第19話 セリカVSギガンタン
この私セリカ・カロリッツァは、魔王軍第六魔将アイエクス様の部下として、幾多の戦場を駆け巡った戦士だった。
私は生涯を通してどこかの戦場を駆け巡り、どこかの戦場で命を落とすだろうと、若い頃は信じて止まなかった。
転機が訪れたのは5年前だ。
親友だったローザが妊娠して、魔王軍の軍籍から外れる事になったのだ。
ローザとザンドルドが婚姻して、50年ほどの月日が経っていただろうか。
二人は子供が生まれる事を熱望していたが、なかなか思うようにはいかなかったようだ。
シルビアをお腹に宿す前のローザは、自分は妊娠しにくい体なんだと懐胎を諦めかけていて、私自身も気が気で無かったのをよく覚えている。
ローザとは種族こそ違えど、幾多の戦場を駆け巡った戦友であり、私達は幼い頃から姉妹の様に連れ添って、育ってきた。
ゆえに、ローザが妊娠した時は自分の事の様に嬉しかった。
この私が人前で泣くなど、あれが最初で最後だと思う。
生まれてきた子供は非常に可愛い女の子で、シルビアと名付けられた。
ローザとザンドルドの良いところをソックリそのまま持って生まれた様な、本当に、本当に可愛い赤ちゃんだった。
しかし、シルビアが生誕して嬉しい反面、私に一つの懸念が生じる事になる。
ザンドルドは領地持ちの魔族として、下級貴族の中でも、一際珍しい存在だ。
領地持ちの大半が上級貴族であるため、ザンドルドは異例中の異例と言える。
ザンドルドは過去に数々の武勇を立てて、領地を拝命されたと聞いているが、その頃の私はザンドルドと出会っていなかったので、詳しくはわからん。
私の懸念とは、そのザンドルドが領主を務める、イエローアイズ領だ。
イエローアイズ領は人間との戦争の最前線であり、過去に何度も人間に攻められていて、治安はあまり良くはない。
そんな場所で子育てを行う事に、不安がないかと、一度ローザに聞いた事がある。
ローザは一言、「不安はないわ」と答えたが、微笑を浮かべる口元とは対象に、その眼はまったくと言って良いほど笑ってはいなかった。
口では強がってはいるが、内心は不安なのだろう。
そんな心の内が手に取る様に見えてしまったのだ。
私は悩んだ。
もし、生まれてきた子供に何かあったら、どうしよう――と。
部外者の私がそんな事を思うなんて、ただのお節介焼きだとは思う。
だが、そのお節介を超えて、私はシルビアの可愛さにぞっこんになってしまったのだ。
――シルビアに、優秀な護衛を付けてあげたい。
――シルビアに何かあっても、守って上げれるような手助けをしたい。
そうして私は直属の上司であるアイエクス様に直談判し、シルビアを守る為、魔王軍を除籍させてもらう事になった。
自分でも思い切った決断だと思う。
他人の私がそこまでするべきなのか。
私の独りよがりで、ローザやシルビアに迷惑にならないか。
そういう思いももちろんあったが、それを上回るシルビアへの思いが、私を突き動かした。
実際に、ローザもシルビア付のメイドに雇われてくれる魔族を探していた。
また、イエローアイズ領の土地柄的に、軍属が長い魔族は喉から手が出る程、欲しいはずだ。
私は、それに応募し、ローザの面接を受けることになったのだ。
ローザは「貴方がシルビアの為にそこまでする必要ない!」と拒んだが、私の決心は揺るがなかった。
ザンドルドは「出世頭だったのに馬鹿かこの女! これで俺はテメェに頭が上がらなくなったじゃねぇか!」と、遠回しな感謝をされた。
最終的にローザもイエローアイズ家に私を入れる事を認め、私はシルビア付きのメイドとして、働く事になった。
シルビアは私にとっての天使のような存在だ。
いや、堕天使族であるから天使のようにも見えるのはおかしくないのだが、種族を超えた神々しさを感じ取らずにはいられないほど、私はシルビアが大好きなんだ。
軍属だったころと比べて級金も低くなり、満足に好きな物も買えなくなった。
魔王軍のキャリアも、途絶える事になった。
大飯食らいな私にとって、今の賄では腹も満たされなくなった。
失ったものも多い。
失ったものは多いが、心は満たされていると思う。
私の目的は、シルビアの成長を見守る事だ。
今の私にとっては、シルビアの成長こそが生きがいなのだ。
◇
ギガンタンとの戦いが始まって、5分ほど経った。
シルビアはどこまで逃げる事ができただろうか。
この道はイエローアイズ家の屋敷がある山手側を通り、屋敷の中庭の森に繋がっている旧道だ。
この場所からは、陸路で行けば屋敷まで1時間はかかるだろうが、空路だと恐らく5分とかかるまい。
シルビアは翼を酷使したと言っていたが、どの程度まで酷使したのか、私にはわからん。
少しくらいの疲れなら、空を飛んでもらって、安全な屋敷に早く着いていてもらいたいのだが、実際はどうなのだろうか。
「グオオオオオッ!!」
ギガンタンの突進をヒラリと躱し、奴の背後に抜ける。
上段に掲げた剣を、ギガンタンの膝に落とそうとしたが、奴は手に持った巨木で私の剣を受け止めてしまった。
チ! こいつ本当にギガンタンか?
