【第二章】◆さふぁいあ☆ふぁんたずむ

「……こりゃ、リハとは大違いだ」

 ドームに到着し、ホール内のドアを開けた俺たちを待っていたのは、圧倒的な光と音。七色のスポットライトが乱反射し、サウンドはズンと胃の奥底に響く。

 きっとここは、日常から円形に切り取られた別世界。

 そして、そんな世界を支配するのは、アイドル──さいかわゆい

 ふりふりの衣装を身にまとった彼女に、無数に輝く光の棒がささげられる。

 誰もがれる声で歌い上げられているのは、確か最新のシングル曲。

 いよいよライブは後半戦──これからヒットメドレーで畳みかけていくのだろう。

「ねえ!」

 服の袖が引っ張られ、意識が現実に戻ってくる。

「あたしたちの席は!」

 なつなぎが背伸びをして俺の耳元で叫ぶ。これぐらいやらないとお互いの声は届かない。

「あるわけないだろ、チケットもないんだから!」

「あ……」

 ではどうやってこのホールまで侵入できたかというと、警備スタッフに少しの間、からだ。

「ていうかさっきの人たち大丈夫なの!?」

「大丈夫だ! もうにはそんなことをする意思もメリットもない!」

 なにやらふうさんと今後のことも含めた取引をしたらしいしな。

 ──と、さっきの曲が終わり、拍手のあとに一瞬の静寂が訪れる。今がチャンスだ。

「夏凪、そろそろ行くぞ」

 小声に戻し、夏凪の肩をたたく。

「え、どこに?」

「なるべくステージに近づいておく」

 昨日、リハーサルの見学という名目で、さりげなく会場の下見は済ませておいた。

 俺たちは身をかがめ、手早く、それでも目立たぬようにゆっくり移動を開始する。

「ていうかその荷物、邪魔じゃない? 車に置いとけばよかったのに」

 夏凪が、俺のクラッチバッグを指して言った。

「あー、ちょっとな」

「なにが入ってるわけ?」

「使いたくないもの」

 使わなくて済むことを願うもの、と言い換えてもいいが。

「……はあ、まあ別になんでもいいけど。それで? 例の曲はまだ先なのよね?」

「ああ、『81』の次だからな」

「そういえばそうだった……昨日のリハ、本当に仕事だったんだ」

「疑いすぎだ。……いや、探偵は疑いすぎるぐらいでちょうどいいか」

「……そうね。そうかも」

 新しい曲が始まった。

 リハによればこの次が『81』、そして事が起こるとすればさらにその次の曲『さふぁいあ☆ふぁんたずむ』のときだ。時間にして残り十分……俺たちは周囲に怪しまれないように気をつけながら、そっと歩を進める。

「けど、ステージに近づいてどうするの?」

 なつなぎが耳元でいてくる。

「正直、ぶっつけ本番だ。なにが起こるか分からないし、なにも起こらずゆうに終わるかもしれない。だから俺たちにできるのは、限られた条件下で最善を尽くすことだけだ」

 その瞬間から目をらさないようにすること──ただそれだけ。

 そのために今は、少しでもさいかわの近くに潜んでおく。

 どこにいるかも分からない──よりも、少しでも近く。

「みんなありがとう~!」

 歓声が沸く。曲が終わったようだ。

 いよいよ次が『81』……少し急ぐか。

「盛り上がってきたところで、じゃあそろそろあれ、いっちゃいますね!」

 斎川の短いMCがあり、そして次に流れてきた曲は──

「聴いてください──『さふぁいあ☆ふぁんたずむ』!」

 なに……!?

 リハーサルの時と順番が違う……まずい、ここまで時間をかけすぎた。

「そ、そんな!」

「ああ、まずい夏凪。急ぐぞ」

きみづかがあんなに楽しみにしてた『81』が!」

「楽しみにしていない!」

 冗談を言っている場合ではない。

 無論、夏凪もそれは分かっていて、足はステージへと向かっている。

「青い地球を、映す鏡のように~♪」

 会場のボルテージは一気に上がり、爆弾のような音と光が熱気を加速させる。

『さふぁいあ☆ふぁんたずむ』──アイドル斎川ゆい、最大のヒットナンバーで、十八番おはこの一曲。彼女は必ずこの楽曲で、

 そしてそれがきっと、になるはずだ。

 俺となつなぎは、それを止めるためにここにやって来た。

きみづかの言うって、潜んでるとしたらどこにいるの?」

「分からん……観客に紛れ込んでることだってあり得るし、昨日のあの男みたいにステージ脇に隠れてる可能性だってある」

 昨日、さいかわやスタッフにホールの裏や様々な設備を見せてもらったが、かえって選択肢は増えてしまった。そのすべての可能性を潰すには、俺たち二人だけでは不十分だ。

 とは言え、あまりこちらにばかり手をかけるわけにもいかなかったのだ。なにせ昨日の今日だったし、今だって、で大忙しのはずである。だから今は、限られた条件と人員で局面を乗り切るしかない。

「隠した、秘密は宝石箱に♪」

 曲は早くもCメロにさしかかる。もうじき大サビ、彼女のが解かれる頃。事が起こるとしたら間もなくだ。

「……よし、着いたぞ」

 そしてようやく俺たちはアリーナ席の先、ステージそばの通路まで辿たどり着く。

 どこだ、どこにいる。

 目を凝らし、いるかどうかも分からない誰かを探す。

 だが、虹色のスポットライトが視界を遮り、近くのスピーカーの爆音が集中力をぐ。

「…………!」

 夏凪がなにかをしやべっているが、サウンドでまったく聞こえない。

 ……くそっ、思った以上に環境が悪い。

 恐らくどこかに……どこか近くにやつらはいるはずだ。だがもう、あまり時間がない。

 現場で目と耳をフルに凝らせば見つかるだろうと高をくくっていたが、経験に過信しすぎた。視覚と聴覚がまともに機能しないと、こうも脳みそが働かなくなるのか。

 だめだ、音と光で頭がガンガンしてきた。吐き気までこみ上げてくる……。

 夏凪の力も借りたいところだが、この環境では意思疎通すらまともに図れない。

 なにか、なにか案は……。

 ……いや、待て。

 そうか。こんな環境でも、もしかしたら、あいつなら──

「俺だ! 聞こえてるか!」

 こめかみを押さえ、運転役に雇ったに向かって俺は叫ぶ。

 目は見えないが、耳さえ聞こえれば運転ぐらいできると──そうのたまったそいつは今頃、警備員を後、会場付近で煙草たばこでも吸っているはずである。

 すなわち、ここからそこまで何百メートルも離れているわけだが……あいつにとって、そんな距離はでもない。

 この爆音の中でも、俺の声はきっと届く。そして、潜むすらも、あいつなら。

「──コウモリ! 敵はどこにいる!」

 ズボンのポケットが震える。

 メッセージアプリの通知には──『➡』のマークが一つ。

 ……これは、矢印? なにかの暗号?

 ……! そういうことか……っ!

 俺は、驚くなつなぎをその場に残し、さいかわが立つステージを駆け上った。

 曲の大サビ、斎川が

 彼女が十八番おはこで披露する、今日最大の演出であり、こんしんのパフォーマンスだ。

 歓声が沸く。

 しかし、それこそが斎川ゆいの封印。俺たちに隠した秘密。


「──!」


 けながら、俺は斎川を抱きかかえて、そう言った。

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