美女と狼
長い髪を綺麗に編み込んだ長身の美女は、タバコを咥えて状況を見ていた。
「おかしい、おかしいわね」
ひったくり犯は足が速かった。てっきりこのまま逃げおおせるものかと思って見物していたが、突然現れた少女に一撃で沈められてしまったのだ。少女の動きは人間離れしており、かなりの距離を跳躍し的確に顎を捉えたパンチを繰り出した。年の頃はハタチにも満たないだろう華奢な外見をしておきながら、あの機動力。どう考えても信じがたいことである。
まさかね、と口から煙を吐く。人間界のタバコは旨い。これは禁煙できない輩が数多く居ることも頷けるほど、病みつきになる。近頃は喫煙者の肩身が狭い世の中になりつつあるが、できれば喫煙スペースはなくならないでほしいものだと切に願う。
そんな旨いタバコを吸いながらでも、目の前で起こったことは面白くなかった。決して大柄ではなかったが、普通の一般成人男性がひったくりを行ったのだ。男にのされたのであれば話はわかるが、小柄な少女に撃退されたのである。
前回もそうだった。男3人の銀行強盗も1人の少女にやられたと聞いている。こんな偶然があろうか。もし先ほどの少女と同一人物であるとすれば、警戒すべき重要人物であるということだ。もっとも、重要“人物”であるかどうかは、きっちりと見定めなければならないところである。
前回も今回も、少女は逃げるようにその場を去っている。どうも匂う。彼女はいったい何者なのか。
「神のみぞ知る、ってやつかしら」
ともあれ、邪魔は入ったものの実験は概ね成功である。長身の美女はタバコの煙で輪を作り、その出来栄えに満足して、短くなったタバコを手から落とし、踏み潰した。そしてまた1本、新たなタバコを取り出し火をつける。やはりタバコは旨い。火が消えぬ間に帰ろう、そう思い踵を返した。
扉を開け、ソファに腰かける。美女はフーッと煙を吐く。
「おかえりなさいませ。どうでしたか」
「申し分ない、申し分ないわ。でもね、この街にはどうやら邪魔者が居るわね」
「邪魔者、でございますか?」
そう言いながら冷たい水の入ったグラスを持ってきたこの男は、頭にオオカミの耳を生やしていた。美女は短くなったタバコを灰皿で潰した。暖房の効いた部屋の中は既に煙でいっぱいだ。美女はグラスに入った水を一口飲み、続けた。
「フェンリルよ、その耳でよく聞きなさい。我々が見て驚く様な身体能力を持った者が、この人間界に居ると思うかしら?」
フェンリルと呼ばれたオオカミ耳の男は、首をかしげる。
「質問の意図がわかりかねます」
美女はフフフと笑った。
「そうよね、そうよね。では質問を変えましょう。」
そう言ってまた新たなタバコを咥えた。すかさずフェンリルがライターで火をつける。
「フェンリルよ、人ならざる者が人間に交じって生活しているとすれば、それは何かしら」
フェンリルは驚いて目を見開き、そしておずおずと答えた。
「それは、我々と同じく…」
またしても美女が笑う。フェンリルの答えに満足したのか、声高々と笑った。
「そうよね、そうよね。実はね、フェンリル。あなたからの報告に酷似した状況を、今日私も経験したのよ」
フェンリルはまたもや驚いて目を見開いた。フェンリルは前の実験の時、銀行強盗の被害者として、客に紛れて現場にいた。その時に見た少女は、人間離れした動きで強盗犯を次々となぎ倒した。驚くべき速さと驚くべき跳躍力をもって、少女はひとりで大人の男3人をあっというまにねじ伏せたのだ。
その少女は誰かに連れられその場をすぐに去ってしまったが、記憶には焼き付いている。その日はすぐさまここに戻り、彼女に状況を報告したのだ。
「それは、例の少女のことですか」
美女はタバコの煙を吐いて、煙の円を作った。
「そうなの、そうなの。フェンリル、あなたはアレを、人間だと思うかしら」
フェンリルは目を閉じて答えた。
「いいえ、人間の動きではありませんでした。見間違いかとも思っていましたが」
少し間をおいて、フェンリルが続けた。
「まさか、同一人物とお考えで」
美女はフフフと笑い、また煙を吐いた。
「あなたが見た少女と私が見た少女、同じ者なら、人外であることは確定でしょうね」
「いかがして確かめましょうか」
「簡単よ、簡単なことよ。次は一緒に見物しに行きましょうね」
美女は笑い、男は目を瞑った。
「楽しみだわ、楽しみね」
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