やけに素早いし、やけに上手いではないか!
「はあっ!!」
私は高速ステップで一旦距離を取ると、剣を中段に構えながら、高速の突きを放った。
これなら受け止めれまい!
「ウオオオオオッ!」
「なんと!
ギガンタンが引いただと!」
ギガンタンは体を大きく後方にそらし、私の放った突きを避けてしまった。
ギガンタンは、相手の攻撃を避ける事無く、突撃を繰り返す事が特徴だ。
その奴が避けるだと!?
ギガンタンはそんな知能を持っていないはずだ!
「これならどうだっ!!
疾風の聖霊よ我が刃に宿りたまへ、音速剣!!」
私のスキルのうち、音速剣を放つ。
音速剣は私の刃のはるか先、10m程に離れた場所に位置する対象でも、切り刻むことが出来る技だ。
これなら後ろに避ける事はできまい!
「ウオオオォォォォッ!!」
「なにっ!?」
ギガンタンは、私の放った音速剣を避ける事もせず、そのまま私に向かって突進して来た。
いくらギガンタン精神力が高いとは言え、私の攻撃がどのようなものか、わかるはずだ!
「ガアァァァァッ!!」
「弾き飛ばしただと!?
私の音速剣を!」
ギガンタンは私の音速剣を弾き飛ばしてしまった。
ありえない!
ギガンタンのステータスは『防御力C』のはずだ!
私の音速剣は『防御力C+』を有する相手でも、切り刻むことが出来る。
こいつ、ただのギガンタンではないのか!?
自身がなぎ倒したであろう、巨木を振り回して、化物が迫る。
私はそれを剣で受け止めるため、剣を上段に構える。
そして、ギガンタンからの重い一撃が、私の頭上に打ち落とされた。
「くっ!!」
重い!
なんという重い打ち下ろしだ!
片腕でドラゴンを絞め殺せるこの私が、両腕を使ってさらに押されるだと!?
「グオオオオオッ!!」
「くそっ!!
この馬鹿力めっ!!」
あまりの膂力に耐えきれず、片膝を地面につけてしまう。
これはマズイ!
ギガンタンは身長差を生かして、私をそのまま地面に押し潰すつもりか。
「グオオオオオッ!!」
「こんなもの!
押し返してやるっ!!
激震と呼ばれたこのセリカを、舐めるなぁぁぁぁぁっ!!」
私は全身全力の力を持って、ギガンタンの一撃を押し返そうと奮起する。
丁度、その時だった。
「■■■■ぉぉ■■■■ぉぉ■■■■――――――――ぉぉぉぉぉ!!!!」
「グオオオオオッ!?」
「な、なんだっ!!
この奇妙な雄叫びはっ!?」
犬のような、狼のような、それでいて女性の悲鳴のような、何とも形容しがたい奇妙な声が、崩落の向こう側から聞こえてきた。
「ガアッ!?」
「こいつっ!?
ハァッ!!」
その声を聞いたギガンタンが、明らかに怯んだ。
その一瞬のひるみ、一瞬の戸惑いから出る隙を、私は見逃さない。
私は胴回し回転蹴りを奴のレバーに打ち当てる。
すると、体重1tもある大きな巨体が宙に浮き、そのまま木々をなぎ倒しながら、森の中に墜落した。
鳴き声が聞こえた崩落現場に視線を向ける。
精神力の塊のようなギガンタンが怯むとは、あの鳴き声の主は何だ?
