訪問者

 画面上では未だヴァルキュリアは逃げ回っていた。あてもなく駅前を逃げ回る神と、それを追う群衆。事の真相がわかった今、その絵面はさながら動物園から逃げ出した猿を追う大捕り物のようであった。




「それで、どうするつもりなんだ」




僕はロキに尋ねた。ムスッとしたロキは僕と目を合わせずに言った。




「どうもこうもないわ。最初から爆弾なんて無いもの。適当にからかっておしまいのつもりだったのよ」




なんてことだ。僕たちの予想に反し、爆弾なんてない、ただの嘘の予告だったのだ。爆弾がないのなら、少しは強く出てもいいだろう。




「僕は、ヴァルキュリアにロキが友達になりたがってることを伝えようと思う」


「やめてぇ!それだけは!お願いやめて!」




縋るような目でロキは言う。そんなに恥ずかしいことなのか。人間も神も変わらないな、というか、ロキは見た目に反し中身はとても幼いのだな。




「なら、今すぐ僕を解放して、街の人たちを元通りにするんだ」


ロキは僕をにらみながら、ものすごく渋々といった感じで指をパチンと鳴らした。すると、今までヴァルキュリアを追いかけていた群衆は足を止め、各々我に返ったようで三々五々に散っていった。




 これで一件落着である。僕はふぅと息を吐いた。やれやれ、まさか神相手に舌戦することになろうとは。今までで一番緊張した問診であった。




「人間、少しいいか」




フェンリルが話しかけてきた。




「僕には中野秀明って名前があるんだ」


「すまん。ヒデアキ、爆弾は解除したことにしてもらえないだろうか。ただ奔走するヴァルキュリアが見たかっただけの嘘の予告だなんてことがヴァルキュリア本人に知れたら、ロキ様があまりにも不憫で」


「ちょっと!何勝手なこと言ってるのよフェンリル!」




ロキは顔を真っ赤にしたまま言った。フェンリルが反論する。




「ではロキ様、今回の事件の真相がありのままに、赤裸々にヴァルキュリアに伝わってしまってもよろしいのですか」


「それは……困るわ、困るのよ」




急激に勢いをなくしシュンとしたロキ。




「なにとぞ、頼むぞヒデアキ」


「まぁそういうことにしておいてやるか。なんかこっちまで恥ずかしくなってきたし」


「感謝する」




フェンリルが深々と頭を下げた。




「ロキ様もそれでよろしいですね?」




ロキは黙って頷いた。




「じゃあそろそろ僕をもとの場所に帰してくれ」




そう言うとフェンリルは頷き、指をパチンと鳴らした。


空間に亀裂が入り、その先には元居た駅前通りが見えている。僕は歩いてその亀裂に歩を進めた。出て行くときに後ろから




「おぼえてなさいよ人間!次はこうはいかないわよ!」




とロキが叫んできたが、僕は一瞥してため息をつき、何も言わず外へ出た。そこはいつもの駅前通りであり、空間の亀裂はすぐに消滅した。僕はスマホを取り出し、ヴァルキュリアに電話をかける。




