第17話 ローザの焦り
「この馬鹿、馬鹿っ!
馬鹿亭主っ!」
「いって!
おいこらローザっ!!
叩くんじゃねぇ!
痛ぇだろっ!!」
この私、ローザ・カノン・ド・イエローアイズは夫に憤慨していた。
その理由は、夫が私の許可も無しにシルビアを屋敷の外に連れ出した挙句、あれだけ連れて行くのを止めてほしいと言っていた狩りに、連れて行ってしまったからだ。
シルビアは魔族の子の中でも、かなりの虚弱体質だ。
先日も魔族検診で「激しい運動は控えて下さいね」とお医者様に言われたばかりなのに、この馬鹿亭主はそれをわかっているのだろうか?
「お、俺はシルビアの父親だぞ!
シルビアはもっと運動して、体力を付けた方がいい!
だったら狩りは最適じゃねぇかっ!!」
「あなたが父親なら、私は母親よっ!!
体力をつけるにしても、順序というものが有るでしょう!
あなたの狩りは私でも付いて行くのがやっとなのよ!?
何で初っ端から最上級の刺激を、シルビアに与えようとするのよっ!!」
「そ、そ、そんなに激しく運動させてねぇよ……」
「嘘、視線が揺らいだわ。
あなたはシルビアをかなり酷使させたはず」
「い、いやぁ……。
そんなこと、ねぇし……」
ゴモゴモと、夫はくぐもった小さな声で、返答する。
じゃあなんでそんな挙動不審なのよ。
あなた男でしょう!
もっとしっかり喋りなさいよっ!!
「謝りなさい」
「は? な、なに!?」
「謝りなさいと言ったのっ!
それともあなた、やましい事はしていないと、魔王様に誓って言えるのっ!!」
夫の眼を直視する。
ったく!
普段は偉そうにふんぞり返ってるくせに、何でこういう時だけ、小動物みたいにオドオドするのよっ!
私も鬼ではないし、信念を持ってシルビアを鍛えようというのなら、ここまで怒らないわよ。
でも、あなたがシルビアを連れ出す時は、決まって思い付きでしょ?
私はそんな思い付きなんかでシルビアが振り回される事が、許せないのよっ!!
「……わ、わりぃ……」
「もっと大きな声で!」
「わ、わりぃ!」
「目を見ながら!
まだまだ小さい!」
「だぁぁぁぁぁっ!!
俺が悪ぅござんしたぁっ!!
俺の勝手な自己満足で、シルビアを狩りに連れて行きましたぁっ!!
これでいいだろっ!!
もう勘弁してくれよっ!!」
「全然ダメっ!!
心がこもっていないわっ!!」
「どーーーーーーーーしろってんだぁぁぁっ!!
これ以上ぉぉっっ!!」
この馬鹿亭主……。
ちゃんと謝罪する事すらできないの?
次のお仕置きは「お願いもうやめて!」と泣いて叫ぶような、キツイ罰にして――――
「た、大変です旦那様っ!!
奥様っ!!」
――――と、その時だった。
私と夫が言い争い(という名の説教)をしている最中に、執事長のバトラスが部屋に飛び込んできた。
「……バトラス。
今、この部屋には入らないでって言ったはずよ?」
「そ、そ、それが!
大変なのですっ!!」
「大変って……何があったのよ?」
「さ、ギガンタンです!
ギガンタンが領内に出たのですっ!!」
「「ギガンタンですって(だとっ)!?」」
ギガンタンと言えば、上級モンスターの代名詞で、最も厄介な先兵だ。
でもギガンタンは魔王軍の集中討伐により、100年前に全滅したはずよ。
「おい、バトラス。
てめぇキングゴブリンか何かと間違えたんじゃねぇか?
キングゴブリンもデケェのなら、ギガンタン並みのガタイはあんぞ?」
この馬鹿。
ギガンタンとキングゴブリンを見間違える魔族がどこにいるのよ。
貴方じゃないんだから、バトラスはそんなミス犯さないわよ!
「ま、間違いなくギガンタンです!
あの雄たけび……。
間違いございません!」
とは言え、あんなものが領内に出現したなんて、にわかに信じがたいわ。
そんな訳はないと断言したいのだが、このバトラスは嘘を吐くような魔族じゃない。
彼は約束を守らない夫よりも遥かに誠実で、遥かに紳士だ。
じゃあ、もしかして、本当にギガンタンが領内に出たって言うの?
「……おい、ローザ」
「……わかってる。
視てみるわ」
バトラスの言う事が真実を確認する為、私は左眼の魔眼を使って、外の様子を遠視する事にした。
私の魔眼なら、領内の至る所を、部屋にいながら視る事ができる。
元魔王軍情報官の私を舐めないでほしいわ。
「我が左眼に宿りし不可視の邪霊よ、我が欲する願望を浮かび上がらせよ。
スキャナアイ!」
私がそう言うと左眼の魔眼が発動する。
屋敷を中心として、領内の様子が鳥瞰的に左眼に映し出される。
と言っても、私の左眼の魔眼は遠視・透視の能力しか有していないので、見る事はできても、探す事はできない。
もしバトラスの言う事が本当であっても、それがどこにいるかは自分で見つけるしかない。
「えっ!」
と、その時、信じられないものが眼に飛び込んできた。
場所は、屋敷からそう遠くない、郊外へ向かう吊り橋だ。
その何度も渡った事のあの吊り橋が、何故か川に落ちているではないか。
「んだよ! 居たのか!?」
「違う……。
街道の吊り橋が落ちているの……」
「はあ!?
