開戦

 駅前通りは物々しい雰囲気に包まれていた。普段は人通りの多い日曜の昼だというのに人影はまばら。警官がうろつき、空には報道のヘリが飛んでいる。


爆破予告の内容が詳細ではなかったため立ち入り禁止区域は設けられていないものの、なるべく離れるように誘導されるようだ。ヴァルキュリアは立ち止まった。


「さて、どうするかのう」

「え、何も考えずに来たの」


僕は驚き問いかけた。


「まあ落ち着けヒデアキ。黒幕がロキじゃと仮定した場合、わざわざ爆破予告したのはなぜじゃと思う?」

「注目を集めるため?」

「そうじゃ。問題は、誰の目に留まるためか、じゃ」


僕はしばらく考えて、1つの答えに行きついた。


「ヴァルキュリアに気づかれるためってこと?」

「恐らくそうじゃろう。たとえ障壁になりそうになくともロキとしては計画の万全を期すためにわしの動きを封じておきたいはずじゃ」

「それじゃここに来たらまんまとロキの策にはまったことになるんじゃないのか」

「逆じゃ。ロキの爆破計画を潰すためにはどうしてもロキを探さねばならん。ここに来れば探さずとも向こうからきてくれるかもしれんぞ」

「そうね、そうなのよ」


どこからか女の声が聞こえ、突如空間に亀裂が生じ、広がり、異空間からロキが現れた。


「ふふふ、やっぱり来てくれたのね、ヴァルキュリア」


長身の美女が小さく笑う。指にタバコを挟んだその姿はとても優美であり、見とれてしまいそうなほど美しかった。


「やれやれ、デートのお誘いにしてはやり方が派手過ぎんかの?」


ため息をつきながらヴァルキュリアが言った。呆れるように言いながらも目だけはしっかりとロキをにらんでいた。


「そうかしら?報道を通してのお誘いなんてとっても贅沢だと思うのだけれど」


ロキは上機嫌にニコニコしている。ヴァルキュリアは真剣な表情で言う。


「して、ロキよ。やはりこの騒ぎの源はおまえじゃったわけじゃが、何が目的じゃ?」

「そんなの教えないわよ、教える義理がないもの」

「じゃろうな。では、爆破をやめろという勧告も通らぬのかの?」

「もちろん、もちろんよ。やめる気はないわ」


予想はしていたが、交渉は簡単に決裂した。平和的な解決は無理なのか。


「仕方ないのう。では楽しいデートといくかの」


ヴァルキュリアが身構える。いよいよ神と神との戦闘が始まってしまう。


片や戦争の神ではあるが手帳を持たないヴァルキュリア、片や手帳を持つ悪戯の神ロキ。手帳の有無がどれほどの差を生むのか僕には見当もつかないが、非常に大きな差になるとヴァルキュリアは言っていた。


果たして勝ち目はあるのだろうか。いま、戦いの火蓋が切って落とされようというときに、ロキは笑いながら言った。


「ちょっと待ちなさい、あなた勘違いをしているわ、ヴァルキュリア」

「なんじゃと?」

「私がデートに誘ったのはあなたじゃないわ」


そう言うとロキはゆっくりと僕の背後に回って僕の両肩に手を置いた。


「私が誘ったのは貴方よ、人間」


ロキがそう言うと同時に、僕は異空間に引きこまれた。


「ま、待つのじゃ──」


ヴァルキュリアの声が聞こえるか聞こえないかのうちに空間の亀裂は消滅し、僕の居る異空間は元居た世界と完全に隔絶してしまった。



 そこは何もない、暗い空間であった。あたり一面黒い靄がかかったように見えるが、不思議と視界は開かれている。

自分の呼吸音が響いて聞こえるほど静かで、自分が出す音以外は何の音もしない空間。


ロキが作り出した異空間はそんな場所だった。星のない宇宙空間はこんな感じなのかもしれない。違うところと言えば、地に足がついていることくらいだろうか。


「異空間は初めてかしら、人間」


タバコの煙と共に、どこからともなくタバコを咥えた長身の美女が現れた。彼女の傍らにはオオカミ耳の男が控えている。


「僕をどうする気だ」

「ふふふ、質問を質問で返すなって教わらなかったのかしら」


そう言ってロキはタバコを吸いこみ、煙をフーっと吐いた。


「でもいいわ、答えてあげる。特にどうもしないわ」


ロキは薄ら笑いを浮かべて僕を見た。


「どうもしない?」

「そうよ、そうなのよ。貴方はここにいるだけでいいの。そうすれば、ヴァルキュリアも迂闊なことはできないでしょう。念には念を、手帳を持たないとはいえ戦争の神と事を構えるのは、得策じゃないわ」


