【第二章】◆それはどんなアイドルよりも
斎川が構えた拳銃、その照準は俺の眉間に向けられる。
「なるほど、そういう脅され方だったか」
「ったく、そんなものまであいつらから
「いえ、これは自前です」
「スーパーアイドルがマイ拳銃を持ってんじゃねえよ」
「これぐらい普通に乙女の
「そんな乙女の嗜みがあってたまるか」
……いや軽口を言い合っている場合ではない。
「斎川、分かるだろ。俺たちは敵じゃない──さっき守ってやったことを忘れたのか?」
「っ……、あれは、だからきっと、わたしを油断させようとして……」
「そんなことせずとも、俺があの時駆け付けなかったら、ボウガンの矢は確実にお前の左眼を捉えていた。俺が本当にお前の敵だとしたら、わざわざこんな二度手間を踏むか?」
「それは……それは……っ」
「いいか斎川。俺たちを殺しても無駄だ。殺した後で、お前の《左眼》は本当の敵によって奪われる」
「そんなことない!」
斎川は叫び、親指で拳銃のセーフティを外す。
「そんなことは、ないです。でないと、でないとわたしは……」
だけどその声はわずかに震えている。
「斎川、その左眼がただの義眼じゃないことぐらい、分かってるだろ?」
俺の問いに、斎川は唇を
「どういう、こと?」
震える夏凪の声が背中側から聞こえる。
「斎川の左眼には、《
「さっきもそんなこと言ってたけど……それって」
「ああ。簡単に言えば、斎川の目はあいつの耳と同種のものだ」
「あいつ? ……! そういう、こと」
夏凪もそれに思い至ったのか、大きく言葉を詰まらせる。
「その義眼は……人造の左眼は、物体を透視することができる。そうだな、斎川?」
それが、
どういう経緯で斎川の両親がそれを手に入れたのかは分からないが……とかく、それは《SPES》にとっては無視できない代物だったのだろう。
「……どうして気づいたんですか?」
「この一週間、
通常、片目しか見えない人間は、健常者と比べて視界が二十パーセント以上減退する上に、遠近感も
それだけじゃない。斎川の家に行った日も、彼女は左手でカップを持ち紅茶を飲んでいた──左側の視界は、眼帯で大きく削られているはずなのに。
CDショップで偶然(本当のところは、俺のことを張っていたのだろう)会った時も、斎川は俺の右隣に立っていた。だが、
時系列的に言えば、そういった違和感の積み重ねにより、一週間もの間彼女のことを徹底的に調べ上げるに至ったのだった。
「悪いな。視覚と聴覚には敏感になれって、昔の相棒からの教えなんだ」
二年前、シエスタが視線だけをヒントに、森の洋館で《メデューサ》の事件を解決したことを思い出す。
……ああ。確かにお前の言う通りだったよ、シエスタ。この業界、目と耳のいい人間だけが生き残るらしい。
「……なるほど、最初から信用されてなかったわけですか。あはは、どうしてもリハーサルに行きたいって言われたときは、何事かって思っちゃいました」
「
「はい、てっきりわたしの
ああ、
俺と斎川は、拳銃を構え合っている状況を忘れて、一瞬くすりと笑う。
「もしかして、昨日のあの黒ずくめの男。あれも助手さんの仕込みですか?」
「勘が
斎川の左眼が視えている──その確信を実際に目の前で得たかった俺は、あのリハーサルに仕掛けを用意することにした。
人間はとっさの危機の前には、本能的な反応を見せるものだ。
舞台の左袖から近づいてきた不審な男を、斎川は眼帯で覆われたはずの左眼でも、はっきり認識した。
それを「わたしは左眼が見えない設定だから、左側から近づく男に気づいてはいけない」などと冷静な判断を下せるわけもない。結果、斎川はちゃんと、男が近づき切る前に悲鳴を上げ、事なきを得た。
ちなみに、あの黒ずくめの男は、俺の知り合いでもあった。四年前、よくアタッシュケースを俺に渡してきた男たちの一人である。
「《
「いや、目的はもう一つ。不審者が出たっていうのを口実に、ドームの設備を案内してもらいたかったんだ。
「……ちょっと準備良すぎませんかね」
「元相棒の教えなんだ」
一流の探偵は事件が起こる前に事件を解決しておく、だったか。
助手の俺は、その域にまでは
「これぐらいで全部か? お互いの手のうちは」
「そうですね……はい、わたしはもう丸裸ですよ?」
そう言って
ああ、これこそ俺の知っているアイドル斎川
「じゃあその上で
