デパート内【忘れ者屋】
空付 碧
起
小さな町の繁華街に、九階建てのデパートがある。
学校帰りの道草や孫の誕生日プレゼントの御用達など、なにかあれば人が集まる建物だった。地域に愛され数十年が経ち、人の出入りの量は変わらないが建物の老朽化は進んでいった。
経営者は改装工事を行うかはたまた新設をするか悩んだ結果、今よりも外装は立派でおしゃれな、店舗が数多く入る新館を作ることにした。古くなったデパートは新館が仕上がるまで動かし続け、新館オープンとともに閉めるのだ。
建設は順調に進み、九月にオープン予定だ。旧館となったデパートは売り出しセールに精を出した。売りきった店舗はそのまま閉店し、新館の準備へと力を注ぐ。掘り出し物を誰よりも早く探すために人が詰めかけ、旧館は大繁盛だった。
町が賑やかになっている八月、俺は高校二年目の夏休みを迎えていた。
「タツヤ遊ぼう」
「お前また来たのかよ」
部屋に乗り込んできた小学生に悪態をつく。寝転んだ俺の腹の上に、構わず乗っかったコウは遊ぼうを繰り返した。
「近所の友達と遊べばいいだろ」
「やだ。タツヤと遊ぶほうが楽しい」
斜め前に住むコウは母子家庭だった。遅くまで働いて帰ってくる母親を俺の母親が気にかけて、コウを晩御飯に誘うようになり、俺に子守させたりと付き合いをしている。幼稚園の頃から一緒にいるコウはほとんど弟だった。
俺も一人っ子だから弟分と遊ぶのは楽しいが、それより同級生と仲良くしておかないと学校で浮くのではないか。俺はそのまま口に出した。
「学校の友達と仲良くしておいた方がいいぞ」
「学校は学校。タツヤはタツヤ」
きっぱり言い切って、なおも体を揺さぶる生意気な子どもを抱え込む。
「今日は外で走り回ったりしないから面白くない。涼しい場所でのんびりするんだ」
「えー。今日はデパート探検するって言ったよぉ」
「言ってねぇよ、勝手に決めんな」
脇腹をくすぐれば、楽しそうに叫んで暴れ出す。
「言ってないけど、行くんだよぉ」
「金無いから何も面白くない」
「お金で買えない宝物を探しに行くの」
真剣な目で言うけれど、どこでそんなことを覚えてきたのだろう。最近のテレビ事情にはついていけてない。
「ね、きっと楽しいよ。クーラー効いてて涼しいし、大発見があるかも」
必死の説得に、悩みながら床を転がる。すかさずコウも横に並んで転がった。
「デパートにそんな発見あるかね」
「行ってみようよ」
どん、と何度も体当りするコウの隙をついて立ち上がれば、コウはそのまま箪笥へと突っ込んでいった。
「しょうがないなぁ」
「やった」
有り余るパワーで立ち上がる。怪我はしていないらしい。
俺は簡単に着替えて千円札の入った財布を持ち部屋を出る。はしゃいで玄関まで突っ走り、戸を勢いよく開けるコウを窘め、自分も靴を履いて夏の日差しの下に出る。むっとまとわりついてくる空気が重い。外はかんかん照りで、真っ青な空にくっきり白い入道雲が登っている。
「お前、帽子持ってくればよかったな」
「大丈夫。すぐ着くから」
駆けていく姿を見て、外で遊ぶ時の熱中症対策をリスト化していく。
セミの大合唱、アスファルトの照り返し、大通りを車が通り過ぎる音、子どもの笑い声、風に揺れる洗濯物。
「暑くないか」
「大丈夫!」
***
デパートは最寄りの駅のすぐ隣にあって、大きな口を開いて人々を飲み込んでいる。俺は口の中でうわぁと呟いて、コウとはぐれないように手を繋いだ。
意を決して足を踏み入れると、化粧や香水の匂いにもみくちゃにされ、そのまま一階フロアへと流される。喧騒から外れようと足を踏まれないように、人の波をくぐり抜けて、どうにか主流から横へと逸れた。
「鼻がへん」
コウは鼻から息を吸ったり吐いたり繰り返す。商品を照らし出すライトはこれでもかと眩しく、化粧品などの商品をめいいっぱい輝かせていた。俺たちはエスカレーターへ流れる人を眺めた。
「階段から上がろうか」
「うん」
売り場の外れに向かって歩き出すと、建物の劣化は至る所に見れた。床のタイルは欠けて黄ばみ、壁は凹凸に合わせて黒ずんできている。煌びやかな表舞台はハリボテだと、小声で伝えていた。非常口の緑のランプが灯る、ひんやりとした薄暗い階段を上りだす。
「店員さんに会っちゃうかな」