忌々しそうにロキは言った。


「要するに、僕は人質ってことか」

「言葉が悪いわね。ゲストよ、ゲスト」

「僕がこのままおとなしくしているとでも?」

「あら、威勢がいいわね、嫌いじゃないわよそういうの。だけど、神を相手に丸腰でケンカを売るなんて

愚かなことをするほど、お馬鹿さんじゃないんでしょう?」


ロキの言う通りだ。僕は今までヴァルキュリアの人間離れした戦闘力を目の当たりにしてきている。一方僕はと言えば、どちらかというと体を動かすよりは頭脳労働が得意なタイプであり、本気のケンカなんてしたことがないような男だ。悔しいが、抵抗してもすぐに蹂躙されてしまうだろう。


「僕にどうしろと」

「簡単よ、簡単なことよ。私たちと一緒に、事の行方を見守りましょう」

「見守る、だって?」


ロキはタバコの煙で円を描き、パチンと指を鳴らした。すると異空間の上空に、さながらパブリックビューイングのように、駅前通りの様子が映し出された。

画面の中央に映るヴァルキュリアは、大勢の人間に取り囲まれていた。一般人のほかに駅前通りの店の店員や警察も居る様だ。


「なんだあれは、どういうことだ」


僕は驚き、そして焦っていた。


「そこらへんに居る人間の悪意を少し弄らせてもらったわ。ヴァルキュリアを敵とみなすようにね」


群衆はヴァルキュリアを取り囲み、じりじりと迫る。


「いかにヴァルキュリアが戦争の神と言えど、手帳のない今はほとんど人間のようなもの。この大勢の敵を相手にして、どう立ち回るのかしら。見ものね、見ものよ」


ロキは嬉しそうににやりと笑いながらそう言った。ヴァルキュリアは神だ、人間相手なら負けることはないと本人も言っていた。だが、これだけ大勢を一度に相手するのはどうなんだろう。見たところ百人は居そうだが、勝ち目はあるのだろうか。


ヴァルキュリアとて人間を殺さず無力化するためには、強盗やひったくりをねじ伏せたようにひとりひとり気絶させていくしかないだろう。いくら神とはいえ、そんな芸当が可能なのだろうか。


 迫る群衆が今にもヴァルキュリアに飛びかかりそうになった時、ヴァルキュリアは地面を蹴った。高く跳び上がり、近くの電柱に捕まり、また電柱を蹴って跳ぶ。電柱から電柱へ、身軽に移動する。


そうして群衆の頭上を通り抜けて地面に降り立ち、走り始めた。群衆は呆気に取られていたが、駆け出すヴァルキュリアを見て追いかけ始めた。


「なるほど、なるほどね。さすがヴァルキュリア、逃げ足は一級品ね」


ロキは愉快そうに笑う。ヴァルキュリアは戦うことより、逃げることを選んだ。罪のない人たちに危害を加えない方法を選んだ。しかし、逃げ回っているだけでは何も解決しない。


ロキが異空間に入ってしまった今、根本的な解決策としては爆弾を見つけ適切な処理をするか、設置犯に爆破をやめさせるかしかないのだ。爆弾に関する知識など無いだろうから、前者は不可能に近い。


となれば、ロキに唆されて爆弾を設置した張本人を見つけ出し爆弾を解除させるしか方法はない。果たして逃げ回りながらのヴァルキュリアにそれができるかどうか。ここまで考えて僕は大きな勘違いをしていたことに気づいた。


ヴァルキュリアに全てを委ねているからそういう考えになるのだと。何もヴァルキュリアに任せっきりである必要はないのだ。なぜなら、この事件の根本の原因は、今僕の目の前にいるのだから。僕がロキをなんとかすればすべて解決するのだ。でも、どうやって。僕に神と戦えというのか。僕は思案する。




目の前でヒデアキを異空間に連れ去られてしまった。丸腰ではいくら神とはいえこちらから異空間に干渉することはできない。


「忌々しい、ヒデアキを人質にするとは」


何とか隙をついてロキをぶちのめしてやろうと考えていたヴァルキュリアだったが、見透かされていたかのようにまんまとロキの策にはまってしまった。


異空間に逃げられては手出しができない上に、何かこっちでしようものならヒデアキが危険にさらされる。さて、どうしたものか。考える暇を与えないぞと言わんばかりに、ヴァルキュリアの周りには人が集まってきた。


