「玉兎かっこいい」

「インチキ臭かったけど」

「タツヤわかってないなぁ。宝物を大事にするお店だよ」

 五階からエスカレーターに乗って、どんどん下っていく。他の客のぺちゃくちゃ声に混じって、興奮したコウと話を進める。


「俺も将来職人になりたい」

「あんな店開くって?」

「ううん、時計屋。才能あったらだけど」

 初耳だ。予想外の言葉に、小さな頭を見た。彼が大人になり、ピンセットで小さな歯車をつまみあげる姿を想像するけれど、うまくいかない。彼に精密な作業への集中力が身につくのだろうか。


「タツヤは何になる?」

「俺はなんだろうなぁ」

 少し遠くを見た。エスカレーターの天井だ。特に夢はない。なんとなく入った大学で年を重ね、どこかのサラリーマンになるだろう。

「ダメだよぉ。将来は計画的にだよぉ」

「お前、上からくるなぁ」

 髪をかき混ぜてやると、ケラケラ笑う。将来なんてまだまだ先だ。俺は夏の休暇の方が重要で、大切にしたいものだった。


「タツヤ、玉兎のところ行こう」

 コウはそうやって、連日家にやってくるようになった。よほど気に入ったらしく、追い返しても戻ってきてはせがむ。


「宿題は」

「やってるけど、玉兎」

「アイツ怪しいだろ。ゴミ集めて置いてるんだぞ?却下」

「違うもん。玉兎は職人だもん」

「どこが」

「作業は丁寧だし、きっと宝物の仲介役のプロだよ」

「お前難しい言葉、知ってんなぁ」

 あまりにしつこく駄々を捏ねるので、重い腰をあげた。流石に一人で行かせる訳にはいかない。


 先日と同じように階段を登り、こっそり『忘れもの屋』へ入る。

 玉兎は相変わらず忘れものの手入れをしていた。コウは傍に寄ってそれを眺めている。俺は手持ち無沙汰に、ものを見て回る。見れば見るほど変な場所だ。グレーの靴下には苔が生えていた。


「こんなの捨てればいいじゃないですか」

 思わず声に出せば、男は顔を上げた。怒られるかと思ったが、無表情だ。彼はいつでも無表情だった。

「それが必要な者も、どこかにいる」

「絶対いないですよ。汚いですし」

 靴下をつまみ上げて言うと、男は黙った。コウは興味深げに俺と店長の顔を見比べている。


「この世に必要ないものなどない」

 静かな声だった。地の底から聞こえてくるようでもある。

「たまたまお前には必要ないだけだ」

 それきり黙って、作業に戻る。コウの顔は輝いていた。ますます楽しそうに作業を見ている。


 俺はどこか取り残されたような気分になった。ガラクタの山にしか見えないものが、すべて必要なものだというのか。人はどういう時にこれらを欲しいと思うのか。苔の生えた靴下を必要とするタイミングが想像できない。

