舌戦

 ヴァルキュリアは路地に隠れたようだ。逃げ続けることは容易であろうが、それでは解決しない。そんなことはヴァルキュリアも当然わかっているだろうが、具体的な解決に向けて彼女が動いているようには見えなかった。やはり解決のためには僕がロキをなんとかするしかない。


ヴァルキュリアが行動を起こさないことそのものが、僕に対するメッセージでもあった。ヒテアキ、おまえが何とかしろ、と。


 殴り合いで勝てる相手ではない。僕は正真正銘ただの人間だ。人間にできることと言えば話し合いだが、それで解決するのならとっくにしているような気もする。だが諦めてはそこで終わりだ。なんとかして解決の糸口をつかまなければ…。


会話の中で落としどころを見つけるというのは、普段の僕の仕事の中でもよくあることだ。患者に病状を説明したり、手術内容を説明したり。そういうところでよくあることだ。


問診の取り方ひとつで患者を怒らせたり、逆に患者からの信頼を得たりするテクニックも多少は身に着けている。相手が神とはいえ同じことだ。大丈夫、落ち着いて相手の思っていることを聞き出す、これはまさに問診だ。いつもと同じだ。僕は深呼吸して、口を開く。舌戦の始まりだ。


「ロキ、なんでこんなことするんだ、お前に何の得がある」

「なぜって?ヴァルキュリアにも言ったけど、教える義理はないわ」

「じゃあなぜ人間界に来たんだ」

「それも秘密よ」


ロキはヴァルキュリアの映る画面から目も話さずそう答えた。取り付く島もない。会話の切り口を変えよう。


「わかったよ。じゃあ話を変えるが、天界ってどんなところなんだ」

「天界?」


ロキは目線をこちらに寄越した。


「人間界とは全然違うところなんだろう?」

「そうねぇ、違うところもあるし、似ているところもあるわ。王が居て、天界を統べているあたりは、人間界の王国と似ているかもね」


どうやら天界にも王がいるらしい。


「天界の王か、どんな奴なんだ」


ロキは煙をフーっと吐いて、眉間にしわを寄せて答えた。


「口うるさい奴よ。天界王はね、私が何かするたびに呼びつけては叱り飛ばすの。それはもう暇なんじゃないかって思うくらいにね。人間界で言うところのカルシウムが足りてないんじゃないかって感じよ」


忌々しそうに天界王について語るロキ。ここを取っ掛かりにして探りを入れていこうと僕は思った。まずは聞き手に回り、話を促す。ロキの懐に入り込むところからだ。


「ロキは、天界王が嫌いなのか」

「嫌いよ、嫌いね。本当に口うるさいのよ。私が何をしようが勝手でしょう、いちいち呼び出しては叱るなんて、本当にいい迷惑だわ」


ロキはため息を吐いた。タバコの煙がため息とともに広がる。


「よく叱られてたんだ、それは大変だったね」

「ウザいったらありゃしないわ。ねぇフェンリル」


突然のキラーパスにビクッと肩を震わせたオオカミ耳の男は、


「ええ、まあ、そうですね」


と歯切れ悪く肯定する。僕はもう少しだけ踏み込んでみることにした。


「天界でのヴァルキュリアはどんな感じだったの」

「ヴァルキュリアはね、とにかくケンカが強かったわ。正義感が強くて、揉め事の仲裁に入ることも多かったわね」


どことなく嬉しそうに話すロキに僕は違和感を覚えた。


「ロキとヴァルキュリアは仲良しだったのか?」

「馬鹿言わないでちょうだい。ケンカばかりだったわよ。本気でやり合ったのは1度だけだけれど」


ロキは怒りながらそう言った。


「なんでケンカしたの」

「いいわ、教えてあげる。ある日ヴァルキュリアは木陰で本を読んでいたのよ。それで私は明るくしてやろうと思って光を集めたわ。そしたら本に火がついて、ヴァルキュリアは慌てて消したんだけど。どうやらお気に入りの本だったらしくて、本気でケンカになったわ」


いや、それって10:0でロキが悪いんじゃないのか。思っても口には出さず、もうちょっと話を続けさせることにした。


「それは大変だね」

「たったそれだけよ。なのにヴァルキュリアは猛烈に怒ったわ。それまではそんなに怒ることなかったのに。ねえフェンリル」

「まあ、そうですね」


それまではってことは、それ以前にたくさんちょっかいをかけた挙句に本を燃やしたことで堪忍袋の緒が切れたんじゃないのか。フェンリルの煮え切らない態度がそれを裏付けているように思う。