「なんじゃ、お前たち」


ヴァルキュリアを取り囲み、敵意を向けてくる群衆。明らかに正気の沙汰ではない。


「なるほど、これもロキの仕業か。とことんわしの邪魔をしたいらしいのう」


ヴァルキュリアはため息をつく。ひとまずは現状を切り抜けることを考えないといけない状況である。このままじっとしていては群衆に捕縛され、なにをされるのかわかったものではない。


たとえヴァルキュリアでも一気に百人も相手をするのは骨が折れるし、場合によっては勝つのも難しいかもしれない。


ここはいったん退くのが良いと判断したヴァルキュリアは、どう逃げるかを思案した。ふと見るとこの通りの両サイドには電柱が立ち並んでいる。これを伝えばとりあえずこの群衆は飛び越えられそうだ。


「逃げるのは癪じゃが、仕方あるまい」


ヴァルキュリアは膝を屈め、そして大きく跳び上がった。電柱から電柱へ飛び移り、群衆の頭上を越え地面に着地する。そして走り、逃げる。群衆もすぐに追いかけてくるが、ヴァルキュリアの機動力は並ではないので到底追いつけるものではなかった。しばらく走った後路地に逃げ込み息を殺す。


「さて、どうしたものか。ロキの討伐はおろかヒデアキとの連絡もとれぬ状態じゃ」


一縷の望みをかけてヒデアキのスマホに電話をかけてみるが、つながらない。画面の時計は11時過ぎを指しており、爆破まで残り1時間を切っていた。


 ヴァルキュリアは思案する。このまま手も足も出せずに爆発を待つのはごめんである。何か手はないものか。そもそも本当に爆弾は仕掛けられているのだろうか。予告があっただけで、実際には何も起こらず事なきを得るというのはよくある話だ。


しかし、相手はあのロキである。遊びで戦争を引き起こした前科のある神が、たかだか嘘の予告だけで気が済むものであろうか。否、奴は確実に爆破する気で居る。比較的都会とはいえ街の一つがどうなろうとロキは気にすることもないだろう。奴は昔からそういう奴なのだ。


 天界でもロキの行動は目に余るものがあった。天界で我々神を統べる存在として天界王が居る。ロキは天界でも悪戯ばかりしていて、天界王に呼び出されるのもしょっちゅうであった。


あまりにもちょっかいを出しすぎてヴァルキュリアと本気のケンカもしたことがあったが、本気でやり合えばヴァルキュリアに勝てるものなど天界には居ない。いつもボコボコにやられるロキの姿があった。


じゃあ悪戯しなければいいのに、というところだが、性分なのだろう、やめるつもりは毛頭ない様子であった。当然そんなことをしていては友人はおろかロキと関わりたい奴はフェンリルを除いていなかった。

天界でも人間界でも、やりすぎると嫌われるのだ。


唯一まともに関わっていたフェンリルは、自分にちょっかいを出されないようにロキ側に着くことで事なきを得ているともっぱらの噂であった。フェンリルはロキの悪戯を冗長することはないものの、止めようとせず、ロキを慕うように常に近くにいた。


あるときロキは人間界での研修を天界王より言い渡され、人間界に入り込んだ。当時の人間界は国と国との争いで殺伐としており、面白がったロキが戦争を焚きつけたのだ。


直接ロキが何かをしたわけではなかったが、誰にも気づかれないように人間の悪意を増大させ、国の代表格の人間を戦争する方向へと導いた。その結果、第二次世界大戦が始まってしまったのだ。


それを安全圏から見物していたロキはすぐさま天界へ呼び戻され、天界王にこっぴどく叱られた。それから人間界を出入り禁止になったと噂され、長い間天界で過ごしていたのだ。


それがなぜ今になって人間界に現れたのかがわからない。天界王の目を盗んでやってきたのか、はたまたどうやってか天界王を説き伏せて堂々とやってきたのか。人間界にやってきた目的も、今回の爆破の目的も、何もわからない状態では解決のしようがないというものだ。


すべてはロキ次第。


やはりヒデアキに頼るしかないのか。ヴァルキュリアは思う。異空間にいるのはヒデアキだ。人間界に居るヴァルキュリアにできることといえば爆弾処理くらいだが、現実的ではない。ヒデアキが、なんとかしてロキを説き伏せるしかないのだ。


ヴァルキュリアはヒデアキを信じ、待つことしかできない。ロキのことだ、こちらの様子を安地から見ているに違いない。


「ヒデアキよ、頼んだぞ」


ヴァルキュリアは空を見上げつぶやいた。


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