第59話 不穏な男

「ふむ……そこの若造。

 ちょっとこっちへ来んかぃ」


「……何ですかい爺さん」


 背中を向けていた男が、ワシに向かって向き直る。

 ……眼帯?

 その男は、いかにも怪しい、黒い眼帯を顔に付けていた。


 髪はボサボサで長く、骸骨の様に細身で、吹けば折れてしまいそうなその体に、黒い眼帯か。

 こんなん、どう考えても仕事上がりの鉱夫じゃないじゃろ!


「お主何者ぞ。

 見た目は人間に見えるが、お主、本当に人間か?」


 ワシはその奇妙な男に、目が釘付けになった。

 理由は男が纏(まと)う雰囲気じゃ。

 捕虜の街に居るという事は、この男は必然的に人間という事なのじゃろうが、こ奴の纏(まと)う雰囲気は魔族を凌駕する、抜き放った妖刀のように不気味じゃ。


「あっしが誰かなど、爺さんには関係ない事でやす。

 それよりもですね、何故爺さんのような魔族のお偉い様がこの領にいるんですかぃ?

 魔王軍第六魔将アイエクスさま?」


「……ワシを知っておるのか?」


「爺さんは魔族の有名人でさ。

 知らない訳がないでやすねぇ」


 ……有名人のぅ。

 ワシは確かに魔王軍の有名人じゃが、果たしてワシがアイエクスと一目で見抜ける者が、魔族に何人おるかのぅ?

 ワシの軍団や派閥にある者はともかく、今のワシは私服じゃ。


 普段通りローブを着ていれば、他の軍団員でもワシがアイエクスと判断できるじゃろうが、私服だと、ちと厳しいのぅ。

 それを人間が、ワシの事を即座にアイエクスと認識する?

 明らかに不自然じゃろ!


「もう一度聞く、お主何者じゃ!

 ワシは有名人ではあるが、その容姿を知る者は魔族の内、一部の者だけじゃ!

 なのに、何故お主はワシがアイエクスである事を、即座に見抜いたのじゃ?」


 吹雪の音が、やけに五月蠅く感じる。

 どうした? 何故黙っておる?

 何か都合の悪い事でもあるとでも言うのか?


「あ、アイゼンよ!」


 吹雪く悪天候の中、その不穏な男に向かって、一人の捕虜が近づいてきた。

 あ奴は……間違いなく街の捕虜のようじゃな。

 それに、アイゼン?

 それがこの眼帯男の名前なのか?


「……ロイ伯爵。

 あんたまだ街に残ってたんでやすか?」


「ま、街の者は全員避難した!

 最後に残っていた、酒屋の店主もだ!

 わ、私はそれを貴様に伝える為に、残っておったのだ!」


「ほう……あっしも配下から街の皆さんが逃げ遅れてると聞いて、確認にやってきたのですが……」


「も、モンスターを抑えてくれていたという訳か!?」


「ま、そんなところでやすねぇ。

 皆さんが街に残っていたら、せっかく放ったモンスターが皆さんを標的にし兼ねやせんから」


「おい。お主ら一体何を話とるんじゃ?」


 急に現れたこの男、誰じゃ?

この偉そうな口調を聞くに、人間の貴族か?


「あ、アイゼン!

 こ、この魔族は誰なのだ!?」


「ロイ伯爵。

 この爺さんはあっしの客です。

 皆さんの退避が終わり、これで伯爵の仕事は全て終わりやした。

 1年もの間、お疲れ様でやす」


「ふ、フン……。

 本国からの依頼では、私も断れん。

 街の捕虜をまとめるという大役、確かに貴様に受け渡したぞ!」


「では、照明弾を」


 直後、貴族の捕虜が背中に背負っていた筒から、空に向かって大砲の弾のような物が飛び出す。

 猛威を有していた吹雪が、一瞬だけ緩やかになった、そんな時じゃ。

 飛び出した大砲のような物は、街の上空で大きく爆発し、ロアニールの街を明るく照らす。

 これは花火……ではなく、夜間用の狼煙か!?


「伯爵様も早く逃げなせぇ。

 今からここはモンスターの巣となりやす」


「わ、わかった!