足どり軽くかけ上がるコウの声が反響する。天井の蜘蛛の巣が揺れた。
「どうして裏から来るんですか、って聞かれたらどうしよう」
「正直に言ってやればいいさ。エレベーターもエスカレーターも匂いがきついって」
可笑しそうに笑って、暗い階段をのぼり続ける。
階に到着する度フロアの様子を覗いて、探索するか検討した。今回はコウの意見が最優先だ。『お金じゃ買えない宝物』はどこにあるのか、集中してフロアを見渡す。次々と階段をのぼって、そろそろしんどくなってきたと言おうとした時、コウが叫んだ。
「ここ。ここがいい」
どれ、と顔を上げた踊り場には、大きく六と数字が飾られていた。
六階フロアは主に紳士服売り場だった。全店舗が撤退し、ライトも落とされて静まり返っている。エスカレーターにはテープがしてあるようで、人は誰もおらず立入禁止になっている。俺は自然と声をひそめた。
「まずくないか」
「見つかんなきゃ大丈夫だよ」
悪戯に笑い、コウはフロアを進んでいく。なるべく物音を立てず、何かないかと探している。もし物を拾ったら窃盗になるだろう。けれど俺自身も探検にわくわくしていて、コウと一緒にがらんとした空間を歩き回った。
最初に見つけたのはコウだった。
「タツヤ、店がある」
指をさしたのは、撤退した店舗が目隠しのために貼った白いパネルの隙間だ。微かに光が漏れている。ギクリと体がこわばった。どう見ても店には見えない。デパート管理者が作業しているかもしれない。
「引き返す……おい」
撤退命令を出す前に、好奇心の塊は飛び出して行った。数秒遅れて俺も駆け出す。日頃から校庭で鍛えているすばしこい子どもは、するりと隙間に入り込んだ。必死にあとに続いて、パネルにぶつからないように減速したとき、パネルに小さく赤い字が書かれているのが見えた。
『忘れもの屋』
「はっ?」
戸惑いながらも突っ込むと、雑然とした空間が広がっていた。店舗一つ分の空間を、さまざまな物が埋め尽くしているが、どれも製品というより、ガラクタに近かった。
「なんだこれ」
「客か?」
足元から声が聞こえた。跳び退けば、大きなオルゴールの歯車の影から男が立ち上がった。エプロンをつけた三十過ぎの社会人に怖気付く。俺は必死に手を振った。
「いや、ちょっと迷っただけです。すぐ出ていきますので」
「こんにちは。店長さんですか?」
俺の声に、元気な声が重なった。足の間から、コウが見えた。口を塞ごうとするが、払いのけられる。男の視線がコウへいった。
「あぁ。玉兎という」
「ここは何の店ですか?お宝屋さん?」
走り出しそうな体を、足元で固定するのがやっとだ。店長という男は丁寧に答えた。
「いや。宝とは言い難いが、大切なものを置いている店だ。お前たちは何を探しに来た」
「お金では買えない宝物」
元気よくいえば、男は至極真剣に頷いた。
「それならあるかもしれない」
「えっ?」
「本当?」
コウの目が輝く。俺は店長とコウを見比べる。
「見つけたら、持っていっていい」
「いや、ちょっと待ってください。本当に、ここは何の空間ですか」
店長と目が合った。メガネの奥の視線が鋭い。思わず構えてしまうが、店長は俺にも丁寧に答える。
「忘れられたものの拠り所だ。必要とするものを待ち続けている」
「忘れ物センターですか?」
コウの質問に対して、少し間があった。
「まぁ、そんなところだ」
「玉兎はなにしてるの」
「忘れものの手入れだ」
「俺も見たい」
コウは宣言してオルゴールの前にしゃがみこみ、じっくりと歯車を観察を始めた。男は了承したようにその場で手入れをしてみせる。細い歯の隙間に溜まった埃を刷毛で払い、布で拭いていく。少しずつ進む作業を黙って見つめるコウに、そっと目を離して店内を見渡した。
中央にある机の上に、割れた鏡や虫食いだらけのセーター、クリームソーダを飲み干したグラス、汚れた人形などが無造作に置かれている。名前のわからない機械のようなもの、おもちゃの指輪、破れたビニール傘、小さくなった鉛筆、古い国の名が並ぶ世界地図。
「すごい」
コウの声に振り返る。
「職人だ」
キラキラとした声が店に広がった。
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