忘却
わたしは眠る。眠れるだけ眠る。しなければならないことなどない。眠れなかったら薬を飲んで、お酒を飲んででも眠る。
外の世界は忘れたいことでいっぱい。だからわたしは過去を忘れたくて、いつまででも眠るんだ。
この部屋にはだれも帰ってこない。誰が帰ってこないのかも忘れた。ひとりぼっちの部屋で、わたしは何十時間でも眠る。この部屋には時刻がない。最後に時計を見たのはいつだったかも、もう忘れた。
寝れば寝るほど、記憶はどんどん遠ざかり、雲の向こうへ消えてゆく。
忘れないことなんてない。
自分が勉強してきたことも、仕事で覚えたことも、築いてきた信念もプライドも、なんの役にも立たないまま忘れてゆく。
はじめてやさしくされたことも、好きだった人の名前も、好きだと言われたときの気持ちも、あの時伝えられなかった言葉も、全部残らず忘れる。記憶なんてなんの役にも立たないのだから、それでいいのかもしれない。
……ただ、どんなに記憶が消えてゆこうとも、何もかも忘れてしまっても、せつないという気持ちは忘れることができないのだと気づいてる。
真昼の太陽を見て、不意に切なさがこみ上げて、わたしはどうしようもなく泣いた。
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