 貴様も達者でな!

 必ず成功させるのだぞ!」


 貴族の捕虜はそそくさと、その場を後にしようとする。

 馬鹿者め! お主のような不審人物、黙って逃がす訳がなかろう!


「我が僕(しもべ)である雷神よ。

 彼(か)の者に大いなる裁きを与えよ! 『雷燕(らいえん)』っ!!」


「ひ……!?」


 雷で構成された、馬車よりも大きいツバメが、ワシの杖から飛び放たれる。

 その燕は男を通り過ぎて、街の上空で昼間のように明るい光を放ちながら、爆散した。


「あ……あ……あ……」


 逃げようとしていた貴族は、ヘナヘナとそこに座り込んでしまう。

 これは、ただの威嚇じゃ。

 だがお主らの対応次第では、次はわからんぞ?


「……危ないでやすねぇ。

 雷で出来たツバメですか。

 マトモに当たれば、ロイ伯爵は蒸発してしまうとこだったではないでやすか」


「黙るのじゃ小僧!

 お主、何を企んどる!

 ワシの眼が黒いうちに、話すがよい。

 であれば、命だけは助けてやっても良いでな!」


「……爺さん。あっしは急いでいやす。

 その話は、縁が有ったらにしやしょう」


「やかましいわっ!!

 お主、街の捕虜ではないじゃろうっ!?

 魔族の街で何をしておるんじゃっ!?」


 男は小さい溜息を吐くと、再度ワシに向き直る。

 一触即発の気配が両者に漂い、周囲の空気がゆがみ始める。

 こやつ……ワシを恐れておらんのか?


「……仕方がありやせんね。

 予定より計画が遅れていやす。

 ここは彼らに、爺さんの相手をしてもらいやしょう」


「キーーーッ!!」

「ギャー!! ギャー!!」

「オオオオオオッ!!」


「……はぃ?」


 ワシは自分の目を疑った。

 なぜなら、ワシの右隣にあった共同井戸から、大量のモンスターが這い出て来たからじゃ。


 トロル、リザードマン、グール、人面蜂、バーグラー、スカルデーモン、ワイバーン、ヘルハウンド。

 ちょ、な、何なのじゃこれは!

 何故こんな大量のモンスターが、井戸から出てくるのじゃ!


「あっしの可愛いモンスター達。

 標的はこの老人ですぜ」


「キーーーッ!!」

「ギャー!! ギャー!!」

「オオオオオオッ!!」


「な、なんじゃと!

 モンスターが人間の言う事を聞いたじゃと!?」


 井戸から這い出て来たモンスターは、ワシらの周りを囲むように、様子を伺い始める。

 しかもこの共同井戸だけではない。

 他の家々にある小さな井戸からも、次々とモンスターが出てき始めたのだ。


「この街に共同井戸は10はありやす。

 小さな井戸を合わせたら、100は有るでしょうや。

 今まさに、その井戸全てから、モンスターを這い出していやす。

 ご老体はこいつらと遊んでいなせぃ」


「この小童がっ!

 この程度のモンスターで、ワシがどうなるとでも思うかっ!!」


「ふむ……?

 ご老体は数の暴力に強かったのでしたっけ?

 確かに先ほどの雷鳥を見るに、第六魔将さまにはこのモンスターでは、荷が軽いかと見受けられやすねぇ。

 こっちもちょっと戦力を補強させていただきやすか」


 男はそう言って、両手を体の正面で合掌する。

 そして、何らかの真言を口にし始めた。




『――――我が魂に宿りし、戦車のタロットよ』




「な、その真言はっ!」


 男の真言を、最後まで唱えさせてはならない。

 そう思ったワシは、男に向かって先ほどの『雷燕』のスキルを男に放つよう、杖を構える。




『――――今、ここに顕在せん』




「く、このっ! 邪魔じゃああっ!」


 しかし、ワシのスキルは、這い出て来たモンスターがワシに襲いかかってきた事で、中断されてしまう。

 そうして、男の真言が、ここに完結する。




『グリモワール・スプレッド』――――と。

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