第20話 幼馴染は小説家と会うはずがない

サイン会が終わり、わたしに帰るとベットにダイブする。

松平先生に頂いたサイン本を眺めながら、幸せを噛み締める。


初めて彼に会ったこと、初めて彼と話したこと、初めて彼に握手をしてもらった事だけでも昨日までのわたしは幸せの絶頂だけだっただろう。


だけどそれ以上にわたしは驚いた事があった。

もしかしたら、彼が幼馴染の松平陸くんかも知れないと言う事だった。


その事については確証はない。

ただのペンネームかも知れないし、同姓同名であったとしても別人なのかも知れないのだ。


だけど、サイン会でわたしの番が終わる間際に幼馴染のあだ名を口にしてみた時の彼の反応が忘れられない。


「ん?」といって顔を上げた彼が、わたしが離れてからもチラチラとこちらを向いていた(ような気がする)ので、わたしは舞い上がった。


……もしかしたら本当に彼が幼馴染なのかも知れない!!もしそうだったら。

真実はわからないが、それでも勝手に運命を感じて枕を抱きしめてベッドの上で身悶える。


小説のような運命的な恋に憧れを抱いていたのだから、尚更妄想に拍車がかかる。結局、彼の書いた本を読む事なく夜は更けていった。


だが翌日にはバイトが控えていたことを思い出し、早々にお風呂に入って寝る事にした。先週決まったばかりの全国チェーンの喫茶店で、制服が可愛かったので両親を説得してなんとか勝ち得たバイトだった。


次の日から、わたしは週4回でバイトに行った。

最初は緊張と不安からミスも多かったけど、可愛い制服のおかげで気持ちが折れる事なく、

続いていた。


そんなある日、バイトをしていたわたしの目に信じられない光景が飛び込んできた。


なんと、松平先生がわたしのバイト先に現れたのだ!!

その光景にわたしの頭はパニックになる。


それもそのはず。

サイン会の後の妄想の中で松平先生が仮に幼馴染だったとしても、彼が今どこに住んでいてどこの高校に通っているかなんて知る由もなかったのだ。


淡く儚く散っていった運命の片想いは現実にはないのだと思い知った矢先の先生のご来店に脳内がショートするのは至って普通のことだっただろう。


松平先生は一人でご来店していたのだが、あとでお連れさんが来るらしい。

遠目で彼と先輩のやりとり見ていると、なぜか自信満々に答えている姿が印象に残った。


それからも彼の動きを視線でおう。

先輩にモーニングセットを注文すると、鞄からノートパソコンを出して何かを書

き始める彼の横顔が遠目からでもわかる。


……はぁ、かっこいい。小説の続きでも書いているのかな?

側から見れば恍惚の表情を浮かべていて気持ち悪いとは思ったけど、今のわたしにそんなことを気にする余裕はなかった。


「美内さん、モーニングセット上がったから持っていって!!」

先輩の声でわたしは現実に引き戻される。

そして、先輩の言葉に再び舞い上がってしまった。


彼にモーニングを運ぶと言うと、彼と話す絶好のチャンスなのだ!!

軽く身なりを整えて、わたしはk緊張した面持ちで彼のもとにモーニングセットを運ぶ。


彼の席につきわたしは見下ろす形で彼の様子を見る。

彼は集中してキーボードを叩いていて、わたしの存在に気がつかない。

集中する彼の表情はカッコよく、いつまでもここにいたいと思ってしまった。


けど、バイト最中だ。あまり長々と見ているわけにもいかない。

わたしは惜しむ気持ちを抑えながら「お待たせいたしました」と彼に声をかける。


多分緊張して声が裏返ってしまったかも知れない。汗臭くないよね?など彼が反応する間にも彼に不快に思われないかどうか不安が過ぎる。


そんな心境のわたしをよそに彼はタイピングの手を止めて、「ありがとう」と律儀にお礼を言ってくれた。


……嬉しい、死ぬ!!


彼の言葉に喜びながら、彼はわたしの事に気がついたのかなぜか驚いた表情になる。一ファンであるわたしの顔を覚えていてくれたのかも知れない。


「松平先生!!」


「はいっ。」


「松平先生がどうしてここに?」


「以前からよくここで執筆に利用させていただいています。何より集中できるもので。」

わたしの問いかけに彼は笑顔で答えてくれた。

その事に興奮を覚えたわたしは彼にバイトの事や世間話を(一方的に)すると、

彼はわたしの話を笑顔で聞いてくれていた。


同い年とは思えないほど大人びた彼の対応や背伸びしすぎる事のなくシックに着こなされた服装が彼のカッコよさに拍車をかける。


……ああ、好き!!

だけど、惜しむべきは今がバイト中であり、店員を呼ぶのベルがなった。


「はーい、ただいまぁ〜。」と渋々声を上げると私は彼の方を向き、コーヒーとトーストを席に置いて、「じゃあ、執筆頑張ってくださいね、先生。ごゆっくり!!」

と声をかけて彼に席から離れる。


バイトが終わるまでゆっくりしていってくれないかなと、儚い思いを胸に厨房に戻ったわたしを先輩が注意したのは言うまでもなかった。


彼は私を見送ると、執筆の続きを始める。

そして、誰からか連絡が入ったのかスマホに耳を当てている姿を見て私に不安が襲う。


もしかしたら女の子?彼女?

彼くらいかっこいい人に彼女の1人や2人いてもおかしくはない。私も連絡先を聞ければ……という思いに駆られたけど、それは思いすごしで終わった。


数分後、1人の男性が入ってきたと思ったら松平先生の席に座る。

どうやら編集の人みたいだった。


彼らはパソコンを挟んで何やら話し合いをしていた。時々、席の横を通っては彼ら話に耳を傾けた。


ひと段落ついたのか、彼らは昼食を注文していたのでわたしが食事を提供する為、席へと向かう。


彼らは休憩しているにも関わらず、真剣な表情をしている。


「お待たせいたしました、サンドイッチセットとハンバーガーセットをお持ちいたしました!!」

わたしは重苦しい空気の中、料理を提供すると彼らの話は止まる。


……何があったんだろう。

気になってしまったわたしは料理提供後にしばらく彼らの席の近くで聞き耳を立て、話の内容がなんとか聞き取れた。


「私もサラリーマンですからね、会社の売り上げに貢献できない作家さんの小説を支持するわけにはいかないんです。」

その話を聞いた途端、わたしの思考は止まった。


……もしかして先生の作品が打ち切りになるの?

そう思うと、ショックで目眩を覚えてしまい松平の席から下げたコーヒーカップを落としてしまった。


心の支えにしていた小説が打ち切られるという事実はわたしの心に衝撃を与えた事は間違い無く、その日のわたしは仕事が手に付かなくなった。

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