第67話 水路にて

 このボク、ベルディア・エスク・リ・スープラは、屋敷に囲まれたモンスターから避難するため、屋敷の地下にある牢屋にやってきていた。

 話に聞くと、この牢屋にある井戸から地下水路に降りる事が出来て、今の屋敷の中ではそこが一番安全らしい。


 ボクは当初、シルビアと一緒にモンスター退治に付き添う気持ちでいた。

 ボクにできる事なんて限られているけど、戦闘訓練くらいは行ってたし、少しくらいは役に立つと思ってた。

 けれど、そんなボクの心は、何故か知らないけれど、急に心変わりする事になる。

 シルビアのモンスター退治に付き添うよりも、避難の方が重要だって風にね。


 どういう課程を経てその結論にたどり着いたのか、自分でもよくわからない。

 もしかしたら、シルビアがモンスター退治に出かけるのに、足手まといにならないよう、自分で納得したのかもしれない。


 事の経緯はどうであれ、とりあえずボクは屋敷から避難することになった。

 避難する事になったんだけど、かなりシルビアの事が気になる……。

 シルビアは伝説の召喚士だから、あんなモンスターなんてちょちょいのちょいだと思うけど、心配し過ぎなのかなぁ?


「うわぁ……何だよこの臭い……」


 牢屋に降りて一番最初に思ったのは、カビの臭いに腐敗臭が混じったような、鼻が捻じ曲がりそうな悪臭だった。


 当然のことながら、ボクは牢屋になんて入ったことが無い。

 太陽の火はあたらず、常に湿気ていて、清掃も行き届いていなくて、生活環境としては最悪な場所が、この牢屋だ。

 話には聞いていたけど、実際に来てみるのと話に聞くのでは、天と地ほどの差がある。

 まさか牢屋がこんなに息苦しい場所だとは、思ってもみなかった。


「ベルディア様、ここの井戸です」


 囚人房の手前にある監視部屋? みたいな場所に、板で蓋がされた小さな井戸があった。

 メイドの手ほどきで、井戸にかぶさられた板を外し、縄で出来た梯子を下していく。


「ベルディア様。

 私が先に降りて様子を伺いますので、ベルディア様は私の降りきった後に、梯子を降りて下さい。

 この梯子に使われているロープは、かなり古い物です。

 二人分の体重が掛かると、千切れてしまう可能性があります」


「うん。わかった」


 緑色の髪をしたメイドが、ギィギィと縄のきしむ音を鳴らしながら、井戸の中に降りて行く。

 そのメイドが降りきったのを確認してから、ボクも梯子を降り始める。

 そして狭い井戸を降りきると、レンガて固められた大きな水路に出た。


「ずいぶん水路って地下深くに有るんだね?」


「ええ、深いです。

 あまりの深さから、ここは古代人が住む、地底国家に繋がっているとまで、噂されています」


 古代人が住む、地底国家?

 まさかぁ。


「現にここは、旦那様がイエローアイズ領を拝領した時には、既に存在していたそうです。

 水路は入り組んでおり、中には人が住んでいた形跡がある部屋まで、見つかっています」


 へぇ……そうなんだ。

 人が住んでいた形跡まであるんだ。


「ここの水は、チャタレー川の水を引いています。

 イエローアイズ領の領都が、何故この場所にあるのか、その理由は元々この場所に、この地下水路があったからに他なりません」


「へえ……。

 他に水源は無いの?」


「ありますが、少ないです。

 イエローアイズ領は、領内の土壌を掘っても、地下水に鉱水が混じっているので、なかなか飲用できません。

 鉱水に毒されていない、シボレー湖を源泉としたチャタレー川の水を引くこの水路は、領都の水源として、非常に貴重なのですよ」


 そうなんだ。

 その土地土地に、いろんな風土があるんだ。

 ボクは地理や歴史が好きだし、そういう話を聴いていて、面白いなあと思う。


「備え付けの通路は狭いけど、水路自体はすっごい大きいんだね」


「屋敷側は水路の上流にあたります。

 街の方角に向かうにつれ、狭くなりますよ」


 最初はこじんまりとした狭い水路を想像していたけど、10人の大人が腕を広げて横一列に並べそうなほど、水路は大きい。

 そんな大きい水路だから、水深も深そうな気がするんだけど、水はあんまり流れてなかったりする。

 屋敷は上流だって言ってたけど、この程度の水量で、街の水源をまかなえたりするんだろうか?


「あれ……?

 ねぇ、メイドさん?

 なんか、ボク達が下りてきた牢屋から、音が聞こえない?」


「音……確かに聞こえますね。

 もしかして、他の使用人たちかもしれません」


 牢屋の井戸から降ろされている梯子を、カンテラで照らす。


「あー、ケリィ! 無事だったんだ!」


「アリーナ!? 貴方たちも逃げてきたの!?」


 梯子をギュッギュッと鳴らして、次から次へと、合計7人のメイドが下りてくる。

 そのどれもこれもが煤だらけで、みんな顔に疲労の色が溜まっている。

 この人たちが、モンスターの侵入を食い止めてくれていたんだよね?


