【第二章】◆三十億の家宝を守り抜く簡単なお仕事

「えー、ごほん! 昨日は取り乱してしまい、すみませんでした!」

 さすがに昨日は疲れていたこともあり、俺と夏凪は日を改めて再び依頼人──さいかわゆいと会っていた。招かれた彼女の家に腰を落ち着けた俺たちは、テーブルを挟んで向かい合う。

 俺と夏凪が隣同士に並び、その反対側に斎川が座る形だ。

 そういう形、なのだが。

「遠い! 遠すぎる! このテーブル何メートルあるんだよ!」

「えーそうですか! そんなことないと思いますけど!」

「じゃあなんでさっきから俺たちはこんな大声で話してるんだよ!」

「そんなの、普通に話してたんじゃ聞こえないからに決まってるじゃないですか!」

「やっぱりお前の家がおかしいんじゃねえか!」

 端的に言おう。

 ここは斎川唯の家──いや、お屋敷だった。あるいは、城と言い換えてもいい。

 玄関だという巨大な門をくぐってから実際の家のドアに辿たどり着くまでに数キロの道のりがあったし、中に入ると天井ははるか上空と呼べるほどの高さまで吹き抜けになっていたし、貸してもらったトイレは、大の大人が数人寝泊まりできるレベルの広さだった。

 それぐらい斎川唯の住処すみかは荘厳で、豪華で、けんらんで……すなわち彼女はお嬢様というやつだった。それはそれは可愛かわいがられ、甘やかされて育ったのだろう。自らを最可愛さいかわと名乗るのもうなずける。……頷けるか?

 まあそれはいい。とかく、俺と夏凪はあの駅前での出会いの翌日、斎川の具体的なを聞くために、彼女の家に来ていたのだった。

 が、その前に。

「そのひだりしてるのか?」

 縦ではなく横で向かい合う形に座り直し(最初からそうしろ)俺はそんなことをいた。

 昨日もそうだったが、いま斎川の左眼は眼帯で覆われていた。そういえば彼女はテレビに出るときや、雑誌の表紙を飾るときも、ハート形の眼帯をつけていたことを思い出す。

「あー、これはなんというか、キャラ付け?みたいなものでして」

 アイドルも生き残りに必死なんですよ、とさいかわは苦笑する。

 プライベートでまでそれを守るとは、仕事への意識は相当に高いらしい。

「そういえば俺も昔、目をして眼帯つけてたことあるぞ」

「まあそれは置いておきまして」

「この場合その台詞せりふを言うとしたら俺の側だと思うんだが」

 ……まあいいさ。とっとと本題に入ってくれ。

「今回は急にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません。なにぶん、もうあまり時間がないもので」

「あー、三十億円のダイヤが盗まれるって話だったか」

 俺は昨日、駅前で斎川がしていた話を思い出す。

「ダイヤではなくてサファイアです。……あの、ちゃんと話聞いてくれてました?」

 おっとばれたか。正直まだ昨日の疲れが勝っていて……というか考え事が頭を占めていて、あまりこの件に身が入っていない。

 あくまでなつなぎの前では冷静さを保っているつもりだが、俺も人の子だ。

 死んだと思っていたかつての相棒。だがその心臓だけは生きていて……そして今、それが俺の隣で鼓動を打っている。

 その事実だけで、俺のキャパシティは既にいっぱいいっぱいだった。まあ、そんな感傷的なことを言おうものなら、その元相棒にも笑われてしまいそうだが。

「というより、あなたは助手さんなんですよね? わたしは探偵さんに用が……」

 言われてしまった。だが確かに、斎川の言う通りである。

 俺は四年前からただの助手に過ぎず、今だって探偵は──

「──ふふ、そうよ。すべてのお悩みはこの名探偵、夏凪なぎさに任せるといいわ!」

「どや!」と腕を組み「むふん!」と顔を決める夏凪。

 やれ、どこから来る自信なんだこれは。

「じゃあ、斎川さん。詳しい話を聞かせてもらえる?」

 しかし、本人がやる気になっているというのなら、それに水を差す必要もあるまい。あくまで俺は助手だしな。

「実は……」

 そうして斎川は、俺たちに依頼を出すに至った経緯を話し始めた。


「なるほどね」

 それから話を聞き終えた夏凪がうなずいた。

 さいかわの語りによれば、事の経緯はこうだった。

 ある日のこと。豪邸、斎川宅にこんな手紙が届いた。

『斎川ゆいのドームライブ当日、時価三十億円のサファイアをいただく』

 今どきそんなものを律儀に送りつけてくる窃盗犯がいるものなのかと首をかしげたくなるが、実際に起こっているのだから受け入れるしかない。

 とかく、これは明らかな犯行予告であり、現役アイドルたる斎川唯のドームライブ(一週間後に開催予定らしい)その当日に犯行は行われる。

 それを未然に防いでほしい、というのが斎川唯の俺たちに対する依頼だった。

 にしても、斎川はどうやって俺たちまで辿たどり着いたというのか。

 俺の巻き込まれ体質によるものか、それとも、かの心臓が呼び寄せたのか。

「その三十億円のサファイアに心当たりはあるの?」

「はい。宝物庫にある──家宝である『奇跡のサファイア』に間違いないと思います」

「宝物庫」「家宝」「奇跡のサファイア」こういった事件には、おあつらえ向きのワードだ。

「来週の日曜日はわたしの大きなライブがあるので、この家には人が誰もいなくなります。その隙にサファイアを盗もうという算段なんだと思います」

 ……算段という割りにはその犯人、予告状で犯行計画をばらしてしまっているが、それはいいのだろうか?

