚めてもいい頃かもしれない。俺も、夏凪も。

「あたし、小さい頃から身体からだが悪かったからさ」

 夏凪は遠い昔を思い出すように目を細める。

「周りのみんなが学校に通う中、あたしだけはベッドの上。唯一のお友達は、何冊かの絵本と小さな熊のぬいぐるみ。テレビで歌って踊るアイドルの女の子が羨ましくて仕方なかった」

 白い病室。薬品の匂い。細い腕に点滴が刺さった、幼い少女が脳裏に映った。

「あたしはこの部屋からどこにも行けないんだと思った。勉強もできない、運動もできない。そしてきっとあたしは、そのまま何者にもなれない」

 それがすごく怖かった。

 そう語るなつなぎの横顔には、泣きそうな笑顔が張り付いていた。

「でも時がって、あたしはあの鳥籠を飛び出すことになった。新しい命をもらって羽ばたかなくちゃならなくなった。だけど……飛び方がさ、分からなかったんだよ」

「飛び方が?」

「うん、飛び方が……生き方が。だからあたしは、が欲しかったんだと思う」

 生きていくための軸が。

 夏凪の口から出たその言葉が、恐らくはこの話のすべての本質なのだろうと思った。

「何者でもなかったあたしは、急に何者かになることを求められた。だからあたしはこの心臓に頼った……彼女の生き方を、あたしの生き方にしようって、そう思ったんだ」

 それが、夏凪が心のうちに秘めていた本音。

 だから彼女は、心臓の声を聞いた。

 心臓が探し求めた人物Xを……俺を追いかけ、そして、名探偵を継いだのだ。

 さいかわの事件のときも最初俺はその依頼を断ろうとしていたが、夏凪がなにかと理由をつけて結局引き受けることになった。あの不自然な積極性も、今なら理屈が分かる。

 夏凪はきっと、名探偵を……シエスタを軸にすることでしか生きられなかったのだ。

 そしてそれは、俺と同じだった。

「だから、シャルさんが言ってた通りなんだ。あたしはずっと、探偵ごっこをしてるだけ。こんなの、おままごとだって分かってる」

「夏凪……」

 俺はなにか声をかけようとして、しかしうまく言葉が出てこなかった。

 同じだったから。

 俺も夏凪と同じコンプレックスを抱え、これからどうするべきか迷っている。だから今、彼女に与えてあげられる答えを、俺は持ち合わせていなかった。

「ごめん、あたし先に休むね」

 そう告げると夏凪は、残ったカクテルを一気に飲み干し立ち上がった。

「夏凪、俺は……」

「おやすみ。また明日、ね」

 手を振る夏凪はいつも通りの表情で、だからこそもうこの話は終わりと言われているような気がした。

「ああ、また明日」

 遠ざかっていく夏凪の小さな背中を、俺はただ見送ることしかできなかった。

「また明日、か」

 そうだ、まだこれで終わったわけじゃない。

 もう一度考えをまとめて、機会を図ってまた話してみよう。

 とりあえず、今日は部屋に戻って……ああ、そういえば俺の部屋はシャルに占領されてるんだったか。そっと同じベッドに潜り込みでもすれば、明日の命はないだろう。

 仕方がない。俺は携帯を取り出すと、

「あー、もしもし、さいかわか」

『はい、そうですけど……こんな時間にどうされました?』

「もう部屋か? 悪いが今晩、そっちに泊まらせてほしい」

 ついでにシャルやさっきのなつなぎのことも話しておけるからな。

『……可愛かわいい下着つけて待ってます』

「あほか」

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