「もしもしヴァルキュリア?事件は解決だ、帰ろう」




 逃げ回っていたヴァルキュリアと合流した。あれだけ動き回っておきながら息一つ切れていないのは、やはり人間ではなく神様だからだろうか。




「でかした、ヒデアキ!」




ヴァルキュリアはそう言って背中を強くたたいてきた。




「まぁ、たまたまうまくいっただけだよ」


「たまたまで結構!ただの人間が神を下したのじゃ、すごいぞヒデアキ!」




自分のことのように鼻が高いと言わんばかりの勢いである。




「して、どのようにして奴を下したのじゃ?」




やっぱり気になるよね、そこ。ロキはただのかまってちゃんで、ヴァルキュリアにちょっかい出したかっただけみたいだよ、とは言えないので適当にごまかしておくか。




「まあ、うまく話をまとめただけだよ。爆弾を解除してもらうように説き伏せた」


「あのロキをか!?やるのうヒデアキ!」




本当は爆弾なんて無いし解除もしていないのだけど、フェンリルとの約束を守ることにした。上機嫌なヴァルキュリアはそれ以上追及してこなかった。




「今日は宴じゃな!豪華な晩御飯が食べたい!」


「そうするか、僕も気分がいいし。何食べたい?」


「えっと…、カレー!」




もっと寿司とか焼肉とかあろうに、カレーを選択するとはいたって庶民的な神様である。




「またカレーか。いいよ、材料買って帰ろう」


「やったー!」




昼間の物々しい雰囲気は嘘のように消え去り、いつもの日常が戻ってきた駅前を歩く。ヴァルキュリアは機嫌よくステップを踏み、僕はその後を追う。今日は大仕事を終えたし、少し家で飲んでもいいだろう。ビールとツマミも買って帰ろう。宴というからにはそれくらい許されるはずだ。




 勝利の宴、カレーという晩餐。なんだか今日のカレーはいつもよりうまくできた気がする。ヴァルキュリアも上機嫌にカレーを頬張っている。そんなに急いで食べなくてもいいのにと思うほどハイペースで食べ、おかわりを要求する姿はなんのことはない普通の成長期の少女だ。それは戦いの神などというイメージとは似ても似つかないかけ離れた姿である。




「ぷはー、食った食った。満足じゃ!」




大の字で寝転がるヴァルキュリアは非常に満足そうである。ここまで良い食べっぷりを見せられると、作った方としても嬉しいものだ。




 食べ終わった食器を片付け、ゆっくり寛ぐかと思ったときには、ヴァルキュリアは既にゲームを始めていた。他にやることがないとはいえ思いのほかハマってるらしい。ゲームの画面を見ながら買ってきたビールとツマミを開け、ちょっとした晩酌を楽しんでいると、玄関のチャイムが鳴った。




「なんだろう、こんな時間に」




時刻は9時半。しかもマンションのエントランスではなく玄関のチャイムだ。外からの来客ではないらしい。とすると近所の住人か?なんだろう、苦情を入れられるようなことはしていないはずだが。少しの不安を持ちつつ玄関のドアを開けると、そこにはオオカミ耳の男が立っていた。




「あれ、フェンリル。どうしたの」


「夜分に突然申し訳ない、ヒデアキ殿。実はお話がありまして」


「ていうかなんでここがわかったの」


「それは我々神にとっては造作もないことで、ヒデアキ殿の気を感じればすぐにわかりますぞ」


「なんか怖いなそれ」


「まあまあ。して、本題ですが、ロキ様がどうしてもヴァルキュリアに謝りたいとのことで」


「ちょっと!私はそんなこと言ってないわ、言ってないのよ!」




フェンリルに隠れるようにして後ろにロキが居た。




「ですがロキ様、実際の所そういうことでしょう」


「私はただ、邪魔をしてくれたヴァルキュリアに一言文句を言ってやりたかっただけよ」


「こう仰られておりますが、つまりは迷惑をかけてすまなかった、ということです」


「フェンリル!」


「あとヒデアキ殿に胸中を見透かされたのが非常に恥ずかしかったと」


「フェンリル!!!余計なことを言わないでちょうだい!!」




ロキは赤面して口を尖らせている。初めて会った時の威圧感は今はもう全然感じなかった。




「はあ、それでわざわざ来てくれたの」


「そうです。なので、ヴァルキュリアと話をさせてもらえませんか、ヒデアキ殿」


「わかった、呼んでくるよ」




いったんドアを閉め、ヴァルキュリアを呼びに部屋に戻る。




「ヴァルキュリア、お客さんだ」


「なに?わしにか?てっきりゲームの音がうるさいとか隣人に言われるのかと思って少しびくついておったわ…」




「そういうのじゃないみたいだよ」




ヴァルキュリアが玄関のドアを開け、2人を見るなりあからさまに不機嫌そうな顔をした。




「なんじゃお前たち、何の用じゃ」




すました顔でロキが答える




「あらヴァルキュリア。勝ったつもりの貴方に一言言っておこうと思ってね」


「ロキ様がどうしても一言謝りたいと」


「フェンリル!!!」




てっきりフェンリルはロキに付き従っているものだと思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。今は完全にロキが振り回されている。




