神隠し

 結局ヴァルキュリアのわがままに押されて、土曜日の昼から昼食を取りに出かけることになった。なんでも喫茶店のランチが食べたいとか。ずっと家にいるくせに、どこからそんな情報を手に入れてくるのか。ゲームだけでなくテレビもたしなんでいるにちがいない。


「別に喫茶店だからって、特別美味いもんが出てくるわけでもないと思うぞ」

「は、たわけが。雰囲気の重要性を理解しとらんようじゃな。銀色の皿で食うのが良いんじゃろうが」


どういうイメージを持っているのかは知らないが、今時銀色の皿で料理を出す喫茶店があるのだろうか。期待を無碍にするのもかわいそうなので口には出さないが。


 駅前の通りの片隅にひっそりと佇む古いひなびた喫茶店にヴァルキュリアは目を付けた。


「ここじゃ、ここにする」


カランコロンと扉を開けると、10席ほどしかない小さな喫茶店であった。店主と店員の2人のみで、ほかに客はいなかった。店内にはジャズがかかっており、カウンター席の奥にはレコードがたくさんあった。


僕とヴァルキュリアは2人掛けの席に向かい合って座り、メニューを開いた。店員さんがお水を持ってきてくれたのを飲んで、メニュー表はヴァルキュリアに譲る。ヴァルキュリアはメニューの隅から隅まで読み、見落としがないようにしながら注文を考えていた。僕は正直なんでも良かったのでヴァルキュリアと同じものにしようと考えた。


「これじゃ!オムライスにする!」


悩みぬいた挙句オムライスに決定したようだ。


「わかった。すみません、オムライス2つください」

「ぬ、また同じものを頼みおって!」

「シェアはしないつもりなんでね」


ブツブツと文句を言うヴァルキュリアを無視し、水をもう一口飲んだ。


 しばらくすると、ヴァルキュリアの希望通りの銀色の皿に乗ったオムライスとサラダが運ばれてきた。ふわふわとした卵の上にケチャップが乗っている、オーソドックスな見た目のオムライスだ。


「これじゃ!これを求めていたのじゃ!」


嬉しそうにはしゃぐヴァルキュリア。今でもこういう店あるんだな、と僕は逆に新鮮味を覚えた。

オムライスをあっという間に平らげ、満足そうなヴァルキュリアと店を出る。上機嫌でカランコロンと扉をくぐるヴァルキュリアは鼻歌交じりに歩き出した。僕はすぐ後についていく。


「喫茶店というところは雰囲気があってよいのう」


ヴァルキュリアは振り返りながらそう言った。


「確かに、昔ながらって感じで良い店だったな」

「昔ながらじゃと?今の喫茶店はあんな感じでは──」


ドン、と歩行者とぶつかるヴァルキュリア。後ろを見ながら話し、前を向いていないからこうなる。


「──っと、すまぬ、ケガはないかの」


そう声をかけると、ぶつかられよろけた女性は連れの男性に支えられ、すぐに態勢を立て直して言った。


「大丈夫、大丈夫よ。問題ないわ、こちらこそごめんなさい」

「どうもすみません」


僕も一緒になって謝る。


「いえいえ、気にしないで」


そう言いながら2人は去っていった。


「ヴァルキュリア、前を見て歩くようにしような」

「それもそうじゃが、おかしいのう、あやつらまるで気配を感じんかったぞ」

「そんな曖昧なものに頼らず、目を使え目を」

「そうじゃな、今は人間の身体じゃった」

「どういうことだ」


聞くと、天界では視力というものをほとんど使わないらしい。前にも聞いたが、神は天界では決まった形などないから、人間でいうところの気配のようなものでお互いを識別したり意思疎通を行ったりするらしい。


「なるほどな、でも今は人間界だ、基本は目からの情報に頼っていいんじゃないか」

「まあの、そういうことじゃな」


神様というのは、便利なのか不便なのかいまいちわからない存在である。天界と人間界では勝手が異なるせいなのだろうけれど。人間で例えるのなら、地上で生活している我々がスキューバダイビングで水中に潜っているような、そんな感じなのだろうか。


水中では普段地上で使っている聴覚がほとんど役に立たないように、天界と人間界では使う感覚も違うのだろう。理解できる範囲を超えているので、それはもうそのようなものだと思うしかなかった。


 そんなことを考えていると、後ろから悲鳴が聞こえた。


「ひったくりよ!誰かそいつを捕まえて!」


またしても白昼堂々のひったくりだと。そちらを振り返ると、マスクをした男がこちらに向かって走ってくるのが見えた。男の姿には似つかわしくないブランド物のバッグをさながらラグビー選手のように抱え、全力疾走している。


「またひったくりか、この街の治安はどうなっておるんじゃ」


ヴァルキュリアはため息をついた。確かにおかしい。3回も立て続けに犯罪行為が行われるなど、偶然にしてはできすぎている。たまたまが重なってよいのは2回までだ、と昔テレビの名探偵が言っていたが、これで3度目だ。偶然ではない何かが、この街で起こっているのかもしれない。


「どけェー!お前ら邪魔だァ!」


叫びながらものすごい勢いで迫りくるひったくり犯。背格好は近くで見るとかなり大柄だ。本当にラグビー選手のようなガタイの良さだった。僕は怯み、思わず道を譲るようによけてしまったが、ヴァルキュリアは一歩前に踏み出して、男の前にヒョイと片足を出した。


男は勢いよく走ってきたためその足を避けるルートを選べず、跨ごうとしたのだろうが、ヴァルキュリアはそれも見越して思いっきり足払いをかけた。男は前方にすっころび、手に持っていたバッグごと地面に臥した。不謹慎だと思いながらも僕は心の中でトライ!と言ってしまった。


「なにしやがる──」


体勢を立て直そうとした男の首筋に、ヴァルキュリアは一発手刀をお見舞いした。すると男はフラフラと倒れ、そのまま気絶してしまった。そしてサッと僕の手を引き、地に臥したひったくり犯の横に僕を配置した。


「これはどういう──」


すぐにバッグの持ち主らしきおばさんが駆け寄ってきて、息を切らしながら僕に言った。


「あなたがやってくれたんですね、本当にありがとう」


なるほど、そういうことか。いくつかの現場を経験してヴァルキュリアも要領を得たらしい。少女である自分が活躍するとまた目立ってしまうので、別に目立っても構わない成人男性をひったくり犯の近くにおいておけば、周りの人間は当然この男性がひったくり犯をやっつけたものと思い込む、という算段だ。


幸いここは駅前通りのすみっこであり、人通りも少ない。ヴァルキュリアが撃墜少女としてまた話題になることはなさそうだ。そういう意図を汲んだ僕は苦々しく返事をする。


「まぁ、はい。これからはお気をつけて。」


これはほんのお礼だといってバッグの中から取り出した飴を2袋くれた。これから警察を呼んで、現場検証などが始まるのかもしれないが、面倒ごとに巻き込まれるのはゴメンなのでさっさとその場から離れることにした。


「ほら行くぞヴァルキュリア」


振り返るとそこにヴァルキュリアの姿はなかった。あたりを見回してもヴァルキュリアらしき人影は見つからず、スマホを鳴らしてもつながらなかった。


「どこいっちゃったんだ?」


僕は途方に暮れた。何かトラブルに巻き込まれてなければよいが、と思ったりもしたが、あのトラブルメーカーが何も起こさず戻ってくるとは到底思えず、僕は頭を抱えた。

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