吊り橋って、チャタレー川の吊り橋か!?
今日シルビアと通ったばかりだぞ!?」
ピントを拡大して、吊り橋の両端を遠視する。
あの吊り橋は半年前に修繕を行ったはずだし、経年劣化でロープが切れたとは考えられない。
恐らく橋は何者かの手によって、落とされた可能性が高い。
付近に生物の存在は何も確認できないけど、まさかギガンタンが壊したとでも言うの?
「ちょっと待てよ……。
あの吊り橋を通らねぇと狩場から屋敷には帰れねぇし……。
シルビアとセリカはどうなったんだ……?」
「ッ!
そういや、あなたシルビアはセリカに任せてきたのよね!」
「お、おう。
別にセリカなら問題ないだろ……?」
そうだった!
夫に対する怒りで、セリカの事を忘れていた。
私はシルビアの迎えとして、セリカを吊り橋の先にある、狩場に向かわせたのだった。
「今、二人はどこに居るの!?
まだ狩場に居るの!?」
「いや……。
セリカはシルビアを連れて、既に狩場を離れているはずだ。
狩りを継続させる事は許されないとかか言ってたし……」
あの二人はどうなったのだろう?
吊り橋が渡れないと、空を飛べるシルビアはまだしも、セリカは帰ってこれなくなってしまう。
狩場に引き返したとは考え難いし、橋の付近で立ち往生しているのだろうか?
視野を広げて、狩場から吊り橋までの街道を視認する。
……いない。
じゃあ、街から吊り橋までの街道は?
……こっちもいない!
「なぜ!?
二人が見つからない!
どこに行ったのよ、あの子らは!」
「お、奥様。
旧道はどうでしょう……?
セリカ様はシルビア様の護衛上、領内の地理を熟知しておられます。
吊り橋が落とされているのなら、旧道を通って街に帰ろうと考えられますのでは……?」
旧道!
確かにその手があったわ!
私もだいぶ焦っているのかもしれない。
その存在をうっかり忘れていたわ!
慌てて旧道の方角に視点を移す。
旧道は使われなくなって久しい。
道は藪と化しているでしょうし、果たしてあの道は通行できるのかしら?
「……え? 嘘!」
「んだよ!
どうした!
俺達にもわかる様に、説明しろよ!」
ぎ、ギガンタンだ!
ギガンタンが本当に居た!
頭は3つ、眼は単眼で、2匹のスフィンクス、そして盛り上がった筋肉と、私が知るギガンタンの特徴、そのままだ!
「ぎ、ギガンタンよ!
本物のギガンタンよ!!」
「はぁぁぁぁぁぁ!?
マジか!?
マジモンのギガンタンなのかっ!?」
私は100年前の大規模討伐でギガンタンの索敵を行った張本人だ。
あの単眼の巨人を、私が見間違えるハズが無い!
と言うか、なんであんなのが領内に居るのよっ!!
「あっ!
セリカっ!?
セリカが居たわっ!」
そのギガンタンの影に隠れるような体勢で居たので、最初は気付かなかったが、あれはまさしくセリカだ。
え? という事は、セリカは今あの化物と戦闘中なの!?
「か、彼女、ギガンタンと戦ってるわっ!!」
「なっ!
し、シルビアはっ!?」
いない!
シルビアの姿を探すが、どこにもいない!
何で!? セリカと一緒じゃなかったの!?
いや、そもそも何でセリカがギガンタンと戦っているの!?
「わ……わからない……わ。
もしかしたら、セリカの傍に居るのかもしれないし、そうではないのかもしれない」
私の遠視では複数の障害物が重なってしまうと、その先が透視できない。
セリカとギガンタンが戦っている場所は、切通しになっていて遠視がし難い場所だし、ここからではシルビアの姿を確認できない!
彼女が居る場所は馬で行くには遠いが、空を飛べるのなら、そこまで遠くはない。
これなら、夫に確認しに行ってもらう方が早い。
「あなたっ!」
「言いたい事はわかった!
旧道の……」
「切通しよっ!!」
「切通しだな!
よし、直ぐに出る!
お前はここからシルビアを探して、見つけ次第、狼煙を上げろ!
いいな!」
「お願いっ!」
「チ……ギガンタンの討伐か……。
100年前を思い出すぜ……」
そうして、夫は窓から翼を広げて、セリカとギガンタンが戦う現場に飛び立って行った。
私もシルビアを探して魔眼を展開するが、みつからない!
このロアニールに近辺は、森が多すぎる。
私の魔眼では遠方が見えたとしても、探すというのはまた違った能力だ。
シルビアがたとえ近くに居たとしても、木々に囲まれている以上は、あのギガンタンのような巨体でない限り、そう簡単には発見できない!
「■■■■ぉぉ■■■■ぉぉ■■■■――――――――ぉぉぉぉぉ!!!!」
「きゃっ!?」
「ヒイッ!?」
と、その時だった。
窓の外から、何とも形容しがたい声の大きな雄たけびが聞こえてきた。
これはまさか、シルビアが中庭で召喚している、あの神獣の声じゃないの!?
「な……何でしょうか……?
あの鳴き声は……?」
「……敵ではないわ。
むしろ、味方よ」
「お、奥様はあの声の主をご存知なのですか……?」
「ええ……でも、何であの神獣の声が……。
まさかあの子!」
シルビア!
あなたもギガンタンと戦っているの!?
止めて!
そんな危険な真似はしないで、お願いだから逃げて!
貴方のステータスは、人間の子供と変わらないくらい低いのよっ?!
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