この化け物が怯む生物など、ヤツより遥かに強いか、ヤツが怯む特殊な力を持っているかしか、考えられない。
「グオオッ……!!」
「……あれをくらって、まだ立つか」
ギガンタンが腹部を抑えて、森の中から出てきた。
とりあえず今集中すべきは、この化物だ。
あの謎の声は、一旦忘れよう。
ギガンタンの損傷を確認する。
私の蹴った横腹には特に大きな傷はついておらず、恐らく奴にダメージは通っていない。
普通ならこの蹴りは、ギガンタンの腹部に穴を開けていたはずなんだがな……。
「チ……まいったな。
貴様はどういう訳か、私が知るギガンタンよりも強いようだ。
恐らく貴様のステータスは、全てにおいて私を上回っている。
私とギガンタンのステータスは、精神以外はほぼ互角だったはずなのにな」
私は100年前のギガンタン討伐に参加した魔族の一人だ。
ゆえに、奴のステータスは熟知しているつもりだった。
その腕力は巨石を砕き、その速度はヒョウよりも速い。
その皮膚は鋼の如く、相手の攻撃を避ける事無く突撃を繰り返す、最も厄介な先兵。
それが本来のギガンタンだ。
だが、コイツはそれをさらに上回るステータスを持っている。
ギガンタン退治で通用した技が、ことごとく防がれている。
モンスターの強さは種によって均一というのが、通説だったはずなのだが、こいつは例外という事か。
「グオオオオッ!!」
「まいったな……。
有効打を与えきれない。
これでは私も、本気を出すしかないではないか」
別に手を抜いていた訳ではないのだが、最近の領内はどこに人間の目があるか、わからんからな。
できれば、あまり私の本気を領内で出したくはない。
しかし、そんな事を言っている場合ではないようだ。
こんなチマチマした技ではなく、私も鬼の神髄を見せないと、こいつはどうやら倒れてくれないようだ。
「私の情報が取られてしまう可能性は高いが、仕方がない……な」
本気を出すのは100年ぶりだ。
何故、鬼が強者と呼ばれるのか、その意味を教えてやろう。
「鬼人のセリカともあろう者が、随分と手こずっているじゃねぇか?」
――と、私の頭上から、よく知る者の声が聞こえた。
堕天のザンドルド!
そうか!
シルビアから話を聞いて、やって来たのだな!?
シルビアの奴、翼が痛くて飛べないと言っていたのに、こんな短時間でザンドルドを連れてくるとは、しっかり空を飛べて逃げれているじゃないか。
「セリカよぅ。
本気を出すのはやめとけや。
どこでボンクラ共が見てるか、わかんねぇからな」
「ザンドルド!
手を貸せ!
このギガンタン、強化されている!
鬼の神髄を見せぬ限り、私にこいつは倒せない!」
「強化!?
どういう……おっと!」
その時、ギガンタンが手に持っていた巨木を、空を飛ぶザンドルドに向かって投げつけてきた。
ザンドルドは体を回転させる事で、その巨木をスルリと躱す。
この化物め……私を相手にしているのに、意識をザンドルドに向けるなど、まるで私よりザンドルドの方が強いみたいではないか。
「おいおい。
随分な膂力じゃねぇか!
ギガンタンってこんなに力強かったかぁ!?」
「だから強化されていると言っただろう!」
私がそう言うと、ザンドルドが宙を羽ばたきながら、背中に掛けていた弓に手をやった。
ザンドルドめ。
弓を持つという事は、ようやく手を貸すつもりになったか。
「まぁいい。
ギガンタンをぶっ殺そうと思ってたのは、俺も同じだ。
ところで、相手はあのギガンタンだけか?」
「? どういう事だ?」
「ここに向かってくる途中に、何とも形容しがたい雄たけびが聞こえてよ。
それはここにはいねぇのか?」
「あれか……。
いや、それが私にもわからんのだ。
空から何か確認できなかったか?」
「グオオオオオオオオオオオッ!!」
その直後だった。
ギガンタンが大きな叫び声を上げて、私へ向かって突撃してきたのだ。
「まぁいい。
話は後にしようや。
とりあえず今は、ギガンタンをぶっ殺さねぇとな!」
ザンドルドが矢を手に持ち、弓を構える。
私は上段の構えにてギガンタンに向き直る。
私は本気を出そうと思っていたのだが、ザンドルドが手を貸してくれるのなら、そこまでしなくても良いだろう。
強化されたギガンタンに、ザンドルドが言った奇妙な鳴き声か。
いったいこのイエローアイズ領で、何が起こっているのだ?
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