そもそもロキとフェンリルは一枚岩ではないような雰囲気である。てっきりロキの手下なのかと思っていたが、さっきから同調の仕方が微妙である。全面的にロキを支持しているような態度ではない。


「ほんと、ヴァルキュリアには困ったものだわ」


そう言うロキは、なぜかまんざらでもないような表情で画面を見つめている。問題を起こして楽しむのが悪戯の神だからだろうか。


 いや違う。ヴァルキュリアのことを話すロキと、それを聞いているフェンリルと呼ばれた男の態度。もしかして、とても単純な話なんじゃないだろうか。すべてに辻褄が合う一つの可能性を僕は見出した。どうせダメで元々、試してみる価値はある。舌戦は後半戦、僕のターンだ。


「じゃあ、ロキはヴァルキュリアのことが嫌いなんだね」


その質問をすると、少し間をおいてロキは僕を見て言った。


「そうね、そうよ。嫌いね」

「フェンリル、そうなのか」


僕はフェンリルに向かって問いかけた。あまりにも予想外だったのか、彼は耳をピンと立てて言った。


「ロキ様がそう言うなら、そうなのでは」


フェンリルの目は泳いでいる。できるだけ自分をまきこまないでくれと言うように、彼はそっぽを向いた。


「なぁロキ。ヴァルキュリアが嫌いなら、直接嫌がらせをすればいいんじゃないのか。なんで爆破予告なんて回りくどいことするんだ」

「直接ですって?」


「ロキから見て、僕はヴァルキュリアに対して人質とする価値があると、つまりヴァルキュリアは少なからず僕のことを大切に思っていると思ったからこそ、僕をここに連れてきたのだろう?だったら、ヴァルキュリアの前で僕をいたぶるのが一番良い嫌がらせになるんじゃないのか?」


「それは、そうかもしれないけど」


歯切れの悪い返事をするロキに、僕は追い打ちをかける。


「けど?けど、何だよ」


ロキは何も答えない。フェンリルは何かを諦めたように耳を折っている。ここまで来たら僕の出した結論にほぼ間違いはないだろう。


「ヴァルキュリアに嫌われたくなかったからだろ?」


ロキは驚き目を丸くして僕を見た。だが、反論はなかった。僕は続ける。


「ヴァルキュリアのことが嫌いと言ったな、それは嘘だ。本当は仲良くなりたくて仕方ないんじゃないのか?だから、天界にいるときからちょっかいばかりかけてたんだろう。人間界に来て小さい悪戯をしてたところにヴァルキュリアが現れて、それを知って途端にこんな大きな事件を起こした。正義感の強いヴァルキュリアのことだ、きっと止めに来る。それを待ってたんじゃないのか?結局デートに誘いたかったのは僕じゃなくて、やっぱりヴァルキュリアなんじゃないのか?」


ロキは口をパクパクさせながら僕の話を聞いていた。しかし、何も言い返してこない。


ヴァルキュリアとロキが互いを認識したのは昨日のことだ。よほど嬉しかったのか、昨日の今日でこんな大それたデートのお誘いをするなんて、ロキは相当舞い上がってたんじゃないだろうか。特に反論も無いようだったので僕はさらに続けた。


「自分のために奔走するヴァルキュリアが見たくて、こんなことしたんだろう。もしかして人間界に来たのもヴァルキュリアを追いかけて──」

「もうやめ、やめてぇーーー!!!!」


ロキは赤面して両手で顔を覆い叫び、へなへなとその場にへたり込んでしまった。バツの悪そうな顔をしたフェンリルに僕が目配せすると、フェンリルはため息をついて言った。


「ロキ様、正直になられてはいかがですか」


ロキは顔を隠したまま動かない。僕は最期の一撃を放った。


「ロキは、ヴァルキュリアが大好きで、友達になりたいんだよね」


ロキはバッと顔をこちらに向けた。ひどく赤面し涙目で僕をにらんだ。


「人間、貴方、いったい何なの」


力なくそう言うロキは、長身から繰り出す威圧感を完全になくし、ただめそめそとへたり込んだ女性になっていた。こうして神と人間との舌戦は、あっけなく幕を閉じた。


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