「それは……」
斎川は一瞬顔をゆがめ、それから
「本当はもう分かってる……分かってるんです。
そしてまた、斎川が顔を上げた。
その
「それじゃあ、どうしたらいいんでしょう? どうしたらわたしは、この左眼を守れるんでしょう?」
そうか。斎川も分かっているのだ。
俺たちを殺したところで問題は解決しないことを。脅威は消えないことを。
なぜなら《
「……っ、ダメなんです。お父さんとお母さんがいない……こんな真っ暗な毎日を生きて行くには、どんなに暗くたって前が見えるこの眼がないと、ダメなんです」
そんなことはない。そう言ってやるのは簡単だ。
こんな仕事を何年もやっていれば、自然と口は
たとえ暗闇の中で前が見えなくとも、お前がアイドルをやり続ける限り、ファンが振りかざす光の棒が行く先を照らしてくれるはずだ、とか。そんな口当たりのいい
でもきっと、
両親が死んで三年。必死にアイドルをやり続けて、ファンの前に立ち続けて、それでも今、彼女はこうして拳銃を握っている。
だとすれば、斎川にとって必要なのは言葉ではない。
それなら一体、何なんだ。
斎川を助けられるもの。
彼女が今、一番欲しているもの。
それは、それは──
「あたしたちね、この件が無事に終わったら海に行く予定を立ててたの」
その声は、俺の後ろから聞こえてきて、やがてすぐ隣に並んだ。
「それでね、良かったら斎川さんも一緒に行かないかなと思って」
その提案は、あまりにもこの場にそぐわない。
銃口が互いの額に向き合う。そんな切迫した場面において、一体誰が海に遊びに行く話なんかするものか。
探偵に必要なのは絶対の論理と、そして時に武力だ。
俺は……そしてシエスタは、あの三年間をそうやって生きてきた。戦ってきた。
だけど
彼女の本質は──激情。
それが唯一にして、最強の武器だ。
己がアイドルであることも、人に拳銃を向けている事実も忘れて、ぽかんと口を開けた斎川に対して、
「つまりは、そう、友達にならないかって──そういう話なんだけど」
世界中のどんなアイドルよりも
「……どうして、そんなことが言えるんですか?」
斎川が握るピストルの銃口が、ふるふると震える。
「わたし、あなたたちを殺そうとしたんですよ?」
「大丈夫、あたしたちはそう簡単に死なないから」
「それに、ずっと二人を
「アイドルだもん。それも仕事でしょ?」
「っ、そんなの
「そうだね、あたしも今あなたを
「……そんなの、ずるいです」
「うん、あたしずるいんだ。だから、あたしのわがままを聞いてくれない?」
そうやって
それは俺にも、シエスタにも決して
「おかしいですよ、夏凪さん……そんなの、そんなの……」
「そう? けどおかしい人間が友達にいたら、きっと楽しいって。最近はそう思うんだ」
その
「仮に……仮に友達になったって……なれたって、なにも問題は解決しない。それどころか、余計に迷惑をかけることになります」
「それはないと思うぞ」
「え? ──あ」
震える斎川の一瞬の隙をついて、俺は彼女の手から拳銃を奪い取った。
「斎川。お前があいつらに狙われてると言うんだったら、俺も同じだ。迷惑なんて思うな。むしろ標的仲間だ。いっそ同盟でも結んだ方が都合がいい」
そうだ。夏凪の一見間抜けにも思える提案を聞いて、そこに思い至った。
逆にこの三人が対立関係にあっては、敵の思うつぼ……むしろ俺たちは一緒にいるべきだ。共通の敵を持つ、仲間同士として。
俺には嫌でも
「……助けて、くれるんですか?」
「ああ、助ける。だから斎川も、俺たちを助けてくれ」
悪いな、いつの間にか俺も命の危機なんだ。
たった十日前までは、ぬるま湯に浸りきっていたというのに、夏凪に出会ってから……元相棒に再会してからこのざまだ。
巻き込まれ体質は治るどころか年々ひどくなっていやがる。
どうやら俺は、またぞろあいつらと事を構えなきゃならないらしい。
そのためには、今以上に人と力が必要になる。だから──
「だから斎川、俺たちの仲間になってほしい」
そんな、夏凪と俺による、あまりに単純で、素朴で、稚拙で、直感的で、本能的な説得を受けて、斎川は──
「──はい、喜んで」
それはきっと、アイドル斎川
ただの、十五歳の少女の
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