【第三章】◆だから俺は、探偵にはなれない

「いや、負けるんかい」

 デッキに立ち、ぼーっと海を眺めていると、いつもからは考えられない口調の突っ込みが膝元あたりから聞こえてきた。

 声の主シヤルは、俺に背を向けるようにして柵に寄りかかっている。

「え? あんなカッコつけといて負けることある? 『昔からポーカーは、ちょっとばかり得意なんだ』とか決め台詞ぜりふ吐いといて、それで負ける?」

 三角座りをしたシャルは、からかうような視線で俺を見上げる。

「うっせ。俺もなんか、こう、いけると思ったんだよ……」

 結果から言おう。

 カジノは惨敗だった。

 ヒトという種はどうにも過去を美化してしまう傾向にある。

 よくよく思い返してみれば、カジノで大勝ちしていたのもポーカーが得意だったのも、俺ではなくてシエスタだった。つまりは、俺はあいつのおこぼれをもらっていたに過ぎないということだ……なんたるトラップ。

「いや、ダサすぎでしょ。しかもワタシより熱くなって、有り金ぜんぶはたいてるし。バカでしょ。ヤバいでしょ」

「めっちゃ後悔してんだから傷口を開くな……」

 はあ、プールから帰ってきたらなつなぎに金借りるか。恥を忍んで。

 あ、いや、こんな時こそさいかわか。持つべきものは金持ちの友人だ。

「ふふ、いや、でも、そうね。結構おもしろかったかも」

 もしかしてそういうギャグだった?

 そう言ってシャルは、プークスクスとわざとらしく笑う。

 思えば、一年ぶりに見た笑顔だった。

 俺たちはしばらくの間、静かに笑い合った。

「──それで? 話って?」

 風が吹く。それは、この穏やかな空気を変える風だった。

「シエスタのことだよ」

 俺は船べりの柵に腕を置き、海を眺めながら答える。

「……その話ならさっき終わったでしょ」

「お前が一方的に終わらせただけだろ。コミュニケーションの基本はキャッチボールだ」

 シャルとは今までドッジボールしかしてこなかったからな。

「マームの助手でありながら、マームの遺志を継ごうとしなかった男と、今さらなにを話すって言うのよ」

 シャルの声色が、再び冷たいものに戻る。

 やはりシャルにとっては、それはどうしても譲れない部分だったのだろう。シエスタの助手に選ばれたはずの俺が、シエスタ亡きあと、その思いを引き継ごうとしなかったこと。本当に戦うべきだったはずの存在から目を背け続け、ぬるま湯に浸り続けたこと。

 そしてそんな俺を、他の誰でもないこの俺自身が一番嫌悪していたこと。

 そう。だからきっと、シャルは──

「悪かったな。心配かけて」

 仇敵なかまである俺を、ずっと気にかけてくれていた。

「……勝手な解釈はやめてほしいのだけれど」

「俺が載ってる新聞記事まで読みあさって」

「……た、たまたま目に入っただけだから」

「こうしてわざわざ俺の元まで会いに来てくれて」

「……だから偶然だと言ってるでしょう!」

って!」

 座っているシャルの拳が俺の膝元にめり込む……少しからかいすぎたか。

 だがともかく、シャルに心配をかけていたことは確かだろう。

 悪いことを、してしまった。

「でも、そうね。素直に謝ったことに免じて、一度だけチャンスをあげるわ」

「チャンス?」

 シャルは立ち上がり、俺の横に並んで言う。

「どうしてマームに代わって、探偵になろうとしなかったの?」

 エメラルドのように光る瞳が、俺に逃げることを許さない。

 今さらうそをつくことも、すこともできなかった。

「……あいつは。シエスタは、俺に言ったんだ」

 俺は、四年前のあの日の出来事を思い出す。

 上空一万メートルの空の上。

 コウモリにハイジャックされたあの旅客機で、シエスタは俺に──

『君──私の助手になってよ』

 そう、言ったんだ。

「だから俺は、探偵にはなれない。四年前も。あいつが死んだ今も。きっとこれから先も。俺はずっとあいつの──名探偵の助手であり続ける」

 俺は、あいつにはなれない。

 でも、あいつのために生き続けることは、できる。

「……バカね」

 シャルは、どこかさびしそうに口角を上げる。

「本当に過去マームに縛られてるのは、ワタシじゃなくてアナタの方じゃない」

 そうだろうか。そうかもしれない。

 俺はきっと今でも、シエスタを──

「まあ、いいわ」

 シャルは、ふっと笑うと、前を向き遠くの海を見つめる。

「アナタはアナタのやり方で、マームの遺産を……自分の答えを見つけなさい」

 ワタシはワタシのやり方でやらせてもらうから。

 そう言ってシャルは、きつく唇を結ぶ。

 俺は喉から出そうになったありがとうを飲み込んで、悪いなと返した。

「けど、遺産か……」

 改めて俺は、シエスタがこの船にのこしたらしいという遺産について考えを巡らせる。

「でもシャルたちがその情報をつかんでるってことは、もしかしたら敵も同じように……ってことは考えられないか?」

「《SPESスペース》もってこと?」

「ああ」

 情報戦なら、あいつらも決して負けていない。特に《SPES》にとってシエスタというのは最大のきゆうてきの一人だったはずだ。そのシエスタがいた種があると分かれば、きっとあいつらも……。

「その可能性は確かにあるわね。まあ一応、考えがないわけではないんだけれど……」

「……か、考えがある? シャル、お前にか……?」

「……アナタ、どうしてもワタシとがしたいみたいね?」

 言うとシャルは、腰元のホルスターをちらつかせてくる。

 最近出会う少女がこれ皆、拳銃を常備してるのは一体どういうことなのだろう。

「言ったでしょう? ワタシはもう、一年前のワタシじゃないの」

 そんな風に鼻を高くする様は、一年前とあまり変わっていないがな。

「あ、そういえば。キミヅカ、今日からアナタの部屋を貸して頂戴」

「は? なんでだよ、ツアーに参加してるんだったら自分の部屋があるだろ」

「そんなのないわよ」

 シャルは真顔で小首をかしげる。

「だってワタシ、不法乗船してるもの」

「不法乗船してるもの、じゃねえわ!」

 そういえばこいつ、おんみつ行動も得意だったか……っていや、金払えや。ギャンブルに使うな。

「というわけで、部屋のキーを渡しなさい」

「理不尽だ。というかお前、どうやって船に乗り込んだんだよ。光学迷彩でも使ったか?」

「ふふ、それは企業秘密ね」

 なぜか誇らしげに胸を張るシャル。服が張り裂けそうだからやめないでほしい。

「でも、光学迷彩ね……」

 するとシャルは顎に手を置き、小さくなにかつぶやく。大人びた顔つきもあって、こういう思案顔はとても映えるのだが、昔からこういう顔をしている時のシャルは「今日夜なに食べよう……」みたいなことしか考えていなかったから、あまり参考にはならなかったりする。

「ねえキミヅカ」

 そしてシャルはぱっと顔を上げると、こんなことをいてきた。

「海上でこの船を降りる方法ってあるかしら?」

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