【第二章】◆それが、唯にゃクオリティ

 それから数日後、土曜日。

 斎川唯のライブを前日に控えたこの日。

 俺となつなぎは、会場場所となるドームに足を運んでいた。

「急げ、夏凪。そろそろリハが始まるぞ」

 ドームに続く長い階段を上りながら、十数段下でへばっている夏凪に声をかける。

「まったく、タオルもサイリウムも持って来ていないと言われた日には聞いてあきれたが、まさかリハの開演時間に間に合う気すらないとは……それでもファンか?」

「いやファンじゃないから」

 すると、なぜか半眼のなつなぎは大きくため息をつく。

「あのさあ、それ、公私混同じゃない?」

「それ? どれ?」

「それ!」

 やがて階段を上ってきた夏凪は、俺の服装にビシッと指を指す。

「なに? なんでさいかわさんのライブTシャツ着てるの? なんで会場ごとにデザインが違うタオルを何本も首に巻いてるの? その腰に巻いてる大量のペンライトはなに? そのリストバンドは? 帽子は? スニーカーは?」

 相当に不満がたまっているらしく、夏凪は一気にまくてる。

「ぜんぶ、ゆいにゃのライブツアーグッズだ」

「唯にゃ!?」

 ファンはみな、彼女のことを親しみを込めてそう呼ぶのだ。

「あんた、この一週間なにやってたわけ? 学校には来てないし、連絡しても全然返信さないし。やっと返事が来たと思ったら前日リハーサルを見に行くぞって……」

「あー、いや、唯にゃが出てたテレビ番組のバックナンバーをあさってたら、いつの間にか今日になってて──」

「OK、倍殺しにしてあげる」

「ぐ、やめ……タオルで、首を絞めるのは反則……ぐええ……」

 俺は夏凪の肩をたたき、ギブアップを告げる。

「明日がなんの日か分かってるの?」

 階段の途上、一段下にいる夏凪が不満げに俺を見上げる。

「そりゃあ、唯にゃのライブだろ?」

「っ、それもそうだけど……あたしたちの本命はそれじゃないでしょ? 犯行予定は明日──あたしたちは犯人から『奇跡のサファイア』を守らなくちゃいけない。違う?」

 なるほど。その前日でありながら、来るべき場所を間違っていると夏凪は言いたいのだろう。

「夏凪の言い分も分かるが、依頼人の素性を知ることで見えてくる真相だってあるだろ?」

「……まあ、それは」

 しかし完全に納得してくれたわけではなさそうで。

「でも、だからって斎川さんに頼み込んでリハーサルを見学するところまでいく、普通?」

「一度引き受けた仕事は徹底的に、だ。それにライブ当日は唯にゃの家の警備をしないといけないからな。そのぶん今日は目一杯楽しむぞ」

「楽しむって言っちゃってるけど」

 公私混同とか政教分離とか、そういう難しい四字熟語は今はいい。

「絶対あの子引いてるから」

「引かれてはいない。戸惑ってはいたが」

「あーそれ同じ意味だから」

 そうか? まあ大丈夫だろう。

 一週間前だって、見ようによれば楽しい会話をする仲だったんだ。見ようによれば。

「やっぱ開幕一曲目は『らずべりー×ぐりずりー』だろうなあ」

「いやだからセトリの定番とか知らないってば」

 さあもうすぐリハが始まる。

 首をかしげるなつなぎの手を引いて、会場へ急いだ。


「恋の特急列車は止まれな~い♪」

「Fu Fuー!」

「終着駅で待っていてよね♪」

「Fuwa Fuwa!」

「各駅電車は~置いてくからね~♪」

「置いてかないで~!」

「エンスト厳禁♪ 九星号ナインスター♪」

「Yeah!!!!!!!!」

 俺はスタンド後方からステージに向かって、ピンク色のサイリウムを振り上げる。

 リハとは思えない熱気。コールにも力が入るというものだ。

 隣で夏凪が「まじかこいつ」みたいな顔で見てくるが気にしてはいけない。

「ありがとうございま~す! 聴いていただいたのは2ndアルバムから『九星号は急停車!』でした!」

「いや止まるんかい」

 隣で真顔の夏凪がつぶやいた。

「え、恋の特急列車は止まらないんじゃなかったの?」

「細かいことは気にするな。これがゆいにゃクオリティだ」

「唯にゃクオリティ」

 この一週間で履修しきったが、彼女の楽曲はだいたい全部こんな感じである。

 キャッチーなメロディとクレイジーな歌詞で、めば噛むほど味覚が麻痺してなんだかうまが出てきたと錯覚することが可能になる──それが唯にゃクオリティ。

「変態さんも、ありがとうございま~す!」

 ステージ上からゆいにゃが、スタンドに向かって大きく手を振る。

なつなぎ、言われてるぞ」