 頭がこんがらがっているが、思考は止まらない。

 苔の生えた靴下が必要になる時、俺が本当に必要なものとは、一体なんだ。


「タツヤ生きてる?」

 コウに揺さぶられて、意識が戻っていた。脂汗をかいている。うまく返事出来ないでいると、コウは俺にしがみついた。

「深く考えなくていいんだよ」

「……お前、簡単に」


「タツヤが欲しいと思うものを、見つければいいだけだよ。いらないって決めつける必要も無いし、無理に探す必要も無いんじゃない?」

 八歳の目に吸い込まれそうになった。目眩がする。俺はつばを飲んで、やっと声を出した。

「本当にそうだな。教えてくれてありがとう」

「どういたしまして。ね、玉兎にも」

 ニカッと笑って、急かす。俺は玉兎に頭を下げた。


「失礼しました。もう少し見ていっていいでしょうか」

「もちろんだ」

 男は真剣に頷くと、手元に視線を戻した。コウははしゃいで店のものを触り始める。俺も笑って、物色し始めた。

『お金で買えない宝物』探しが始まった。


「ピンとくると思うんだ」

 コウは難しい顔で唸る。頭で考えてもわからないから、直感を働かせなければならない。折れたチョークに革の切れ端、靴紐の蝶々結び。

 俺達は気づけば忘れもの屋の常連となっていた。


「でも直感のために頭使うと、お腹減るよね」

 チラッとこちらを見ながらわざと口を尖らせる。頭を小突いた。すかさず腕を取られて、左右に揺すられる。

「なんか食べて帰ろうよぉ」

「金ないって」

「地下のコロッケ一個でいいから。なんか食いたい」

 エスカレーターから半ば引きずられて地下に降りた。ふわりと食欲をそそる美味しそうな匂いに包まれる。揚げ物とご飯の匂い、店員の掛け声と色彩が溢れている。


「……ちょっと回るか」

「うん!」

 化粧したおしゃれな婦人方が多い。避けつつ店を見るけれど、手が出せない金額だ。コウの手を引っ張りながら、唸り流されていけば、小さなカフェを見つけた。


 どこか時代を感じさせる白のベタ塗りと入口は、ガランと人気がない。隣のケーキ屋は大繁盛だ。暗めの大人っぽい外装が、隣との差を際立たせた。

「タツヤ、入ってみよう」

 コウに手を引かれて、ベタ塗りへ入っていく。俺は不安をポケットの財布に押し付けて握りしめる。


 店は遊園地のメリーゴーランドのような、仰々しさと安っぽいさが詰まった空間だった。ピンクを基調とした、メルヘン風な店だ。ただ色は剥げ落ち、くすんでいて、デパートのハリボテを凝縮したようにも見える。どこに視線をやればいいかわからずキョロキョロしていると、中から男が出てきた。


「いらっしゃい。二人?」

 やる気のない声だった。全身黒ずくめで、前髪が伸び片目が隠れている。これは人が来ないわけだと内心頷いた。アンバランスな格好が、店の違和感に拍車をかける。

「客なら、適当に座って」

 先陣を切ってコウが深紅の椅子に腰掛けた。

 メニュー表を見て驚いた。飲み物以外、三つしか項目がない。


「ねぇ、フォンダンショコラって何?」

「チョコケーキだったかな。なんか、マフィンみたいなやつ」

「じゃあガトーショコラは?」

「チョコレートケーキ。濃いやつ」

「ザッハトルテは?」

「んー……チョコレートをかけたチョコレートケーキ」

「へぇー」


 コウは、興味深げに頷いた。足がブラブラと宙を掻いている。確かに、チョコレートケーキ三種だけとは専門店でない限りなかなか珍しい。もしかして専門店だったろうか。

 コウは笑ったままの眼差しで、こちらを見もしない店員を見た。


「ここの店長は職人ですか?」

「は?」

 男はコウを見たあと俺を見る。俺はどうしたらいいかわからず、とりあえず会釈した。男はもう一度コウを見たあと、ふっと息を吐く。

「豆にはこだわってるけど」

「やっぱり」

 分かった風にコウは神妙に相槌を打って、フォンダンショコラを頼んだ。

 豆とはコーヒー豆なのか、カカオ豆の事なのか。俺はブレンドを頼んだ。


 切り離された店の外を、人の行き来する光景が下手に合致する。本当に遊園地にいるような錯覚に陥るのだ。奇妙すぎて、体がざわざわする。

「水族館の魚ってこんな気分かな」

「なにそれ」

 コウは可笑しそうに笑った。彼はここをどんなふうに感じているのか。忘れもの屋の時もそうだった。


「宝物ってどんな形をしてるのかな」

「どんなだろうなぁ。真っ二つになったヘルメットだったらどうする?」

「どうしよう。被ろうかな」

 夢が広がっていく。小学生は変身キットなどがいいのだろうか。

「タツヤはどんな宝物がいい?」

「俺は、そうだなぁ……」

「はい、フォンダンショコラ」

 出てきた物を見て目を疑った。載っていた写真とはまるで違う。金額のものと思えない、フルーツと生クリームをふんだんに使った豪華なものだ。

 店員を見ると、肩をすくめる。


「まぁ、職人なので」

「すごい、すごいね」

 興奮して、コウは繰り返す。俺も口を開けたまま頷いた。コウが店員を見る。

「店長さんですか」

「まぁ、店長さんだね」

「今日から通います」

「待て俺の金だ」

 コウは男の手を取って握手をしている。手をぶんぶん振り、男はされるがままになっている。ひどく温度差を感じる握手だが、コウの興奮は冷めない。


「雰囲気も玉兎のところに似てるし、職人が二人もいるデパートなんてすごいね」

「ある意味とんでもないな」

「玉兎って忘れもの屋の?」

 男が初めて興味を持った反応をした。コウの目が輝きを増す。


「玉兎知ってるの?有名なの?」

 食いつくコウは、自慢げにも見える。お気に入りの店が知られているのが嬉しいのだろう。反して店長は素っ気なく答えた。

「有名じゃないね。ここに入ってるのは知らなかったし」

「行ったことある?」

「随分前にねぇ」

「行こう。一緒に行こう」

 コウが立ち上がる。からんとフォークが音を立てた。フォンダンショコラは食べられるのを待っている。


「落ち着けって」

「善は急げだよ。早く行こう」

「お前なぁ」

「いいよ。行こうか」

 店長がひょいと片手にショコラの皿をとった。えっ、と思わず声が大きくなる。

「店はどうするんですか」


「どうせ誰も来ないよ。来ないってわかるでしょ」

 気だるげなのに無駄なく動いて、店仕舞いの準備をしてしまう。コウは入り口で、早く早くと繰り返していた。

「僕はコウ。店長は名前何ていうの?」

 男はちらりとコウに視線を送ったあと、


「アンでいいよ」

 と小さく答えた。

「チョコが好きなのに?」

 きょとんとした声に、店長は暫く声を上げて笑っていた。

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