乱丁データ31
ふと思ったのだが私は人間なのだろうか。
少々ややこしいが、人間を人間と定義する定義を喪失しているのではないだろうか。
例えば猫。猫は猫という生物が一定数存在することで、その生物群を猫と定義する。
仮にたまたま生まれた怪獣がいて、それに名前をつけたとしても、その名前は固有名詞であって種族としての名前ではない。何故なら単体だからだ。
一体しか存在しない時、それは何にも属さない何かでしかない。
となれば地球が無くなった今、私は人間ではないことになる。
この宇宙で人間は、人間であったものは私しかいないからだ。
では私は何であるのかと考えると、それはやはり人間になる。
何故なら価値観や生理的欲求、体の作りが人間のそれだからだ。
しかし人間の生物学的な考えでは矮小で虚弱な人間であると同時に、おそらくはこの宇宙最大のイレギュラーであり、ある種の超越者でもある。
堂々巡りの思考だ。
一つ確かなことは、定義するという行為は個人では完結し得ないということだ。
私は私自身を定義できない。
私に、貴方は誰ですか。あるいは何ですかという問いを投げかける存在なしには、私は人間として存在することが出来ない。
しかし。確固たる自我を持つことはできる。できている。
私は人間ではなくなったかもしれない。しかし私は私であるのだ。
それはとても、とてもとても大事な事だと私は思う。
それは人間としてとても喜ばしいことだとも感じる。
私はまだ、いや、やはりと言うべきか、人間でいたいのだと思う。
寂しさではなく、ほんの僅かな郷愁で、人間であるという実感が欲しくて、今は誰かにいて欲しかった。
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