「千パーセントあんたのことでしょ!」

「いや、夏凪からにじみ出るなにかを見抜かれたんだろ」

「……っ! あたしに変なキャラを担わせるな!」

 顔を赤くした夏凪が、ヒールで俺を蹴り上げようとしてくる。

「こら、どうしてライブにヒールを履いてくる。跳びにくいだろ」

「跳ばないから! 飛んでるのはあんたの頭!」

 なにを失礼な。こっちはライブを楽しみたいだけなのに。

「じゃあ次の曲行きま~す」

 と、そんな時、唯にゃが音響スタッフに向かって視線を配った。

「来るぞ」

「なにが?」

「おいおい夏凪、『81』が来たんだぞ? ということは次の曲は?」

「いやだからセトリとか知らないから。というか『九星号ナインスターは急停車!』を『81』って略さないで。九×急=81とかそういうオタク的発想はやめて」

 しっかり理解しているあたり、さすが名探偵である。

「さあ次は唯にゃの十八番おはこだ。今日はこれを聴きに来たんだろ、俺たち」

「初耳もいい所なんだけど」

 そうか、まだ夏凪には話していなかったか。

 ……いや、というか、まあ。

 最初から話すつもりもなかった。

 夏凪にも、誰にも。

 きっとその方が、都合がいい。

 仕事をしているうちについついにハマってしまった哀れなオタク。

 を演じていた方が、今はきっと。

「知らないか? この曲の大サビでだけ、唯にゃは封印を解くんだよ」

「封印?」

 そう、封印。

 唯にゃが……いやさいかわ唯が、己に課した封印。秘め事。

「それでは聴いてください──『さふぁいあ☆ふぁんたずむ』」

 アップテンポなイントロが流れ出し、それに合わせて斎川は軽快なステップを踏み始める。

「青い地球を、映す鏡のように~♪」

 俺はこの一週間でさいかわの曲を聴きあさり、そしてなにより、彼女が今まで出演してきた映像をすべてくまなくてきた。

 そしてその中で、たった一つ、けれど大きな違和感に行き当たった。

 それはやはり、はじめて彼女に会った日に感じた違和に端を発し、それからつながったものだ。

 ──斎川ゆいは、うそをついている。

 それを確かめるために、今日俺はここへ来た。

 やがて曲は一番が終わり、間奏に入る。そんなタイミングで、

「え、きみづか……あれ」

 なつなぎが隣でわずかに身を乗り出す。

 ステージの左側。袖の方に、サングラスをかけた全身黒ずくめの男が立っていた。

 その装いはスタッフのそれには見えない。

「ねえあの人、おかしくない?」

 さすが探偵、良い勘をしている。だけど、

「ん、どうかしたか?」

 俺はあえて気づかないふりをする。

 悪い夏凪、もう少し待ってくれ。

 そして曲も二番が終わり、Cメロに入ろうとしたところで……ついに黒ずくめの男が斎川に向かって歩き出した。そして、

「えっ、……きゃああああああああああ!」

 斎川の悲鳴がマイクを通して、ホール一面に響き渡る。

「おい誰だ、そいつは! 取り押さえろ!」

 すると間一髪。斎川に接触する寸前、男は警備スタッフらによって取り押さえられた。

「……やっぱり、そうか」

 この一週間抱いていたとある違和感。そして今の光景を直接見て、俺はようやく確信に至る。やはり多少無理を通してでも、今日はここに来て良かった。

「君塚! 早く!」

 ぼうぜんとその場でうずくまっている斎川を見て、夏凪はヒールを放り捨て裸足はだしでステージに駆け寄っていく。

 人として、美しい姿。

 だがその激情は、探偵には不要なものだ。

 優しさも、思いやりも、それらは時として、毒となって返ってくる。

 それをまだ、夏凪は知らない。

「大丈夫か?」

 それから遅れて俺もステージに上り、おびえるさいかわに声をかける。

「あ、変態さん……ありがとうございます」

「この状況に至ってなお俺を変態と呼ぶな」

 けど、軽口がたたけるなら上等か。今のをトラウマにしてほしくはない。

「しかし、なにが起きるかは分からんな。明日の宝物庫の警備も大事だが、この会場のセキュリティもしっかりした方がいい。あとでホールの裏も案内してくれ」

「はい……」

 斎川はまだショックが抜けきれないのか、力なくうなずく。

 悪いとは思っている。

 しかし、探偵という人種の行動原理はすべて論理によるものだけである。そこだけは理解していただきたい。……まあ、俺はただの助手なんだが。

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