「謝りたいじゃと?おまえ、そんな奴じゃったか?」




ヴァルキュリアが怪訝な顔をしている。すかさずフェンリルが言葉を放つ。




「今回はヴァルキュリアだけでなく人間を多数巻き込み、中でもヒデアキ殿には多大なる迷惑をかけてしまったので、ロキ様は少し反省していらっしゃるようです」


「フェンリル!!!」




さっきからそれしか言ってないんじゃないかなロキは。




「なんじゃ、おまえそんなことを思っておったのか」




ため息交じりにヴァルキュリアが言った。




「ま、まあ?今回は少しやりすぎたところもあったと思うわ」




ロキが何とか自分の言葉を絞り出した。必死にクールを装おうとしている様子が伝わってくる赤面姿は、見てるこっちが恥ずかしくなってくる。




「ふん、まあよい。ヒデアキがばっちりやっつけてくれたからの」




嬉しそうに、鼻高々と胸を張ってヴァルキュリアが言った。僕とフェンリルは目配せをして頷いた。ロキは悔しそうにしているが何も言い返さない。




「まあそういうわけでして、どうかこれからも末永くよろしくお願いします。」


「末永く?どういうこと?」




フェンリルの発言に僕は思わず問い返した。




「いえ、隣部屋どうし隣人としてですが」


「「はあ!?」」




僕とヴァルキュリアは声をそろえて驚いた。




「なに、なんで隣なのじゃ」


「いえ、実は天界からのお達しでして、ヴァルキュリアの傍に居る様にと。そもそも我々は誤って転送されたヴァルキュリアを探す目的で天界から来ているので」


「なに!?なんじゃと!?」




フェンリルの話によると、ヴァルキュリアが丸裸の状態で誤って天界から人間界に転送されてからすぐに捜索することになったらしい。おおまかな位置はわかっていたがはっきりとはわからなかったので、誰かが探しに行くことになったのだが、以前人間界で悪さをしたロキに白羽の矢が立ったのだと。反省を込めて人間界でヴァルキュリアを探すように言われたそうだ。




「なんじゃと!そしたらわしの手帳も持ってきてくれたのか!?」




目を輝かせるヴァルキュリアであったが、フェンリルとロキは気まずそうに目をそらした。




「なんじゃその反応は」


「大変言いにくいのだが、ヴァルキュリアを見つけたと報告する前に今回の騒動が天界にバレて、ヴァルキュリア捜索の任を解かれてしまったので、その辺の荷物の類は既に天界に戻ってしまった。ロキ様と私は罰としてこのまま人間界での研修を言いつけられてここに居るというわけで」


「な、なんじゃと…」




呆然とするヴァルキュリアにロキが声をかける。




「悪かった、悪かったのよ」


「ちなみに、私とロキ様も手帳を没収されたので、神とて大きなことはできない状態でして」


ハッとした顔でヴァルキュリアが問う。


「もしや、天界との連絡も…」


「今は、取れないわね、取れないのよ」




再び絶望に落ち膝をつくヴァルキュリア。




「というわけで、しばらくよろしくね、ヴァルキュリア」




気まずそうにひきつった笑顔でロキが言った。




「完全に人選ミスじゃろうがぁーーーー!!!!!!」




ヴァルキュリアの悲痛な叫びが冬の空に響いた。




こうしてヴァルキュリアの明るく楽しい人間界研修は遠のき、人ならざる隣人を加えた居候生活が続くのだった。

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