第59話 憧れの人の言葉が理解できるはずがない

「私みたいに……。」

そう話した逢合さんの表情が曇る。


その瞳には光を宿すことはなく幼馴染みが持ってきたお冷の入ったグラスのただ一点を見つめていた。

彼女の中に触れてはいけない何かがあると感じ、俺はただごくりと生唾を飲みこんだ。



もちろん、何があったか気になりはする。

凛とした姿とは裏腹に、俺に明るい笑顔を見せる逢合さんのことは気になる。好意の有無を抜きにしてもだ。


ただそれを聞いてしまうと、自分が持つ感情の行き先すら見えなくなってしまいそうで……怖かった。


無言の時間が過ぎる。

その間に別のウェイターが逢合さんのもとにホットコーヒーを持って来る。


彼女はウェイターにお辞儀をし、運ばれてきたホットコーヒーを受け取ると砂糖をコーヒーの中に入れ、スプーンでかき混ぜる。


「独りは……寂しいものだよ。」

かちゃかちゃと軽く音を立てるカップを見つめながら漏らした一言。


孤独……。

俺が抱えているものと同じなのかはわからないが、彼女は孤独を感じている。周りには人がいるのにそれに馴染めない自分が彼女の中にいるのだろう。


「私はね、今の職場に来る前は東京の編集社にいたの。自分の憧れていたものがダメになったけど、この仕事をすればいずれは自分の夢見たものに近づけると思って今まで過ごしてきたの。」


「夢……?」

逢合さんの夢という言葉を俺は復唱する。


「そう、私の関わった小説を世の中に出したい。そして、有名にして様々なメディアに取り上げってもらって映画やドラマ、アニメだっていい。人の心に届く作品を作っていきたい。そう思って仕事をしていたわ。」

コーヒーカップをギュッと握りしめ、彼女は話を続ける。

俺はそれを黙って聞いているだけだった。


「最初のうちはうまくいかないことがあっても、それは自分のせいだと思ってガムシャラに努力をしてきたわ。人の言葉を置き去りにしてでも……。でも、それって結局は独りよがりでただ強がっていただけだった。」

逢合さんは話を途中で一瞬止め、ふと上を見上げる。

その瞳は寂しげで、今にも壊れてしまいそうな顔だった。


「そしたら、いつの間にか人にきつく当たるようになってて、同僚たちに敬遠されるようになったの。仕事をしても1人だし、家に帰っても1人。そんな日々が何日も続いたわ。そうしていく中で精神だけがすり減っていって何もかもが上手くいかなくなっていったの。」


「孤独を感じたからですか?」

彼女の話に俺は横槍を入れた。

彼女がどうしてそうなってしまったのかは知りたくなかったが、気になってしまったから、確信をつかないように尋ねる。


「そうね……。憧れや夢や目標があったから気にならなかっただけで、周囲から煙たがられているってわかった時には心が折れちゃったの。そんな時に萌生さんにこっちに来ないかって誘われた。ちょうどこっちには祖母や親戚もいるからちょうどいいと思ってこっちに来たの。情けないでしょ?」

そう言って恥ずかしそうに笑う逢合さんに対して俺は首を振る。


彼女の言葉の意味がわからない訳ではない。

俺自身も根本は違えど、同じような思いになる事があった。


それは母の存在だ……。


あのクソ親父が死んでから、俺は子供心に母を支えて生きていかないといけないと思って生きてきた。


だから周囲を気にする事なく家を第一に考えて来た。空手や小説もその一環でしかなく、母を困らせないために必死で続けてきた。


だが母が義父と結婚し、俺が出しゃばらずとも母を支えてくれる人がいるのだ。そうすると、元より承認欲求の薄い俺が小説を続ける意味はのだ。


だから最近ではどこか小説を書くことに集中出来なくなっているのだ。だから、今の俺は逢合さんに似た感情を覚えてしまうのだ。


だが、気になる事が一つだけあった。

それは……。


「あの、恋人とか……作ろうとは思わなかったんですか?ほら、萌生さんとか……。」

孤独に対する明確な解決法は人と繋がりを持つ事だ。


それは家族であり、仲間であり、恋人の存在だ。

しかも、萌生さんといった高スペックな自分を好きだと言ってくれる人がいるのだ。


誰でもいいという訳ではないだろうが、少なくとも逢合さんも彼の事は信頼しているようには見える。

彼に対する態度は別として……。


俺の疑問に言葉をつまらせた彼女は、何かを口に出そうとするが迷っている。その言葉が紡がれるのをしばらく待っていると、逢合さんは何かを決意したようにうなづく。


「私はね、待ってる人がいるの……。」

逢合さんから発せられた言葉に衝撃を受ける。


彼女は俺から見れば憧れの人なのだ。

もちろん、歳の差もあり彼女からは一担当小説家でしかない俺がどうにかなるものではない事は理解しているが、それでも……ショックだった。


「昔付き合ってた2こ下の彼の事なんだけどね。彼が今の君と同じ歳だった頃、私は夢があって東京の大学に行く事がが決まってたの。そしたら、別れ際に彼がこう言うの……。『僕はあなたを追いかけません!!』ってね。ひどい言葉でしょ?」

苦笑いを浮かべながら、彼女は懐かしむように話す。俺はその話をただ聞き続けた。


「私の本当の夢は脚本家だったんだけど、それを邪魔したくないっていってね……。だけど、その後に彼はこういった。『だけど、僕は僕の道であなたの前に立ちます!!だから貴女は輝いていて下さい』ってね……。馬鹿みたいな言葉でしょ?それを信じて違う道でもその人を待つ私も馬鹿みたいなんだけどね……。もしかしたらもう他の人と結婚してるかもしれないのに……。」

自虐気味に話す逢合さんの顔にうっすらと涙が見える。確かに馬鹿だとは思う。


今日、そんな言葉を信じて待ち続ける人間なんて聞いた事がない。だが俺は彼女の言葉に首を大きく振る。


おそらくそれは彼女に架せられた言葉の呪縛なのだろう。

彼女はとても一途な人なのだ。それを馬鹿にする事は人から目を逸らしてきた俺にはできない。


「だから、こんな馬鹿な私に大学時代から好意を持ち続ける先輩は嫌いなの……。私が本当に愚かに見えるから。」

と言うと、逢合さんは瞳に涙を溜めたまま俺の顔を真剣に見る。


「だから、君には……人の優しさや好意から目を逸らさないでいて欲しいの。私みたいになって欲しくないから……。」


その言葉を聞いて、俺はただ黙り込んでしまった。その言葉の重みが痛いほど伝わってきた……。




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