 それとも、予告をした上でも盗み出す自信があるということか。確かにこういう案件では、そんな愉快犯的なヤツもいそうなものではあるが。

「けど、犯行日が分かってるんだったらその日だけ警備を増やせばいいんじゃないのか? この家ならSPだって大勢いるだろ」

 現にこの部屋に上がるまでに、屈強そうなスーツ姿の男たちがごろごろいるのを見かけた。彼らに任せれば、俺たちの出番はないと思うのだが。

「いえ、ですからそれは無理なんです。犯行当日はわたしのライブがあるので」

「ん? ああ、SPの人たちはライブ会場の方の護衛にあたるってことか?」

「あ、いえ。彼らはわたしの大ファンなので、三十億円のサファイアを守ることよりも、わたしが歌って踊る姿を見ることのほうが大事なんです」

「全員仕事やめてしまえ!」

 とんだ依頼があったものだ。

 あまりに馬鹿馬鹿しくて、俺は席を立ち上がる。

「待って、きみづか

 引き留めたのは意外にもなつなぎだった。

「せっかくあたしたちを頼ってくれたんだから、もうちょっと話聞いてみない?」

「……どうした? やけに積極的だな」

 名探偵を名乗ったばかりで気が大きくなっているのか。前向きなこと自体は否定しないが……しかし、必要以上に事件に首を突っ込んで後悔しないとも限らない。

 巻き込まれ体質として十八年生きてきた俺や、かつての無敵の名探偵ならともかく、一般人のなつなぎにとっては荷が重い仕事に思えるが……。

 すると夏凪は、俺の耳元に口を寄せてきて小声でささやく。

「いや、ほら。だってさ、に住んでる子の依頼なのよ? てことは……」

 ……そういうことか。まあ、そりゃあ報酬は弾むかもしれないが。

「探偵は金を稼ぐための職業じゃないぞ?」

「そうは言ってもお金は必要でしょ? 今後、どんな仕事に巻き込まれるか分からないんだし」

 ……それは、確かに。あの三年間の流浪の旅を経験した身からすると、金の大切さは誰よりも理解しているつもりだ。

 しかし、ということは、だ。

 夏凪は、それを覚悟しているということなのだろうか。これからひょっとすると、俺とシエスタが過ごしたあの三年間のような経験をするかもしれないと。普通の生活が送れなくなる可能性もあると、その覚悟で──

「新しい水着……」

「おい」

 ……まあいいさ。目的は違えども、確かに金は大事だ。

 夏凪の新しい水着が見たいからとか全然そんな理由ではないが(本当に違う)、俺はもう一度腰を下ろす。

 それに、だ。

 これは他でもない、さいかわゆいの依頼だ。

 俺の耳には、二年前のあいつの鼻歌が妙にこびりついていた。

「じゃあ、あれか。ライブ当日、俺と夏凪でこの家の宝物庫を警護してればいいのか?」

「あ、はいそんな感じです」

 おい、適当か。せっかく人がやる気になってやったというのに。

「というか、それなら警察に任せたほうがよくないか?」

「一度ご相談はしたんですけど、ただの予告状では取り合ってくれなくて」

 ……それもそうか。

 普通の警察というのは既に起こった事件にしかアクションは起こしてくれない。

 しかし現金な話にはなるが……それこそ文字通り、これだけ金があるんだ。それをちらつかせれば動いてくれそうな気もするが。

「警察を買収なんて、さすがは変態さんの発想ですね」

「まだ俺はなにも言っていない」

「確かにパンがなければ、パン屋を買収すればいいと考えるわたしではありますが」

「マリーアントワネットですらひっくり返る発想だな!」

 可愛かわいい顔をしながら、世間をめ腐った少女である。

 左手ですっとカップを持ち、優雅に紅茶をすする姿も悔しいが様になっている。

「そんなわけで、では早速お二人を宝物庫にご案内しますね」

 そんなわけとはどんなわけだと思いつつも、恐らく意義のある会話は成り立たないだろうと、さいかわに続いて立ち上がった。

 ただ、まあ、それでも。

「なあ、斎川」

 この疑問だけは、いま解消しておいたほうがいいだろう。

「どうして今回の依頼主は──斎川ゆい、お前なんだ?」

 父親でも、母親でもなく。

 斎川家の家宝が盗まれようとしているのに、なぜ大人がこの会議に参加していないのか。

 そんな当たり前の疑問に対して斎川は、

「両親は三年前に亡くなりました。だから斎川家の当主は、わたしなんです」

 そう、テレビでよく見る笑顔で答えた。

 アイドルなんて、嫌な仕事だと思った。

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