「お嬢様は?」


「一人でモンスターと戦っていらっしゃると思います」


「一人で!?

 まさか皆、お嬢様を見捨てて……」


「私たちがお嬢様を見捨てる訳ないでしょー!!」

「そうだよそうだよ!

 お嬢様に命令されたから、私たちは逃げてきたの!」

「そういうケリィだって、逃げて来てるでしょ!」


 ……あれ? なんだろう?

 なんか凄い違和感が有る。

 本来、屋敷の使用人にとって、シルビアは主の娘であり、いの一番に逃がさなければならない、大切な存在だ。

 ゆえに、普通はシルビアを置いて逃げ出した使用人達に対して、ボクは憤慨しなければならなかったはず。


 だけど、このメイド達が言うように、「シルビアに命令された」って事を聞いて、「だったら仕方がないよね」って気分になってしまった。

 ……何で、ボクはこんな簡単に、使用人達がシルビアを残して逃げた事に、ストンと納得いってるのだろう?

 まるで変な催眠術を掛けられたみたいに、ボクの心を何かが操作している気がする。


「アリーナ。

 貴方、なぜ箒を持ってるの?」


「あー……忘れてたー。

 モンスターを追っ払うのに使ってたのを、そのまま持ってきちゃったー」


「弓も?」


「だねー」


「貴方達、無駄口はそこまでよ。

 ベルディア様、とりあえずここでは落ち着く事ができません。

 ここから真っ直ぐ歩いた場所に、食料や衣服を備蓄してある部屋がございます。

 そこでは暖も取れますので、移動しましょう」


「う……うん。わかったよ」


 ボクとメイド達はぞろぞろと地下水路を移動し始める。

 って言うか、この水路、地下にあるのに風の流れがあるんだね。

 川の水を引いている水路だって言ってるし、やっぱりその出口から風が入って来るのかな?


「……あれ?」


「どうしたのミラ」


「いや……私さ、夜目が効くのって、知ってるよね?」


「夜目って、それがどうかしたの?」


「うん……水路の先、皆には真っ暗に見えていると思うけど、誰か歩いているんだ」


「歩いている?」


「男……かな?

 やせ形で、身長は旦那様より少し低いくらい。

 髪は胸元くらいまで伸ばしていて、なんか両目に眼帯みたいなの、つけてる……」


 なに? 誰か向こう側から歩いてきているの?

 確かにそういわれてみれば、ボク達が向かおうとしている水路の先から、カツン、カツンと、革靴を鳴らしながら歩いてくるような音が聞こえる。


「え!? だ、誰!?」


「ミラ!?」


「わ、私あんな奴、知らない!

 街でも一度たりとも、見た事がない!」


 メイド達が、向こう側から歩いてくる誰かに対して、警戒感を募らせる。

 立ち止まって「どうしよう?」って戸惑うメイド達の都合を無視するように、男の姿がボクの目にも映りはじめる。


「おや? お宅ら、イエローアイズ家のメイドさんじゃないですかぃ?」


「あああ、貴方誰ですかっ!?」


「あっしの名は、アイゼンと言いやす。

 どうお見知りおきの上、さようならでやす」


「……え?」


 男は両手を合掌し、何処かで聞いた事のあるような真言を、唱え始める。




『――――我が魂に宿りし力のタロットよ、今ここに顕在せん。

 グリモワール・スプレッド』




 アイゼンと呼ばれた男が真言を唱えた瞬間、男の身体がぼうっと光り、体の周りを青い光が浮遊する。

 その青い光が体の正面で魔方陣を描くと、その中心に1枚のカードが浮かび上がった。




「GAHHHHHHHHHHHH!!」




 生物の鳴き声が周囲に響く。

 そして、浮かび上がったカードから、とある生物が召喚された。


「う……そ、だぁ……」


 生物の上半身は裸の男性であり、体は赤いライオンの異形をしていた。

 その裸の男性は身体に茨の蔦を巻き絡ませ、手には茨で練られた槍を有している。


「う、嘘だぁっ!?」


 こ、これって、ライオロスだよね!?

 シルビアが召喚していたライオロスは女性だったけど、これはその男性版に見えるんだけど!?


 え、って言う事は、この眼帯の男は、召喚士って言う事なの!?

 しかも、あの大岩を一撃で破壊できる攻撃力を持った、あのライオロスの男性版を、召喚したって言うの!?


「うううう、嘘これ!?」

「ななな、何なのこの化物!?」

「ななな、何でどうして!?」


百獣の王ライオロスよ、彼女達を薙ぎ払いなせぇ!」


「GAHHHHHHHHHHHH!!」


 シルビアが召喚した、とんでもない力を有した召喚獣、ライオロス。

 それが、非戦闘員であるメイドと、ボクの前に具現化した。

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