第75話 両親が帰ってくるはずがない……

ようやく昂った感情も落ち着き、ふと気づくと辺りは夕闇に染まっていた。


いつもの帰宅時間よりだいぶ遅くなってしまった。


義妹は既に帰宅しているだろう……。

文字通り、昨日の今日で彼女が帰宅が遅い事を心配してはいないだろう。


だからと言って、自宅に帰らないわけにもいかないので、俺はとぼとぼと歩き始める。


道ゆく家々が煌々と明るい灯りを灯す中、俺は灯りが灯っていないであろう我が家に向かって歩き、ようやく家に辿り着く。


だが俺の予想に反して、玄関の電気がついている事に気がつく。


……まさか、義妹が俺を待っているのか?

半信半疑になりながら、玄関を開けようと鍵を回す……が、玄関の鍵は開きっぱなしだったようで、開いた手応えはない。


「全く、不用心な……」

女の子一人の家の鍵が開きっぱなしだった事に危機感がないのかが心配になる。


一言言ってやらないと気が済まないと思いながら、ドアノブに手を伸ばし玄関のドアを開く。


すると、ドタバタという音とともに義妹ではない誰かが俺に向かってくる。


空手で慣らしたこの俺にむかってくるとは……なんて考えながら俺は拳を握りしめる。もちろん当てる気はさらさらない。


だが、俺に突っ込んでくる何かは撃退態勢を取る俺に構う事なくこちらに一直線に走ってくる。


それに目掛けて一閃……拳を繰り出す俺だったが、それに当たる事はなく拳は空を切る。


……何!?俺の行動を読んだのか!?


拳を躱された俺は不審者の俊敏な動きに戸惑いを覚える。そして、あろうことか、それは俺に抱きついてきた。


「陸〜、お帰り〜!!あ、じゃなかった、ただいま〜!!寂しかったぁ〜?」


「ま、ママン!?」

躱された驚きと、抱きつかれた驚きで、俺は変な声を上げる。


それはそうだ。

しっかりと狙い定めて繰り出した俺の拳を母は安易と躱し、そしてその隙に抱きついてきたのだ。


普通ならありえない。

数年で四十路を迎えるババアがあんな俊敏な動きが出来るはずもない。


だが、母はそれをやってのけたのだ。

あと、くっつくな、気持ち悪い……。


ショックと絶望でもはや乾いた笑いしか出ない俺を尻目に、母は俺の顔に頬擦りしているのだ。


「ははは……帰ってきたのかよ?」


「そりゃそうじゃない、可愛い我が子達を置いてそう何週間も家を空けられますかっての!!」

俺の言葉を聞いて、母は俺から少し離れてふんすと鼻を鳴らす。


この親ならいくらでも家を空けそうなものだが……なんて思っていると、母はニヤリと顔の表情を変える。


「何〜?まだ帰ってきたらまずかった?そんなに空ちゃんと二人が楽しかったの?」


「……まさか?」

母の嬉しそうな表情とは裏腹に、俺は表情を変えずに顔を逸らす。


そんなはずがない……。むしろ二人の方が気まずかったくらいだ。


そんな俺の表情を察してか、母はふぅ……とため息をつく。


「……もう少し、仕事が長引く予定だったんだけどね。あなた達が心配で予定を前倒しにして帰ってきたの」


……やはり俺たちの両親だ。隠し事はできないのかもしれないな。

先程とは打って変わって落ち着いた口調で話す母に、親のありがたみを知る……。


「だって、可愛い空ちゃんがあなたの毒牙にかかったら大変じゃない!!」


……前言撤回!!


「んな訳あるか!!クソババア!!」

俺は母に向かって言ってはいけない事を……あっ……。


「…………」


「はぁ……。陸も反抗期になったのかしら。昔はあんなに可愛かったのに……」


……そう思うならやめてくれ。

顔に手を当て、呆れた表情をする母の後ろで俺は倒れていた。


すると、リビングの方からもう一つの足音が聞こえてくる。


「やあ、陸くん。長い間すまなかったね」

モザイクなしでは見るに耐えない姿を晒す俺に語りかけてくるその声のする方へ顔を向ける。


そこにはにこやかな表情で手を差し伸べてくる男性……俺の義父であり、空の父である人が立っていた。


「あ、いえ……」

俺はその手を掴むと、引き上げられるように立ち上がる。


「……おかえりなさい」


「ああ……、ただいま」

にこやかな目の奥に何か見透かされたような眼光を見せる義父に俺は身を縮める。


「ねぇ、あなた……陸ったら酷いのよ!!」


「あぁ、はいはい。後で聞くよ」

自分の所業は差し置き、被害者ぶりながら擦り寄る母を義父は軽くいなす。


出会ってさほど時間が経っていないはずなのに、彼は既に母の扱いを熟知しているかの如く母をうまく操る。


母から産まれて十数年の月日が経っているのに未だに母の扱いに難儀する俺とは大違いだ。


これが大人の男という物なのか……。

母を取られ少し嫉妬じみたものがあるのか、それとも青臭い自分に情けなさを覚えたのかわからないが、俺は不貞腐れる。


だが、そんな俺を知ってか知らずか、義父は右手で俺の背中を軽く押す。


「まぁまぁ積もる話もあるだろうが、こんな玄関先ですることもないだろう。先に食事をしよう」


「そうね、そうしましょ!!」

義父の提案に、母も楽しそうにリビングへと駆け込む。


その後ろを俺と義父は揃って歩く。

二人の間に会話はなく、ただ黙ってリビングに入って行った。


リビングに入ると、キッチンに立つ母と、テーブルで居心地悪そうに座る義妹が目に入る。


昨日から今まで一言も会話はない。

気まずい雰囲気の中、夕食が始まった。


両親がいちゃいちゃと互いの箸で食べ物を与え合っている姿を尻目に俺と義妹は無言だ。


もちろん会話を振られると返しはするが、義妹はすぐに俯き、俺は話が終わると黙々と食事を済ます。


そして夕食が終わると義妹は、「……ごちそうさま」と言って早々と二階の自室に戻る。


俺はというと……義妹に先を越され行き場を失い、両親の趣味の悪いお土産と話を聞く羽目になってしまった。


しばらく話を聞いていると、給湯器のコントロールパネルからお湯が溜まった事を告げる音声が流れる。


「陸、お風呂が沸いたみたいよ。先に入ってきたら?」


……やっと解放される。

自宅に帰り、上機嫌な義父の話に飽き飽きしていた俺はホッとしながら、母に促されるままお風呂に入る。


入浴が終わると俺は髪を拭きながら、2階の自室に戻る。


そしてパソコンを開く。

GFOを起動し、画面に映し出される画像をただ無表情に見る。


もちろんギャル……リィサとの約束の日ではないのでソロプレイになるのだが、そこには寝ているはずの嫁の姿はない。


その光景に俺は最初は目を疑った。

だが、理由がわかっているからこそ諦めもつく。


「はぁ……」

俺はパソコンのゲーム画面を閉じて深いため息をつく。


……コンコン。

部屋のドアをノックする音が聞こえる。


「はい……」

気の抜けた声のまま、俺はノックの音のする方に声を掛ける。


「ちょっと、いいかな?」

声と共にドアが開くと、そこに立っていたのは……義理の父だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る