第58話 その時のアイエクス

「ふむ、粗悪品と思っていたがどうして、中々の酒じゃ」


 このワシ、アイエクス・ド・ウィンブルド・スープラは、イエローアイズ領の領都、ロアニールの酒場に来ていた。

 理由は大した事ではない。

 ワシはこのイエローアイズ領に使者として赴き、領主であるザンドルドにより、会食に招待された。

 ザンドルドもかなりの酒飲みじゃが、ワシは水の如く酒をたしなむでのう。


 ゆえに、ワシは会食で出された程度の量のワインでは、満足できず、会食後に街へ繰り出したのじゃ。


「お、お客様……そ、そろそろ、店じまいなのですが……」


「お主、いい加減にせんかい。

 この街は昼夜を通して鉱夫が働く、眠らない街のはずじゃ。

 ゆえに、話ではこの店は朝方までは必ず営業するよう、義務付けられていると聞く。

 それが今日に限って店を閉じるのかの?」


「い、いえ、そう言う訳では……」


 この酒店の店主が、ワシを追い出そうと催促してくるのは、既に5回目じゃ。

 最初は聞き流しておったが、これだけしつこいと、だんだんうっとおしくなって来る。


 この街で働く人間は全て戦争捕虜じゃ。

 労働時間の定めはザンドルドが決定しており、その決裁者が酒店の営業は朝方までと言っておるのを、ワシは会食の時に聞いておるのじゃ。

 それを自己の都合で勝手に店を閉めると、処罰の対象になるのに、何故この店主はそれほど店を閉めたがるのじゃ?


「ワシは朝までこの店に居座るぞ。

 文句があるなら、ザンドルドに言うんじゃな。

 ワシは知らん」


「そ、そんな……」


 ――――アイエクスは知らなかったが、街の捕虜たちは反乱が起こる前に街から避難し、そのまま捕虜としての任が開放されるよう、計画が進められていた。

 しかし、反乱の直前までは、魔族に怪しまれないよう日常通りの生活を過ごし、時間になれば避難を開始する事になっていた。


 ゆえに、酒屋の主人はアイエクスがこの店に留まる限り、逃げる事ができなくなってしまう。

 かと言って、魔族を前にして不審な行動を取っては、その場で処刑ないし反乱計画が明るみに出る危険性がある。

 店主は早く避難を開始したいのに、アイエクスが店に表われた所為で、動けなくなってしまったのだ。


「ふむ。この酒もまずまずじゃ。

 捕虜が経営する酒店の酒など、どんなに不味いのかと思ってみれば、悪くはない。

 どうやって持ち込んでいるかは知らぬが、王国から流れてきている酒も多いのじゃろ」


「え、えへへ……そんな事はありませんよ……」


「……ふむ。もう一杯もらえるかのう?

 喉越しが良く、好みの味じゃ」


「す、すみません……その酒はお客様が飲んでいるもので、最後でして……」


「ほう? ではカウンターの奥に置いている酒はなんじゃ?

 同じ銘柄のが封も開けられぬまま、置いてあるではないか?」


「そ、それは……」


「お主、何か隠し事があるようじゃのぅ?」


「ま、魔族様に隠し事なんて、とんでもございません!」


「ふむ……まぁ良い。

 お主らが何を考えているかは知らんが、ここはザンドルドの領じゃ。

 変にワシが口出しすると、内政干渉だと奴に怒られかねんからの。

 さぁ、早くカウンターの奥に置かれておる酒を持ってこんかい。

 お主ら人間が魔族を待たせるとは、恥を知るが良い」


「ひ……は、はい」


 店主にひと睨み利かすと、慌ててカウンターの奥に引っ込んでいく。

 ふん……こやつの不審な言動、後でザンドルドにでも伝えてやらんといかんな。

 別にワシがそこまでせんでええのじゃろうが、奴にはかなりの迷惑を掛けたしのぅ。

 少しくらいは借りを返さんと、雪だるま式に溜まって行くわい。


「……む?」


 その時、外から大きな爆発音が聞こえてきた。

 この音……何じゃ?

 まるで山を爆破したいなこの音は、もしかして鉱山で何か起こったというのか?


「あー、店主よ。

 今の音は、何かのぅ?」


 カウンターの奥に居るであろう店主を呼ぶが、返事が無い。

 ……なんじゃ?

 聞こえてないのか?


「店主! おるか!?

 はよぅ返事せんかぃ!!」


 しかし、どれだけ声を荒げようとも、店主が出てくる素振りは見せない。

 仕方がないので席を立ち、カウンターの奥を覗いて見ると、裏路地に続く勝手口が開いているのが見えた。


「……なんじゃ?

 あやつ、どこへ行きおった?」


 ――――実は街の捕虜が避難を開始しなければならない時刻は、既に大幅に経過していた。

 ゆえに、店主はその焦りに耐えられず、アイエクスが店に居る中で逃亡すると言う、大胆な行動を取ったのだった。


「あの店主……暖炉の火も消さずに、何を考えておるのじゃ」


 裏路地に出てみると、夜半に降り出した雪が、吹雪になっておった。

 地面を見ると、道の上にかなりの新雪が積もっており、その新雪に一人分の足跡が鉱山の方角に向かって続いているのが見える。


「……きっかいな。

 ワシ、そんなに怖い事言ったか?

 ザンドルドに比べたら、遥かに優しいと思うんじゃが……」


 あからさまな逃げっぷりに、何だか場が白けてしまったのぅ……。

 酒を飲む気分でもなくなってしもうたし、今日はもう帰るか……。


「勘定は……ええじゃろ……。

 この街で魔族が酒を飲む場合は、勘定はいらぬと、ザンドルドが言っておったしの……」


 そのままワシは裏路地を通って、屋敷に向かって歩き出す。

 むう? なんか、風景に違和感が有るのじゃが、気の所為かのぅ?

 この街は鉱山街じゃろ?

 昼夜を通して鉱夫が山を掘り、街はどの時間でも人の動きがあるはずじゃ。

 なのに、家々の火は消えとるみたいじゃし、まるで忘れ去られた街の如く、生物の気配がまったく感じないではないか。


「それにしては、モンスターらしき声がどこかから聞こえるような気もするのじゃが、ワシも耳が遠くなったのぅ。

 歳は取りたくないもんじゃ」


 新雪にサクサク足を踏み入れながら、誰もいない街を一人歩く。

 そして街の中央付近にある、共同井戸がある場所に差し掛かった時だった。


「む? 誰じゃ?」


 猛威を振るう吹雪の中だった。

 そんな極寒の街に、ポツンと、1人の男が立っていた。

 髪は長く、骸骨の様に細身で、吹けば折れてしまいそうな体をした、不気味な男が。


 ――――名を、アイゼン。

 このイエローアイズ領で反乱を計画した、反乱の父と呼べる男だった。


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