初めての外出

 時は数時間前、そろそろランチタイムも過ぎようかという時刻に遡る。ヴァルキュリアは一人でゲームをしながら、区切りの良いところで休憩に入った。




「あー腹減ったのう。朝はヒデアキと一緒に食事をするからよいが、昼は毎日インスタントやら冷凍食品やらで飽きてしまうのう。かといって一人で外食することもできんし。はぁ、今日は何にするかのう…ん?」




ヴァルキュリアは立ち上がって食べ物を探そうとしたが、机の下に何かを見つけた。




「なんじゃこれは…よいしょ、と。あ!これは、ヒデアキの財布じゃな。バカめ、こんなものを忘れていきおって。」




フハハと一通り嘲り笑ったあと、ヴァルキュリアは考えた。




「うーん、ヒデアキは困っておるかのう。いっそ職場まで届けに行ってやるか…。でも家から出るなと言われておるし…」




ヴァルキュリアは悩んだ。さて、どうしたものか…。財布を忘れると言うのはけっこうな非常事態であることはヴァルキュリアにもわかる。お金というのは人間界ではいつでも必要になり得るものだ。だが待てよ、ヴァルキュリアは思った。




「今1時すぎじゃろ、もっとも最初に確認すべきは家に忘れているかどうかじゃから、わしに連絡がないということは、財布がないことにヒデアキまだ気づいておらぬのじゃろう。ということは、昼食は他の手段で問題なくとることができた、または忙しくてとっていないか、じゃな。いずれにせよ連絡がないということは、今の段階でヒデアキは財布を必要としていないということじゃ」




実際この時ヒデアキはロングオペに入っており、朝から晩まで手術をしていた。そのため、昼食をとる時間がなかったのである。




「ということはじゃ、わしがわざわざ届けてやる必要はないの」




そう結論付けたヴァルキュリアは、ポイと机の上に財布を置いて、食べ物の捜索を再開した。そしてキッチンの戸棚からカップラーメンを発見したときに、ヴァルキュリアはよからぬ考えを思いついた。




「そうじゃ、財布があるということは、お金があるということ。わし1人でも、ラーメンを食べに行けるのでは…?」




手にしたカップラーメンをいったん戸棚に戻し、財布を手に取る。例のカードも入っているし、現金もラーメンを食べるには十分すぎるほどの額が入っていた。ヴァルキュリアのたくらみは加速した。




「これは!神が与え給うたチャンス!わしも神じゃが!これ持ってラーメン食べに行くのじゃ!」




空腹というのは人間を狂わせるが、神とて同じこと。家を出るなの言いつけを忘れ、ヴァルキュリアは外出用の服に着替えた。




「おっと、危ない危ない、カギを持って出ねば。初めて一人でお出かけじゃ!」




こうしてヴァルキュリアは意気揚々と家を飛び出した。






 足取りは軽く、スキップ交じりで道を歩く。前と同じ道をたどり、駅前の通りのラーメン屋に入る。威勢の良いいらっしゃいませの掛け声とラーメンのにおいに機嫌をよくしながら席に着く。




「味噌ラーメンをひとつ!頼む!」




元気よく注文し、ラーメンの到着を待つ様は、餌を目の前にした犬のようであった。




「へいお待ち!」




目の前に運ばれてきた味噌ラーメンは、普段食べているカップラーメンとは比べ物にならないほど艶やかでかぐわしく、食欲をそそるものであった。割り箸を割り、丁寧にいただきますをしてからずるずると食す。




「ああ、たまらん。やはり人間界のラーメンは最高じゃ。インスタントも悪くはないが、ラーメン屋で食べるラーメンは格別じゃのう」




あれよあれよという間にスープまで飲み干したヴァルキュリアは、おなかをポンポンと叩きながら伝票を店員に渡す。難なく支払いを終えたヴァルキュリアは、すっかり人間界になじんでいた。




「ふふふ、一度見ただけで人間界のルールに完璧に溶け込んでおる。天才じゃなわしは」


上機嫌で店を出たヴァルキュリアは、せっかく外に出たのだから他によるところがないか思案していると、




「ひったくりー!誰か捕まえて!」




という叫び声が聞こえてきた。ヴァルキュリアが声の方を見ると、サングラスにマスクをした怪しげな男がこっちに向かって走ってくる。手には男には似つかわしくないレースのついた白いハンドバッグが握られていた。その男がひったくり犯であることは明白であり、ヴァルキュリアは咄嗟に行動に出た。




「神の前で堂々たる悪事、見逃すわけにはいかん」




ヴァルキュリアは地面を蹴ってひったくり犯に向かって跳躍した。ひったくり犯はわき目も降らず一心不乱に全力疾走していたので、急激に距離を詰めてきたヴァルキュリアに対応できなかった。ヴァルキュリアは向かってくるひったくり犯に対し跳躍の加速を乗せた右ストレートを放ち、ひったくり犯の顎を打ち抜いた。ひったくり犯はその場で大転倒し、脳震盪を起こしたのか二度と立ち上がれなかった。




「外道が、身の程を知れ」




そう言って両手の埃パンパンと叩き落としたところで、ヴァルキュリアは自分がやったことに気づき青ざめた。周りの人間は唖然としている。これは銀行強盗の時と同じ大立ち回りにあたるのではないかと。あの時ヒデアキは言っていた、人間離れしていると。ヒデアキの言葉を思い出し、これはまずいと思ったヴァルキュリアは一目散に逃げだしたのだった。






 息を切らして家に帰ってきたヴァルキュリアは、自分のしでかしたことについて考えていた。駅前での大立ち回りもそうだが、そもそも勝手に家を抜け出して勝手にヒデアキの財布を持ち出してお金を使ってしまった。




「これは、怒られるのでは…?」




そう思ったヴァルキュリアは、急いで部屋着に着替え、なにもなかったかのように財布を机の上に戻し、ゲームを再開したのだった。






 べそをかきながらヴァルキュリアはそういった経緯を話した。




「それでごまかせると思ったのか」


「まさかヒデアキがひったくりのことを知ってるとは思わんかったんじゃ!」


「たまたま同期から話を聞いてね、まさかとは思ってたんだけど。また噂になってるぞ、ひったくりを女の子がやっつけたって」


「なんじゃと…また目立ってしもうたのか…」




外へ出れば必ず騒ぎを起こして帰ってくる、なんともトラブルメーカーである。




「しかし、悪いのはわしではないぞ、治安の悪いこの街が悪いのじゃ」




開き直ってプンプンと憤るヴァルキュリア。切り替えの早いやつだ。




「でも確かに、こんな短期間で2度も犯罪に巻き込まれるなんて、おかしいな。」


「ぬ、どういうことじゃ」


「この街、治安は良い方なんだよ。これまでそんな犯罪があったなんて聞いたこともなかったのに、立て続けだからさ」


「ふーん、それは妙じゃのう」


「たまたまかもしれないけどさ、気を付けないとね」




二度ともヴァルキュリアが撃退することによって事件は解決しただろうが、頻繁に事件が起こるような街ではなかったはずだ。自分も巻き込まれることがないように、身の安全には気を付けねばならない。




「じゃ、今日は僕が先に風呂に入るからな」


「ぬ、なんでじゃ!わしは悪人を退治したのじゃぞ」


「何の関係があるんだよ。とにかく先に入るから。嫌なら」


「くそ!それは卑怯じゃと言うとろうが!」




僕は脱衣所で服を脱ぎ、一日の疲れを洗い流すべくシャワーを浴びる。小沼との約束を思い出し、にやにやしながら。


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